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日本橋人形町

[CAM] 2015年6月25日 09:00

 水商売の経験がないところから自分の力で小料理屋を開き、有名料亭と言われるまでに発展させた女将(志賀キヱさん)が書いたという本(『人形町酒亭きく家繁盛記』草思社;2001年)を読みました。 

 

   志賀さんは、当初(昭和50年ごろ)メトロ日比谷線沿線で店を開きたいと思い、いくつかの駅前を検討したが、「人の流れが一定方向だと、どうしても二回転目のお客様を迎えるのがむずかしい」から「夜の人の流れが少し雑多な、駅を基点としてごちゃごちゃしている、みなさんがいっぺんに帰るというよりも駅から出てくる人もいれば、町をうろつく人もいる」という自分なりに設定した条件にぴったり合ったのが人形町であったということです。素人にしては良い着眼点だったでしょう。

 

 しかしながら、かつては都内でも有数の盛り場だった人形町ですが、現在では"盛り場"とは少し分類しづらいでしょうかね。

 

   サイデンステッカーは、『立ち上がる東京(Rising Tokyo)』(原書1990年)の中で、次のように述べています(安西徹雄訳)。

 

>大正時代は、ともかく大きな変化の時代だった。盛り場も大きく変わる。昭和4年に東京の盛り場を調査した記録があるが、・・・・

 この調査で名前が挙がっているのは銀座、新宿、上野、浅草、渋谷、それに人形町と神楽坂だが、今なら東京の代表的な盛り場として、人形町や神楽坂を挙げる人はまずあるまい。

・・・・・・・

人形町は、明治期には大いに活気があったが、震災後は、今日に至るまで衰退を続けている。昔の日本橋区の大半は、かつては自他共に認める江戸町人文化の中心だったけれども、みな同様の運命をたどった。人形町にしても、昔日の下町の面影を探訪するには格好のところではあるが、人が集まるという点では、新宿のようなところとは比較にもならない。(40

 

 Ningyocho was lively in Meiji and has been in decline since the earthquake. So has most of the old Nihombashi Ward, the recognized center of mercantile Edo. Ningyocho is as good a place as any to go in search of the mood and flavor of the old Low City, but it is not the smallest competition with a place like Shinjyuku in the matter of drawing crowds.    (41)

 

>都内でいちばん人気のある寄席は、日本橋の人形町にあった末広亭だったが、しだいにお客が減って、昭和45年には廃業になる。人形町は、今でも昔の日本橋の面影をいくぶんか残しているが、もはやかつての盛り場ではない。末広亭は、すぐ近くの明治座とは違って、戦災を免れた。戦争直後は、一面の焼野原を距てて日本橋の町を手招きし、かつての賑わいを呼び戻そうとしているかのように見えた。  (153

 

 The most popular Yose theater in the city was for a time near the Sumida River in the Ningyocho district of Nihombashi. It closed, for want of a clientele, in 1970.  Ningyocho, in which something of old Nihombashi yet survives, is not the bustling place it once was.

It escaped the bombings, though the Meijiza, to the east, did not. In the years just after the war it seemed to beckon across the waters to western Nihombashi, where big business and finance resided, as if asking it to come home again.

 

 なお、志賀さんは、人形町近辺について「地名としては、古い地図を見ますと、元大坂町とか堺町とか関西系の地名が載っていますし、繊維問屋さんが堀留にありますから、そういうことから考えると、江戸の中心ではありますけど、関西の匂いが強いような気がします」と述べています。 まったく同感です。私は、日本橋を少し歩いてすぐにそう感じました。