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築地市場のマグロ競り見学を見納め!

[しばしばしばた] 2018年9月30日 12:00

こんにちは!きょうは、築地市場の最後のマグロ競り見学の様子をレポートしたいと思います!
 

皆さんご存知の通り、中央区築地にある東京都中央卸売市場築地市場は、今年の10月6日を最後に閉場し、その機能は江東区の豊洲市場へと移ってしまいます。
そんな中、近年外国からの観光客の方々を中心に人気となっていたマグロ競りの見学は、9月15日を最後に終了となりました。
閉場前に一回見学に行っておきたいと思っていたので、9月15日で最後という情報を聞いて、駆けつけて参りました。
 

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さて、マグロ競り見学は午前6時前後に2グループに分けて実施され、見学受付は午前5時となっています。
事前予約制ではないので見学を希望する場合は朝5時前から並んでおく必要があり、結構ハードです
しかし、この日私が列に並び始めたのは、前日14日の夜23時!・・・というのも、本当は14日の朝に見学に行こうと思って朝4時ごろにうかがったのですが、その日は「朝2時の時点で並んでいる方が定員に達したので受付を終了した」ということでチャレンジに失敗・・・。「最終日は日付が変わる頃に締め切られてしまうだろう・・・!」と目論んだのです。
私が列に入ったとき、すでに20名程度の方がお並びになっていました。雨の降る中、傘をさしてじっと待ちます。
 

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日付が変わってしばらくしてから、並んでいる方の数が多くなったので受付がはじまり、施設の部屋の中に通していただきました。
その後は、体育座りで待ちながら夜を明かします。雨を凌げたので良かったですが、なかなか良い鍛錬になりました
午前4時だったでしょうか、卸売の方が、築地市場のまぐろ競りの説明に来てくださいました。外国人の方が多いので、説明は英語です。英語の質問にもきっちり英語でお答えになっており、素晴らしい対応をしてくださいました!
 

その後、朝6時前にようやく部屋を出発します。外に出ると、すっかり明るくなっていました。
 

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競り場の建物の中に入って、いよいよ待ちに待った見学です。
中では、冷凍されたマグロさん達がずらーっと並んでいる様子を、同じ空間の中で、間近に見ることができました。
そして時間が経つとともに買い手の方々が続々と集まってきました。
 

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それぞれのマグロの上に円錐台形の何かが乗っているのが見えますが、これは、マグロの質を確かめるために尾の部分を切り落としたもので、買い手の方々は、カマでこの部分の身を削って手に取ったり、懐中電灯で照らしたりして質を確かめます。
 

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6時を過ぎて、売り手の方が鐘を鳴らすと競りが始まり、会場中のあちこちで値段を叫ぶ声が聞こえてきました。指で値段を示しながら競りがどんどん進んでいくので、見学している一般人としては中々ついていけませんが、独特の雰囲気を体験することができました。
 

聞くところによると、移転先の豊洲市場でもマグロの競り見学が実施されるとのことです。ただ、見学者専用の通路やスペースが設けられるようで、安全にトラブルが少なく見学できる一方、「外から」見学するふうになってしまうのは否めません。築地で競り場の「中から」見学できたことはとても貴重な体験でした!
 

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さて、築地市場はまもなく閉場してしまいますが、築地の街自体はこれからも楽しめるはず!と私は思っています。
築地市場の周りに形成された築地場外市場はこれからも現在の位置に残り、寧ろ「築地魚河岸」を加えてパワーアップしています。買出人の方々の仕入れの場であり続けるのはもちろん、観光にいらした方々に日本の食文化を発信する拠点にもなることと思います。(写真は築地場外市場の様子です)
さらに、築地の街は市場以外にも見どころがいっぱいあります。古代インド様式と日本の寺院建築の様式が融合した独特な本堂が印象的な築地本願寺や、所々に残る戦前の木造建築、明石町のほうにはキリスト教関係の数々の史跡・・・など、様々な顔を持つ築地の街に、これからも注目していきたいと思います!

