中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

防災 まなぶ不動明王尊縁起

[ゆりかもめ] 2009年11月30日 18:30

勝どきの新島橋 袂の真園山東陽院 正面右側には十返舎一九の墓があり 彼の辞世の句が

あるのは皆様もよく御存知だと思います。

中央区観光検定試験にも出題されましたよね・・・・

 

「此世をば どりやお暇に線香の 煙と共にはい左様なら」

 

十遍舎 看板と墓.JPG

 

そして その左側に「まなぶ不動明王尊」の碑があります。

まなぶ不動尊.JPG

防災まなぶ不動明王尊縁起

東京都消防庁臨港消防署員,消防司令 佐藤学さん が 昭和57年5月5日 勝どきマンション火災に

猛火猛煙を掻い潜って 7階ベランダに突入し 熾烈な火災に対し 我身を母子の楯として庇護し 身を焼かれながらも 4名を救出しました。

自分も リフターに乗れば重量が超過すると思い、はしご車の先端に跳び移ったが 酸素欠乏と極度の疲労により そのまま帰らぬ人となりました。

彼は以前にもホテルニュージャパンの火災に於いて 宿泊客4名を救助する等 数多くの場で果敢に職務を全うしました。

遺族は熱意あふるる殉職に対して全国の多くの未知の方々からも弔意を受けました。

故人の御霊を消防官としてその地に残す為  故人を荼毘に付した際に喉仏を分骨して不動明王尊像の胎内に納めました。

市民を数々の災難や交通事故から守り、消防や警察関係者の安全を祈願して安置されています。 

まなぶ不動尊に心を寄せる方々が多く 御花やお酒は絶える事なく いつも供えられています。

新婚3ヶ月だったそうです。 

まなぶ不動(2).JPG 

 

 

 

大人気の現金つかみどり 〔人形町商店街〕

[三日月] 2009年11月30日 18:30

毎年好例の年末現金つかみどりが11月27日(金)~12月11日(金)まで、人形町商店街で開催されています。

2000円ごとに福引券が1枚もらえますが、人気店では配布枚数がすぐになくなってしまうので、早めにお買い物をされることをおすすめしますshine

福引で1等は1万円・五千円・千円がぎっしり入った箱から、2等は千円札の箱、3等は100円・50円・10円の箱からつかみ取り、4等は50円と交換で空くじなしです。

私の甥は小学校低学年の時に3等をつかみ取りしたことがあり子供ながらにすごく楽しかったそうで、小さい子供からお年寄りまで真剣につかみ取りしている姿を見ているだけでも楽しくなりますhappy02

人形町ショッピングマップを片手にお買い物やお食事をされて、一攫千金されてみてはいかがでしょうかbell

 

 

 

国際交流のつどい

[坂の上のねこ] 2009年11月27日 11:17

その昔、文明開化の訪れとともに、現在の明石町の一帯に外国人居留地が開かれました。

それから約140年。中央区の在住・在勤外国人は年々増えていますし、また、江戸文化発祥

の地である中央区に残る、数多くの史跡・歴史的建造物・文化財に触れようと、毎年たくさん

の旅行者が海外から訪れています。

 

中央区観光協会のウェブサイトには英語・韓国語・中国語のページもあり、情報を得やすい

こともあって、様々なイベント会場で、楽しそうに参加している外国人の姿が見かけられます。

中央区は、現在も日本の国際交流の主要な拠点のひとつといえるでしょう。

 

というわけで、今日は中央区で開催される国際交流イベントをひとつご紹介します。

 

「国際交流のつどい2009」(このイベントは毎年開催されています)

日時: 2009年11月28日(土) 正午~午後4時まで

会場: 中央区築地社会教育会館 (中央区築地4-15-1)

予定されているイベント: 日本の楽器演奏、茶道、生け花、着付け、踊り、

                料理、折り紙、墨絵、などの体験

 

参加は自由です。ご家族やお友達と一緒に、日本の文化を体験しながら、外国の方々との

交流を楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

 

 

聖路加辺り、秋色に染まっています。E' museo!

[銀造] 2009年11月26日 08:30

 新富町駅から、あるいは築地駅より築地本願寺を経由して築地川公園、聖路加看護大学

辺りを散歩してみましょう。 まさに、自然が織り成した芸術の世界です。

 築地川公園の紅葉した「ハナノキ」と黄葉の「ケヤキ」、後ろの緑の「クヌギ」が綺麗です。

CIMG3418.jpg

 播州赤穂藩浅野邸跡、芥川龍之介の碑を通って、聖路加の前を通ります。

CIMG3416.jpg

 「ユリノキ」、英名「チューリップ・ツリー」が黄葉しています。

CIMG3419.jpg

 ちょっと文化的な、「慶応義塾発祥の地」、「解体新書」などの碑を見て、周辺の居留地跡に

創設された大学の碑を巡るのも楽しいですよ。 そして、

CIMG3420.jpg

 「タイム・ドーム明石」の裏手にある、あかつき公園へ入ってみると、

日本の近代化に多大な功績と、物議をかもした著名な方の胸像が。 シーボルトさんです。

 この人によって、日本の桜草とかの植物は、ラテン名にて学名登録されたのですね。

ちなみに、「サクラソウ」は、Primura sieboldii で、このsieboldii と付いた植物名は幾つ?

