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◆ 隅田川 わたしの記憶めぐり <私編>

[隅田の花火] 2017年3月 9日 16:00

2月最後の土曜日、築地で朝ごはん。ちょっといい気になって食べすぎてしまった。

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今日は風もなく良い天気。

波除稲荷神社にお参りしたあと、満腹感解消のために少し歩いてみようかと、隅田川を渡って、月島の方へぶらぶらと歩いてみることにした。まずは近くの勝鬨橋へ。

 

 

程なくして勝鬨橋のたもとにたどり着いた。

ここにはかちどきの渡し碑や、橋の資料館もあったりして、訪れる観光客も多い。

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でも、午前中にこちら築地側から勝鬨橋の写真を撮ろうとすると、どうしても逆光になってしまう。なので勝鬨橋を渡って向こう側に行ってみる。

 

勝鬨橋は、かつてハの字のように開いていた跳開橋。真ん中部分は意外なほどグラグラと揺れる。

246mの橋を歩いて勝どき側に渡り、隅田川テラスに下りると、水辺に近寄ることができる。ここで写真を撮った。

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今日は風がほとんどなく水面が穏やか。隅田川は、空よりも青い青色を映す。

まだ船が運航していない朝方であれば、稀に見られることもある、凪の隅田川。とても癒されるひとときだ。

 

対岸の築地市場方面に目を移すと、東京タワーがまだ見られる。築地大橋と一緒に忘れずに写しておいた。

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晴海通りを左に曲がり、月島川を渡って、川に近い道に沿って歩く。すると隅田川テラスに通じている「わたし児童遊園」が現れる。隅田川際にある小さな公園で、かつて月島の渡しの渡船場があったところ。花壇の花も咲き、とても綺麗に手入れがされている。

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隅田川テラスは工事中で、残念ながら出られなかった。この公園に、隅田川河畔によくある案内板があったので、今日歩いたところを説明してみる。

赤い線が歩いたところ。ここ月島から川の上流の佃に立ち寄り、佃大橋で隅田川を渡り直して、新しくできた湊公園まで歩いてみた。

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築地から川を渡ってやって来た、こちら側の月島や勝どきの土地は、明治以降にできた埋立地。

町名は月島や勝どき、佃、豊海と分かれているが、それをひとくくりにして、ざっくりと「月島」と呼ぶこともあり、紛らわしい。

 

「月島」の島の形は、弧を描いた三日月のような形に見えるので、それが月島の名の由来かと思っていたが、そうではなかった。「月が綺麗に見えた場所だった」とか、「築かれた島なので築島(つきしま)」ということらしい。

 

 

川を眺めたいので、少し上流の「月島3丁目児童遊園」の階段を上った。ここからは、隅田川の開放的な景色を堪能できて、テラスに下りることもできる。

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対岸には、陽光があたる明石町の桜並木があり、春の気分を満喫することができたり、夕暮れ時の、空と水面の色彩の変化も見事なものだ。テラスの工事が終わる春がとても楽しみな場所である。

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(2015年春)

 

私がはじめてここのテラスに来たのは、3年半前の夏、月島にもんじゃ焼きを食べに来たあとの夜だった。

ビルの合間から見えた、青い東京タワーが何だか嬉しくて、何度もスマホで写真に撮ったのだが、全然上手く撮れず、悔しかった記憶がある。

 

この辺りの隅田川テラスからは、東京タワーやスカイツリーが見える。カメラを買ったあとは、夜の隅田川を撮りによく訪れるようになった。

 

 

隅田川の川面が凪になり始めるのは、夜。

水面が次第に光のオルゴールのように変わってくる。

 

 

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風の無い夜、船の運航も終わり、潮の満ち引きも止まると、水の気配が無くなってきて、川にしまわれたひとつひとつの記憶が、表に現れてきて混ざりあい、見たこともない表情を浮かべてくる。

 

 
月島は三日月の形をしているので、ここは川筋がカーブしているカーブの外側にあたり、まるで自分が川の真ん中にいるような感じで写真を撮ることができる。

 

夜でも光がたくさん溢れている、都会にしかない風景が、この隅田川にはある。

 

 

歴史ある勝鬨橋と築地市場の灯りが作り出した、ナイアガラのHANABIのような、光の波。

 

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凪の隅田川に突然現れた波が作り出した、夢のような隅田川の花火である。

 

 

 

ここは佃、佃島渡船の碑の裏にある階段の上。佃島のあたりの隅田川テラスは、もう歩けるようになっている。

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以前にご紹介したNHKの「3月のライオン」のアニメで、七月のお盆にひなちゃんが泣いてしまった名シーンはこの場所にあたる。

