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「nel CRAFT CHOCOLATE TOKYO」 HAMACHO HOTEL内にオープン!!

[えだまめ] 2019年2月23日 09:00

子連れ特派員のえだまめです
 

本日、2019年2月15日。

賃貸住宅が併設されている新しい形のホテル

「HAMACHO HOTEL」がオープンしました!

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建物が出来ていく様子を近隣住民のえだまめとしては

とても楽しみに毎日眺めていたわけですけれども。

近隣住民的興味関心といえば。

「どんなおいしいお店ができるのかしら?」

そう。ホテルの中には絶対に美味しいレストランができるだろうし、

多くの場合クオリティの高いお菓子屋さんなども入りますよね。

それが楽しみで楽しみでならなかったのです。
 

というわけで、まずはオープン初日の今日。

ホテルの中に新規オープンとなりました

「nel CRAFT CHOCOLATE TOKYO」にお邪魔いたしました。

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道路に面した入口は、表通りに面していない側&階段あり、なので

わかりやすい&バリアフリールートを考えると

清洲橋通りに面したホテルの正面玄関から入った方がいいかもしれません。

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ホテル玄関を入り、右手奥側に進んでいくとちゃんとお店に到着できますよ。

 

さて、さっそくお店の中へ。

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入り口すぐのところには、様々な種類のタブレットチョコレート

カカオと共にディスプレイされていました。

「ガーナ」「ベネズエラ」「ブンチャプ ベトナム」・・・などなど。

カカオの産地の名前の付いたチョコレートがたくさんです。

カカオの%も違うようですし、食べ比べが楽しそうですね。
 

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こちらにはチョコレートボンボンもディスプレイされていました。

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パンフレットの写真の方が形が分かりやすいでしょうか。

ベトナムの契約農家で出来たカカオからできた

「ブンチャプ ベトナム」のほかにも

「丹波黒豆きなこ」「柚子」など、こだわりの素材を使ったものばかりです。

 
お店の名前の「nel」とは「練る」からきているとのこと。

「厳選素材と職人技術で練り上げたチョコレートをまごころを込めて届ける」

という気持ちで作っていらっしゃるのですね。

シェフショコラティエは自ら生産地に赴き

生産者と選び抜いたこだわりのカカオ豆や原料を使用しています。

日本ならではの食材も取り入れ、高い技術で完成したチョコレート。

どれもクオリティの高さを感じさせます。
 

他にも熊本産の天草晩柑を使った「晩柑ピール」

「ショコラショー(チョコレートドリンク)」など

どれもこれも魅力的で目移りして困ってしまうのですけれど。

今日買って来たのはこちら。

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「日本橋hamachoco」(税込1080円)です。

口の中でほどける!!!

クリーミーで、なめらかな口当たりの美味しいチョコレートでした。

ほんの少しリキュールが入っているのかな?というのが

後からふんわり感じられました。

(というわけで、これは娘あずき(3歳)のおやつではなく

 母えだまめの真夜中のおやつになりそうです

 
ここでしか手に入らないこだわりの品々、というのも

今後どこかに手土産を・・・という際に喜ばれそうですし

近隣住民としてはこれからもだいぶお世話になりそうです。

今度はタブレットの食べ比べにしようか、

それとも寒い季節のうちにショコラショーに挑戦しようか。

次に伺うのはいつにしようか、今から楽しみです。

そして・・・まだ足を運んでいないホテル内のレストラン。

そちらにも今後伺いたいとわくわくしているのでした。
 

nel CRAFT CHOCOLATE TOKYO

東京都中央区日本橋浜町3-20-2
HAMACHO HOTEL内

03-5643-7123

営業時間 10:00~20:00  不定休

http://nel-tokyo.jp/

HAMACHO HOTEL

東京都中央区日本橋浜町3-20-2

https://hamachohotel.jp/

 

 

 

