中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

江戸っ子とは

[にゃんボク] 2019年1月29日 09:00

「ねーねー、江戸っ子っていうとどんな気質のことを言うの
『それ、あれでしょ、宵越しの銭は持たないとか、生粋の江戸のはえぬき、とかでしょ?』
「そう、山東京伝さんが、他にもいきとはりを本領とするとか、いくつか定義づけているわよね。あとさー、"芝で生まれて神田で育つ"なんていうのも言うわよね」
『あ、言いますね。神田は江戸を象徴する町人地なので、神田っ子は江戸っ子の代名詞みたいに言いますよね』
「じゃあさー、江戸の中心というと日本橋が挙げられるのに、どうして神田が江戸を代表するような言い方をするの
『えっ・・・。え、えーと江戸って元々は隅田川などが流れ込んできた"江の戸"にできた湊なので本来は江戸橋や日本橋周辺のことを言ったんですよね』
「あら、よく知っているわね。そのとおりね。"江戸方角安見図"では"ここより北は神田、南は江戸"と書いてあって、厳密には江戸と神田は別と考えられていたのよね。じゃ、なんで神田っ子が江戸っ子の代名詞になるの
******
『・・・え?』
******
「・・・ぼーーーっと生きてんじゃイラッイラッイラッイラッイラッ」(以下略)

「答えは、"雇ってもらえなかったからー!!!"」
『え???』
 
・・・やれ粋や通だの、高速道路が日本橋の景観を台無しにしたなんて言っているそこのあなた・・・・
 
********(様々な説があると思うのでそのうちの一つとして)**********
日本橋は江戸城正面の常盤橋門前に位置し、上方をはじめ全国からの物資が集散する地域でした。
また金座をはじめ金融センターとしての機能を備え、本町との名のように城下町の中心として作られた地域です。
ここには伊勢や近江、京都などを本店とする上方商人が大店を構えていました。この江戸支店、つまり江戸店(だな)は徹底して稼ぐ場所であり、店員は上方の本店から連れてきたので、江戸で現地採用をすることはありませんでした。
「宵越しの銭を使わぬ」ような人には声が掛からなかった。彼らが仕事を得るには日本橋から少し離れた神田で年季奉公をし、一人前の職人や商人になるより他なかった、っていうわけです。
(これを大店に"雇ってもらえなかった"と表現しています)
 
神田橋門外の町人たちは、武士や大店の店員に囲まれて彼らと共生できる独特の気風=神田っ子を作らざるを得なかった、ということのようです。
(参考文献:東京人「江戸から続く町人地」(2016年10月号)
**************************
karuta.jpg(写真は、日本橋かるたより江戸っ子に関係のありそうなものをチョイス。)
kanda.jpg(また、新年大賑わいの神田明神(江戸っ子が山王権現と神田明神氏子地域に生まれた人を言うことから))
 
なお CAMさんの「江戸っ子とは」にも詳しい記述があります。
 /archive/2017/09/post-4591.html
 
 

 

暁橋のレリーフ

[Silver Fox 007] 2019年1月27日 18:00

中央区は水運の街としての歴史がありますね。今ではほとんどの運河が埋め立てられて、橋は道路の一部になっているところが多いと思います。東京メトロ日比谷線築地駅から聖路加国際大学方向へ進む聖ルカ通りにも、そういう橋の名が残っています。築地川を埋め立てた公園にかかる暁橋(あかつきばし)です。

先日、暁橋を通っていたら、公園の改修工事をしている側の壁面(本願寺の方向)にこのようなレリーフを発見! これまで全く気付くことなく通り過ぎていました。工事のために植栽を整理したのでしょうか。それとも、観ようと思わずば見えず、なのか。

20190121居留地のレリーフ.jpeg

 

 

