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【予告】明日からの "渡部真由美さん作品展"   ~ 日本橋木屋本店 izutuki ~

[rosemary sea] 2019年3月 3日 14:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をニフティーに取材します、rosemary seaです。

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老舗刃物店の日本橋木屋本店さん、併設されたギャラリー izutuki  では明日3月4日(月)から3月27日(水)まで、渡部真由美(わたなべ まゆみ)さん作品展を開催の予定です。

こちらはギャラリー izutuki の開設5周年記念のイベントとなっております。

今回は予告としてご紹介させていただきますが、今月中旬頃に改めて作品展の様子をご紹介します。

 

株式会社木屋 日本橋本店 金子店長にお世話になりました。

それではご紹介です。

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渡部真由美さんは・・・

版画家。イタリア在住。

1972年、埼玉県浦和市(現在のさいたま市)生まれ。

1993年、嵯峨美術短期大学 絵画Ⅱ科(油絵科)卒業。

1996年、油絵の自己のスタイル確立を志しイタリアへ渡り、ヴェネツィア・アカデミア芸術学院入学。

1998年、アトリエ・アペルト版画工房にて版画の伝統的な技法を学び、現在も同工房にて版画制作を続けています。

作風としましては、シン・コレ(chine collēe)という技法スタイルです。

シン・コレ・・・直訳:紙を貼る

刷りの過程で薄い紙を台紙に貼り付ける技法。

 

作品 235mm × 150mm 22,680円(税込) より

   350mm × 1000mm 151,200円(税込)

    額縁抜きの価格です。

   これに額縁がつきます。

10数点ほどが飾られる予定です。

 

IMG_20181207_125812_1 (2)a.jpg渡部真由美さんの今後の個展は・・・

4月6日より  イタリア マテーラの「ギャラリースペース Anna」にて、

6月1日より  同じくイタリア ヴェネツィアの「Kokonton ギャラリー」にて、

開催されます。

貴重な日本開催の作品展、ぜひご覧になってください。

また、渡部さんの版画作品をお買い求めいただけるチャンスです。・・・

日本橋 木屋

日本橋2-2-1 COREDO室町1 1階

東京メトロ半蔵門線・銀座線 三越前駅 A6出口すぐ

03-3241-0110

営業時間  10:00~20:00

元日を除き休まず営業です。

木屋さんのホームページはこちら

⇒ http://www.kiya-hamono.co.jp/

 

 

 

春の黄色

[小猿] 2019年3月 2日 18:00

第11回の中央区観光検定試験からはや2週間、悲喜こもごもの皆さんのブログ、身につまされます。私も勉強したつもりが、、、つもりではいけないと思い知らされましたそれでも春は巡ってくるのですね。ボーっと生きていた頭に目ざめるような黄色が映りました。日本橋三越の入口がすっかり春になっています。

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春のファッションキャンペーン「花々祭」で、3月26日まで店内が黄色い花で彩られています。

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3月8日は国際女性デー。イタリアでは「ミモザの日」と呼ばれ、男性が女性へ日頃の感謝を込めてミモザを手渡すそうです。これにちなんでフランス人アーティストのフィリップワイズベッカー氏がデザインしたミモザの花が今年のメインビジュアルに3月8日(金)、9日(土)には三越各店で、「アイシングクッキー・プレゼントキャンペーン」も行われます。

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こちらは浜離宮の一面の菜の花です。昨年10月23日に種まきした畑にいっぱいの花が咲いて、立ち並ぶ高層ビル群の一角にも春が訪れていました。

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花々祭2019  2月20日(水)~3月26日(火) 本館・新館 

浜離宮恩寵庭園 菜の花の見ごろは4月上旬まで。  

 

 

「銀座松屋」に 設楽悠太選手が。

[kimitaku] 2019年3月 1日 12:00

銀座二丁目から三丁目に向かっての中央通りには

Cartier Gucci Chanel Tiffany Dior など世界の高級店が並んでいます。

夕方になるとウインドウは美しく彩られ・さすが銀座・の装い。

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 そのまま三丁目を歩くと 銀座松屋デパートの壁一面に

昨年の「東京マラソン」で日本新記録を出した

「設楽悠太」選手の巨大なシルエット(ゴールシーン)が掲げられていました。

・・・「きみも常識を打ち破ろう」との文字も鮮やかに。・・・

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双子の設楽兄弟(兄は啓太選手)は小さい時からランナーとして懸命に努力を重ね

