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Happy Walk in Tsukiji #1

[Happy Talk] 2009年6月11日 09:00

6月に入り、紫陽花が雨にしっとりとなじむ季節になってきましたね!

260年以上の太平の世が続いた江戸時代にあって、鎖国時代に唯一海外との接点であった長崎の出島、そこから江戸に参上したオランダ商館のカピタンたち(定宿は日本橋の"長崎屋")から世界情勢を聞き出そうと、蘭学をベースに西洋の知識を吸収しようとする者たちが築地から日本橋に通い詰めた!

安永3(1774)年、杉田玄白、前野良沢、桂川甫周らにより翻訳された『ターヘル・アナトミア』は『解体新書』となった。(桂川甫周の屋敷跡が平成通り、京橋築地小学校の斜め筋向いにある。)

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現在の聖路加国際病院(および看護大学)付近にあった中津藩中屋敷にてその翻訳作業が行われた。この屋敷ではその後、安政5(1858)年に福沢諭吉が蘭学塾を始めたことから慶応義塾大学もここがその発祥地!("蘭学の泉ここにあり"と碑に記されたようにグローバル思考のDNAがしっかりとこの地に受け継がれた!)

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この記念碑の後方にあかつき公園がある。そこには、何故かシーボルトの胸像と記念碑がある。

文政6(1823)年、シーボルトはドイツ人医師であったがオランダ商館員として長崎に赴任、鳴滝塾を開き、江戸の長崎屋では幕府の学者に面接指導も行った。その傍ら植物採集や研究にも没頭、日本の植物図鑑も出版した。愛する日本人妻の呼び名は"お滝さん"、愛らしく咲く紫陽花に同じ想いを寄せたのか、編纂していた植物図鑑には"おほあじさい"、原文ではH.Otaxsan(おたくさん)とあった。

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2人の愛娘"いね"(楠本いね、オランダおいね)は明治3(1870)年、この築地で産院を開業し、日本人初の女医として父のDNAを引き継いだ。

あかつき公園に隣接する中央区立郷土天文館、"タイムドーム明石"では現在、第7回特別展として"築地小劇場展"を開催中!

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『築地小劇場〜震災から戦災までの軌跡をたどる〜』と題した全33ページのフルカラー特別展図録には展示してある公演ポスター、劇場模型、検閲台本、伊藤熹朔による舞台装置(美術)原画、舞台写真等がまとめてあり永久保存版!特別展の入場料も(記念講演会も含め)この図録もすべて無料でTriple Happy! 

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今年は築地小劇場の開場85周年、第一回記念講演会(6月3日)は明治大学名誉教授の菅井幸雄氏による『築地小劇場・新劇史上の意義』、自ら演出家でありパトロンとしてこの劇場をサポートした土方与志、新劇の父と言われる演出家の小山内薫(慶応義塾文学部出身)を中心に、爆発的エネルギーを持って共に青春を駆け抜けた劇団員たちのパッションがそのまま伝わってくるようなとても力強い講演に会場はヒートアップ!

江戸幕末から明治、大正へと次第にグローバルな視野を持ち、移り変わって行く新生日本にあって日本の伝統的戯曲でなく、翻訳劇を中心にした"新劇の実験劇場"として小山内薫が亡くなるまでの58ヶ月間に何と84回の定例公演に加え、40回近い地方公演や特別公演を行った!現代の演劇界では絶対不可能?!

俳優陣(千田是也・滝沢修・杉村春子等)のみならず、経営(浅利鶴雄)、舞台装置(伊藤熹朔)、音響効果(和田精・山田耕筰)等に関わった人たちも含め、そのDNAは子孫や弟子たちにしっかりと受け継がれ、日本を代表する俳優、劇団プロデューサー、イラストレーター、音楽家となって各方面で活躍している人も少なくない。

 大正13(1924)年6月13日から昭和20(1945)年3月まで築地にあったこの築地小劇場は、わが国初の"クッペル・ホリゾント"(ドーム型の湾曲壁)やプロンプター・ボックス(出演者へのセリフ出し用)を備えたゴシック・ロマネスク様式の劇場(設立当初468人収容)。時代の最先端を行く実験劇場としてチャレンジ精神を失わず幾多の荒波を乗り越えたが、今はそのおもかげを跡地にレリーフとして残すのみとなった。

この築地コミュニティーには時代を超えて何かを伝えるエネルギーとパッションという命を受け継ぐDNAが流れているかも知れませんね!

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Let`s find our roots in Tsukiji!