CIMG3422.jpg

 聖路加タワーも素敵ですね。この裏手の隅田川テラスにも米国公使館の石碑モニュメントが。

CIMG3423.jpg

 あかつき公園を出ると、黄金に色づきつつある「モミジバフウ」(楓)です。

残りの緑との調和は、絵の具を塗った油絵が輝いている様です。

CIMG3424.jpg

この<まるごとミュージアム!>の賞味期限は、12月2日ぐらいまででしょうか。

お早めに。

銀造

 

 

常盤会ー久松邸跡ー

[北遊人] 2009年11月25日 17:30

浜町2丁目、トルナーレ浜町ビルの真向かい新大橋通りの植え込みの中に標示板がひっそりと立っています。説明文によると

 常盤会とは、明治16年(1883)に創設された旧伊予国(現愛媛県)松山藩主久松家による在京の旧藩士子弟たちの学資援助組織である。

 久松家は、明治維新後この地に屋敷を構えており常盤会はこの屋敷内に設置されていた。

明治17年の初代給費生10人の中に俳人正岡子規がいた。子規は明治16年6月故郷松山から単身上京し久松邸の書生部屋に寄寓しており、翌年給費生に選ばれたことを半生の喜びの一つだと述べている。

 常盤会は、明治20年に本郷真砂町の坪内逍遥邸跡に寄宿舎を創設、子規も明治21年9月から24年暮れまで書生として過ごした、 とある。 

AOMORi 076.JPG

この久松邸については、司馬遼太郎の 坂の上の雲 の中で何回もお目にかかります。

秋山兄弟も伊予松山の出身であり、兄好古が上京する時 「東京に着いたら、日本橋浜町河岸のお屋敷へ行け」と教えられる。旧幕時代「浜町の御藩邸」 といわれていた小さな別邸で、いまも旧藩主久松家の所有になっており、久松家ではそれを旧藩士が上京して学校に入る場合の寮として使わせていた、、、とあ る。

子規も、上京にあたり 「着けばすぐ旧藩主邸にあいさつにあがるように」と言われているので、停車場(新橋)から人力車に乗り日本橋区浜町の久松邸にむかった。、、とある。

この後、秋山兄弟の弟真之も上京し子規とともに青春を送っている。

その数年後、河東碧梧桐も一高受験のため上京、常盤会の寮に入っている。

明治22年には、子規は本郷の常盤会寄宿舎におり第一回目の喀血に見舞われている。


 

 

◆中央区 ここに歴史あり<15> ~銀座ガス灯のガスがつくられたところ~

[巻渕彰/写楽さい] 2009年11月24日 18:00

銀座三丁目「銀座ガス灯通り」に昭和60年(1985)10月設置の復元ガス灯4基が灯っている。これは明治7年(1874)、芝金杉橋と京橋の間に85基のガス灯が建てられ、銀座を照らしたことを記念したものだ〔写真④〕。また、京橋跡(南詰東側)にもガス灯1基が復元されている。このガスはどこから供給されたものであったのだろうか。


0913_15_091123_ginzagas.jpg 現在、JR浜松町駅そばの東京ガス本社前に「創業記念碑」がある〔写真①〕。碑文には「・・・此地芝濱崎町ニ瓦斯製造所ノ建設セラレタルハ明治六年(1873)十二月ニシテ瓦斯供給ヲ開始シ、銀座街頭ニ瓦斯燈ヲ点火シ、行人ヲシテ驚異ノ眼ヲ瞠(みは)ラシメシハ・・・」と記されている。


東京ガス「ガス資料館」(小平市)に日本のガス事業を指導したフランス人プレグラン直筆の明治7年(1874)のガス街灯路線設計図が残っている。金杉橋から銀座・京橋、さらに神田や本町通りを浅草橋までにわたる計画図である。銀座では現在の中央通りのほか、みゆき通り、晴海通り、一丁目の銀座桜通りにもガス灯敷設が描かれている。


当時のガス灯は黄色い炎が燃えているだけで、ロウソクの明るさが40ルクスに対し、裸火のガス灯は60ルクスだったいう。しかし暗闇では提灯よりは明るく、ハイカラで珍しさも含め、大勢の見物人が集まったといわれている。


点灯には半纏を着た「点消方(てんしょうかた)」と呼ばれた人が、硫黄を火種とした点火棒を持ち、一人でガス灯50基ほどに約1時間かけて火をつけて回ったという。朝になると消さなくてはならないので、朝寝坊しないために妻帯者でなければならなかったそうだ。〔写真③:銀座ガス灯復元記念ハガキから「銀座通煉瓦造」(部分)三代広重:京橋図書館蔵〕


同資料館によると、明治11年(1878)守田勘弥が建てた「新富座」はガス灯をふんだんに使い、舞台照明にも用いられた近代的劇場で、東京ではじめて夜間興行がされたという。


また資料館庭内には、 横浜市 やロンドン、パリなどのガス灯とともに、築地明石町浜離宮に建てられたというガス灯2基も点灯している。上部火屋の部分は複製だが、鉄柱は当時のものとのこと。確かに柱の意匠が異なっている。〔写真②:手前が築地明石町、奥が浜離宮の復元ガス灯〕


新橋停車場から銀座煉瓦街、そして築地ホテルなど、江戸から東京へと国家新生の象徴として、当時の情景は錦絵にも多く描かれた。いまの中央区が近代文明への変貌を遂げていった時代を物語っている。