 

 

今年、創業145年目の割烹〔躍金楼〕

[ジミニー☆クリケット] 2018年9月30日 09:00

先月、私の勤める会社の会合で使わせていただきました

お料理のおいしさ、行き届いた応対もさることながら、その歴史が明治以降の新富町の歴史そのものですばらしいものですから、日を改めて取材させていただき、このブログで紹介させていただくものです

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創業は、明治6年

なんと、今年で創業145年目を迎えるのだそうです

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お店の名前は、「躍金楼」と書いて「テッキンロウ」と読みます

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これは、中国・北宋の詩人、范仲淹はんちゅうえん)の「岳陽楼記」の一節、

長煙一空 皓月千里 浮光躍金 静影沈壁

から名付けられたそうです

光で照らされ輝く波を、魚の鱗が金色る様子になぞらえて、活きのいい料理を出すお店であれ、との思いが託されたそうです

確かにその思いは受け継がれ、先月会合の折、出していただいた「キンキキチジの煮付け」は、本当に美味しかったです

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ひさごの間」、床の間の「岳陽楼記」の掛け軸とその「躍金」の個所

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ちなみに、この「岳陽楼記」は、後段に「先に天下の憂いを憂い、後に天下の楽を楽しむ」(為政者の心得)の、いわゆる「先憂後楽」の語があることでも有名です

岳陽楼は中国、湖南省の洞庭湖の北東岸に建ち、北には長江が臨まれる大景観の地です

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(明治11年版行「会席別品競べ月岡芳年筆 躍金楼中庭にて

お店の名付け親は、山岡鉄舟だそうです

山岡鉄舟は、「幕末の三舟」のひとりで、江戸城を無血開城に導いた、書家としても有名な幕末から明治にかけての偉人です

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明治28年当時の営業許可証

お店には、その歴史を物語るような由緒ある品々が飾られており、先月の会合でもそれらの説明を大女将からお聞きすることができました

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明治後期に著された、当時のグルメガイドにあたる浮世絵開花三十六会席に選ばれるほど評判の高いお店だったそうです

その浮世絵は、お店の廊下にも飾られており、お店のコースターにも使われていて、記念にいただくことができました(下の写真)。

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戦時中は、営業を続けること自体が無理な時代で、荻窪に移られていたこともあったそうですが、戦後、現在の黒塀で囲まれた趣きのある日本家屋の場所に戻られたのが、昭和24年だそうです。

その後、増改築を繰り返されて、今に至られたとのこと。

こちらの建物は、中央区近代建築物調査100選にも選ばれ、「新富の花柳界の名残を伝える、黒塀の料亭建築」と紹介されています

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お座敷は、「広間」、「兎の間、「松の間」、「の間」と、客数によって使い分けられています。それぞれの部屋に、歴史を感じさせる調度品が置かれています

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明治31年に出た会席御料理番付にも載った「躍金楼」(の字が違っていますが)

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1階には、割烹とは別にカウンター形式の「すたんど割烹があります

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冒頭述べた「新富町の歴史そのもの」の割烹料亭です

お店の前を通るだけでも、歴史が感じられますよ

是非、一度、お立ち寄りください

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今回の取材に関しましては、大女将の澗岡(たにおか)登紀子様から懇切丁寧なご説明をいただきました。写真撮影のご了解もいただきました

ありがとうございます

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躍金楼のHPはこちら ⇒

http://www.tekkinro.com/

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中央区近代建築物調査100選で、こちらの建物が紹介されています ⇒

http://www.city.chuo.lg.jp/bunka/timedomeakashi/

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【遠足シリーズ第4弾】銀座の柳二世がとりもつ縁

[Hanes] 2018年9月29日 14:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は、「【遠足シリーズ第3弾】銀座のルーツをたどって...」に引き続き、
静岡と中央区(特に銀座)の関係に焦点を当ててみたいと思います!

9月のある雨の日、駿府城公園で偶然見かけたこちらの柳ですが、
案内板をよく見てみると...銀座の柳二世とあります!