20190121海軍省のレリーフ.jpeg上の写真は「築地居留地(現在の明石町)」という銘で、明治27年ガーディナー氏画とあります。この画の元は立教大学に所蔵されていると思われます(NPO法人築地居留地研究会発行の築地外国人居留地歴史マップ参照)。そして右の写真(築地駅に近いほうに設置)は「築地海軍省於操練場風船御試之図(現在の築地五丁目)」、資料提供マスプロ電工美術館とあります。いずれも中央区土木部公園緑地課と刻まれていますが、設置の日付はありません。

写真がヘタで申し訳ありません、ぜひ散策におでかけになり、ご覧ください。

居留地の図は、このレリーフを背にして聖路加国際大学のチャペルの方向を見た鳥瞰図、今とはずいぶん違う建物です。海軍省の図は、レリーフに向き合ってその左手向こう、築地市場の方向にあった海軍省での出来事でしょう。

 

 

 

 

工事中のフェンスに沿って

20190121ちょっと昔の明石町.jpegのサムネイル画像本願寺の方に回って行くと、

40年前のこのあたりの写真が

展示されていました。

今の様子は・・・

 

 

20190121今の明石町.jpegのサムネイル画像

 

 

40年前は聖路加国際大学(当時は病院)が目立ちますね。

おっと!そうか! 本願寺側の通りも橋の上のはず。

橋名を見落としました。観ようとして見なければ!

 

 

 

 

銀座稲荷神社に参拝

[佃のうさこ] 2019年1月26日 18:00

先日、幸運なことに縁あって、普段は非公開の銀座稲荷神社に参拝することが出来ました。神社の様子を皆さまにもご覧いただければと思います。

 

銀座稲荷神社は、「中央区ものしり百科」にもあるように、江戸時代より銀座のお稲荷さんとして火防、盗難除け、商売繁盛に信仰を集めてきました。現在は、土地開発が進んだために、銀座2丁目の銀座越後屋ビルの屋上に祀られています。10月下旬から11月上旬に開催されるAUTUMN GINZAの銀座八丁神社巡りスタンプラリーでも、屋上への参拝は出来ません。

 

銀座稲荷1.jpg 屋上にただお稲荷さんだけが、静かに鎮座されていました。

  

銀座稲荷2.jpg 石造りの様子に時の経過がうかがわれます。

 

銀座稲荷3.jpg左の狐は、子ぎつねと、右の狐は宝珠と。

 

江戸時代このお稲荷さんがあった通りは「観世新道」と言われ、能の観世流のお屋敷がありました。江戸末期の地図を見ると、イナリと赤く特別に表記されています。普段の生活の中で、道行く通りすがりに手をあわせていたのでしょう。江戸の人々の心持ちを、小さな愛らしいお狐さんに重ね想像する貴重な体験となりました。

 

 

 

 

 

 

不思議なマーク「不」を探して三千里

[Hanes] 2019年1月25日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
皆さんには、まち歩きをする際についつい見てしまうものってありますか?
行列のできるお店、ショーウィンドウ、道端の花、道行く人等、色々あるかと思います。
私はというと、以前話題にした送水口(前編後編)の他に、
地図作成や測量の際に用いられる基準点(特に三角点水準点)もついつい見てしまいます。
登山をする方の中には、山頂で三角点を見かけた方もいらっしゃるかもしれませんね

stbm.jpg

そのような全国に数ある三角点と水準点の中でも私が特に好きなのが、
几号水準点(きごうすいじゅんてん)と呼ばれるものです!
この水準点は、日本全国を見ても数が限られており、なおかつ大都市に偏って残っています。
特徴は、漢字の「不」に似たマーク。
通常の水準点と異なり、これが水準点ですといった分かりやすい表示はなく、
思いがけないところにひっそり存在している知る人ぞ知る不思議なマークなのです

タイムドーム明石での郷土天文館サポーターの方々による水門に関する展示では、
なんとこの几号水準点も紹介されており、
本ブログでは、先輩特派員の朱房の十手さん巻渕彰/写楽さいさんも取り上げていました。
中央区には几号水準点が1箇所、そしてそれに関する場所が1箇所あるので、
今回は区外で見られる例も交えながらご紹介をしたいと思います