ストーリーはこのアニメで始めて知ったが、佃島の雰囲気にとても合っていて、ホンワカと心が温まる話だ。それと夜の隅田川を、アニメにしかできない芸当でとても綺麗に描いてくれたのが、正直嬉しかった。

 

佃島の古い街並みをビルの巨神たちが取り囲む、佃大橋からの風景。一番手前には佃煮屋の老舗が見える。

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アニメの3月のライオンで、この佃煮屋の辺りに出てくる和菓子屋「三日月堂」のモデルは、中央区人形町にある黄金芋で有名な「壽堂」だ。

水天宮前の交差点から人形町交差点方面への一つ目の交差点にあるが、この春に公開される、神木隆之介さん主演の実写版の映画「3月のライオン」のポスターも貼ってあった。

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巡礼をされる方は要チェック。ぜひ店の中の温かい雰囲気を感じてほしい。

 

 

佃大橋を渡った。橋のたもとにある桜の木は中央区では珍しい一本桜。遠方には中央大橋が見える。この橋は桜とあわせて撮るのがとても似合う。この桜の木の下には、佃島渡船の古い石碑があり、それもまた趣があってよい。

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(2015年春)

 

ゴールの「湊公園」に辿り着く。腹がへってきた。

今はまだテラスが工事中だが、このあたりの隅田川テラスを歩くと、ミスチルの「HANABI」が鼻歌となる。

ミスチルのHANABIのPV(Music Video)は、公園が整備される前のこの場所から、桜井和寿さんがベンチを立ち上がり、隅田川テラスを歩くところから始まる。

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その頃には目の前にコンクリートの堤防があり、隅田川と隔てられていた。最近、新しく親水公園として生まれ変わり、テラスに出られるだけでなく、素晴らしい景色も見られるようになった。

 

きちんとベンチも用意してくれている。このベンチは水辺を堪能できる特等席。これから対岸に咲く佃の桜を想像すると、とても楽しみな場所となりそうだ。

 

 

 

◆ 隅田川 わたしの記憶めぐり <渡し編>

[隅田の花火] 2017年3月 6日 09:00

2月最後の土曜日の朝、築地でご飯を食べました。

ここは波除稲荷神社の隣、築地場内市場の「海幸橋門」。場外市場に新しくできた「築地魚河岸・海幸橋棟」の建物があるところです。

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築地は隅田川の河口近くにありますが、この近辺にはかつて、かちどき・月島・佃の3つの渡し舟がありました。今日は風もなく良い天気。時間もあるので渡し舟の面影を探しながら散策してみることにしました。まずは近くの勝鬨橋へ。

 

 

歩いて4分くらい、勝鬨橋のたもとには大きな「かちどきの渡し碑」があります。説明板をみると先程の「波除稲荷神社」の辺りに渡船場があったと書いてあります。

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神社の隣の「海幸橋門」の名前は、もちろん「海幸橋」に由来します。そこは隅田川から離れた内陸の場所になるのですが、昔は隅田川に繋がる川が流れていて海幸橋のあたりに渡船場があり隅田川に舟が出ていたようです。

 

近年に川が埋め立てられ、橋も無くなり、わずかに橋の親柱と築地場内市場の「海幸橋門」という名前だけが残りました。豊洲への市場の移転が予定されている今、「海幸橋門」の名前は無くなってしまうと思うのですが、川の跡地に建てられた「築地魚河岸・海幸橋棟」の名前が川と海幸橋のわずかな記憶をつないでいくことになりました。

 

 

勝鬨橋を渡りました。対岸の「勝どき」から見た隅田川、築地方面の風景です。

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勝どきという町名と勝鬨橋という名前は「かちどきの渡し」に由来します。渡し場の名前はその土地の名前から付けられることが多いですが、ここは渡しの名前の方が先でした。

1905年正月、日露戦争で旅順の要塞を攻略したことを記念して京橋区民の有志が渡船場を設置し「かちどきの渡し」と名付けました。築地はかつて海軍関連の施設が多くあったという歴史があるのですが、それも関係しているのでしょうか。

 

勝鬨橋ができた1940年に渡し舟はその役目を終えました。

 

勝どき側のかつての渡船場は、今工事中の隅田川テラス、ここのちょっと左側辺りです。渡し舟の名残は今は見つけられませんでした。

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ここ勝どきから月島にある「月島の渡し跡」に向かいます。

 

 

 

月島で一番隅田川に近い道沿いを歩くと「わたし児童遊園」という公園があり、ここに「月島の渡し跡」という説明板があります。渡し舟の名残はこの説明板と公園の名前ぐらいでしょうか。

