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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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銀杏小咄~蛎殻町にて~

[之乎者也] 2015年12月11日 12:00

日一日と寒くなるこの季節、目を愉しませてくれるのがイチョウ(銀杏)の黄葉。Ginkgo3.jpg中央区でも特派員サムさんの12月3日記事「イチョウ黄葉(

/archive/2015/12/post-2914.html)」で紹介された浜町公園入口緑道など各地で見頃を迎えています。

 

休日の土曜、京橋スクエアガーデンの中央エフエムスタジオで「大好き中央区」の収録を終えたあと、天気も良いので柳通りのポートから借りた中央区コミュニティサイクル(CCC )で街を流していると、蛎殻町の新大橋通り沿いで黄金色に染まる一角を見つけました。さっそく自転車を止めてみると、鳥居があり、左右に銀杏稲荷と銀杏八幡宮の文字。

 

Ginkgo1.jpg境内には大きなイチョウの木が聳え一面黄金色です。この八幡宮、正確な創建は不明だそうですが、江戸中期の1775年(安永4年)に、常盤橋の福井松平氏の邸内鎮守であったご祭神の誉田別尊(ほんだわけのみこと)を社殿にお祀りしたそうです。こちらは中央区では唯一の八幡宮だそうで、当時既に樹齢300~400年の大銀杏が境内にあったため、銀杏八幡宮と呼ばれたようです。残念ながら名前の由来となった大銀杏は1923年の関東大震災で焼けてしまったそうで、現在のイチョウの木はそれとは別のものです。

 

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ところで、イチョウといえば冒頭のサムさんブログ記事でも説明の通り、公害・病虫害、火などに強く、その生命力から東京でも神宮外苑など多くの場所で街路樹に使われ、「都の木」としても知られています(昭和41年の都民投票により選定)。Ginkgo5.jpg更には、東京大学のシンボルマーク(「東大マーク」)は黄色と淡青の2枚のイチョウの葉を組み合わせたものですが、そうなると気になるのが、都バスや大江戸線で見かけるあの緑色のマーク。

 

Ginkgo4.jpgイチョウの形に似ているので、そうなのかと思いきや、実はこちらはイチョウとは無関係なのだそうです。東京都の頭文字の「T」をデザインし、東京都の躍動、繁栄、潤い、安らぎを表現したもので、平成元年6月に東京都のシンボルマークとして制定されています。

 

【銀杏八幡宮・銀杏稲荷】

所在地:〒103-0014 中央区日本橋蛎殻町1-7-7

交通;都バス「錦11」蛎殻町停留所下車徒歩3分程度、半蔵門線水天宮駅から徒歩5分程度。

祭神:誉田別尊

境内社:銀杏稲荷神社

 

 

スノーマン展〔松屋銀座〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年12月11日 09:00

松屋銀座8階にあるイベントスクエアで、「絵本原画からアニメまで スノーマン展」が12月9日()から28日()まで開催されています

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スノーマン」は、1978年にイギリスの絵本作家レイモンド・ブリッグズによって創られました

その絵本は、日本をはじめ世界60カ国以上で出版され、またたく間に世界中でベストセラーとなりました

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スノーマンの人気は絵本だけにとどまらず、1982年にはアニメーション化されて、アカデミー賞にノミネートされるなど、多方面でヒットをおさめています

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同展では、絵本の原画全18点に加えて、アニメーションのセル画スケッチ等約70点が展示されています。グッズの販売コーナーもあります

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クリスマスの時期にぴったりのイベントです

松屋銀座の吹き抜けには、巨大なスノーマンが浮かんでいますよ

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松屋銀座スノーマン展」のHPはこちら ⇒

http://www.matsuya.com/m_ginza/exhib_gal/details/20151209_snowman_8es.html

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イロハカエデ紅葉

[サム] 2015年12月10日 16:00

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momiji_kaede (2)GRRS.jpg 「イロハカエデ紅葉」は気象庁生物季節観測情報のひとつ。

12月4日、東京管区気象台より「東京でイロハカエデの紅葉が観測された」との報が発表されました。

平年より7日遅く、昨年より9日遅く、1993年以来の遅い観測との由。

イロハカエデの紅葉とは、イチョウ同様に、標準木全体を眺めたとき、大部分の葉が紅色系統の色になった最初の日とされます。

因みに気象庁は、大手町の気象庁構内のイロハカエデを東京に於ける標準木としています。

浜離宮恩賜庭園でも、潮入りの池(大泉水)周辺のハゼノキ・トウカエデ・ヤエザクラ共々、漸うイロハカエデが真っ赤に染まり、見頃を迎えています。

イロハカエデはカエデ科カエデ属の 所謂 "もみじ" の代表格。

別名イロハモミジ。京都の紅葉の名所の高雄に因んでタカオモミジとも呼ばれます。

園内約6,000本の樹木の内、イロハカエデは25本と聞きます。

イロハカエデは、細かく分かれた枝に、びっしりついた小型で掌状に5~7裂した繊細な葉の形状と、芽吹きから初夏・紅葉シーズンにかけ、黄緑~緑~黄~赤と多彩に移ろう色味の鮮やかさが魅力です。