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気になったので詳細を読んでみると、前回紹介した銀座の話に加えこんなことが書かれていました。

「明治十七年、銀座の街路樹は柳に統一されたが、大正十二年の関東大震災や昭和二十年の東京大空襲の被害に遭いながらも市民の保存への熱意が実り、立派な並木がよみがえった。しかしながら、高度成長期の昭和四十二年(一九六七年)頃より、銀座の柳が姿を消した。これに心を痛めた地元の有志が保存運動に心血を注ぎ、挿木で苗木を殖し、銀座はもとより全国へ寄贈されている。本市も銀座のとりもつ縁により駿府城趾の一隅に銀座の柳二世を植え、後世に伝えるものである。」

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つまり、銀座の柳二世は全国の色々な場所に植えられているのですね
肝心の銀座では、銀座ナインの近くに2本の銀座の柳二世が植えられてます。

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そして、片方の柳の隣には「銀座柳の碑」があり、
『銀座柳の歌』(作詞:西條八十、作曲:中山晋平)の歌詞と譜面が刻まれています

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♪) 植えてうれしい 銀座の柳
  江戸の名残の うすみどり
  吹けよ春風 紅傘日傘
  今日もくるくる 人通り
 
  巴里のマロニエ 銀座の柳
  西と東の 恋の宿
  誰を待つやら あの子の肩を
  撫でてやさしい 糸柳
 
  恋はくれない 柳は緑
  染める都の 春模様
  銀座うれしや 柳が招く
  まねく昭和の 人通り
 
この歌は先日詳細が解禁になった中央区観光検定でも出題されることがあります!
せっかくなのでこの機会に1番だけでも覚えてみてくださいね
銀座の柳二世がとりもつ縁を見つけた際には、またブログで紹介します

 

 

【遠足シリーズ第3弾】銀座のルーツをたどって...

[Hanes] 2018年9月27日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は5月ぶりの遠足シリーズで、銀座と関係の深い静岡を取り上げます。

...とは言え、銀座と静岡の関係はすぐに思い浮かばないと思います。
しかし、静岡を駿府と言い換えてみるとどうでしょう?
急にとピンとくる方もいらっしゃるのではないでしょうか

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(2018年9月、静岡駅北口にて撮影)

上の写真のパネルにある通り、徳川家康がこの関係のカギとなっています
そしてなんと、彼は人生の約3分の1を駿府で過ごしています。
・8歳~19歳:今川の人質としての幼少期
(このシーンは、前回の大河ドラマ「おんな城主直虎」でも見ることができました。)
・45歳~49歳:五カ国時代/関東移封まで
・66歳~75歳:開府後の江戸から戻った大御所時代

それらを念頭に置き、静岡市の街中を実際に歩いてみると、
葵紋のついた碑が目に飛び込んできます
こちらが「駿府銀座発祥の地」を示す碑です。

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碑の側面には、(家康によって)1612年に銀座が駿府から江戸に移されたこと、
今日の東京銀座のルーツは静岡にあることが刻まれています。
このことは、中央区観光検定公式テキスト「歩いてわかる中央区ものしり百科」
にも掲載されています。(最新版は、2018年10月15日(月)発売予定)

実際に銀座のルーツとなる場所に来て、駿府城の城下町の雰囲気を五感で味わうと
思っていた以上に感慨深いものがありました。

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一方今日の銀座には、ブランド店に負けず存在感を放った
「銀座発祥の地」という碑があります(場所:Tiffany & Co.の前)

この碑には、以下のように刻まれています。
慶長十七年(紀元二二七二年 西暦一六一二年)徳川幕府此の地に銀座役所を設置す
当時町名を新両替町と称せしも通称を銀座町と呼称せられ明治二年遂に銀座を町名とする事に公示さる」

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駿府から移ってきた当時は、銀座ではなく「新両替町」と呼ばれていたことも
中央区好きとしてはおさえておきたいポイントです!