弟の悠太選手が今回の東京マラソン新記録(二時間六分十一秒)を打ち立てました。

二人は小さい時から男衾(おぶすま)小学校中学校で他の生徒と一緒にランナー目指して頑張りました。

*男衾中学校からは箱根駅伝選手が15人も出ているそうです*(不肖特派員の私も卒業生です)*

夕暮れどき 銀座二丁目から歩きながら、

世界的のファッションと設楽選手の雄姿をご覧ください。

・・・今年の東京マラソンももうすぐです。・・・

「銀座松屋」百貨店(℡03-3567-1111)には、地下鉄銀座駅から徒歩五分です。

 

 

小伝馬町の無添加ドーナツ屋さん ハリッツで限定ドリンク

[柴犬] 2019年2月28日 12:00


小伝馬町の駅からすぐのところに、ハリッツというカフェがあります。焼きたての無添加ドーナツやサンドイッチ、コーヒーをいただけるお店で、元は代々木上原にある人気店です。小伝馬町店は昨年オープンしました。このお店でとにかくおすすめなのが


E78C7496-E4AD-450B-B594-E40576319DE8.jpg季節ごとの限定ドリンク!


画像は前シリーズのミントチョコで、さっぱりしていて美味しいのはもちろんのこと、色が混じり合っていく様をゆっくり見られる癒しのドリンクでした。現在はこちら↓


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ローズショコラです。薔薇の味がしっかりついていて、甘すぎず春を思わせてくれる優しいお味です。


美しく独創的で体に良い限定ドリンクにはファンも多く、次回のシリーズが何になるかとても楽しみです。


ドーナツの種類も豊富でご飯系のサンドイッチも充実しており、お値段も手頃です。店内は落ち着いていて、トイレも広くて綺麗です(重要!)。


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ハリ通というフリーペーパーがありそちらもとても面白い内容となっております。


公式サイトはこちら→ haritts donuts & coffee



[火~土曜] 9:30~17:30(当分の間) 
[定休日]日曜・月曜
中央区日本橋大伝馬町9-2 ブラントン大伝馬町1階


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小伝馬町・横山町界隈は、馬喰町に続き美味しいカフェや待望のパン屋さんが次々にオープンしています。問屋祭りやハリオグラスのファミリーセールなどイベントごとも多い地域ですので、いらした際にはぜひカフェ散策などなさってはいかがでしょうか。お待ちしております!


 

 

楓川跡を歩く!

[株式会社 彦晴] 2019年2月28日 10:00

今回の企画も昔中央区に実在した河川跡を歩いてみようというものです。

楓川は徳川家康が江戸入りした天正18(1590)年当時の海岸線であったと言われています。

その後、江戸城築城のための建設残土等を楓川の沖合に埋め立て八丁堀地区を造成したのです。楓川は昭和35年に埋め立てられ現在では首都高速道路に生まれ変わっています。

楓川には日本橋川から兜橋 海運橋 千代田橋 新場橋 久安橋 宝橋 松幡橋 弾正橋が架かっていました。残念ながら兜橋と開運橋は廃止となりましたが、他の橋は現存しているので比較的に馴染みやすい河川跡と言えるのではないでしょうか?

日本橋川の分流点(兜橋跡)付近からスタートして桜川・京橋川合流地点前の弾正橋を目指します。

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楓川右岸には兜神社があります。社の上には江戸橋ジャンクションとなってました。

有名な兜岩も写真に収めておきました。かつてこの兜神社の右隣には渋沢栄一邸がありました。この付近には、東京証券取引所、郵便発祥の地(日本橋郵便局)などがあり見所ころ満載の地区でした。

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そろそろ下流方面へ、江戸・もみじ通りを進もうかと思い何気なく道路標識を写真に撮った時にその背景に入ってきたビルに見覚えがあることに気付き、ビル名をチェックしてみると「日本橋ダイヤビルディング」となっているのにびっくりした。東京都歴史的建造物に指定されている「日本橋ダイヤビルディング」(旧三菱倉庫江戸橋倉庫ビル)だった。考えてみれば江戸橋は目と鼻の先であり当たり前と言えば当たり前なのですが、私的には位置関係がはっきりしたよい発見でありました。

