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◆ 京橋物語2~明治の凱旋門

[隅田の花火] 2019年2月 6日 18:00

京橋物語。前回からの続きです(前回はこちら→【京橋物語①】)。

  

銀座から見た京橋の街です。この2つの街の境にはかつて京橋川が流れ、その上に京橋が架かっていました。明治・大正時代に架けられた橋の親柱が史跡として残されていますが、現在の街並みからその時代を想像するのは、もはや難しい状況となっています。

s_hanabi_69-1.jpgですが、銀座から望む京橋の街は、かつては絵になる風景として知れ渡っていました。どんな街だったのか。どのように街並みが作られていったのか。絵葉書を使い、何回かに分けてご紹介していきたいと思います。

 

一枚の写真からお話を始めることに致します。

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写真提供:中央区立京橋図書館

京橋川に架かる『京橋』を銀座側から見ています。時は明治28(1895)年、京橋の街通りは『南伝馬町』という町名で、橋の南伝馬町側には一時的に巨大な門が立っていました。これは日清戦争の時に建てられた凱旋門。出征した兵士を出迎えるため、全国各地にいろいろな形をした凱旋門が建てられたのだそうです。

一方の『京橋』。創架は江戸時代初期と言われますが、この時代の橋は明治8(1875)年、九州肥後の名石工・橋本勘五郎によって、木製から石造りに架け替えられたものです。見事なアーチを描くこの橋の親柱は、京橋の伝統的な擬宝珠の意匠を持っていました。

 

京橋はその後、明治34(1901)年に鉄橋に架け替わります。親柱や欄干は先代の石橋のものが転用されたと言われ、アーチの側面には中の構造が見えないように覆いが被さり、模様が施されていました。

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左の和風の門は明治38(1905)年頃、日露戦争の時に建てられた京橋凱旋門。凱旋門のある方が銀座側です。橋の上には路面電車が走り、京橋川には米俵を運ぶ小舟が浮かんでいます。

 

これは絵葉書です。絵葉書は明治33(1900)年に私製のものが許可されると、その後の日露戦争の戦勝ムードに乗って、大流行しました。この頃はまだラジオが無い時代で、各地に情報を伝える手段として絵葉書は重要な役割を果たしたのです。そしてその情報は、20世紀初期の貴重な史料という形で、時を隔てた現在にも届けられているというわけです。

 

銀座通りの絵葉書には、よく路面電車が写っています。京橋を鉄製に架け替えた後に、路面電車が通り始めたのが明治36(1903)年ですので、絵葉書は鉄製の京橋、そして銀座通りの路面電車の歴史と同じような時期に始まりました。

 

こちらは、南伝馬町から凱旋門の中の銀座通りを眺めたもの。万国旗がたなびく中、花電車が走り、橋の上には民衆が押し寄せています。歴史の教科書では学べない、当時の空気感が味わえるのも絵葉書の魅力です。

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絵葉書の魅力はまだあります。たまに、面白い物が写っていることです。こちらは、銀座から南伝馬町を眺めた絵葉書。右端にガス灯のようなものが写り、左下には電話ボックスが写っています。

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電話ボックスについては、以前に特派員のHanesさんがレポートされた記事で初めて知りました。是非こちらをご覧になってください。

    京橋にあった!日本初の街頭公衆電話 →こちら

 

因みにこの絵葉書は「手彩色絵葉書」と呼ばれるもので、一枚一枚に彩色師が色をつけたもの。その人の好みの色で塗られていることがあるので、本当の色であったかどうかはわかりません。

 

電話ボックスの右上の遠くに目を凝らすと、時計台が写っているのがわかります。これは南伝馬町の小林時計店。小林時計店は、八官町(今の銀座八丁目)に建てた大時計台が有名で、この南伝馬町の支店にも時計台を建てていました。あの服部時計店の創業者・服部金太郎は、この小林時計店の繁盛ぶりを見て、時計商になろうと決意したのだそうです。

 

下の絵葉書はおそらく明治末期の南伝馬町の風景。橋の向こう側には南伝馬町のビアホールがあり、一番右には「きやうはし」と書かれた京橋の親柱、そしてガス灯のようなものが写っています。

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現在の京橋跡には、「きやうはし」と「京橋」と彫られた2基の親柱が残されていますが、当時、実際に設置されていた場所はご覧のように、「きやうはし」は銀座側から見て手前右側、「京橋」は南伝馬町側から見て手前右側でした。

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因みに、もう2つあるはずの親柱について、過去の写真を調べてみたところ、1つは明治34年の架橋年月、もう1つは何か文字が彫られているようですが、解読できませんでした。

 

このあと、『大正』の時代に入っていきます。大正2・3(1913・4)年の頃と思われるこの写真。南伝馬町から銀座方面を写したものです。右側の建物は日就社。現在の読売新聞社がここにありました。

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日就社は、明治末期に時計台を立てていたものの、数年で取り外してしまいました。銀座の街は明治時代、新聞社が多数集まっていた場所で、情報の集積地でもあったのです。

 

