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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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天下に知られた新川の酒問屋

[小江戸板橋] 2011年5月31日 14:30

江戸城を築くに当たり、大量の物資を輸送できる水上交通は、欠かせないものでした。

東京湾から隅田川(大川)をさかのぼり、日本橋川に入れば、そこは江戸城が正面に控える外堀です。

ここは、周囲に河岸が作られ、城を築き、町割を整理するための、重要な水運路でした。

しかしながら、城の防備となると、どうなのでしょう。

 

そこに、がつんと立ちはだかるのが、新川の砦です。

隅田川、日本橋川、亀島川に四角く囲まれたエリアです。

この場所、地図を広げると、ごっつい斧の刃の形に見えませんか。

周囲に船番所や、船手頭(幕府水軍の長)の屋敷跡が残るなど、海に向かって睨みを利かせた堅固な防御の跡がうかがえます。

 

しかし、江戸幕府が安定した太平の世においては、当面の脅威は幕末までお預けです。

「江戸新川は、酒問屋をもって天下に知られ」とうたわれています。

日本橋川の河岸や、日本橋川にほぼ平行に開削されていた新川あたりは、諸国の廻船が集まり、白壁の酒倉が続く、にぎやかな場所だったようです。

上方(関西)から、途中行く手に富士を見ながら、大消費地・江戸へと運ばれた「下り酒」。

江戸湊の出入口に当たるところから、酒類の一大市場が形成されたようです。

 

その面影が残る場所を探して、川沿いを歩きます。

ありました。新亀島橋の欄干に施された絵。

左右に、「大川をのぼる廻船」、「廻船の荷下ろし」の風景です。

これは、江戸の風景を文章と絵で克明に描写した『江戸名所図会』から用いています。

「新川 酒問屋」などが基になっているのでしょう。

 

「江戸時代の酒ってどんな味だったのだろう」などと思いをめぐらして、ちょいと横丁を覗くと、美味い酒と気の利いた肴を出してくれそうな、小粋な店がありました。

日が暮れたら、また寄ってみたくなりました。

 

 

 

泉鏡花の『日本橋』を歩く

[与太朗] 2011年5月31日 09:00

 名橋日本橋、明治44年4月の架橋から、関東大震災や戦災に耐え生き延びてきて満100年。このたびの東日本大震災の影響で誕生祝も押し流されてしまい、全くお気の毒さまでした。今日はずばり「日本橋」をタイトルにした泉鏡花(1873-1939)の小説(1914大正3年出版、戯曲は1917刊)の舞台を歩いてみました。

IMG_0453.JPG 『日本橋』は鏡花40歳の作品。タイトルは橋の名ではなく、地名。旧檜物町・槇町・元大工町などの花柳界を抱える、地名としての日本橋です。花街に生きる日本橋芸者たちの精神美が名文章で描かれていますが、日本橋を愛し、芸妓を愛したフェミニスト鏡花の女性観、恋愛観、さらには江戸っ子観が窺われる円熟期の名作といわれます。『日本橋』は出版の翌年には新派により本郷座で初演、以来新派の当り狂言となり、今年一月には名橋「日本橋」架橋100周年記念と銘打って、三越劇場で公演されたので、ご覧になった方も多いと思います。

 

 檜物町

IMG_0452.JPG 檜物町は現在の八重洲一丁目、日本橋花柳界の中心で、『日本橋』では清葉の「瀧の家」のあるところ。このあたり震災・戦災で焼かれ、東京駅は目と鼻の先という場所、昔の情緒を偲ばせる建物などは皆無ですが、明治創業の割烹「や満登」がビル街に現在も健在です。新派の舞台ではこの店の名前が登場します。

 小説『日本橋』の装幀は日本画家の小村雪岱(1887-1940)。最初の装幀の仕事でしたが、装幀史上屈指の名作と言われ、彼は以後挿絵や舞台美術の分野でも一時代を画す存在となります。雪岱は川越生まれですが、若くして上京、檜物町二十五番地で育ちます。ここは歌吉心中という有名な事件があった家でした。彼も鏡花同様、日本橋を愛し、死後彼の文章を集めた本のタイトルは『日本橋檜物町』でした。

 

