中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事


【中央区観光検定対策】俳句・川柳編

[Hanes] 2018年12月28日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
中央区観光検定受験日が近づいてきましたが、勉強は順調に進んでいますか?
今回は俳句・川柳対策を兼ねて、中央区の史跡を巡ってみたのでご紹介します。

■九条武子夫人歌碑
彼女は西本願寺門主の次女として京都に生まれ、21歳で男爵九条良致と結婚
夫の英国留学・勤務により別居生活が10年近くにおよびましたが、
その間、和歌(佐佐木信綱)、絵画(上村松園)、生け花(西川一草亭)を学び、才能に磨きをかけました。

IMG_3622.JPG

彼女が残した歌集には『金鈴』『薫染』、随筆には『無憂華』があり、
築地本願寺にある歌碑に刻まれた「おおいなる もののちからに ひかれゆく わがあしあとの おぼつかなしや」はおさえておきたいですね

IMG_3621.JPG

■五世川柳・水谷緑亭句碑
佃島の風紀を心配し、自宅で忠孝節義の話をした彼の句は、住吉神社の境内で見ることができます。
「和らかで かたく持ちたし 人ごころ」

■銅鐘 石町時の鐘
この鐘は二代将軍徳川秀忠の時代に本石町に設置され、江戸城下の人々に時刻を知らせていました
近くに長崎屋(オランダ商館長の宿所)があったことから、詠まれた川柳が...
「石町の鐘はオランダまで聞こえ」

■石川啄木歌碑
彼は京橋区滝山町(現・銀座6丁目)の朝日新聞社に入社し、
肺結核等で26歳の若さで亡くなるまでの約3年間、校正係の仕事をしながら創作活動を行いました。
「京橋の 滝山町の 新聞社 灯ともる頃の いそがしさかな」

IMG_3635.JPG

また、彼の第一歌集『一握の砂』が、「東海の小島の磯の白砂に われ泣きぬれて 蟹とたはむる」で始まることもおさえておいて損はありません

■越後屋
蕉門十哲のひとりで、江戸座(江戸っ子気質を反映した派手な句風が特徴)と呼ばれる一派の代表である榎本(宝井)其角は、越後屋についてこんな句を詠んでいます。
「越後屋に きぬさく音や 衣更」
情景がふと目に浮かぶようですね

IMG_3647.JPG

せっかくなので、其角のその他の句も合わせて覚えておきましょう
(ここでは詳しく解説はしませんが、それぞれの句が詠まれた背景も合わせて確認しておくことをオススメします!)

「日の春を さすがに鶴の 歩み哉」
「鐘ひとつ 売れぬ日はなし 江戸の春」
「この人数 舟なればこそ 涼みかな」

■海水館跡
明治38年に開業した「海水館」は、仙台市から移築した木造2階建ての割烹旅館。
当時このあたりは東京湾が一望できる風光明媚で閑静な場所であったため、名だたる文化人が滞在しました。
海水館に関する一首は以下の通り
「冬の海 見ればかなしや 新佃 海水館は わび住みにして」
(吉井勇の歌集『毒うつぎ』より)

■十返舎一九墓
『東海道中膝栗毛』の作者である彼の墓(真円山東陽院)の左側面には、
有名な辞世の句が刻まれています。
「此の世をは とりやお暇に 線香の 煙とともに 灰さようなら」

東陽院.jpg

■吉田松陰終焉之地
幕末の志士の多くを育てた優秀な人物でありながら、小伝馬町牢屋敷内で処刑された彼の辞世の句が、小伝馬町に設置されています。
「身はたとひ 武蔵の野辺に 朽ちぬとも 留置まし 大和魂」

■寿司
すしを握る職人の手つきが忍術使いの呪文を唱える様子に似ていることから、こんな句が詠まれました。
「妖術と いう身で握る 酢の飯」(川柳句集『誹風柳多留』)

ここまで俳句や川柳をピックアップしてみましたが、
どれも記憶に残るような印象的なものばかりですよね
知らない句があった方、検定前にチェックしてみてはいかがでしょうか?

※本記事は、個人的な検定対策の一部をご紹介するものです。
 ここに書かれた内容を覚えると合格できるというものではございません。
 予めお含みおきくださいませ。