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鰻の話をもう少し

[CAM] 2016年7月26日 16:00

 「土用丑の日」も近いことだし、もう少し鰻の話を続けたい。

 

 たまたま、「この夏行きたい『うなぎ屋8選』」というサイトを見たら、「竹葉亭(銀座)」の名が挙がっており、「銀座で鰻と言えば一番に名前があがる名店。築地寄りにある本店は趣ある佇まいで、永井荷風など多くの文豪に愛されたお店としても知られている。三越前にある銀座店は銀座の一等地にしては比較的お手頃価格でカジュアルに鰻が食べられる。」という説明がなされている。

http://news.infoseek.co.jp/article/zuuonline_112773/?p=2

 

 しかし、荷風が竹葉亭に頻繁に通ったということはないと思う。断腸亭日乗を読むと、荷風が通った店の名として、銀座の銀座食堂、新橋の料理屋金兵衛などがすぐ思い浮かぶが、私が知る限り、竹葉亭の名は登場していない。

 

 銀座の銀座食堂、新橋の料理屋金兵衛も、決して高級料理屋といったものではなく、日乗では「銀座に出て銀座食堂に飯す、蛤の吸物味甚佳なり」(昭和4年1月10日)、「銀座に往き銀座食堂に飯す、蜆の味噌汁味殊に佳なり」(昭和4年3月31日)、「銀座食堂に飯す、章魚の甘煮味佳なり」(昭和6年11月12日)、「金兵衛に至りて例の如く玉子雑炊に青刀魚を食す」(昭和9年10月6日)、「銀座に往き銀座食堂に飯す。アイナメの照焼味佳し」(昭和10年4月14日)、「芝口佃茂(金兵衛)に夕餉を食す。土用蜆味正に佳し」(昭和12年7月31日)といった感じで、荷風の食べるものは庶民的なものばかりである。

 

そもそも、美食家の谷崎潤一郎に対して荷風は食べものへの執着が薄かった。

 

谷崎は、『細雪』のなかにも、蒟蒻島の「大黒屋」と云う鰻屋を登場させている。

>・・・・・・・姉ちゃんにこっちでお昼の御飯食べるつもりで早ういらっしゃい云うてほしい、と、そう云って電話を切ったが、悦子はお春に預けることにして、姉と二人で久々にゆっくり食事をするにはどこがよかろう、と考えた末、姉は鰻が好きであったことを思い出した。ついては昔、父と一緒に蒟蒻島とかいう所の大黒屋と云う鰻屋へたびたび行ったことがあったので、今もその家があるかどうかを聞かしてみると、さあ、どうでございますやろ、小満津なら聞いておりますがと、女将が電話帳を繰ってくれたが、なるほど、大黒屋ございますわ、ということなので、部屋を申し込んで置いて貰い、・・・・・(396)

(現在の新川地区は、江戸時代には、霊岸島(霊厳島)と呼ばれていた場所で、霊岸橋際請負地は享保年間の埋め立てにより、富島町一・二丁目は弘化2年(1845)島西側の埋め立てによって成立したが、亀島川沿岸部は埋立が十分でなかったため足場が悪く、蒟蒻島と俗称された。)

 

 北大路魯山人は『鰻の話』昭和10年(1935年)において、鰻屋一流店として小満津、竹葉亭、大黒屋を挙げているそうである。