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出世路地

[佐平次] 2014年6月26日 14:00

 日本一の高級商業地の銀座にも昭和30年代までは多くの路地がありました。
裏通りには木造の家屋も結構残っており、木造の家屋は民法上境界線から50㎝以上離して建てなければならないため、必然的に1m以上の隙間ができるのです。住民も多かったので、実際は生活上の便からそれ以上の広さが取られた私道、つまり路地が造られていたのです。
しかし、何と言っても「土一升金一升」と言われた土地ですから、どんどん木造家屋は壊され、或いは火災で焼失した(この頃はとても火事が多かったのです)跡には効率の良いビルディングが建てられてきました。
不燃構造の建築物は建物が接して建てられるため、私道である路地は新しいビルに吸収されて消滅していったのです。
 その当時は、私道は地主の持ち物であり、其処を通る人たちは地主がビルを建てて、路地が通れなくなっても仕方がないと思われていたのでビルを建てる場合は敷地いっぱいにビルを建てるのは当然だと思われていたのです。
 現在は、私道といえども其処を日常使用している人たちには通行する権利が発生して、勝手に私道を閉鎖することは出来ないとされています。難しく言えば、私道を通行する権利は取得時効できて、その権利(通行地役権)は登記が無くても地主に対抗できるとの判例があります。つまり地主といえども勝手に私道を閉鎖したり潰したりすることはできないのです。

 まあそんな小難しい話はおいといて、今でも木造の古い建物が残る裏通りや、ビルになっても利便性を考えて残した路地が所々に残っており、その中には隠れた高級バーがあったり、サラリーマンのための居酒屋があったりします。

 

 今回はその中の一つ、銀座八丁目の路地を紹介しましょう。
そこは、高級社交場のひしめく花椿通りと御門通りに挟まれた銀座八丁目のちょっと新橋よりにあり、金春通りから並木通りに抜ける路地で、かつて高級官僚やエリートサラリーマンから「出世路地」と呼ばれていた路地があります。

以前は銀座通りから続いていたのですが、銀座通りと金春通りの間はあまりに狭くて危険なためか現在は鍵の掛かった扉が設置されて通れなくなっています。

扉.jpg

ですので、今は金春通りにある鮨の名門店「久兵衛」の近くの入り口が出発点(俺のフレンチが目印)、飲み屋が立ち並ぶ路地を抜け、続いて左手に「ポルシェ・ビル」のある路地を抜けるとそこは並木通りになり、その先は路地ではなく広い車道になります。

路地1入口.jpg路地1の中.jpg路地1出口.jpg路地2入口.jpg路地2の中.jpg並木通り.jpg

 

そのまま真っ直ぐ、外堀通り、JRの高架をくぐり、日比谷通りを突っ切って行くとやがて霞が関に出て国会議事堂にぶつかります。(約15分~20分)

銀座八丁目にあり、どんどん末広がりに広くなっていく道を真っ直ぐにつき進めば日本の政治の頂点である国会議事堂に突き当たるところから「出世路地」と呼ばれていたのでしょう。
まあ実際には薄暗い路地の中で酔っ払いが立小便をすることが多いところから「小便横丁」とも呼ばれていましたが・・・(笑)