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東京銀座朝日ビルと漱石・啄木

[滅紫] 2017年12月20日 12:00

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建替中だった並木通りの朝日ビルが完成し11月15日から順次にロレックス、ルイ・ヴィトンがオープンし、サンモトヤマも戻ってきて更にお洒落な通りになりました。来年の1月22日にハイアットホテルチェーンの「ハイアット・セントリック・銀座」が3階から12階にオープンするのも楽しみです。164室だそうです。気になっていた「石川啄木の歌碑」も元の場所にありました。何だか安心。ご存知の通りこの朝日ビルの場所は朝日新聞社が大阪から進出して明治21年(1888)社屋を構えた場所です。最初の場所は少し離れた元数寄屋町2丁目ですが、2か月後に滝山町(現在地)に移転して昭和2年(1927)有楽町(今のマリオンの場所)に移るまでここで新聞を発行していました。売れっ子作家を入社させて執筆させていたのも有名で明治37年には二葉亭四迷、そして明治40年には夏目漱石が入社しています。今年生誕150年になる漱石は朝日入社前は東京帝大講師でした。「帝大講師を辞めて新聞社に入った」というのは当時大変なセンセーションを巻き起こしたそうです。東京帝大講師の俸給は年俸800円、一方朝日は月俸200円ですから約3倍になったわけで漱石40歳の華麗なるトラバーユといったところでしょうか。朝日に移って発表した最初の小説が「虞美人草」です。評論家の小宮豊隆は次の様に書いています。「漱石が大学を辞めて新聞社に入ったということは当時の一大センセーションであった。その漱石が今度いよいよ「虞美人草」を書くと云うので三越では「虞美人草浴衣」を売り出す。玉宝堂では「虞美人草指輪」を売り出す。ステーションの新聞売り子は「漱石の虞美人草」といって「朝日新聞」を売って歩くという風に世間では大騒ぎをした」

 

この漱石の2年後明治42年(1909)に石川啄木が校正係として入社しています。月給25円、翌年には才能を認められ朝日歌壇の選者にもなりました。明治40年代の物価は現代に換算すると約2万倍(「明治の金勘定」山本博文)とのことなので漱石は年俸だと4800万円、啄木は600万円くらいですね。ちなみに二葉亭四迷は漱石の半分です。新しいビルをご覧になるときには道路側にある啄木の歌碑も是非ご覧になってください。

 

石川啄木歌碑 「京橋の滝山町の新聞社灯ともる頃のいそがしさかな」

銀座6-6-7(並木通り)