今回の遠足を通して、銀座の由来には江戸時代の名残があり、
そのルーツは家康がカギとなる静岡にあったと再確認することができました。
遠足シリーズ第4弾でもそんな静岡に焦点を当て、中央区との関係をご紹介します

【参考資料】
大御所四百年祭記念 家康公を学ぶ:https://www.visit-shizuoka.com/t/oogosho400/index.htm
TOKYO GINZA OFFICIAL:http://www.ginza.jp/

【過去の遠足シリーズ】
【遠足シリーズ第1弾】木像と和菓子に学ぶ赤穂義士
【遠足シリーズ第2弾】京橋にあった!日本初の街頭公衆電話

 

 

I miss Tsukiji Market!

[下町トム] 2018年9月26日 12:00

いよいよ築地市場(東京中央卸売市場)の豊洲への移転の日が近づいてきました。

近くに住んでいることもあって、この頃時折朝の市場を覗いてみます。いつもながらの喧騒の中に一抹の哀惜を感じるのは私の主観でしょうか。

既にいくつかの関連施設が閉鎖されたほか、日本橋の魚河岸から移ってきた〔水神社〕ももう遷座を終えました。ちょっとずつ消えていくものを眺めるのは寂しいですが、これも歴史の流れの一場面だと思ってしっかり目に焼き付けたいものです。

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多くの市場関係者の食欲を満たしてきた〔魚がし横丁〕の飲食店も間もなく店を閉じます。今月いっぱいという店も多いようです。最後の味を求めて連日多くの人が駆けつけて大変なことになっています。

築地に市場があったことを心に刻み、未来への想いに身を託したいと思います。

 

 

東京2020に向けて:ブラジルってどんな国?

[Hanes] 2018年9月26日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
東京オリンピック・パラリンピックのボランティアの申し込み開始日が
ついに1週間を切った9月21日(金)...
中央区役所で開催された「平成30年度第1回オリンピック・パラリンピックに関する講演会~日本の裏側・ブラジルについて距離を理解で縮めよう~」に参加してきました!
 
中央区は昨年6月、ブラジルオリンピック委員会と覚書を締結し、
豊海小学校ファミリーアンドフレンズラウンジ(選手等が家族や友人と触れ合う憩いの場)等を設けることになりました。
中央区は選手村ができる唯一の区で、その中でも特にブラジルの方々とは
ますます交流を深めることになるのではないでしょうか

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そんなブラジルについて、今のうちから理解を深めておくために、
今回は、株式会社明治の広報部で、管理栄養士の免許も持っている飯泉千寿子さんと
ブラジルオリンピック委員会のモエマ・ラモス(Moema Ramos)さんがお越しくださいました
 
前半は飯泉さんによるブラジル紹介!
飲食物、教育制度、スポーツや産業といった話題から、日本とブラジルの共通点や相違点を見つけます
その後、明治のチョコレートでも使用されているブラジルのトメアス市にあるカカオの生産地について学びました。
ここではアグロフォレストリー農業(農業+林業)という森をつくる農業を行い、
アマゾンの森林再生や持続可能性の追求をしているそうです

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実際にブラジルから明治の工場に入ってきたカカオ豆やカカオニブの香りを嗅いだり、
お土産でmeiji THE Chocolateが2種類いただける等、
実に五感でチョコレートを、ひいてはブラジルを感じることができました
地球の裏側に位置するブラジル...
遠いものの、意外と身近なつながりがあることも分かりました
 
後半では、リオオリンピックでのブラジルオリンピック委員会の取り組みについて、
ラモスさんが動画を交えて紹介してくださいました
選手たちが会場にアクセスしやすく、セキュリティがしっかりしているベースキャンプをリオ内に7ヶ所設けたり、
選手の家族や友人(選手村への立ち入り不可)が観戦し、リラックスできるファミリーラウンジを設けたりと、
選手やその関係者への配慮も十分に行っていたようです
 
これらの話を聞いて、リオでの取り組みを学び、2020年に備えようと、
中央区で活動する特派員の私も非常に感化されました!
築地居留地や現代の銀座からも分かる通り、中央区は非常に国際色豊かな区です。
2020年に向けて、中央区はどのように進化するのか...今からとても楽しみですね
 
※本記事につきましては、本講演会のご担当者様より掲載許可をいただいております。