月島や勝どきは埋立地です。この辺りが埋め立てられた後、程なくして渡し舟が作られました。渡し舟は月島の土地のはじまりと共に時を重ねてきたことになりますが、ここも近くに勝鬨橋ができたことにより廃止となりました。

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ここに隅田川河畔によくある案内板がありましたので、今日歩いたところを説明してみます。赤い線が歩いたところ。月島から川をさかのぼって佃まで行き、最終的には佃大橋を渡って鉄砲洲の湊公園までのルートです。

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「わたし児童遊園」からは隅田川テラスに出ることができるのですが、今は工事中で出られず対岸を見ることができません。

そこで少し上流にある「月島3丁目児童遊園」から、対岸の渡船場があった方向を写しました。老舗料亭「治作」が見えるあたりに渡船場があったようです。その奥の白い建物はポンプ所です。

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この対岸にも「月島の渡し」の説明板があります。説明板には、おおまかにこのようなことが書かれています。

 

・月島の渡しは明治25(1892)年、土木請負業の鈴木由三郎が明石橋橋詰の南飯田町(現在の築地7丁目18番)から月島(現在の月島3丁目24番)へ手漕ぎの船で私設の有料渡船を開始したことに始まる。

・明治34(1901)年に月島への交通の重要性を考慮した東京市が渡船の市営化を決め、翌35年に明石町(現在の明石町14番)に渡船場を移設し無料汽船曳舟2隻で交互運転を開始した。

 

後日写真を撮りました。説明板のある一角は築地七丁目、左の奥にある建物が明石町の「治作」でそのうしろに隅田川が流れています。不思議なのはこの説明板は隅田川岸際から結構離れた場所にあることです。

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渡船場は「明石橋橋詰の南飯田町」と説明板に書いてありますが、何処だかわかりません。

ここで、中央区観光協会のスマホアプリ「中央区まち歩きマップ」を開きます。このアプリの特筆すべきところは、江戸・明治・昭和の各時代の中央区の古地図が見られるところで、今自分がいる場所もGPS連動で古地図上に示されます。

 

なんとこのあたりには昔、隅田川に斜めにつながる水辺があったところで、ポンプ所は水辺の跡地、治作の前の道は「明石橋」が架かっていた所でした。明石橋の橋詰は、現在説明板のある場所でまさしくここに渡船場がありました。治作のあたりは明石町14番なのでのちに渡船場が移った近辺と思われます。

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ちょっと強引に昔の水辺を水色で塗ってみました。今の「あかつき公園」はかつて「明石堀」と呼ばれた広い水辺空間でした。ここから「鉄砲洲川」が今日のゴール地点の近くまで流れていました。

古地図を見て歩く楽しいところは、「宝の地図」を見てお宝を探すような気分を味わえるようなところでしょうか。

  

  

 

「佃島渡船の碑」がある佃まで来ました。江戸の初期からあった佃島の歴史ですが、この佃の渡し舟の歴史も同じ頃から始まります。渡し舟にはいろいろな変遷があったようですが、オリンピックのあった1964年に佃大橋が開通したことで長い歴史に終止符が打たれました。

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この碑の写真をバシバシと撮っていたら、老夫婦が近づいて来ました。月島から歩いてきてこれから住吉神社にお参りに行く、とのこと。90歳のおじいさん。ゆっくりといろいろな話をしてくださいました。

  

3つの渡し船が動いていた頃のことをすべてご存知でした。勝鬨の渡しの船が一番小さかっただとか、橋ができて舟が無くなったとか、豊海の埋め立て地はまだ無かったとか。

 

まさにお宝の時間でした。どうもありがとうございます。

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佃大橋を渡り上流を眺めます。佃大橋のたもとに桜の木があるのですが、その下にもうひとつの佃島渡船の碑があります。ここが渡船場だったところです。桜が咲いてテラスを歩けるようになるのも、あとちょっとです。

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かつての鉄砲洲川の河口があった辺りにある「湊町第1児童遊園と汐見地蔵尊」。川は関東大震災の頃に埋め立てられたとのことですが、佃の渡しの渡船場はこの河口付近にあった時代もありました。

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ここに川が流れていたということは今は全く想像ができないのですが、風景が変わってしまっても水辺の記憶というものは探してみると意外なところに息づいているもので、もしかしたら何かを見つけられるのかもしれません。

 

 

ゴール地点の「湊公園」。隅田川テラスの工事が終われば直接テラスに出られるようになる公園です。

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上流には「中央大橋」が見えるなかなか景色の良いところ。江戸時代、このあたりは遠方からやって来た大きな帆船がたくさん停留し、小さい船に荷を移して江戸市中に運んでいったところといいます。そういう景色を想像し、思いを馳せるのにも気持ちが良い公園になりそうです。

 

 

 
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