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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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勝鬨橋からの冬景色

[kimitaku] 2013年1月31日 17:00

 冬の朝 勝鬨橋をさんぽしました。

朝7時ころ 人通りも少ないひととき、橋のたもとから見えるビル群を撮影しました。

隅田川左岸西詰からの写真です。 katidoki 1.jpg

  東京タワーの左が汐留シオサイト 右がコンラッド東京

おせんべいのくねったようなのが 汐留シティセンタービル

 川岸手前右が 築地市場と駐車場ビル その奥が 国立

ガンセンター中央病院。


katidoki 2.jpg

 右岸西詰からの展望 「勝鬨橋」の漢字文字

渡り切ったところには「かちどきばし」のひらがなの表記。 


左のビルは イヌイカチドキビル クレストシテイレジデンス

 遠くに 東京タワーズも見えます。


katidoki.jpg

 

 

 右岸東詰をこれから渡ります。


プラザタワー勝鬨のシルエットが美しいです。


kati 6.jpg

 

橋の上流側から、下流側を眺めたところです。


kati 8.jpg


 右の写真は上流を眺めたところ。


聖路加病院と、住友生命ビルが見えます。

遠く見えるのが 佃島 石川島。


kati 11.jpg


 左岸(月島寄り)から上流を眺めます。


聖路加病院のすぐ右に 東京スカイツリーの尖塔アンテナだけが見えます。


kati 12.jpg


左の写真は

左岸東詰(月島)から銀座方面を眺めました。

朝日がビルの側面に反射して美しいです。


kati 13.jpg


右手の写真の左端に月島川水門が見えます。


kati 14.jpgみなさんも これから暖かくなったら、勝鬨橋をさんぽするのも おつな ものです。


そろそろ 梅 そして 花壇にはたくさんの花々が咲き出します。


 

 

 

第17回中央区雪まつり

[ukiuki] 2013年1月31日 15:00

築地7丁目のあかつき公園で、中央区雪まつりが2月9、10日の両日開催されます。


2年に一度開かれるこのおまつり、幼児や小学校低学年の児童を中心に、大人気です。


あかつき公園の半分ほどが友好都市、山形県東根市から運ばれてきた雪で覆われて、子供達には充分過ぎるほどのゲレンデが突如として出現します。

そりやミニスキーは無料で貸出ししてくれます。スキーの列は長くても、割合早く順番がまわってきます。


また地元の PTAやおやじの会の皆さん等によるいも煮汁もふるまわれます。


子供達のはじける笑顔が見られること間違いなし、是非お出掛けください。

 

 

文豪と丸善  尾崎紅葉、最後の買物

[与太朗] 2013年1月30日 15:00

 「いいか、宮(みい)さん、一月の十七日だ。来年の今月今夜になったらば、僕の涙で必ず月は曇らして見せるから、・・・」


 現代のわれら、1月17日といえばまず阪神・淡路大震災ですが、お年を召した向きはやはり、「熱海の海岸散歩する貫一お宮の二人連れ・・・」と歌になった尾崎紅葉(1868-1903)の『金色夜叉』を思い出すのではないでしょうか。


 その紅葉と日本橋の丸善を結ぶ逸話が、内田魯庵(1868-1929)の『思い出す人々』に描かれています。魯庵は評論家、翻訳家、小説家として活躍した人ですが、当時丸善本社に書籍部顧問として入社、PR誌「学鐙」の編集や洋書の販売に尽力していました。


 明治の文壇にあって一世を風靡し、広汎な読者を獲得した紅葉ですが、若くして不治の病におかされ、余命三月を宣告されます。やせ衰えて丸善に来た紅葉は、『ブリタニカ』を注文しますが、品切れのため代わりに『センチュリー』を百何円の大金を手の切れるような札で買っていきます。紅葉は決して豊かではなかったそうです。魯庵は、死の瞬間まで知識の欲求を忘れず、豊かでない財嚢から高価な辞典を買うことを惜しまなかった紅葉に讃嘆します。


 魯庵は紅葉や硯友社の作品については批判的で、二人の仲も疎遠だったようですが、このときの「小一時間の四方山話」では、わだかまりもなく打ち解けることができたと書いています。そして誰も知らない「この紅葉の最後の頁を飾るに足る美くしい逸事」を後世に伝えるのだと言っています。「紅葉は真に文豪の器であって決してただの才人ではなかった。」