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それでは、江戸・もみじ通りを海運橋方面へ進みましょう。

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海運橋には親柱2本と説明板が立ってました。

「紀元二千五百三十五年六月造」文字が確認できます。

また、海運橋の先には、銀行発祥の地(みずほ銀行兜町支店)があります。

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みずほ銀行の壁面には「兜町歴史地図」なるものがあり、近隣ガイドになっていました。

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そして、永代通りと交差するのは千代田橋です。昭和3年に新たに仮設された千代田橋は側面から見ると橋台、桁が現存しているのが確認できます。親柱、袖柱、袖高欄が残っています。

"ぷぉーん ぷぉーん ぷぉーん"

楓川左岸を下流に進もうした時、雅楽の独特の音色が耳に入ってきたのです。

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なんだー?今日は2月22日初午祭か?いや今年の初午は2月2日だし・・・

大原稲荷神社では初午祭が執り行われていました。旧暦で二午が2月22日となりますが、どうして2月22日なのかは、よくわかりませんでしたが神官による祝詞の奏上などをみて、江戸時代よりこの楓川近隣の町内の安全、家業隆盛などを祈願してきたんだなと思いました。こんな古き良き慣習、しきたりを次世代に、いや未来永劫、大切に伝えていきたいものだなと感じました。

中央警察署を左手に楓川跡を下流に進みます。この中央警察署の片隅に「東京都立紅葉川高等学校 跡地」説明石碑があります。日本橋消防署、坂本町公園、坂本小学校を左手に楓川跡を下流に進みます。

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次の新場橋は工事中で車両通行止めとなってましたが、人は歩道部分を自由に往来できます。この河岸に新しい魚市場が設立され、新肴場から新場となったそうです。

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そして、八重洲通りと交差するのは、久安橋です。もともと松平越中守邸宅の前に位置していたため、それにちなんで越中橋とも呼ばれいたそうです。明治維新後、東京府によって久安橋と改められました。橋詰広場は楓川久安橋公園として整備されています。近隣サラリーマンらしき人達が休憩したり、喫煙スペースにて一服している光景が目に入ってきます。

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次の橋は宝橋です。宝橋上流右岸には、宝地蔵尊があります。この地蔵尊は戦後楓川に落ちて亡くなった児童の供養のために立てられたとのことです。橋名の由来は「京橋区宝町」からきています。

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そして松幡橋です。宝橋、松幡橋、弾正橋は上も下も高速道路が走ってます。

松幡橋は、なんか圧迫感がありますよね。それから橋名の由来ですが、高代町(八丁堀側)と本木材町(京橋川)へ架かる橋でしたが隣町の松屋町(八丁堀側)と隣町の因幡町(京橋川)から一文字ずつ取って松幡橋としたそうです。古くは松屋橋とも言われてました。

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そして、この街歩き終点弾正橋を目指します。左の写真は松幡橋から弾正橋を撮った写真です。鍜治橋通りと交差するのが弾正橋です。弾正橋の橋詰広場も楓川弾正橋公園として整備されていました。

現在の弾正橋は元の弾正橋より、やや上流に大正15年に架橋されました。そのため、暫くの間弾正橋が2つ実在し、この橋に対して下流の橋を元弾正橋と呼びました。

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なんと、そこに元弾正橋のミニチュアのレプリカが展示してありました。

弾正橋は過去に何回も来てましたが、お恥ずかしことにこのレプリカの存在を今日まで知りませんでした。菊の御紋までも忠実に再現されていました。

こんなことでは、いけない・・・

それでは、やはり本物を見に行こうと思い江東区まで遠征することにしました。

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江東区の富岡八幡宮の裏手にあり、公園として整備されていました。

元弾正橋は日本最古の鉄を主材料とした鉄橋であり、国の重要文化財にも、指定されています。現在の橋名を八幡橋と言います。

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天気も良かったのですが、見学しているのは私一人だけでした。

今回の街歩きを一言で言うと江戸時代、楓川は日本橋川と桜川・京橋川を結ぶ物流の要として発達し、河川の周りには人々が住み町ができて、商家、神社ができ発展し、明治時代になっても、銀行、郵便局などがいち早く建ち、経済の中心地区であったが、戦後の自動車の発達によりやがて水路も高速道路建設のため姿を消してしまったということであろうか。そんな現代でも、古き良き慣習を再発見できたのはとてもよかった。