中島の御茶屋、松の御茶屋をバックに、柔らかな陽光に映えたイロハカエデが、この季節ならではの大名庭園の風情を醸し出しています。

 

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左から、イロハカエデ、ハゼノキ、トウカエデ、ヤエザクラ

 

 

昭和通り、イチョウの黄葉

[ジミニー☆クリケット] 2015年12月10日 12:00

中央区のHPを見ると、区が管理する街路樹,800本で、そのうち本数の一番多いのが、スズカケノキ)だそうです

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次が「中央区の木」であるヤナギ、3番目がイチョウです

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昭和通りには、そのイチョウが両側に植わっていますが、現在、黄葉中です

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好みはあるでしょうが、私は、12月8日に撮影したこれらの写真のように、一部まだが残って黄葉しているイチョウが好きです

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下の地図、黄色の部分が写真に写っている部分です

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イチョウに強く、江戸時代の火除け地に多く植えられた記録もあるとのことで、関東大震災後の復興事業で作られた昭和通り街路樹として植えられているのも、その配慮があってのことなのでしょうか

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ちなみに、中央区の街路樹で、4番目に多いのは、サクラです

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閉塞成冬、熊蟄穴???

[之乎者也] 2015年12月10日 09:00

四字熟語?今回も意味不明なタイトルからのスタートです。街中でついつい目に入ってしまいましたもので。。。(汗!)。

 

中央区もすっかりクリスマス気分。209本のツリーに約13万個の LEDが輝く「GINZA ILUMINATION 2015 樹がつなぐ未来 ヒカリミチ」など、区内各所で素敵な夜を演出しています。それらの様子はサムさんの12月1日付記事(/archive/2015/12/ginza-illumination-2015.html)など他の特派員の方が書かれているので、詳細はそちらをご覧頂ければと思いますが、本日はそんな夜の中央区で、ついつい華やかなイルミネーションがある「上」に目がいきがちなところ、視点を変えて「足もと」にも目を向けてみましょうというお話です。

 

師走のある日の帰り道、黄昏の中央区を中央区コミュニティサイクル(CCC )で流して行きます。京橋スクエアガーデンから中央通り車道をCCC を走らせれば、改装が終わり9月に再オープンした明治屋のファサードには大きなリースが飾られて、照明の美しさと相まって息をのむ美しさです。Kumaanakomoru1.jpgちょっと写真を撮りたいと思い、歩道脇に自転車を止めると、そばの花壇に「フレンチ・マリーゴールド」と云うのでしょうか?鮮やかな黄色の花が目に入ります。Kumaanakomoru2.jpg中央通りの「はな街道」については、以前7月26日付ブログ記事(/archive/2015/07/post-2597.html)でちょっとだけ触れたことがありましたが、真夏だったこともあり、当時は花壇の花も夏バテ?、疲れた感じでした。

久しぶりにじっくり眺めてみると、この寒さの中、元気に咲いていてこちらも生命力をもらったような気分になります。

2002年スタートのはな街道も、今年で13年目とすっかり中央通りに定着した感じですが、明治屋前の花壇の水奉行は目の前の明治屋さんが任じられています。前述のとおり、お花もとってもきれいだったのですが、ツボにはまってしまったのが「閉塞成冬」、熊蟄穴」といったパネル上の謎の四字熟語。Kumaanakomoru3.jpg

どうやらこれは「七十二候」というもののようです。

 

【閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)】12月7日~11日頃、天地の気が塞がって冬となる。

【熊蟄穴(くまあなこもる)】 12月12日~16日頃、クマが冬眠のために穴に隠れる頃。

 

中国の戦国時代(BC403年~BC221年)ごろにつくられた暦の一種の「二十四節気」を細分化したもので四季の変化を短文で示したものでした。疑問が解けてすっきりしたところで家路を急ぎます。北風がぴゅ~ぴゅ~吹く中CCCでの帰宅はちょっとつらいですが、元気に咲くマリーゴールドに力を貰って家路を急ぎます。

 

「閉塞成冬」はいいけれど、その前に「おぬしのその四字熟語みたいなブログネームは読み方がわからん!」と、一部の読者の方から苦情がありましたので、最後に七十二候に続いてミニ解説を。

 

 【之乎者也(なりけりべけんや)】  読み下し文では「なりけりべけんや」となりますが、名乗るときは中国語の発音の「ちーふーちゅ~いぇ(zhī hū zhě yě)とさせて頂いております。


それでは「閉塞成冬」の今週も寒い日が続きますが、皆様どうぞお風邪などひかれませんように!

