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日本橋今昔

[小猿] 2017年12月27日 12:00

日本橋のたもと、川沿いに蔵造りの料理店〈日本橋室町 豊年萬福〉はあります。「かわてらす」も設置されており、飲食はもちろんのこと、物販や講座などで、文化情報を発信しています。こちらで毎月開催されている豊年萬福塾に参加しました。今回の講師は和菓子の老舗〈榮太樓總本舗〉細田安兵衛相談役、御年92歳の日本橋界隈の生き字引のような方でした。

 

何故、日本橋と名付けたか、には4つ説があるそうです

 

1.東に筑波山、西に富士山を望み、海上に朝日が昇るのが見え、日本一景色がよいから。

 

2.江戸の中心にある橋で、全国への街道の起点であるため。

 

3.徳川家康が江戸の町作りをした時に、全国の諸大名が、人、金、物 を提供して出来た橋だから。

 

4.慶応義塾大学の池田弥三郎氏の説で、日本橋川が平川と呼ばれていた江戸時代に、一ツ橋、竹橋、板 橋などど同じように二本橋と呼ばれていたものが、いつの間にか日本橋と呼ばれるようになった。

 

 

橋柱の銘板を書いたのは15代将軍の徳川慶喜公で、読みやすく美しい書体です。この橋銘の日本橋、本の字の真ん中の横一本の線(一)が、点(、)なっているとのこと、弘法も筆の誤りと言ったところでしょうか、トリビアでした

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さらにトリビアなのが橋の上にいる麒麟像、「麒麟の翼」という映画にもなりました。実はこれは翼ではなく、「麒麟の鰭」なんだそうです。翼は元々鳥の前足が進化したもので、確かにこの麒麟にはしっかりした前足が 関東大震災まで魚河岸だったこの地で、 「ここから世界へ飛び立とう」ならぬ「日本橋川から世界へ」という思いが込められているのですね。

 

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明治44年に木造から石造アーチの橋に架け替えられた時、総工費の10分の1が装飾美術に費やされたという美しい橋を、1964年の東京オリンピックの為に首都高速道路が出来て真上を覆いました。それ以来、細田さんはじめ地元の皆さんが、景観を取り戻し、耐震の不安をなくすために運動を続けられて50年、集めた署名は49万人!

今年、首都高の老朽化に伴って、日本橋の景観の復活と日本橋周辺の再開発を目指し、高速道路の地下化が検討され始めました。近い将来、この景色が変わる日が来るのでしょうか。

 

                                

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豊年萬福塾のお問い合わせは月刊日本橋編集部まで。

03-6202-1221 (平日10時~18時)

次回は1月20日(土)14時~16時

日本橋から世界を発信[フランス編]です。