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◆中央区 ここに歴史あり<23> ~八丁堀地蔵橋 今も信仰の「おしろい地蔵」~

[巻渕彰/写楽さい] 2010年8月30日 08:30

町奉行所・八丁堀与力同心組屋敷のランドマーク的な場所が「八丁堀地蔵橋」であった。拝領地のほぼ中央に位置し、亀島川から西に向かっての堀割り(大下水)は地蔵橋(図上左=切絵図赤丸部)で南へ直角に曲がっていた。現在地は日本橋茅場町二丁目と三丁目の丁界でさくら通りとすずらん通りの交差点辺りである。

 

0913_23_100622osiroijizo.jpgこの付近には、与力で賀茂真淵門人の加藤枝直・千蔭父子や村田春海などの名が古地図に載っている。そして阿波藩の能役者・斎藤十郎兵衛の居宅もあって謎の浮世絵師・東洲斎写楽だったのでは、といわれている。八丁堀の七不思議にも「地獄の中の地蔵橋」「地蔵の像なくして地蔵橋」などと引き合いに出されている。

 

幕末の与力・佐久間長敬(おさひろ=1839-1923、原胤昭の実兄)は『嘉永日記抄』で次のように記している。「組屋敷内に石の橋があった。旧与力・多賀仁蔵の門前に、すべて自分普請で架けた石橋で、『仁蔵橋』と称していたが、その家が潰れたあと、与力の共有にして「地蔵橋」と改称した。また昔、橋の際に小さな石地蔵があったが、大火のために焼き崩れた、ともいう」。

 

明治40年(1907)の地図には暗渠らしい形跡になっているので、すでに橋は撤去されていたようだ。永井荷風『断腸亭日乗』昭和10年(1935)の条に「近年埋立られし市中の溝渠・・・八丁堀地蔵橋の辺」とある。

 

この地蔵橋とゆかりの寺が港区三田にある。曹洞宗・梧棲山玉鳳寺(ぎょくほうじ)で、国道1号線・魚籃坂下から幽霊坂(写真下左=坂上からの眺め)を上る途中にある。坂名のごとく今でも周囲には寺があり、急坂の狭い道である。山門の左脇に地蔵堂(写真下右)があり、港区民俗文化財の化粧延命地蔵、通称「おしろい地蔵(写真上右)が祀られている。堂内に入ると甘ったるい香りが漂い、白く塗られた地蔵が鎮座する。奉納帳には「何が何でもきれいになりたい・・・」と女性たちの真剣な(?)書き込みがあった。

 

同寺は慶長4年(1599)に八丁堀に開創された寺院で、江戸城拡張工事に伴い三田が寺町として指定されたため、寛永12年(1635)に移転した。山門左手にある地蔵堂に安置されたこの地蔵は、寺伝では、寺が移転する前の寛永年間に八丁堀の地蔵橋畔に捨てられたものを、当時の住職格翁宗逸和尚が修復し、白粉を塗って祀ったところ、和尚の顔面の痣(あざ)がきれいに消えたので、人々が自分の体で病気のあるところと同じ部分に、白粉を塗って祈願するようになった、といわれる。今も病気平癒の祈願のために白粉を塗る参詣者があり、信仰が続いている。