鐘が奏でる現役時代の物語

[Hanes] 2019年2月21日 12:00


こんにちは。新人特派員の(ハネス)です
3月が近づき、「小さな春」が見つかる季節になってきましたね。
中央区ゆかりの俳人宝井其角は、江戸の春(正月)についてこう詠みました。

「鐘ひとつ売れぬ日はなし江戸の春」

普段売れそうもないお寺の鐘さえ売れるほど、江戸は繁栄していたと伝えています。
今でこそそのような光景は見られなくなりましたが、
中央区内には、長いこと時の経過を見てきた鐘がいくつも残っています。
今回は、そのような鐘のいくつかを見に行ってみました

■銅鐘・石町時の鐘(日本橋小伝馬町5-2)/日本製
2代将軍秀忠の頃に本石町に設置され、江戸城下の人々に時刻を知らせたこの鐘は、
長崎屋の近くにあったことから、「石町の鐘はオランダまで聞こえ」という川柳が詠まれたほど。

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鐘は高さ約170cmと成人男性の平均身長くらいあります
(中央区の約170cmと言えば...大観音寺の鉄造菩薩頭も同じサイズ感です。)
大晦日には特別にこの鐘を撞くことができるので、いつか撞いてみたいと思います

■カトリック築地教会(明石町5-26)/フランス製
こちらには、通称「江戸のジャンヌ・ルイーズ(JEANNE LOUISE DE YEDO)と呼ばれる銅製洋鐘(区民有形文化財)があります。
こちらの鐘が鋳造・寄贈されたのは1876年。
当時は明治時代で、既に「江戸」から「東京」に改称されていました。
では、なぜ鐘銘にある通り「江戸のジャンヌ・ルイーズ」と名付けられたのでしょう...
その理由として、レンヌへの鐘の発注当時は、まだ「東京」という呼称が徹底されていなかったからと考察されています

隅田川花火大会の起源とも言える出来事は1732年にありましたが、
その呼称も時代とともに変化し、今の呼称が定着したのは予想以上に新しいようです。
呼称の変遷を見ると、時代背景や意図が垣間見られて面白いですよね

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かつてこの鐘とともにデュエットをした鐘「アデレード・ジョゼフィーヌ」は、
マダムはるみさんが昨年ご紹介していた通りです

どちらの鐘も太平洋戦争時の金属供出は免れ、大砲にならずに済みました。
余談ですが、ジャンヌ・ルイーズが今日まで無傷で残っているのに対し、
アデレード・ジョゼフィーヌの方は、時代の荒波を乗り越えてきました
鐘銘にフランス人法学者ボアソナード氏の名前が刻まれていたため、
太平洋戦争時の金属供出は逃れられましたが、
一度割れてしまったことがあり、関口教会の信者の寄付で1957年に改鋳されています

■平和の鐘(日本橋3-4・京橋1-1間中央分離帯内)/オランダ製
こちらの鐘は、1989年日蘭修好380年を記念し、
国際都市の一員として世界平和を願い、中央区が設置したものです。
26個の鐘は、カリヨン・スウィングベル製造で世界一の規模を誇り、
100年以上の歴史と優れた技術・実績を持つことからオランダ王室より「ロイヤル」の称号が与えられた
オランダのロイヤル・アイスバウツ社が製造しました

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その鐘は、毎時0分になると中央区の歌「わがまち」に代表される曲を奏でます。
そのメロディーが気になる方、遠方にお住まいの方は、
中央区平和祈念バーチャルミュージアムからどうぞ

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■銀座の鐘(銀座教会:銀座4-2-1/英国製
こちらは上記3つの鐘と比べてそれほど知られてはいませんが、
銀座教会の階段の中腹右手側にあり、
第3次会堂ができた1928年以降、約90年銀座の移り変わりを目撃してきた歴史ある鐘なのです

しかし、鋳造されたのは1878年と古く、カトリック築地教会の鐘と同年代!
バーミンガム市ブリュウス・アンド・サン社(Blews & Son)が手がけ、なんと227kgもあります
オーナーのウィリアム・ブリュウスは、真鍮燭台を作る職人として記録が残りますが、
教会の鐘も鋳造していたようで、本拠地のバーミンガムにも当時の鐘が残っています。
この教会の鐘は一体どういう経緯で海を渡ってきたのか...気になりませんか?