IMG_0455.JPG 一石橋

 三月四日の晩、医学士葛木晋三が巡査の尋問を受け、稲葉家のお孝が助け舟を出したのが一石橋の欄干際、その後もこの橋で重要な場面が展開されます。当時は長さ14間、幅3間の木橋、大正11年鉄筋コンクリートのアーチ橋になり、現在の橋は平成12年の竣工です。大正架橋時の花崗岩の親柱一基が南詰に保存されています。(中央区民有形文化財) また、その隣には江戸時代からの「まよい子のしるべ」も残っています。(東京都指定文化財)

 

 西河岸延命地蔵尊

  IMG_0465.JPG享保年間に創建された西河岸地蔵堂は縁結びの御利益で有名でした。『日本橋』でも主人公たちのお参りが描かれています。大正4年本郷座初演の際、お孝の抱妓お千世役に抜擢された当時無名の花柳章太郎は、稽古のあとの雪の夜、延命地蔵尊に役の成功を祈りました。そしてこれがのちの人間国宝・文化功労者の出世作になります。彼は昭和13年明治座での再演に際し、雪岱描くお千世の額(鏡花と章太郎の句が添えられている)を地蔵尊に奉納します。この図額は現在、中央区民有形文化財に指定されています。今日訪れた本堂の前にはお千世の姿が描かれた丸い絵馬が納められ、良縁を求める若者の熱い願いが込められているようでした。適齢期の方、一度お参りしてみませんか。

 最後に稲葉家お孝の名セリフを・・・

IMG_0466.JPG 「雛の節句のあくる晩、春で、朧で、御縁日、・・・一所に詣る西河岸の、お地蔵様が縁結び、これで出来なきゃ、日本は暗夜(やみ)だわ。」

 

【写真】 上から

 ・八重洲一丁目、旧檜物町界隈

 ・現在の割烹「や満登」

 ・一石橋

 ・西河岸延命地蔵尊

 ・延命地蔵尊、縁結びの絵馬


 

 

問屋街の賑わいを求めて

[下町トム] 2011年5月31日 09:00

中央区の横山町、馬喰町界隈といえば、言わずと知れた東京の問屋街です。

今も日中に訪ねると、あちこちの店から活気が流れ、「商いの町」という実感がします。


馬喰横山駅前.JPG

都営新宿線の〔馬喰横山〕駅から外へ出るとすぐにそこが、横山町の問屋どおりの入口です。

〔馬喰町〕という名はJR総武快速線の駅名にも採用されていますが、歴史の本によると、徳川家康が江戸入府の際に馬方(博労)をこのあたりに配置したのが発祥とか。



横山町とおり.JPG

また〔横山町〕は江戸時代にこのあたりに知行地を持っていた御家人の横山氏の名から来ているとのことです。

 

主に現金卸売りの店が中心ですが、最近は一般客に小売してくれる店も多くなったので、ぶらぶら歩きながら、雰囲気を味わうのも楽しいものです。



ただ、あくまでも商売人の町ですから、

お店の邪魔にならないように様子を見ながら出入りするのも客のマナーではないかと思います。


横山町新道(2).JPG

 

ちょっとしたタオルやふきんをまとめ買いしてみたり、外出用の上着を安く手に入れたり、思い思いに楽しむことができます。

できれば平日の昼下がりにのんびりと散策するのをおすすめします。


 

 

 

築地ボンマルシェ 震災チャリティパーティ

[鞠つき] 2011年5月31日 09:00

築地のおしゃれなイタリアンアンレストラン "ボンマルシェ"さんで、

 

震災チャリティパーティが開催されましたwine

 

会費は全て、義捐金になりますheart04

 

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食材がとても豪華birthday 

美味しくて、楽しかったです notes

restaurantボンマルシェrestaurant お店のHPはこちら

TEL03-3541-9341

住所:東京都中央区築地4-7-5 築地KYビル2F 
 ランチタイム11:00~14:00
 カフェタイム14:00~17:00
 ディナータイム17:00~23:00
 定休日:日曜・祝日
 

 

