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魚屋宗五郎などが見た魚河岸の板舟?
1月の新春浅草歌舞伎「魚屋宗五郎」に続いて魚河岸の話題を。日本橋の魚河岸ではどのような感じで魚を売っていたのでしょうか? 魚を並べる板のことを、板舟と呼びます。板舟とは魚を並べて売る戸板のことで、マナ板の裏を浅い縁で囲い、少しの冷水を入れ、生魚を入れます。その形状から板舟と呼ばれます。幅一尺(約30cm)、長さ5~6尺の平板を店頭の軒下から公道に差し出して魚の売り場にしました。公道は両側から出た板舟によって狭くなっていました。大正・昭和の時代にはこれを使うには東京市の許可が必要であり、これを「板舟権」と称しました。この権利は組合に登録され、板舟権がなければ市場内で商売が出来ませんでした。
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「やばいよ やばいよ」は小伝馬町牢獄より!
「すごい」「おいしい」という意味でも使われている『やばい』の語源は何でしょうか?日本橋小伝馬町の牢屋敷から始まったと言われています。ここは「厄場(やば)」と呼ばれていましたから。 投獄されたら山田浅右衛門という世襲の死刑執行人に打ち首にされてしまうかもしれません。某芸人の常套句「やばいよ!やばいよ!」ということになります。小伝馬町の牢獄では多い時で年間2,000人が獄死したと言われています。安政の大獄(1858~1859)で捕らわれた吉田松陰も日本橋小伝馬町の牢獄で命を奪われました。現在は公園になっていて、石碑や弔いの寺「大安楽寺」が建てられています。寺を寄進したのは大倉財閥の大倉喜八郎と安田財閥の安田善次郎です。「やばい」の語源は他にもあります。 「やばい」は江戸時代、盛り場で人気だった射的専門の射的場「矢場」からという説があります。店先に矢場女と称する女性がいて、「ちょいとお兄さん。遊んでいかない!」と袖を引かれる艶っぽい元祖ゲームセンターがありました。矢を射るばかりでなく、店の裏でいろいろのことがあったようです。理性を失うと「やばい やばい」ということがあるのでこれが発端かもしれません。こちらの説が正しいとすれば、語源は小伝馬町ではなく浅草寺や神田明神かもしれません。
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