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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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Happy Time in the 22nd Tokyo Bay Grand Fireworks Festival!

[Happy Talk] 2009年8月12日 09:30

The Best 7 Shots from Kachidoki!

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 Yeah! What A Wonderful Evening!


 

 

Happy Run in Harumi #1

[Happy Talk] 2009年8月 7日 09:30

一度梅雨明け宣言があったと思いきや、日本では46年ぶりの皆既日食当日も雨雲に覆われた空に遮光版を用意して楽しみにしていた子供たちもがっかり!

さて、今回は東京湾にレインボーブリッジが目の前に広がる月島4号埋立地(現在の中央区晴海)の歴史を紐解いて見よう!

江戸時代に徳川家康によって始められた天下普請と呼ばれる埋立て工事により日本橋、銀座、新橋へと350年前には築地までの埋立てが完了。明治後半には佃島、石川島をベースに月島1号地(現月島1~4丁目)、2号地(現勝どき1-4丁目)、3号地(現勝どき5~6丁目)と続き昭和6(1931)年にこの月島4号地の埋立工事が完了、昭和15(1940)年にはアジア初の万博『紀元二千六百年記念 日本万国博覧会』のメイン会場となるはずであった。

このプロジェクトに向け、建築・橋梁デザインなどのコンペもあり、当時の有望建築家がこぞって参加するが、World War Ⅱへと向かって行く過程で、結果的に"幻の日本万国博覧会"となった。

そのメインゲートとなった勝鬨橋は昭和15(1940)年に完成、国重要文化財に指定され今もその姿を留める。(但し、本来の双葉跳開橋は昭和45(1970)年に閉じられたまま!)

*中央区タイムドーム明石ではこの"幻の万国博覧会"歴史映像ビデオの上映会も時折開催するが、郷土資料の常設展示室に当時の入場券や会報誌等の展示あり。

*併設特別展示室では7月25日~8月30日まで夏休み特別企画『見て!触れて!学べる!恐竜展』開催中!プラネタリュームではギガ迫力の3D!

 この万博と同じく昭和15(1940)年に東京で開催予定だったのが、第12回オリムピック、『アジアの一角に全世界の若者が集まる時、世界は新しい平和の幕開けの時を迎えるであろう!』と、IOC(国際オリンピック委員会)メンバー嘉納治五郎氏の宣言とは反対方向へ、結局こちらも"幻の東京オリムピック"となった。

昭和39(1964)年、戦後日本復興の象徴としてやっとアジア初の第18回オリンピックを東京で開催、それから45年後の今年は2016年予定の第31回オリンピック開催候補地に東京が立候補、今年10月の開催地決定に向けオリンピック・メイン・スタジアム予定地はこの晴海ふ頭の隣接地。

Olympic.JPG歴史の幻がまた夢となって復活し目の前に現れようとしているが、皆の想いが一致すれば、

Our Dreams may come true!

江戸湊に端を発するウオーター・フロント開発のDNAをしかりと受継ぎ新生"昭和"の時代を築こうとする中、昭和12(1937)年、"いつも晴れた海を望む"からこの月島4号埋立地を"晴海"と命名!そんな歴史の幻を心に留めながら晴海アイランドの端から端を、東端の春海(はるみ)橋をスタートして、Let`s run through the Harumi Island!

 

さて、この春海橋と平行して架かる錆付いた鉄橋が早速目に入る!

これは、晴海鉄道橋(現、春海鉄道橋)といって昭和32(1957)年に開通した臨港貨物鉄道、晴海線という晴海ふ頭で水揚げされた貨物を運ぶ専用線として平成元(1989)年に廃止されるまで機関車が走る鉄橋であった。

TekkyoOne.JPG  そのまま晴海通りを西向きにまっすぐ進んで行くと、途中北側に中央区"夜景八選"にもリスト・アップされてた"晴海アイランド・トリトンスクエア"、さらに直進すると、こちらは中央区"おはこ十八景"に選ばれた、"東京港晴海ふ頭"に突き当たる。

*この秋10月12日(体育の日)には第21回『区民スポーツの日』マラソン大会が月島・晴海周辺道路をコースに開催されるので直線練習コースに最適! 

 

 

 

東京港晴海ふ頭は昭和30(1955)年に開業、昭和34(1959)年にはアジア初の国際見本市会場、その後東京モーターショーなども開催され、東京の海の玄関として、また国際イベント会場として多くの人を魅了して来た。

平成2(1990)年、豪華客船クイーン・エリザベス2世号(QE2)を迎えたクルーズ・プロジェクトを最後に、平成3(1991)年、東京港開港50周年を記念して現在の晴海客船ターミナルに生まれ変わった。

正面に広がる東京湾にはレインボーブリッジ、お台場、東京タワーなどスカイブルーとマリンブルーの360°東京ベイ・ビューが楽しめ、ターミナル7階の展望台から据付望遠鏡にてさらにズームアップ!