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ということで鐘銘を見てみると、鋳造社や教会に関する単語が見られますが、3~4行目をよく見てください
なんと、NAGASAKI JAPANと刻まれているではないですか!
これは、鐘が銀座に来るまでの大きな手がかりとなります。
英国好きの私としてはここで引き下がれないので、さらに調べたところ、次のようなことが分かりました。

1873年(明治11年)、後に出島聖公会神学校となる我が国最古プロテスタントの神学校長崎に設立されました。

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(赤い矢印で示した建物です。昨年訪れた際は、銀座教会と関係があるなんて知るよしもありませんでした。)

その際、あのトマス・グラバーが特注したこの鐘が取り付けられました。
しかし、1922年に発生した地震で鐘が落下...
その後、宣教師スコットが買い取っています。

その翌年、今度は関東大震災が起こり、銀座教会が焼失...
再興したのは、前述の第3次会堂が完成した1928年でした。
この際にスコットから入手した鐘が取り付けられたということです。

ようやくこの鐘に見る長崎と銀座の関係性が浮かび上がってきましたが、
なぜグラバーがブリュウス・アンド・サン社に特注したのか、
宣教師スコットとはどのような人物で、銀座教会とはどのような関係があったのかという点は、まだ明らかにしきれていません
詳細が分かった際には、改めてブログでご紹介します!

■おわりに
今回は区内で見られる鐘をご紹介しましたが、いかがでしたでしょうか。
鐘の製造国が全て異なり、今も昔も中央区は国際的だと改めて感じるとともに、
思いがけないところに長崎との関係性も見つかりました
ご紹介した通り、中には引退した鐘もありますが、
このように現役時代の歴史を読み解くと、当時の時代背景等が少しずつ見えてきます。
中央区では、「鐘ひとつ」をとっても面白いと思っていただけたら幸いです

【参考文献・ウェブサイト】
国立大学法人九州大学大学院理学研究院附属地震火山観測研究センター「長崎県の地震活動概況(2003年8月)」(2019年2月16日閲覧)
築地カトリック教会百周年記念誌編集委員会『つきじ―献堂百周年記念号―』(築地カトリック教会、1978年)※非売品(教会で見せていただけます。)
長崎バプテスト教会「お薦め散策コース - Bコース:眼鏡橋から出島・大浦方面③」(2019年2月16日閲覧)



 

 

中央区ゆかりの文学者たち

[湊っ子ちゃん] 2019年2月13日 18:00

こんにちは、湊っ子ちゃんです。

明治維新後、私たちの中央区を舞台に、近代文学は育まれました。銀座煉瓦街には新聞社が次々に誕生し、情報産業が発達しました。また、多くの文化人が中央区を訪れ、小説や戯曲など、様々な作品のなかに、中央区の情景を描きました。

今日は、中央区にゆかりの深い、文学者たちについて調べてみました。


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北村透谷(きたむらとうこく)

明治元年-明治27年 (1868‐1894)

文芸評論家、詩人。小田原生まれ。明治13年(1880)、京橋区弥左衛門町(現・中央区銀座四丁目)に上京。泰明小学校に編入する。銀座を舞台とする自由民権運動に関与する。明治22年(1889)「楚囚之詩」「蓮菜曲」を発表。「文学界」の創設に参加し、「内部生命論」など数々の評論を発表する。


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島崎藤村(しまざきとうそん)

明治5年-昭和18年(1872‐1943)

