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区内寺社巡礼~第5番『兜神社/日枝神社日本橋摂社』

[下町トム] 2012年12月 1日 09:00

区内の神社仏閣を訪ねて一句献上するシリーズの第5回です。今回は兜町・茅場町界隈に出かけます。

鎧橋2_R.JPG          鎧橋_R.JPG 

 

今年も木枯らしが吹く季節になりました。時々肌寒い日もありますが、逆に温かく柔らかい日差しに包まれる日もあります。天気の良い日には秋から冬への移ろいを楽しみながら区内を散歩してみましょう。shoe 

兜神社_R.JPG 

前回訪ねた『水天宮』から新大橋通りを築地方面に進み、『銀杏八幡宮』の前を過ぎると、やがて三叉路に出逢います。ここを右に進むと、これが〔平成通り〕です。ここから築地まで続いています。

通りを進んで日本橋川を渡ります。ここに架かっているのが〔鎧橋〕です。なんとも勇ましい名前ではありませんか。〔鎧橋〕の名は、もともとこの地にあった〝鎧の渡し〟に因んでいますが、往古に源義家が東国遠征に出かける際に嵐に出逢い、それを鎮めるために自らの鎧を水中の龍神に献じたのが由来とか・・・。

かつてここには市電(都電)が走っていました。そのことを示す説明板が橋のたもとに設置されています。memo 

兜岩_R.JPG〔鎧橋〕を渡ったところが〔兜町〕です。言わずと知れた日本の株取引の中心街であり、証券会社の集積地であります。〔鎧橋〕は高速道路に押さえつけられるようになって窮屈そうですが、その向こうに〔東京証券取引所〕の建物が見えます。橋を渡って左に曲がったところに、ここの町名の由来となった〔兜神社〕があります。ここも源義家に縁があり、前述の〝鎧〟とあわせて武勇の香りがする名前です。境内には〝兜岩〟があってその伝説を今に残しています。

 

山王社_R.JPG

平成通りに戻ってさらに南下すると、まもなく左手のビルの谷間に由緒ある神社がうかがえます。赤坂にある〔日枝神社〕の日本橋摂社であり、江戸三大祭りのひとつ〝山王祭り〟のゆかりの深い社です。もともとは〝御旅所〟(祭礼の際に巡幸先で一時的に鎮座する社のこと。神幸=神様が鎮座する本社を離れて巡幸すること。)として創建されたものです。かつては赤坂からこの地まで神輿が巡行したそうです。現在は祭礼の際に〝下町連合渡御〟で賑わうお宮です。up 

明治初期に〝神仏分離令〟が出るまでは、日本では長く神仏習合の慣わしが続きました。日枝神社(日吉神社)はそもそも〝山王権現〟と呼ばれ、古く最澄開創の天台宗の信仰とともに全国に広がったものです。日枝神社の〝日枝〟はもちろん〝比叡〟に基づくものであり、天台宗総本山の延暦寺に源を発します。延暦寺においても神仏分離後は日吉神社が独立し、全国の総本宮となっています。赤坂にある日枝神社は古く大田道灌が勧請したと伝わり、徳川将軍家により江戸の総鎮守として篤く信仰を受けました。

そんなわけで、茅場町の〝山王様〟にはもともとは仏様もあわせて祀られており、〔智泉院〕が山王様の〝別当寺〟(神仏分離以前は必ず神社を管理する寺院が別当寺として定められていました)として今に続いています。同寺に祀られていた薬師如来に対する信仰は篤く、江戸の一大霊場として栄えたそうです。明治になって神仏が分離された後は、薬師如来はへ他所に遷され、〔智泉院〕はやや小じんまりとなったものの、今日も日枝神社の裏手に存在しています。そこには慈悲深い眼差しの観音像が祀られています。confident 

観音様の脇には、江戸期から残っている〝天水鉢〟が迫力ある姿で目に映ってきます。地元〔坂本町〕から奉納されたもので、地元の方々の心意気と誇りが伝わってくるようです。ちなみに〔坂本町〕という名は、総本宮・日吉神社の所在地である近江の国・坂本庄(現・滋賀県大津市坂本)に因んでいます。

天水鉢_R.JPGそれにしても、源義家の伝説といい、徳川家康の江戸開府の頃の活気といい、後の町民の心意気といい、なんとも溌剌としたエピソードに包まれた地域です。少々の苦難があっても乗り越えていく勇気を授かったような気がします。ぼくなりの〝パワースポット〟として大事にしてみようと思いました。upwardright 

 

冬の嵐が来ようとも、冷たい雨に打たれようとも、胸を張って前へ進む気持ちを持ちたいものです。

・・・・・ 木枯らしは吹けど矜持の鎧橋