 

RedPillars.JPGまた、このターミナル1階正面広場には赤い鉄柱オブジェが16本あり、よく見ると1本ずつ風穴の位置と数が微妙に違い、そのコンクリート台座にはそれぞれ異なった文字が日英両語でプレートに刻まれている。

初めに"言葉 WORDS"ありき!

 

 

 

 

 

 

レインボーブリッジに面したウオーターフロント広場ではステンレスのキュービックスクエア・オブジェが海風にゆられて廻っているが、夜になって海風がぴたっと止まると、この水面にレインボーブリッジと周辺のイルミネーションが共に映り込み幻想的なオーロラカラーを作り出す。 CubicSquare.JPG

 その瞬間、プロカメラマンがシャッターチャンスを狙う!

家族連れには停泊中の豪華客船、帆船などが海外からも入港、歓迎セレモニーでの音楽隊演奏や海上艇からの放水ショーもあったりして子供たちも大喜び!

夜になると絶景の夜景はドラマ・映画の撮影にも利用され、デートコースとしても大人気!(もちろん、中央区"夜景八選"のひとつ!)

 

 

 

毎年8月の第2土曜日は中央区主催の東京湾大華火祭(これも中央区"夜景八選"!)会場ともなって1万2000発打上げ花火の宴にはなんと晴海会場招待客だけで約12万人、屋形船など観光船も100隻以上が繰り出し、この晴海アイランドは超ギガ混雑となるのでくれぐれもSafety First!

週末には、隣接する晴海ふ頭公園にてバーベキューエリア、釣りエリア、テニス練習場などの施設も利用可能。

公園内には東京港とニューヨーク・ニュージャージー港の国際姉妹港15周年記念として平成7(1995)年には愛称ニューヨーク・ニュージャージ・ガーデンとなり、東京港が特定重要港湾として東京都管理下となった30周年記念として、昭和56(1981)年に寄贈された彫刻家宮本光庸による乙女の像『花』には当時の鈴木俊一東京都知事の題字"花"と正子"八十一花"の俳句が"みはるかす みなと晴海よ ひまわりの 花の乙女に 光あらせよ"と刻まれている。

その傍らにはチリ共和国との日智修好100周年記念(平成9/1997年)の際、チリの首都サンチャゴの日系人が昭和16(1941)年にサンチャゴ市政400周年記念に贈呈した大型チリ国旗のお返しとしてチリ海軍練習帆船の『エスメラルダ』に乗って運ばれた日章旗の献呈式が行われた掲揚台が船のメイン・マストのようにそびえ立つ!

NYNJGarden.JPGあなたもひと夏の思い出をこの"Harumi Island" で作って見ませんか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

Happy Walk in Tsukiji #1

[Happy Talk] 2009年6月11日 09:00

6月に入り、紫陽花が雨にしっとりとなじむ季節になってきましたね!

260年以上の太平の世が続いた江戸時代にあって、鎖国時代に唯一海外との接点であった長崎の出島、そこから江戸に参上したオランダ商館のカピタンたち(定宿は日本橋の"長崎屋")から世界情勢を聞き出そうと、蘭学をベースに西洋の知識を吸収しようとする者たちが築地から日本橋に通い詰めた!

安永3(1774)年、杉田玄白、前野良沢、桂川甫周らにより翻訳された『ターヘル・アナトミア』は『解体新書』となった。(桂川甫周の屋敷跡が平成通り、京橋築地小学校の斜め筋向いにある。)

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現在の聖路加国際病院(および看護大学)付近にあった中津藩中屋敷にてその翻訳作業が行われた。この屋敷ではその後、安政5(1858)年に福沢諭吉が蘭学塾を始めたことから慶応義塾大学もここがその発祥地!("蘭学の泉ここにあり"と碑に記されたようにグローバル思考のDNAがしっかりとこの地に受け継がれた!)

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この記念碑の後方にあかつき公園がある。そこには、何故かシーボルトの胸像と記念碑がある。

文政6(1823)年、シーボルトはドイツ人医師であったがオランダ商館員として長崎に赴任、鳴滝塾を開き、江戸の長崎屋では幕府の学者に面接指導も行った。その傍ら植物採集や研究にも没頭、日本の植物図鑑も出版した。愛する日本人妻の呼び名は"お滝さん"、愛らしく咲く紫陽花に同じ想いを寄せたのか、編纂していた植物図鑑には"おほあじさい"、原文ではH.Otaxsan(おたくさん)とあった。

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2人の愛娘"いね"(楠本いね、オランダおいね)は明治3(1870)年、この築地で産院を開業し、日本人初の女医として父のDNAを引き継いだ。

あかつき公園に隣接する中央区立郷土天文館、"タイムドーム明石"では現在、第7回特別展として"築地小劇場展"を開催中!