詩人、小説家。長野県の庄屋の家に生まれる。明治14年(1881)、京橋区槍屋町(現・中央区銀座四丁目)に上京。泰明小学校に学び、明治学院を卒業。「文学界」の活動を通して北村透谷を知り、深い影響を受ける。明治40年(1907)から翌年まで、「春」を海水館(現・中央区佃三丁目)にて執筆し、代表作の「夜明け前」は築地小劇場で上演された。


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芥川龍之介(あくたがわりゅうのすけ)

明治25年-昭和2年(1892‐1927)

小説家。京橋区入船町八丁目(現・中央区明石町)の牛乳牧場に生まれる。生後まもなく、本所区の母の実家へ移る。東京帝国大学英文科卒業。夏目漱石の門下に入り、第3次、4次「新思潮」の同人となる。代表作に、「羅生門」「鼻」「地獄の糸」「河童」など。



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郡虎彦(こおりとらひこ)

明治23年-大正13年(1890‐1924)

劇作家。京橋区南八丁堀三丁目(現・中央区湊一丁目)生まれ。学習院から東京帝国大学英文科に入学し中退。「白樺」同人。大正2年(1913)、「道成寺」が自由劇場で上演される。渡欧し、「鉄輪」「義朝記」を執筆。ロンドンで上演され好評を得る。


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川端茅舎(かわばたぼうしゃ)

明治30年-昭和16年(1897‐1941)

俳人。日本橋区蛎殻町二丁目(現・中央区日本橋人形町二丁目)生まれ。画家を志し、岸田劉生に師事する。病弱のため、俳句に専念し、高浜虚子に師事する。「ホトトギス」同人。句集に、「川端茅舎句集」「華厳」「白痴」がある。


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山岸荷葉(やまぎしかよう)

明治9年-昭和20年(1876‐1945)

小説家。日本橋区通り油町(現・日本橋大伝馬町)生まれ。東京専門学校(早稲田大学の前身)に進み、坪内逍遥に師事する。のちに尾崎紅葉の門に入る。「硯友社」同人。問屋街や芸者屋街など、生まれ育った町並みを題材にした「日本橋文学」を発表。「奉公始」「当世手代気質」など。のち、読売新聞社に劇評担当として勤務する。


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長谷川時雨(はせがわしぐれ)

明治12年-昭和16年(1879‐1941)

歌舞伎脚本家、評伝作家、小説家、随筆家。日本橋区通り油町(現・日本橋大伝馬町)生まれ。明治38年(1905)、「海潮音」でデビュー。女性の評伝において、その地位を築く。昭和8年(1933)、雑誌「輝ク」を発行し、多くの女性作家や評論家を世に送る。随筆では「旧聞日本橋」が代表作。


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長谷川かな女(はせがわかなじょ)

明治19年-昭和44年(1887‐1969)

俳人。日本橋区本石町(現・日本橋二丁目)生まれ。夫の富田諧三(長谷川零余子)の主宰誌「枯野」をサポートする。高浜虚子に師事。昭和5年(1930)に「水明」を創刊し、女性俳人の先達となる。句集に「雨月」「湖笛」、随筆に「小雪」「ゆきき」などがある。


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谷崎潤一郎(たにざきじゅんいちろう)

明治19年-昭和40年(1886‐1965)

日本橋区蛎殻町(現・中央区日本橋人形町一丁目)生まれ。坂本小学校に学ぶ。耽美派とされる「刺青」「痴人の愛」「春琴抄」などが代表作。また、自然主義文学や、「源氏物語」の現代語訳などを発表。戦後に発表した「細雪」は、谷崎文学の極致とされる。


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立原道造(たちはらみちぞう)

大正3年-昭和14年(1914‐1939)