笠間焼 陶の小径四人展  つきじTassギャラリー若松屋

[銀造] 2011年5月31日 08:30

 「笠間焼・陶の小径四人展」が築地6-12-3 の「つきじTassギャラリー若松屋」さんで5月30日から6月11日(土)まで開催されています。

 笠間と言えば、日本橋七福神の一つ、日本橋浜町の久松署の向かいに鎮座する「笠間稲荷神社」で知られています。 中央区とは縁があるのですね。 ここの「笠間稲荷神社は、日本三大稲荷のひとつ笠間稲荷神社の東京別社は、江戸時代笠間藩主牧野貞直公が本社より御分霊を奉斎人々に尊敬され紋三郎稲荷として親しまれております。寿老人は、長寿、お導き、幸運の神様として運命を良い方向に切り開いて下さる福徳長寿の守護神です」・・と日本橋七福神めぐりのご案内に書かれています。 

 今日はそんなご縁のある笠間市から来られた方々の展示品を見てきました。入手した葉書では、

 「被災地茨城、笠間焼の復興をめざすとともに売り上げの一部を、赤十字を通して東日本のチャリテイーとします」とあります。  作品の一部をご紹介しますと、

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素敵な花瓶、茶碗、湯のみ、陶板画などが

所狭しと展示されています。

  是非、お立ち寄り下さい。

若松屋さんのURLで場所、アクセスをご確認下さい

http://www.g-wakamatsuya.com/gallery.html 


 

 

 

東をどり 東京新橋組合 良いこと活動 

[銀造] 2011年5月30日 11:46

 東京新橋組合様は、 永年に亘り、 良い事活動をされています。

永い間、公開しないところが偉いと思います。 

 

そのひとつが、

区内の高齢者の方々を「東をどり」に招待したいとのことで、藤野理事が中央区を訪れ、東をどりのチケット120枚を、毎年、中央区社会福祉協議会に寄付されているとの事です。 この招待は、平成8年度から開始され今年で16回目になるとの事です。

 

そして、まだまだ公開されていないことは沢山あるのでしょうが、先週聞き出したのが、

 

東京新橋組合の岡副真吾様は、今回の東をどりを開催するにあたり、何かメッセージを決めて、発信したいと皆さんで話し合ったそうです。

 

この東をどりは、5年前に、新ばし花柳界誕生(文字和佐が酌取り御免のお許しを受けた年)150周年を機に、踊り一辺倒だった内容を、もっと親しんでいただけるようにと内容を一新され、新橋演舞場を大料亭に見立て、一幕目は元来の踊りを披露する一幕、毎年恒例、総揚げ気分を味わっていただける二幕と、料亭ならではの、料理・酒を楽しむというコンセプトのもと開催されているそうです。

そして、それから5回目、岡副氏が頭取に就任されてから初めての年となる今回は、震災を受け

"支援は多くのところで行われているので、我々は、文化を生業としている身なので、東北ではなかなか義援の手の回らない同業者へ直接支援をしたい"  そのために、来場頂いた皆様には、

"明るく、綺麗で、来て頂いた方々が、踊り、食事、酒に心を開き、楽しんでいただくことで元気になってもらいたい。"と願いをこめた内容となっております。

 

 お食事、酒の楽しみに関しては、ドンぺリニョンと和の酒肴、「新ばしカスク」の事が、ご案内のHPに記載されています。

 
公開していないのは、今回の東をどり の、綺麗な踊りの幕間に、新橋演舞場を大料亭と仕立てて行われる部分での義援金活動です。

 

 今回、参加出来なくなった仲間のためにも、東北から七蔵の蔵元からの日本酒を新橋演舞場の2階に据え、東北のお米、会津若松の本田さんが5年かけた減農薬米「氏郷-うじさと-」、それにあわせる炊き込みご飯の素(金田中)、紅鮭茶漬・やわらか昆布(東京吉兆)。雑魚実山椒煮(米村)を販売する。  そして、売上金の10%を義援金として、東洋館という東北の料理店を通じて東北の料理組合に送りたい。 これで、我がまち「新橋」と東北がつながる。 この絆を大切にして行きたいと仰られました。 

本当に頭が下がります。

 是非、新橋演舞場に足をお運びいただいて、綺麗な踊りと美味しい料理、美味い酒barをお召し上がり下さい。 

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東をどりと東京新橋組合のHPはこちらです。http://www2.odn.ne.jp/shinbashikumiai/


 

 

 
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