 久しぶりに立ち寄った丸善。中央区観光検定のテキスト『中央区ものしり百科』や『過去問題集』、それに旧テキストもここの一階で買ったことを思い出し、二階に上がれば、文庫の売り場に『金色夜叉 上下』『思い出す人々』が今も並んでいます。その昔、田山花袋が当時の丸善の二階で、前借した十円でモウパッサンの十二冊の短篇集を買い、撫でたりさすったりした、と書いた『東京の三十年』も同じ棚にありました。三階に上がるとカフェは昼食時、創業者早矢仕有的が生み出したハヤシライスのランチを楽しんで店を後にしました。

 

 

 

築地・ふぐ料理店「天竹」で新年会♪

[鞠つき] 2013年1月30日 09:00

築地6丁目の新年会が、勝鬨橋のたもとにある老舗ふぐ料理店「天竹」

開催されましたsign01

 

大好きな友人と4人で参加notes

寒い冬は、やっぱりお鍋ですねshine

 

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         前菜                  ふぐのポン酢

 

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        お刺身                   ふぐの唐揚げ 

               

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      ふぐのサラダ                 ふぐ鍋の具

 

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       ふぐ鍋

 

ふぐのお刺身や最後の締めのおじやは、夢中になって頂いていたので

撮影するのを忘れてしまいましたhappy01

 

ひれ酒もたくさん飲んで、とっても満足 sun

また行きたいなnote

 

ふぐ料理店「天竹」 

住所:中央区築地6-16-6

電話:03-3543-3000

 

                      

 

 

区内寺社巡礼~第12番『波除稲荷神社』 (最終回)

[下町トム] 2013年1月29日 14:00

中央区内にある個性あふれる寺社を訪ねて界隈を散策し、想い出の一句を献上するシリーズを続けてきましたが、今回でひとまず最終回とします。

 

波除神社標柱.jpg四国巡礼などでは、祈りの旅の出発を〝発願〟(ほつがん)といい、無事めぐり終えることを〝結願〟(けちがん)といいます。中央区の巡礼はまだまだ続きますが、このシリーズの一旦の締めくくりとして〝結願〟の場所を、ぼくの地元でもある築地の『波除稲荷神社』に決めました。

 江戸時代初期に市域拡大のために、幕府は今の築地一帯を造成しましたが、その折に激しい波浪に困難を極めたなかで海上に見つかったお稲荷様をお祀りしたところ、風雨が収まったといいます。その由緒から〝波除〟の尊号が奉られました。

 

波除神社の大獅子_R.JPG長く築地一帯の守り神として信仰されてきましたが、後に関東大震災後の復興で魚河岸が移ってきてからは、さらに賑わいの中心となってきました。昨夏の大祭でも、市場の関係者も多く参加して盛り上がりました。築地市場が移転したらこの祭りもまた様変わりするのでしょうか。それとも変わらぬ雰囲気を残すでしょうか。ただ、350年を超えるこの神社の歴史はきっと受け継がれていくことでしょう。

玉子塚_R.JPG『波除稲荷神社』のシンボルといえば、雌雄一対の獅子頭です。かつては、〝龍〟や〝虎〟とともに担がれて昇運を祈る祭りだったようですが、今は〝獅子〟だけが残され、大切に安置されています。ただし、祭礼の時にはこの獅子も神輿に仕立てられて各町内をにぎやかに巡行します。築地の人たちにとっては、誇りであり親しみあふれる存在です。

 

いろんな塚_R.JPG境内には〝玉子塚〟〝海老塚〟などいくつもの〝塚〟、すなわち慰霊碑が建立されています。市場関係者が、生命への感謝をこめて奉納したものです。鮮魚や鮨に関係する仕事をする人が多い土地ならではのモニュメントです。IMG_20130120_125242_R.JPG

 

 

 

築地市場訪れた際にこ神社に参詣される方も多いかと思いますが、せっかくなので隅田川まで足を伸ばしてみて下さい。勝鬨橋から眺める川面の景色も心が和みます。もう少し暖かくなったら、〝隅田川テラス〟で瀧廉太郎の『花』に謳われる「春のうららの隅田川・・・♪」の風景を味わうこともできますよ。


IMG_20130120_125127_R.JPGまた築地市場勝どき門正面にある『天竹』は気取らず美味を味わえる名店です。毎月29日には〝ふぐの日サービス〟として〝ふぐ天丼〟が通常1,680円のところジャスト1,000円になるのでお得です。一度お試し下さい。


波除神社の節分祭.jpgさて、この時季の行事といえば、2月3日の〝節分祭〟です。ここ『波除稲荷神社』でも盛大に催されます。(「節分祭」の写真2葉は神社ホームページから引用)

