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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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東京マラソン

[織衣舞] 2012年2月28日 08:30

 2/26(日)東京マラソンの応援に行きました。茅場町交差点です。市民ランナーの多い時間帯でした。会社の同僚の方 友達 彼氏 彼女 近所の方 親戚 いろいろな立場で いろいろな声で楽しい応援がいっぱいでした。仮装されての参加も楽しい雰囲気を創ってくれていました。走る人は大変だったでしょうが、応援の人も熱が入っていて、本当に楽しいひとときでした。

2位の藤原新さんは2h7m48s、オリンピック出場は決まるのでしょうか?

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佃島の由緒

[kimitaku] 2012年2月24日 08:30

  

 佃島は、中央区の南にあります、中央大橋、佃大橋、相生橋が作られて、とても便利になりまし

た。 町に入ると、昔からの佃煮屋さんと、家並みが風情をそそります。 

 高層ビル群も立ち並び、ほんの少し前まで、渡船でしか、渡ることができなかったこと

が、信じられないくらいです。 P1010164-1.jpg

 朝早く、住吉神社を参拝しました。

宮司さんが竹箒で、境内を掃き清めています。 ザーッザーッと言う音が規則正しく聞こえてきて、

木々の枝では小鳥が囀っています。シーンとした静けさからは、周りの喧騒がウソのようです。

 佃島の由緒を調べることにしました。

 

 「本能寺の変」 天正10年(1582)

 織田側についていた徳川家康が、本能寺の変に際し、堺から三河に向かう途中、摂津佃の漁民、

森孫右衛門たちが、漁船を差し向け、また小魚の塩煮を差し入れたのが、家康との縁の始まりだそ

うです。 道中では、茶屋四郎も協力を惜しまなかった一人です。

 「江戸入府」 天正18年(1590)

 家康が、江戸入府」の際に、森孫右衛門以下漁民30名に声を掛け、江戸でお城への魚を献上さ

たそうです。その際住まわせた場所は、安藤対馬守 (矢張り、変の際に同行して、森と顔見知り)

の屋敷内です。

 その後、彼らは、大阪冬の陣 夏の陣で食料を提供、また、密使として活躍しました。 また

かれらは、その後も永きに渡り、海からの侵入者の警護も行います。

 家康は、非常に恩に報いる人で、その後、森孫衛門以下佃の漁民は、江戸で、特権を持つことに

なります。

 「地獄網」

 大阪では、江戸よりはるかに漁法が進んでおり、この地獄網は、 水手(かこ)6人で船の乗り、7

艘で沖に出て、右手3艘 左手3艘 で網を手繰り寄せ、魚を一網打尽にして捕る漁法です。

 この漁法のおかげで、大量の魚をお城に運ぶことができました。

「白魚漁」

 白魚の頭の黒い部分の模様は、葵の御門に似ているそうで珍重されました。白魚は、伊勢から移

植して、それを佃の漁民に捕らせました。いまでも年一回、「白魚献上祭」が行われています。

「本小田原町 (いまの」日本橋川の左岸)に店を出す。} 

 慶長18年(1613)にお城への供給以外の魚を城外で売ることを許され、これが、日本橋魚河岸の

基礎となります。 

 

「佃島」

二代将軍秀忠のころ、隅田川下流の干潟の埋め立てが認められ、佃の住人が自力で埋め立てたの

が、今の佃

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治になって、埋め立ては続き、新佃、月島が作られていきました。写真は佃の人たちで

す。古武士の風情が感じられませんか。

 

 

 

 

 

 

 

リーフパイ「えんじゅ」-風と土

[滅紫] 2012年2月23日 08:30

「槐」(えんじゅ)をご存知ですか?「槐」はマメ科の落葉高木で中国原産、夏に黄白色の蝶形の花をつけ、のち連珠状の莢を生ずる。蕾は漢方薬の原料](広辞苑)。銀座外堀通り(西銀座通り)の街路樹は以前はこのえんじゅが植えられていたそうです。