■几号水準点との出会いと不思議な縁
英国在住の方のご厚意で、とある古い教会に連れて行っていただいた時のこと...
外壁に刻まれた不思議な「不」マークを見つけました。
最初は悪戯か日本でいう石垣の刻印のようなものだと思い、気に留めていませんでしたが、史跡を訪れる回数が増えるほど見かける機会も増え、
これには何か意味があるのではないかと気になり始めました

それから約1年後、世界遺産に登録されている街の大聖堂でボランティアガイドを始めた際、
偶然にもその教会のドアの下の方にひっそり刻まれている同じマークを発見しました!
すかさずボランティアリーダーに確認したところ、不思議なマークの正体は、
日本でいう几号水準点だということが分かりました

trigpoint.jpg
(上段:出会いの几号水準点、下段:ボランティア先の几号水準点)

■几号水準点・三角点巡り in 英国
それ以降、切手や記念硬貨を収集するが如く几号水準点や三角点の写真を撮って歩くようになりました。
歴史的建造物にはマークが刻まれているだけですが、
新しい建物や山・丘の頂上には、ナンバリングされたプレート(現地ではFlush Bracketという)が設置されていることに気づき、
プレートにあるOSBMは、Ordnance Survey Bench Mark(英国陸地測量部水準点)の略だと知るようになりました。

osuk.jpg

■几号水準点巡り in 日本
そして帰国後、日本にも少ないながらこのタイプの水準点があるという話を聞きつけ、
出張の機会を利用し、最初に向かったのは大阪城。
半分隠れていたのは残念でしたが、無事に見つけることができました。

osbm.jpg

続いて都内の例を見るべく、日比谷公園にある心字池のそばの平たい石や
烏帽子石に刻まれているもの、皇居内に残るもの見に足を運びました

jpbm.jpg

■几号水準点 in 中央区
前置きが長くなりましたが、中央区にも1つこの水準点が残っているということで向かった先が...
安政4年(1857)*に建てられた一石橋迷子しらせ石標
(*Hanes流覚え方:嫌(18)だ、こ(5)んな(7)迷子。安心せい(安政)よ(4)。ここで見つかる

ikbm.jpg

下の方にひっそりと刻まれているので、お近くに行かれた際にはチェックしてみてください

タイムドーム明石の展示解説によると、明治初期の水準標石は英国式インチが採用され、
横棒が標高を示す「不」字形の几号水準点を石柱、道標、灯篭、鳥居等に付したそうです。
そして後に、測量事業がドイツ式に移行し、1891年に「霊岸島新点・交無号」(水準路線の交差点0号という意味)が設置されました。

IMG_4074.JPG

現在中央大橋のそばにあるものは、2006年に移設されたものだそうです

IMG_4075.JPG

このように、中央区内では水準点の発展史の一部を追うことができます。

■几号水準点に興味を持たれた方へ
測量の日(6月3日)の前後に開催される国土地理院主催のイベントでは、
憲政記念館の敷地内(陸地測量部跡)にある日本水準原点が一般公開されます。
日本の高さの基準となっているものを間近で見る貴重な機会です

bm.jpg

このイベントでしか聞けないような興味深い話もあるので、
水準点に興味を持たれた方は、ぜひこちらにも遊びに行ってみてください。
区内にある交無号についての理解が深まるかもしれませんよ

 

 

Tokyo Parks Navi 〜浜離宮恩賜公園を訪ねて〜

[東京ダンボ] 2019年1月23日 18:00

 浜離宮恩賜庭園を楽しく観光する際のツールとして「Tokyo Parks Navi」が東京都から公開されています。

 

スクリーンショット 2019-01-20 19.51.36.png

 

「サクサク巡れる手軽なコース、たっぷり時間をかけて知識を吸収するコース。楽しい観光の思い出記録。都立公園散策アプリ「Tokyo Parks Navi(東京パークスナビ)」は、マップ機能とルート表示機能、音声・動画などの豊富なデータ、触れて楽しい、カンタンな操作であなたの目的に合わせた公園散策のお手伝いをします。」とのことで、Apple StoreもしくはGoogle Play からアプリをダウンロードできます。東京ダンボも早速スマホにIN!