詩人。建築家。日本橋区橘町三丁目(現・中央区日本橋久松町)生まれ。久松小学校に学び、東京帝国大学工学部建築学科を卒業。10代の頃より短歌を好み、堀辰雄から影響を受ける。詩誌「四季」の創刊に参加。詩集「萱草に寄す」「暁と夕の詩」を発表。第1回中原中也賞を受賞する。


bun12m.jpg中央区で生まれ育った、時代を代表する文学者たち。

時代を切り開いてゆく文学活動が、ここ中央区を拠点に繰り広げられたことはもちろん、それぞれの文学者が、中央区のなかで繋がっていることも興味深く思いました。

また、中央区を舞台に多くの作品が誕生し、物語のなかには当時の町の姿が生きており、今にその情景を伝えてくれます。それは、小説や戯曲にかぎらず、映画作品などにも多く残っています。

(写真は、泰明小学校に建つ「北村透谷・島崎藤村記念碑」そして銀座の柳二世)


中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん

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第34号 平成31年2月11日

 

 

2019 水天宮 節分祭

[サム] 2019年2月 6日 12:00

DSC08567ELS'.jpgDSC08562RS'G.jpg 2月3日、水天宮では節分祭祭典斎行後、恒例の「豆まき」が行なわれました。

今年も「冬だ!豆まき!ミニライブ」を挟み、1部・2部構成で、祭典参列者・一般参加者に加え、特別ゲストの豆まきが組まれています。

今年の特別ゲストは、下北沢の本多劇場にて2月28日~3月5日上演予定の、ミュージカル「幸せな時間」のメインキャスト陣の尾藤イサオ、石原慎一両氏、そして当日のミニコンサート出演のアニメ・童謡歌手の山野さと子さん。

バルコニーから袋入り福豆やお菓子が撒かれると、"福" を授かろうと一斉に手が伸びます。

2016年に社殿と社務所が建て替えられ、装い一新の境内は、大勢の人々の喚声で、盛り上がりを見せています。

 

 

如月 梅一輪ほどの暖かさ

[あすなろ] 2019年2月 5日 14:00

「衣更着」「気更来」「生更来」など
きさらぎの語源には諸説ありますね。

その中でも、「草木の芽が張り出す月」が転じた説が
意味的に一票いれたいところです。。。

新暦の2月はまだ寒さが厳しく、清正公寺の梅は、
冬木の美しさがあります。

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暦の上では、春が始まります。

「梅」は、咲く時季が一年でもっとも寒い時期
でありながら、春の季語です。

春の訪れを感じる。この感性がすばらしい。

寒苦を経て清香を放つ時期はもうすぐですね。

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◆日蓮宗清正公寺
東京都中央区日本橋浜町2-59-2

 

 

中央区の歩道っておもしろい!24【レトロなものたち編】

[湊っ子ちゃん] 2019年2月 2日 09:00

こんにちは、湊っ子ちゃんです。

歩道には、さまざまな公共のものが存在します。町の案内板や、記念碑はもちろんのこと、ちょっと見上げれば、標識や信号、カーブミラーなど歩行者の安全を守ってくれるもの、また足元に目をやれば、マンホールの模様や舗装タイルに描かれた絵などが、私たちの目を引いて楽しませてくれます。

今日は、そんな中でも、懐かしいタッチのイラストや、珍しい造形をたたえたレトロなものたちを集めてみました。

♪ 案内板のいろいろ

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佃仲通りの歩道上でみつけた、観光案内板です。手書きの絵と文字は、見ているだけで楽しくなってきますね!「佃・月島散策マップ」と題して、ここでは、佃島が佃煮発祥の地であることや、リバーシティ21、石川島燈台跡などの紹介、また、もんじゃストリート、月島観音、ちょっと足を伸ばして、勝どき橋の案内などをしています。

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こちらは、隅田川テラス。佃大橋ちかくの、歩道上の壁に設置されたパネルです。魚や野鳥など、テラスに集まる生き物の紹介や、昭和30年代に悪化した水質が、どのように改善されたかなどをグラフを用いて説明しています。グラフの部分は、開閉式になっています。

♪ 歩道の花壇

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歩道上の花壇に「区の花つつじ」と書かれた緑のプレートが立っています。区で設置した様子です。今はあまり見かけないプレートですので、一昔前のものかもしれませんね。同じタイプで、右は「区の木やなぎ」です。