今回ご紹介するのはこのえんじゅの葉を象ったリーフパイです。


100_0407.JPG「風と土」は2009年創業で本店のあるのがこの西銀座通り。そこで当初植えられていたえんじゅに因んだパイを作ったということです。通常のリーフパイの2倍近くの厚みがあります。お店によると「国産小麦粉と100%北海道産バターのシンプルな生地を折り重ねアクセントに有機白胡麻を振った」とあります。「お菓子は風土にあり」と素材へのこだわりで最近人気が高くTVや雑誌での露出も目立つのでご存知の方も多いことでしょう。

 

リーフパイの箱の中に銀座の通りと街路樹の地図が入っていました。「煉瓦街の完成時、街路樹に松・楓・桜などを植えたがすぐ枯れたのでその代わりに柳を植え、それが根付いた。道路改修や火災などで何度か姿を消し、現在の柳は4代目」とたいていのガイドブックにあるので何となく「銀座の街路樹=柳」というイメージが固定していました。柳以外にハナミズキ、トウカエデ、コブシなどいろいろあるのですね。毎日のように銀座を歩いていながら桜の季節くらいしか街路樹を気に留めることがありませんでした(反省)。日毎に暖かくなるはず(?)のこれからの季節、街路樹を眺めながら散策という「銀ブラ」の新しい楽しみ方など如何でしょうか。それにしても街中のインフォメーションのところにある地図の通りの名前の横に「街路樹」の名前も入れてくれると嬉しいのですが。(マロニエ通りや柳通りなど通りについているのもありますが。)なお「えんじゅ」はみゆき通りと外堀通りに一部残っているようです。

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写真は6個いりの箱(1.220円)カイエンヌクッキー(パルメザンチーズ味)(一袋500円)、焼ココナッツクッキー(一袋500円)雑穀サブレー(1個120円)

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「風と土」銀座6-4-8 TEL6228-5731

営業時間月~金11:00~23:00、土11:00~19:00日定休

http://www.kazetotsuchi.com

 

 

 

築地市場の歴史的変遷 2-2

[kimitaku] 2012年2月22日 08:30

 徳川家康の入府の後、天下普請によって、平川からの流れを変え、日比谷入り江を埋め立て、道三堀を掘削して日本橋川が作られました。

その日本橋川両岸に作られていった河岸が、魚市場の原型になります。

以前の平川の河口にあった、四日市もここに移されます。

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その後、この市場が栄えてゆきますが、その際、大いに貢献した人々に、大阪の旧佃村の漁民がいました。

 家康は、江戸入府とともに、以前から親交のあった摂津佃村の漁師、森孫右衛門以下30名を呼び寄せ、江戸湾内で魚を取らせ、お城に献上させます。

 大阪では、魚を捕る技術が優れ、佃の漁民は一度に大量の魚を江戸湾で取ることができました。 

その残りの魚を、佃の住民たちは日本橋川の北側、本小田原町で町民にも売り出します 慶長18年(1613)。

その後大阪の住人が続々移転して、寛永18年(1641)年には14件の魚問屋が軒を連ねます。

 お城からは、時には1日に 5000匹の鯛の注文があるなど、大変繁盛してゆきますが、その際、捕った魚を大型船に水を張り、生簀に入れて、お城からの需要に備えます。

P1010161-1.jpg その後、その魚などを、棒手振り(注:1) が買いに来て町で売り払いました。 

その棒手振りと、問屋の間を取り持つ一種の戸板のようなものを、河岸に並べて魚をおき、それを棒手振りに売り捌きましたが、その戸板が板船と言い、その使用権利が、板船権(非常に高額)として取引されるようになります。

 今でも、河岸で、"佃何々"と名のつくの業者の多くは、佃島出身者です。

また、築地の業者の中には400年を越す暖簾を守る業者もあります。


注:棒手振り 天秤棒を担いで売り歩くこと。魚問屋と料理屋の間に立って商いをする。 


次週に続きます。


 

 

銀座 新ショコラトリーOPEN その1

[柳 さつき] 2012年2月22日 08:30

銀座には、世界で有名なショコラトリー(チョコレート ショップ)がたくさんお店を構えています(デパ地下も路面店も含めて)。


そして今年、お正月の三が日を終え、バレンタイン時期を控えた 1月 4日に新しく 3つのお店がオープンしています!