 

スクリーンショット 2019-01-20 19.59.05.png

スクリーンショット 2019-01-20 19.59.34.png

 

園内で設定しているガイドスポットに近付くと、端末が自動で反応(又はタグにタッチ、QRコード読込み)し、スポットの詳細情報がテキスト、音声や動画で提供されます。園内を散策しているだけでは知ることのできない情報も、簡単な操作で得ることが可能です。また、道案内機能やイベントなどのお知らせ機能もあり、園内を効率的に楽しく散策するためにご活用できるようになっています。

 

IMG_4956のコピー.JPGIMG_4959のコピー.JPG

                                

 

また、日本語だけでなく、英語・中国語・韓国語・フランス語での案内もあるので、海外の方をお連れする際にもとっても役たちますよ。

 

 

スクリーンショット 2019-01-20 19.50.22.png

 

寒い日が続きますが、東京ダンボTokyo Parks Navi をガイドにゆっくりと浜離宮を散歩してきました。

お花畑では、黄色く咲いた菜の花とピンクに色着いた紅梅が春は遠くないこと教えてくれました。

 

 

IMG_4966.JPG

 

公益財団法人 東京都公園協会

https://www.tokyo-park.or.jp/teien/contents/tokyoparksnavi.html

 

 

身延別院耳寄り情報(2)家紋が語る意外な事実

[Hanes] 2019年1月22日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
突然ですが、NHK大河ドラマを見ているという方はいらっしゃいますか?
始まったばかりの「いだてん~東京オリムピック噺~」の初回では、
日本橋等、中央区に関する場所も登場しましたね

2.jpg
(橋洗い時に撮影。)

私は世界史専攻ですが、過去に2度だけ全部通してみた大河ドラマがあります。
それが、「功名が辻」と「おんな城主 直虎」です。
特に後者には知らず知らずのうちにハマってしまい、
静岡県や群馬県まで、井伊家ゆかりの地を見に行ってしまいました

井伊家というと、やはりかの有名な『関ヶ原合戦屏風』にも描かれている
井戸の「井」を示す替紋の井桁ではないでしょうか。
また、定紋に見られるも有名ですよね。
そんな井桁と、似たような橘を組み合わせた紋章が、身延別院の随所に見られることに気づき、「井伊家とつながりがあるのだろうか?」と気になり、早速調べてみました。

まず分かったことは、井桁に橘の紋章は、日蓮宗の寺紋だということです

coas.jpg

訪問時の写真を見返してみても、お賽銭箱から瓦まで実に様々なところにその寺紋が配されていることが確認できます。

minobu_betsuin.jpg

そして気になる寺紋の由来ですが、これまた諸説あります。
比較的知られている説が、日蓮聖人の5代前の祖先が井伊家の出であるというもの。
もう一説が、日蓮聖人誕生時に湧き出た泉にちなんで井桁と、聖人の大好物であったといわれる橘を合わせたものだというものです。
ここではどちらの由来が正しいかを断言することはできませんが、思いがけないところに井伊家との意外なつながりを見つけ、
「やはり紋章は面白い」と再確認することとなりました。

さて、2回にわたり身延別院の油かけ大黒天と寺紋をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか?
七福神巡りをされている方や歴史がお好きな方に、「一度行ってみたい」と思っていただけたら幸いです。

【参考文献・ウェブサイト】
レファレンス協同データベース「日蓮宗の寺紋は井桁に橘のようだが、日蓮宗である中山法華経寺や、その末寺の清寿寺(市川市妙典3)は、桔梗の寺紋を使っている。理由を知りたい。」