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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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築地小劇場跡(2)

[CAM] 2016年8月14日 14:00

 野口富士男著『私のなかの東京』(昭和53年6月、文藝春秋)の中で、築地小劇場跡の記念碑設置の際の「東京新聞」夕刊記事(昭和52年8月16日付)が紹介されている。

 
>大正末から昭和にかけ、新劇のメッカとなった築地小劇場(昭和20年戦災で焼失)をしのぶ記念碑が東京都中央区築地の同劇場跡地に完成、15日、演出家千田是也氏、女優岸輝子さんら演劇人や地元関係者ら約百人が集まり除幕式が行われた。

 完成した記念碑は、同劇場跡地に建設された電電公社ビルの壁面に埋め込まれており、縦横1メートルの小松石製のレリーフ。焼失前の劇場像が彫り込まれ、作家里見弴氏の碑文が添えられている。

 
 「焼失前の劇場像が彫り込まれ」というのは厳密には誤りである。レリーフに彫刻されているのは大正13年創設当時のもので、昭和8年にいったん新築し直されている。なお、『ものしり百科』69頁でも述べられているように、電電公社ビルはNTTデータ築地ビルに変わっている。

 
 野口氏は、「築地といえば、すぐ明石町の居留地が連想されるが、私たちがただ『築地』といった場合、それは私が中学1年生であった大正13年6月13日に開場されたといわれる築地小劇場をさしていた。」と書き、「学生時代に私は築地小劇場の帰途、何度となく築地川にかかっている亀井橋をわたって銀座へ出た。橋のたもとには小林多喜二が虐殺された築地署があった。川の正面は新橋演舞場で、その左手が東劇である。」という昭和42年に書いたという自らの文章を紹介している。

 

 

 

月島の今昔 その①胡萩堂

[佃のうさこ] 2016年8月14日 09:00

地下鉄月島駅7番出口を出てすぐに通称もんじゃストリート・月島西仲商店街の弐番街にある

胡萩堂さん。私のお気に入りの「ねこせんべい」があるお煎餅屋さんです。

胡萩堂ねこせんべい.jpg今日は女将さんに日ごろ気になっていたお店のことや、月島西仲商店街のちょっと昔の様子を

伺ってみました。

胡萩堂お店.jpg胡萩堂という美しい響きの店名は、名付けた先代のお父様がもうお亡くなりになっているので、

今では残念なことにわからないそうです。

お店に入ると一番に目につくのが大きな広口瓶。

その存在感は、ザ日本のお煎餅屋さんを象徴しますが、どんな瓶なのでしょうか?

胡萩堂広口瓶.jpg広口の丸みをおびた切り口のカーブは、吹きガラスの手作り品ならではのあたたかみで、

光の反射によって中のものが一層美しく見えるすぐれ物。

胡萩堂広口.jpg

浅草橋で買い求めていたそうですが、今では手作りする職人さんがいなくなり壊れても補充できないとか。

残りはお店にある14個のみ、、、失なわれないで欲しい一品ですね。

昭和30,40年頃の商店街には、お昼には築地帰りのジャンパー族(築地市場で働いている

人達)が、夕方4時にはエプロンをしたお母さん達が買い物をしに来ていました。

おもちゃ屋が3軒、糸屋が2軒、豆腐屋が2軒もありました。

当時の糸屋へは、その頃まだまだ高価だったストッキングが伝線すると、一本一本直してもらう

のに駆け込んでいたそうです。

胡萩堂女将さん.jpgその後、昭和63年に有楽町線月島駅が出来た時、テレビ局が取材するものが無く

もんじゃ焼きでも、、と取り上げたのが宣伝となって、今の月島=もんじゃ焼きの

イメージが出来ました。

平成に入り地上げがあり一時人口も減ったそうですが、今は勝どきにタワーマンションが

たくさん建って子供たちが増えていると教えてくださいました。

月島西仲商店街弐番街.jpg

明治25年に埋め立てられ誕生した月島。それ以来、明治、大正、昭和と国の推進力となった

重工業地帯を支える人々のくらしが息づいている商店街。

平成に周辺地域にタワーマンションが林立して、今も昔も人々のくらしの最先端を映し出す

商店街。こんなユニークな月島の商店街に「月島の今昔」をもとめて、

今後もお店を訪ねお話しを伺いたいと思っています。

 

 

アンテナショップ 明治維新期の偉人ゆかりの地 スタンプラリー

[銀造] 2016年8月13日 16:00

福井、山口、高知、長崎、熊本、鹿児島の6つのアンテナショップが協同して開催中の、「明治期の基盤を7造った偉人ゆかりの県によるスタンプラリーが開催中です。

先ずは、身近な銀座1丁目の「食の國 福井館」。こちらの偉人は、東京府知事を務められた由利公正さん。 銀座の大火の後、耐火建築の煉瓦街を建設させた方ですね。

そして近くの、「まるごと高知」。坂本竜馬が出迎えてくれました。

日本橋では、長崎館、旨そうな壱岐の焼酎は、夜の訪問時に。残念ながら、同県の偉人、小曽根乾堂さんは、存じ上げ無い。ちょっと、勉強します。

「おいでませ山口館」では、河豚雑炊の素、仙崎の蒲鉾などを購入しました。

おっと、山口の偉人は、桂小五郎改め、木戸孝允さん。

「銀座熊本館」の誇る郷土の偉人は、横井小楠さん。

「かごしま遊楽館」の自慢の偉人は、西郷隆盛さん。上野の西郷像でも有名ですが、現、日本橋小学校の所に居を構えていたのですね。鹿児島のマンゴーは、ほんのこつ旨か~。

 