♪ 注意書きのあれこれ

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銀座の並木通りでみつけた、ポイすて禁止のマークです。こちらは、歩道の舗装の中に埋め込まれています。現在、中央区内の歩道でみかけるマークとデザインが違うので、一昔前のものかもしれません。

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歩道上の柱や、コンクリート塀によく設置されている、犬のマナー呼びかけのプレートです。「散歩のときはつないでください」「犬の糞きちんと持って帰りましょう」ということが書かれています。

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ちょっと見えづらいですが、こちらはシャープな絵のタッチで、「犬はつないで飼いましょう」ということ、そして「登録と予防注射も忘れずに」と呼びかけをしています。

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佃公園に設置されている、ボール遊び禁止の看板です。懐かしい感じのイラストがいいですね!

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隅田川テラス、防護柵に設置された注意書きです。テラス利用者へのお願いとして、犬の散歩上の注意や、植込みに立ち入らないこと、ゴミは捨てないことなどが書かれています。犬のイラストがかわいいです。

♪ 水道のいろいろ

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湊地域の公園に設置された、水道です。切り株のかたち、メルヘンですね。水を飲むときに子供が乗る台も、小さな切り株になっています。鉄柵の部分は、木の模様になっていて、なかなか凝っています。こういった心配りのあるデザインは、時が経っても色褪せませんね。

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佃堀ちかくの水道です。鉄柵部分が、鳩の模様になっています。

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佃地域の公園内に設置された水道です。鉢植えのような形をしていますね。「節水にご協力ください 中央区」というプレートがついています。年季が入っています。

♪ 渋いものたち

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新大橋通り沿いでみつけた井戸です。メーカーは特定できませんでしたが、中央区内の各地でさまざまな井戸をみつけることができます。井戸にはトレードマークと番号が入っていますが、種類は実に多いので、見比べてみるのもおもしろいです。

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月島地域でみつけた、歩道上の掲示板です。掲示部分は緑色の板、庇も木造です。近頃では、木製の掲示板はあまり残っていません。とても貴重です。

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こちらは、湊地域の公園に設置された公衆電話です。丸屋根に照明がついていて、電話の設置された台にはドアが取りつけられています。 最近では、公衆電話を見かけることも減りましたね。外観は懐かしい感じがしますが、中の電話機は、比較的新しいものです。

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中央区内の各地域で見られる、石造りの防火用水桶です。防火用水桶は、家の玄関前に置かれていることが多いです。その昔は、非常時に備えて、ここに水を溜めておきました。

「空襲で火の粉が飛んでくると、火事にならないように、桶から水をくんで家にかけたんですよ」と、地域の方が話してくださいました。

※ 今回出会った防火用水桶には、個人のお名前が入っていましたので、イラストでご紹介いたします。ご了承くださいませ。


ret17m.jpg♪ おしゃれなオブジェ

日本橋箱崎地域のテラスに建つ、時計台です。

てっぺんに、かわいいオブジェがのっています。ヘリコプターに、ちいさな子供が乗っているんですね。

こちらは、平成13年、営団地下鉄半蔵門線の工事が行われた際に、住民のみなさんの希望が叶えられ、隅田川テラスが拡張、整備された記念に建てられた時計台だそうです。


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♪ 地域のみなさんの花

中央区の昔からの風景として、軒先に並べられたたくさんの鉢植えを見ることができます。

民家が密集し、緑の少ない地域などでは、少しでも草花を身近に感じたいと、鉢植えを置く習慣ができたそうです。また、このような鉢植えに加え、町会で育てている花壇も見ることができます。

きれいに花が咲いているのを見ると、そこに人の笑顔があるような気がして、歩いている私たちも自然と楽しい気持ちになってきます。中央区の歩道って、おもしろいですね!

中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん

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第34号 平成31年1月29日

 

 
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