 

 

銀座1~4丁目・京橋3丁目ウォーキングコース(3)

[CAM] 2015年12月 9日 20:00

 

煉瓦銀座の碑、煉瓦とガス燈

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  明治五年二月二十六日
皇紀2532年 西暦1872年
銀座は全焼し延焼築地方面に及び焼失戸數四千戸と称せらる
東京府知事由利公正は罹災せる銀座全地域の不燃性建築を企劃建策し政府は國費を以て煉瓦造二階建アーケード式洋風建築完成す
煉瓦通りと通称せられ銀座通り商店街形成の濫觴となりたり
昭和三十一年四月二日

 


 (1987年記)
明治初期我が国文明開化のシンボルとして、 銀座には煉瓦建築がなされ、 街路照明は、ガス燈が用いられた。
床の煉瓦は、最近発掘されたものを、当時の ままの「フランス積み」で再現。ガス燈の燈柱は、 明治七年の実物を使用、燈具は忠実に復元。

 

三つ橋跡

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所在地 弾正橋 中央区京橋二・三丁目~八丁堀三・四丁目
白魚橋 中央区京橋三丁目~銀座一丁目
真福寺橋 中央区銀座一丁目~新富一丁目
ここから北方約三〇メートルの地点には、明治の末年まで、北東から楓(もみじ)川、北西から京橋川、東へ流れる桜川、南西へ流れる三十間堀が交差していました。この交差点に近い楓川に弾正(だんじょう)橋、京橋川に白魚橋、三十間堀に真福寺が架かり、この三橋を三つ橋と総称していました。
三つ橋は、すでに寛永九年(一六三二)作成といわれる『武州豊嶋郡江戸庄図』に図示されていますが、橋名の記入はなく、橋名についても幕末までいろいろ変遷がありました。
明治末に真福寺橋、昭和三十四年に白魚橋がいずれも河川の埋立てによって廃止され、弾正橋は昭和三十七年、高速道路工事によって現在の姿となりました。
平成八年三月
中央区教育委員会

 

弾正橋
弾正橋は古く江戸寛永年間には既に、楓川上に架かっているのが記されており、北八丁堀に島田弾正少弼屋敷があったのがその名の由来のようである。弾正橋は当時交差した堀川上に真福寺橋、白魚橋と共に三つの橋がコの字状に架けられていたことから、江戸名所図絵に「三ツ橋」として紹介されており、江戸における一つの名物であったようである。
その後たびたび架替えられたが、明治11年に工部省の手により、我が国最初の国産の鉄を使った橋として架替えられた。その時の橋は現在でも江東区富岡一丁目に保存され、昭和52年に国の重要文化財として指定され、平成元年にはアメリカ土木学会の栄誉賞も受ける等その歴史的貴重さを増している。
現在の橋は大正15年12月に復興局によって架替えられたもので、従来の弾正橋よりやや北側に位置している。その後昭和39年の東京オリンピックの時に、弾正橋の両側に公園が造成され、平成5年2月に公園と一体化された、くつろぎのある橋として再整備された。尚、公園にあるモニュメントは、明治11年、楓川に架かる弾正橋を象徴化して復元したものである。
平成5年2月 中央区

 

蜊河岸 (バックの建物は京橋プラザ)

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現在、ここから日本橋方面にのびている高速道路はかつての楓川で、川はこの先で京橋川と三十間堀に合流していました。そこは、それぞれの川筋に弾正橋・牛の草橋(白魚橋)・真福寺橋の三つの橋が架かっていたことから「三ツ橋」と呼ばれていました。蜊河岸は、その三ツ橋のひとつ、三十間堀に架かる真福寺橋の東岸、築地方面の河岸の呼び名です。江戸時代後期、この蜊河岸には江戸三大道場のひとつ、鏡新明智流の剣客桃井春蔵の「士学館」がありました。嘉永六年(一八五三)発行の平野屋版切絵図には、蜊河岸の築地側南端に、その名を確認することができます。
平成十二年三月
中央区教育委員会

 

歌舞伎座

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施設概要(歌舞伎座サイトから)

 

敷地 6,790㎡ (都市計画道路 約 190 ㎡を除く)

建築面積 5,985.2㎡

客席数 1808席(幕見席96席を除く)

舞台 間口91尺(27.573m)、高さ21尺(6.363m)

廻り舞台 直径60尺(18.18m)