一方の南伝馬町側には大正3(1914)年、日就社の橋の対角線上に『豊国銀行京橋支店』のビルが出来上がります。現在のLIXILの入るビルが建っている辺りです。

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絵葉書のデザインは、おそらく円形ドームの塔屋から見えた景色でしょう。大正時代に入ってこのビルができて以降、南伝馬町の街は急激なスピードで花開くことになるのです。

 

翌年の大正4(1915)年の京橋ですが、南伝馬町側に奉祝門、銀座側には奉祝塔が立っています。京橋をはじめとする主要な橋には、何か大きなお祝い事があると、こういうものが建てられました。

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これは11月に大正天皇の御大典(即位の礼と大嘗祭)が行われた時の絵葉書。スタンプに描かれているのは、皇位継承時の即位の礼で用いられる、八角形の高御座(たかみくら)です。現在の高御座はこの大正天皇の時に再現されたものだそうで、今年もこれが使われます。

 

違う角度から南伝馬町を見てみると、通りの右側に豊国銀行が写り、その向かいには新たな建物の建設が始まっています。

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これは、翌年の大正5(1916)年に竣工した大同生命保険東京支店の建物。『大同生命ビル』と呼ばれ、豊国銀行と同じような円形のドーム屋根を持っていました。このあと大正ロマンの雰囲気を醸し出す、南伝馬町の顔となる建物になっていきます。現在の場所で言うと、東京スクエアガーデンの地階にある、中央エフエムの上辺りです。

s_hanabi_69-12.jpg写真提供:中央区立京橋図書館

大正5(1916)年頃でしょうか。この大同生命ビルから眺めた橋、そして銀座の街並みです。

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背の高いビルが建ち始めた南伝馬町。銀座の街を高い場所から俯瞰できるようになり、これからこういう写真が現れるようになってきます。大正時代の南伝馬町はこうやって開幕したのでした。

つづく。

 

 

 

築地のおすそわけ 銀座店で美味しい魚ランチ

[JRTフェルト] 2019年2月 4日 12:00

お昼前後、銀座一丁目付近を歩いていると、ふと、不思議な店名のお店を発見しました。

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看板には「つきすそ」と書かれていますが、つきすそ? そすきつ? ??
メニューを見ると、お魚を中心としたお店のようですが、興味津々、さっそく入って見ました。


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入口のドアを開けると、地下に繋がる階段が。少し急ですが、手すりもついていて問題ありません。


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壁一面に手書きのメニューが貼りだされていました。期待感が高まります。
「いらっしゃいませ」と元気な声で迎えてくださいました。厨房も給仕の方も男性オンリーです。


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店内は厨房を囲むようにカウンター席があり、13~14名座れます。


場所を分けて、小さな掘りごたつ式の個室もありました。こちらいは10名までOKという広さです。


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今日のランチメニューの中から、「銀だらの煮付け定食」(1,000円税込)をチョイス。
手際よくお膳に準備され、運ばれてきました!


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メインの煮付けに加え、小鉢に、マグロの切り身、揚げ豆腐とちくわの煮物、そして漬物とお味噌汁。
煮付けは、味付けが絶妙で、とても美味しい!


こちらのお店、明治元年創業の豊洲仲卸『尾辰商店』が母体で、2018年10月下旬にオープンしたばかり。
看板の「つきすそ」は、店名『築地のおすそわけ』からきていたんですね。

さすが、お魚の質の良さが伝わるお味でした。


ランチメニューは、お刺身定食や、サバ干物定食、伴助ほっけ干物定食などの魚料理だけでなく、桜姫とり唐定食などもあります。
ランチのご飯はお代わりOKで、「お代わりお願いします」とお客様の声が聞こえます。


お店のFacebookには、仕入れ状やメニューに関する情報がアップされているのも嬉しいですね。
https://www.facebook.com/つきすそ銀座店-2183838465223309/


私が入店した時には空席もありましたが、食べ終わる頃には満席!
人気店であるのも納得です。


銀座一丁目にお越しの際には、是非、美味しいお魚をご賞味ください。


【お店について】 
店名;築地のおすそわけ 銀座店
住所;中央区銀座1丁目4-6 第一ナスダビルB1F
場所;有楽町線銀座一丁目駅 3番出口より徒歩1分、JR有楽町駅 京橋口より徒歩3分
電話;03-6263-0278
営業;月~土、祝前日11時~14時、16時~22時 
https://www.facebook.com/つきすそ銀座店-2183838465223309/

 

 

木村新 風景画展〔ギャラリー銀座〕

[ジミニー☆クリケット] 2019年2月 4日 09:00

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銀座2丁目の画廊、「ギャラリー銀座」で開催されている木村新氏による風景画展です

テーマは、「光・感動・やすらぎ」、開催期間は、1月26日)から2月7日)までです芸術

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時間は、午前10時から午後6時30分までですが、最終日午後5時までとなりますので、ご注意ください

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木村さん同ギャラリーでの作品展については、昨年3月にこのブログで紹介させていただきました