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それでは、最後に新場橋から撮った写真でこの街歩きを終了することにします。

左:楓川の護岸跡らしき石積

右:新場橋から見た日本橋ダイヤビルディング



 

 

知れば知るほど面白い!江戸時代に大流行した富くじとは

[Hanes] 2019年2月27日 12:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日、2月24日(日)まで貨幣博物館にて開催されていた企画展 江戸の宝くじ「富」-一攫千金、庶民の夢-へ行ってきました。
内部は撮影禁止のため写真は掲載できませんが、
展示物が気になる方は、上記のリンク先よりご確認ください。

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さて、中央区観光検定を受験された方にはおなじみの富くじですが、
どのようなものだったのか、『歩いてわかる中央区ものしり百科』をもとに確認してみましょう

■江戸の富くじ興行とは
宝永年間(1704~1711)に大流行
・目的は、神社仏閣の改修費用にすること
・1842年、水野忠邦による改革で禁止された

「富くじ」というだけあって、宝くじのような賭け事なのではと漠然と思っており、
それ以上深掘りすることはありませんでしたが、
今回の企画展を見たのを機に、気になったことをはじめ少し調べてみました

■「へ」組がなかった!?
今回の展示物の一つに、「富番数控帳」というものがありました。
こちらは、1862年に相模国足柄上郡谷ヶ村(やがむら)で開催された富くじ興行にて
発行された富札の組名と番号を控えた帳簿です

解説には、「いろは順に『い』から『る』(『へ』を欠く)の10組で、各組100枚・合計1,000枚の富札が発行された」と書かれており、
「なぜ『へ』を欠くのだろう?」と気になりました。
その際にまず思いついたのが、以前ご紹介した江戸町火消の組。
こちらではへ・ら・ひ・ん組がなく、順に「屁」に通じる、隠語、「火」に通じる、語呂が悪いといった理由から
それらの組はなかったと言われています。

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この件について、文献にこれといった記述は見つかりませんでしたが、
参考文献(記事の最後に掲載)に、「松竹梅や鶴亀、七福神などの吉字が組の印(札印)に充てられている」(p. 340)といった解説はありました。
よって、町火消の組と同様の連想によりおめでたく聞こえないことから、
「へ」は省かれたのかもしれませんね(※あくまでも私の推測です。)

■実はワールドワイド!?
参考文献に、「『富くじ』は都市型賭博の一形態として、すでにヨーロッパでは中世から近世にかけて行われていた。一五二一年にドイツのオスナブリュックで町営の『富くじ』が発売され、一五三〇年にイタリアのローレンスで売られた『富くじ』には賞金がついていたと言われる」(p. 59)と書かれています。
(本来の引用元:『夢は世につれ・・・・・・富くじ三〇年のあゆみ』(第一勧業銀行宝くじ部、1975年)、p. 10)

世界史では、ルターの宗教改革の少し前に、メディチ家出身の教皇レオ10世が、
サン=ピエトロ大聖堂の改築資金を調達するため、贖宥状(免罪符)を販売したと習いました
改築資金の調達のためという点では富くじと似ていますが、
贖宥状は、「買うと現世の罪が贖われ、天国にいける」というように
より宗教色が強いという点で富くじとは異なります

しかし、日本の「富くじ」に相当するものがヨーロッパに存在していたことは
今回初めて知ることになり、どのような方法で行われていたのか、
江戸同様に何らかのタイミングで禁止されたのかといったことも気になりました!
ここでは詳しく書きませんが、気になった方はぜひ図書館へ

■富塚の碑を訪ねて
日本橋堀留町にある椙森神社には、かつて盛大に行われた富くじ興行を記念した「富塚の碑」があります。
今日見られる碑は、関東大震災後再建されたもので、区民有形民俗文化財に登録されています

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宝くじ購入の際は、こちらで当選祈願をする方もいらっしゃるそうです。
一攫千金を夢見るのは、江戸時代も今も変わらないようです

〈余談〉春の訪れ
椙森神社を訪れた際、手水舎に先客がいました!
それが、可愛い2羽のメジロ

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綺麗な色の羽をふるわせて水浴びをし、水を飲んでいました。
春はもうそこまで来ているようですね

【参考文献】
滝口正哉『江戸の社会と御免富ー富くじ・寺社・庶民ー』(岩田書院、2009年)

 

 
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