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『築地小劇場〜震災から戦災までの軌跡をたどる〜』と題した全33ページのフルカラー特別展図録には展示してある公演ポスター、劇場模型、検閲台本、伊藤熹朔による舞台装置(美術)原画、舞台写真等がまとめてあり永久保存版!特別展の入場料も(記念講演会も含め)この図録もすべて無料でTriple Happy! 

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今年は築地小劇場の開場85周年、第一回記念講演会(6月3日)は明治大学名誉教授の菅井幸雄氏による『築地小劇場・新劇史上の意義』、自ら演出家でありパトロンとしてこの劇場をサポートした土方与志、新劇の父と言われる演出家の小山内薫(慶応義塾文学部出身)を中心に、爆発的エネルギーを持って共に青春を駆け抜けた劇団員たちのパッションがそのまま伝わってくるようなとても力強い講演に会場はヒートアップ!

江戸幕末から明治、大正へと次第にグローバルな視野を持ち、移り変わって行く新生日本にあって日本の伝統的戯曲でなく、翻訳劇を中心にした"新劇の実験劇場"として小山内薫が亡くなるまでの58ヶ月間に何と84回の定例公演に加え、40回近い地方公演や特別公演を行った!現代の演劇界では絶対不可能?!

俳優陣(千田是也・滝沢修・杉村春子等)のみならず、経営(浅利鶴雄)、舞台装置(伊藤熹朔)、音響効果(和田精・山田耕筰)等に関わった人たちも含め、そのDNAは子孫や弟子たちにしっかりと受け継がれ、日本を代表する俳優、劇団プロデューサー、イラストレーター、音楽家となって各方面で活躍している人も少なくない。

 大正13(1924)年6月13日から昭和20(1945)年3月まで築地にあったこの築地小劇場は、わが国初の"クッペル・ホリゾント"(ドーム型の湾曲壁)やプロンプター・ボックス(出演者へのセリフ出し用)を備えたゴシック・ロマネスク様式の劇場(設立当初468人収容)。時代の最先端を行く実験劇場としてチャレンジ精神を失わず幾多の荒波を乗り越えたが、今はそのおもかげを跡地にレリーフとして残すのみとなった。

この築地コミュニティーには時代を超えて何かを伝えるエネルギーとパッションという命を受け継ぐDNAが流れているかも知れませんね!

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Let`s find our roots in Tsukiji!

 

 

 

Happy Walk in Nihonbashi #1

[Happy Talk] 2009年5月28日 08:30

お江戸日本橋と言えば、慶長8(1603)年、徳川家康が江戸幕府を開いてわずか1ヶ月後に架けられ、全国里程の原点(日本国道路元標)、五街道のスタート地点(お正月の箱根大学駅伝のスタートとゴール)、日本橋魚河岸(北詰東側)は昭和に入り現在の築地市場へ
移転するまでお江戸の台所であった。
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慶長5(1600)年、オランダ船リーフデ号で漂着、江戸に出て徳川家康の外交顧問となり、サムライの称号を与えられたイギリス人のウイリアム・アダムズは、伝馬役の馬込勘解由(まごめ・かげゆ)の養女であったお雪と国際結婚し、三浦按針(みうら・あんじん)となった。現在の日本橋室町にあった彼の屋敷跡一帯は昭和初期まで按針町と呼ばれていた。
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万治元(1657)年、御大工椎名兵庫によって造られた"日本橋の擬宝珠"が創業320年、老舗の漆器屋さん"黒江屋"(南詰東側)のウインドウ・ディスプレイに展示してある。352年前の日本橋にタイムスリップ!
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その向かいには創業297年、K&K印の蟹缶でおなじみ、国分本社ビル、1階にある和食ダイニングバーは、その名も『ニホンバシイチノイチノイチ』、各地名産の食材によるアラカルト、蔵元直送の日本酒、世界のプレミアム・ワイン、ジャズの流れるスペースはおしゃれなグルメにジャストフィット!
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江戸城建造の水路となった日本橋川(堀川)沿いのリバーサイドは2016年に招致予定の東京オリンピックに繋がるウオーターフロント開発の原点と言えるのではないだろうか?
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日本橋界隈の散策後、400年以上の歴史を誇る日本橋の袂、リバーサイドテラスでグラスを傾け、ちょっぴりお得なHappy Hourで、楽しい仲間と一緒に"お江戸日本橋にCheers!"


 

 
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