そのうちの 2店は、みなさもよくご存知:ベルギーのショコラトリー&カフェ「ピエール・マルコリーニ 銀座」のビル隣に、これまた、仲良く 2店がお隣同志でOPENでした。

P1070580.jpg 本日は、まずその中のひとつをご紹介(上写真の右のお店)。

P1070582.jpgフランスはジュラ地方のアルボワに100年以上続く老舗

「HIRSINGER イルサンジェー」

アルボワの本店には、初代の店舗兼アトリエが博物館のようになり、公開されています。

P1070583.jpg四代目の現オーナーでショコラティエのエドワード・イルサンジェー氏は、弱冠33歳でM.O.F.(フランス国家最優秀技術職人賞)に輝き、俄然、世界中の注目のショコラティエとなったのです。

コックコートの襟のトリコロールカラーは、M.O.F.だけが許されたものなのです。

エドワード氏 と奥さま

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代々受け継がれていた、パック祭(イースター)のうさぎやポワソン ダブリエール(エープリール フール)の魚の型、ノエル(クリスマス)のサブレ(クッキー)型などが店内に飾られています。

目や鼻や口まで彫ってあり、カワイイ!

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そして肝心のショコラなのですが・・・ほとんどが売り切れていました。

なんでも、それぞれのカテゴリーにより、一粒¥600、¥800、¥1000だそうでです。

 

「パート・ド・フリュイ(フルーツ ゼリー)」が、少しだけ販売中でした。

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ある筋からお聞きしたところによりますと・・・

今月初め、来店なさったエドワード氏ご本人が、これらの価格設定に驚かれたそうです!

「フランスでは日常に楽しむお菓子がから、こんなには高価ではないよ。」

「日本のかたのショコラへの情熱、愛情には、心から嬉しく思う」と。

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すべて手作り、フランスから空輸してくるので、イタシカタナシ!なのでしょうね。

どなたかに贈っていただく?

自分へのご褒美?

一粒をいただくとき、いつもより勇気が必要かもしれません!!

 

「HIRSINGER」

東京都中央区銀座 5-5-8

西五番街 坂口ビル 1F

03-6251-9711

11:00~20:00  無休

 

 

おいしい干物の定食・めし屋

[坂の上のねこ] 2012年2月21日 08:30

ハッピー食事券の使用期限が近づいてきました。何となく使い惜しみしているうちに、行こうと思っていたお店がスタッフの帰国でしばらくお休みになったり、改装中だったりして、このところ使うあてが外れることが続いてちょっとがっかり。


そんな我が家の強い味方は月島の「めし屋」。近所なので、普段からちょくちょく行くお店ですが、ハッピー食事券があるとさらに頻度が増します。結果的に、今回購入したハッピー食事件の90パーセントは「めし屋」で使いました。


「めし屋」は、佃・月島エリアでは我が家の評判ナンバー1。実家の両親もわざわざ千葉から食べにくるほどです。干物がおいしい定食屋さんですが、お刺身もおいしいし、夜はいろいろなおつまみを楽しみながらお酒も飲めます。

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今日はおすすめ定食のA。銀鮭と小あじの干物に、ご飯とお味噌汁と大根おろしがつきます。

P2190463.JPGでもそれだけれはありません。「めし屋」の大きな魅力は、テーブルの上にど~んと置いてある3つのガラス瓶。

P2190458.JPGお漬物、いかの塩辛、数の子の粕漬け、海苔の佃煮などが入っていて好きなだけいただけます。特に粕漬けは私の一番のお気に入り。これが置いてあるテーブルを狙って座ります。


「めし屋」は築地の干物専門店の社長さん、つまり干物のプロが経営しているお店です。
お店では干物を購入することもできますから、お土産にもおすすめです。

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実はマル秘情報にしてあった「めし屋」。おととい、観光協会特派員の銀造さん、ゆりかもめさんとご一緒した際にぜひブログで紹介してと言われたので公開することにしました(観光協会特派員になると、こんな特派員同士の交流も楽しめますよ)。


場所は月島駅7番出口を出たところにある「もんじゃ総合案内所」の向かい側です。

住所:月島1-9-15

電話:03-3534-0486

営業時間:11:30~14:45 17:30~21:45 (平日・土曜)

       12:00~20:45(日・祭)


おまけ:銀造さん、ゆりかもめさんと行ったスワンカフェで食べたいちごのデザート。
(撮影:銀造さん) いちごスイーツ.jpg