 

POLA MUSEUM ウルトラ植物博覧会2016 開催中

[銀造] 2016年8月13日 14:00

ポーラミュージアムにて、「ウルトラ植物博覧会2016 西畠清順と愉快な植物たち」が、8月4日から9月25日まで開催中です。

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ふと、ウインドウの飾り付けがいつもと違うな、と思いましたが、"あれっ、今年も開催してくれてるの?"、と本当に嬉しく思いました。

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ミュージアムの中の全てを報告すると、興味の無い方や、興味が失せるかも知れませんので、詳細の写真は割愛します。 是非、お出かけになって下さい。

 昨年、初めて拝見した時は、本当に衝撃的でした。開いた口が、閉まりませんでした"

そんな理由で、購入した2冊の本は、今も大切にしています。

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昨年度の様子は、/archive/2015/08/-f-jaboticaba-tv.html

POLA MUSEUM ANNEX のHPは、こちらです。http://www.po-holdings.co.jp/m-annex/

 

 

37 QUALITY MEATS は、お肉の美味しいレストラン

[銀造] 2016年8月13日 12:00

37 QUALITY MEATS(サーティーセブン クオリティーミーツ)」は、牛、豚、鶏、羊などの厳選されたブランド肉を香ばしくグリルで焼き上げる肉料理専門店です。 六本木にもお店があるとの事です。 こちらのお店は、入居するビルの完成と同時に、7月28日にオープンした、まさにピカピカのお店です。 このPUZZLE GINZA ビルの9階にあります。

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ということで、レストランから銀座の景色が見え、静かにお食事を楽しいんでいらっしゃるご婦人方が多かったように感じました。

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今日の昼食は、「ROAST OKINAWA RYUKYU ROYAL PORK RICE BOX」

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お重に盛られたご飯の上に、ローストといってますが、燻製を感じない、上品な薄切り高級ハムの様なお肉を、10数枚載せて、軽く味付けをした美味しいお重でした。かぼちゃの冷製スープ、食事の後のコーヒーが付いて、@1,800+TAX 。お一人でも入りやすく、歓迎してくれますよ。 お店の詳細は、こちらのURLでご覧下さい。www.37steakhouse.com/37qualitymeats

 

 

ヤン・ヨーステン記念碑と平和の鐘

[みのり] 2016年8月13日 09:00

こんにちは、みのりです

 

8月は八重洲通りの中央分離帯に行ってきました。

 

この八重洲通り(中央分離帯)にある「ヤン・ヨーステン記念碑」は、日蘭修好380年を記念して1989年(平成元)に設置されたものです。

 

オランダ船リーフデ号の船員であるヤン・ヨーステンは、同船の航海長であるウィリアム・アダムス(三浦按針)とともに豊後(大分県)に1600年(慶長5)に漂着し、ウィリアム・アダムスは、徳川家康と会見する(リーフデ号の代表者として招かれた)。この年に関ヶ原の戦いで徳川勢が石田光成らが率いる西軍を破る。

徳川家康の側近として仕えるようになったヤン・ヨーステンは、ウィリアム・アダムスとともに徳川家康の外交顧問や通訳として活躍、アジアでの朱印船貿易に従事した。八重洲という地名は、彼の拝領屋敷があったことにちなんだものといわれる。

ヤン・ヨーステンの像は、オランダ人L・P・プラートの作です。

 

 

また、この中央分離帯には、「平和の鐘(中央区平和都市宣言記念)」もあります。

 

中央区は、1988年(昭和63)3月15日に政界の恒久平和と人類の永遠の反映を祈念し「平和都市宣言」をしました。

段上の三角形のアーチは、この宣言を記念するモニュメントとして設置されたものです。

この平和の鐘は、オランダ製で26個のベルによって四季折々のメロディを奏でます。

(設置 1989年(平成元)3月15日 東京都中央区)

 

●ヤン・ヨーステン(1556?~1623)

耶揚子とも。オランダ人船員。アダムスらとともに、1600年(慶長5)豊後に漂着。徳川家康の外交顧問となる。江戸に拝領屋敷を与えられ、日本女性と結婚し子女をもうけた。オランダの通商に寄与。

 

●ウィリアム・アダムス(1564~1620)

1600年(慶長5)に、ヤン・ヨーステン等とともに豊後に漂着したオランダ船のイギリス人航海長。徳川家康の外交顧問となり、三浦按針と名のる。相模国三浦郡に領地を与えられ、オランダ・イギリスとの通商に尽力。日本人妻との間に二人の子があった。

<参照>

ヤン・ヨーステン記念碑と平和の鐘の説明

江戸文化歴検定公式テキスト【上級編】江戸博覧強記 編者江戸文化歴史検定協会 発行所(株)小学館

図説江戸ものしり事典 発行所(株)新人物往来社

歩いてわかる中央区ものしり百科 監修中央区観光検定委員会