節分の日の夕刻、まずは「三矢ノ追儺(ついな)」という古式に則った儀式が行われます。3本の矢を放ちますが、それぞれに「病気を健康にかえる」「辛気を福にかえる」「陰気を陽気にかえる」という意味があるそうです。そのあと特設の舞台から裃姿の撒き手がたくさんのお菓子を撒きます。毎回多くの参拝者が福菓子を求めて訪れます。ぼくも今年はこの撒き手に加わる予定です。

夕暮れの波除神社_R.JPG『波除稲荷神社』では「鬼は外」の掛け声は用いず、もっぱら「福は内」と唱えます。参拝者の幸せを祈る気持ちが境内に溢れます。

 

そもそも「節分」とは〝季節の変わり目〟という意味で、当然ながら本来は年に4回あるわけですが、いつの頃からか「立春」の前の日だけを指すようになったそうです。かなり昔は「立春」を一年の始まりとしていたことから、「節分」は古い年から新しい年への切り替えという意味を持つ大切な日だったのです。

「追儺(ついな)」という行事はかつて京の都を荒らした悪鬼を払うために大晦日に行った宮中行事です。やがて〝鬼やらい〟が〝豆撒き〟という風習になって、全国にひろがっていきました。「節分」が一年の節目の意味を持っていたことから、「大晦日」ではなくてこの日に行われるようになったのではないかと推察します。

 

鬼やらい.jpgぼくの子どもの頃に既に年配だった叔母が「節分」のことを「年越し」と呼んでいました。どうやらそう呼ぶ地域は全国にあるようです。つまり「節分」が大晦日と同じような位置づけだったことが分かります。また、最近コンビ二などでやたら宣伝している「恵方巻き」という風習はもともと大阪を中心とした地域のもので、いつの間にか関東にも広がりました。1990年ごろにセブンイレブンが仕掛けたと言われています。まだ最近のことですね。

大阪では太巻きをその年の恵方に向かって丸かぶりすることで運を招くとして古くから行われていました。このとき口を利いてはいけないというのがしきたりです。しかし、この大阪での風習もそう古いものではなく、もともと船場の旦那衆がお茶屋遊びで行っていたことを大正時代に一軒のすし屋の店主がニーズ開拓のためにキャンペーンを行ってから一気に広がったというのが通説です。つまり、「土用の鰻」や「バレンタインデー」とよく似た発祥なのです。

 

波除神社節分2.jpgそれはそれとして、「節分」の日に〝豆撒き〟をして福を願う気持ちは今も変わりません。大抵の家庭では、お父さんが鬼の役を務めるのではないでしょうか。子どもたちにさんざん豆をぶつけられて逃げ惑うのも大切な役割ですね。子どもたちが寝入ってから、お母さんにねぎらいのお酒でもついでもらうのでしょうか。築地の町でも節分の夜にはあちらこちらで互いにねぎらいあう様子が見られます。

 

「立春」と聞けばまだ寒くても気持ちは春にたなびきます。皆様にとっても明るく幸せな春が訪れますようにお祈りします。

 このシリーズはこれでおしまいにします。お付き合いありがとうございました。

 

・・・ 星冴えて鬼をねぎらう茶碗酒 bottle

 

 

 

銀座歩道橋下にある間知石と手水鉢

[TAKK...] 2013年1月29日 08:30

昭和通りの銀座7丁目交差点にかけられた歩道橋(銀座ときめき橋)のたもとには、汐留遺跡から出土した遺構が展示されています。

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●間知石と切石(石垣や土留めに用いる石材) 

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大名屋敷の石組溝(排水施設)に使われていた。 

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 ●手水鉢 

tyouzu2.jpg 

 播磨龍野藩(兵庫県)脇坂家の上屋敷から出土。
 「奉献・羽団扇紋(はねうちわもん)・○月吉○」などの文字が彫られている。 


 汐留遺跡は、港区の汐留地区の開発計画に伴い発掘調査が行われました。
 明暦の大火後に埋め立てられ、江戸中期以降諸藩が屋敷を構えた場所にあたります。
 なぜ、港区の汐留地区から出土した間知石や手水鉢が、少し離れた「銀座ときめき橋」のたもとに展示されているのか。
 それは分かりませんが、それぞれの石の置き方など展示の方法が、とても独特ですね。
 歴史的資料というより、一種のモニュメントとして飾られているようです。
 
 街中で江戸時代武家屋敷で使用されていた遺構が見学できる場所は、そうはありません。
 一見の価値はあると思います。

 
 

 
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