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東日本橋稲荷巡り

[北遊人] 2010年1月19日 09:00

 東日本橋にある寺社といえば薬研掘不動院が最も有名である。しかし神社の方は日本橋七福神巡りの陰に隠れて忘れられかけている。

 今日はそんなマイナーなお稲荷さんを廻ってみる。

先ず両国橋西、産業会館通り入り口の左側路地にひっそり佇んでいる"川上稲荷神社"から。

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 創建 寛永五年戊辰七月 (1628年である)

旧幕府の乗船場にありしが、明治2年4月神域を此の地に移し崇敬す。明治6年1月神田神社の兼務社となり、昭和20年戦禍により焼け、昭和63年360年祭記念として再建す、と説明書きがある。

 

 次に薬研堀不動院裏手通りの"矢ノ庫稲荷"へ参ります。

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 縁起によると

正保2年(1645年)幕府が米蔵を此の近くに建て、谷野蔵・矢之蔵と呼ばれていた。その庭中に御蔵の鎮神として三社を合殿した三社稲荷神社をまつった。中央に谷野蔵稲荷、左に福富稲荷、右に新左衛門稲荷から成り立っていた。元禄11年(1698年)お蔵を鉄砲洲に移転と共にこの三社稲荷も一緒に移されたが、明治6年(1873年)に新左衛門稲荷が、昭和7年(1932年)には福富稲荷が"初音森神社"に遷座合祀され、谷野蔵稲荷は、幾多の変遷場所を変え現存地に至った。名称もいつの頃からか"矢ノ庫稲荷"となった。

 

 では"矢ノ庫稲荷"縁起にある"初音森神社"へ参ります。                          浅草橋南、日本橋両国郵便局並びです。

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由緒によると

創祠は元弘年間(1330年頃)、当時奥州街道沿いに初音の里と呼ばれていた。

天文20年(1551年)社前に馬場が出来初音の馬場と呼ばれた。

江戸時代に入り浅草見附門建設にあたり境内地の半分が削られ、明暦の大火(1657年)後関東郡代屋敷となり、墨田区へ遷宮。昭和23年旧蹟の一部の地に神社建立、、、。

 この神社では明暦の大火の惨状が記されている「むさしあぶみ」の現代語訳本が手に入ります。

 また入り口脇に昭和36年土中より発見された"浅草御門の門柱"が見られます。

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 最後は東日本橋3丁目、清洲橋通り近くに"玉尾稲荷神社"がビルの谷間にあります。

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 以上、東日本橋町内で四つのお稲荷さんに巡り会えました。