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◆中央区 ここに歴史あり<10>~区境である旧竜閑川の名残~

[巻渕彰/写楽さい] 2009年9月 8日 18:30

神田との境界に竜閑川(りゅうかんがわ)があった。かつては神田区と日本橋区、現在の 千代田区 中央区の区境が旧竜閑川。戦後すぐに埋め立てられたが、その跡地は路地状の地形となっているので歩くことができる。


0913_10_090909ryukangawa.jpg 浜町川と接していた辺りが「竜閑児童遊園(日本橋小伝馬町19-4)である。ここに区境・竜閑川に架かっていた橋を模したものであろうか、何となく郷愁を感じさせる情景がある(写真上)。写真の橋をはさんで左側が 中央区、右側は 千代田区、中央部に旧竜閑川が流れていた。


この辺りに架かっていた橋は、明治期は「玉出橋」だが、江戸期の絵図には「幽霊橋」ともあり、何とも怖そうな場所であったのだろうか。現在、この遊園の場所は、 中央区 千代田区が共存している。中央区側には「竹森稲荷神社」が隣接し、 千代田区側は和風造りの公衆便所や遊具がある。


竜閑川は日本橋川(旧外堀)と浜町川を結んだ堀川。明暦3年(1657)の大火後、防火のために8丁(約870m)の土手が築かれ、元禄4年(1691)ごろに町人たちの費用で堀割が開削され、通称「神田八丁堀」と呼ばれた。当初は白銀(しろがね)堀ともいわれたが、のちに竜閑川と名付けられたそうだ。竜閑の名は、川の西側の町に御坊主「井上竜閑」が住んでいたから、という。


神田八丁堀は、十返舎一九じっぺんしゃいっく=明和2年(1765)-天保2年(1831)。東陽院の墓碑は中央区民文化財史跡指定)『東海道中膝栗毛』で弥次さん(弥治郎兵衛)がこの新道の小借家に住んでいた、という滑稽本の舞台として知られている。


日本橋川に接する西端の場所(日本橋本石町四丁目)に「竜閑橋(龍閑橋)」が架かっていた。大正15年(1926)架橋の親柱と橋桁一部が、いま残っている(写真下)。当時は橋長10.5m、幅員27.0mで、わが国初の鉄筋コンクリートトラス桁構造であった、とのこと。竜閑川には、ここ竜閑橋から東へ、白旗橋、西仲之橋、今川橋(国道17号)、東仲之橋、地蔵橋(昭和通り)、火除橋、九道橋、甚兵衛橋、玉出橋があった。今川橋跡と地蔵橋跡には記念碑や説明板が設置されている。