前回の時に教えていただいた木村さんのこだわり、「下地から完成まですべてを「現場」で描く」は、今も続けておられるとのこと

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におおわれた、いかにも寒そうな冬景色は、まさに木村さんがその現場で描かれたからこそ、そこの空気感まで写し込んでいるのでしょう

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日本の四季の美しさ早春のぬくもり新緑の瑞々しさ夕暮れの叙情晩秋の寂しさすべて絵の中に取り込んでしまう力に感服します

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樹木の小枝の一本までゆるがせにしない木村さん緻密な筆遣いから、作品との真摯な向き合い方が感じられ、本当に気持ちよく鑑賞させていただくことができました

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会場は、ギャラリー銀座1階2階両方です

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なお、今回も、ギャラリー内での写真撮影については、ご了解をいただき、うかがった折に在廊しておられた木村さんから、作品の題名に関する由来など、貴重なお話をお聞きすることができました

ありがとうございます

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昨年3月にギャラリーで開催された作品展を紹介したブログ記事はこちら ⇒

/archive/2018/03/post-5022.html

ギャラリー銀座のHPはこちら ⇒

https://www.gallery-ginza.com/

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芸術芸術芸術

 

 

中央区の歩道っておもしろい!24【レトロなものたち編】

[湊っ子ちゃん] 2019年2月 2日 09:00

こんにちは、湊っ子ちゃんです。

歩道には、さまざまな公共のものが存在します。町の案内板や、記念碑はもちろんのこと、ちょっと見上げれば、標識や信号、カーブミラーなど歩行者の安全を守ってくれるもの、また足元に目をやれば、マンホールの模様や舗装タイルに描かれた絵などが、私たちの目を引いて楽しませてくれます。

今日は、そんな中でも、懐かしいタッチのイラストや、珍しい造形をたたえたレトロなものたちを集めてみました。

♪ 案内板のいろいろ

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佃仲通りの歩道上でみつけた、観光案内板です。手書きの絵と文字は、見ているだけで楽しくなってきますね!「佃・月島散策マップ」と題して、ここでは、佃島が佃煮発祥の地であることや、リバーシティ21、石川島燈台跡などの紹介、また、もんじゃストリート、月島観音、ちょっと足を伸ばして、勝どき橋の案内などをしています。

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こちらは、隅田川テラス。佃大橋ちかくの、歩道上の壁に設置されたパネルです。魚や野鳥など、テラスに集まる生き物の紹介や、昭和30年代に悪化した水質が、どのように改善されたかなどをグラフを用いて説明しています。グラフの部分は、開閉式になっています。

♪ 歩道の花壇

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歩道上の花壇に「区の花つつじ」と書かれた緑のプレートが立っています。区で設置した様子です。今はあまり見かけないプレートですので、一昔前のものかもしれませんね。同じタイプで、右は「区の木やなぎ」です。

♪ 注意書きのあれこれ

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銀座の並木通りでみつけた、ポイすて禁止のマークです。こちらは、歩道の舗装の中に埋め込まれています。現在、中央区内の歩道でみかけるマークとデザインが違うので、一昔前のものかもしれません。

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歩道上の柱や、コンクリート塀によく設置されている、犬のマナー呼びかけのプレートです。「散歩のときはつないでください」「犬の糞きちんと持って帰りましょう」ということが書かれています。

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ちょっと見えづらいですが、こちらはシャープな絵のタッチで、「犬はつないで飼いましょう」ということ、そして「登録と予防注射も忘れずに」と呼びかけをしています。

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佃公園に設置されている、ボール遊び禁止の看板です。懐かしい感じのイラストがいいですね!

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隅田川テラス、防護柵に設置された注意書きです。テラス利用者へのお願いとして、犬の散歩上の注意や、植込みに立ち入らないこと、ゴミは捨てないことなどが書かれています。犬のイラストがかわいいです。

♪ 水道のいろいろ

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湊地域の公園に設置された、水道です。切り株のかたち、メルヘンですね。水を飲むときに子供が乗る台も、小さな切り株になっています。鉄柵の部分は、木の模様になっていて、なかなか凝っています。こういった心配りのあるデザインは、時が経っても色褪せませんね。

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佃堀ちかくの水道です。鉄柵部分が、鳩の模様になっています。

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佃地域の公園内に設置された水道です。鉢植えのような形をしていますね。「節水にご協力ください 中央区」というプレートがついています。年季が入っています。

♪ 渋いものたち

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新大橋通り沿いでみつけた井戸です。メーカーは特定できませんでしたが、中央区内の各地でさまざまな井戸をみつけることができます。井戸にはトレードマークと番号が入っていますが、種類は実に多いので、見比べてみるのもおもしろいです。

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月島地域でみつけた、歩道上の掲示板です。掲示部分は緑色の板、庇も木造です。近頃では、木製の掲示板はあまり残っていません。とても貴重です。

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こちらは、湊地域の公園に設置された公衆電話です。丸屋根に照明がついていて、電話の設置された台にはドアが取りつけられています。 最近では、公衆電話を見かけることも減りましたね。外観は懐かしい感じがしますが、中の電話機は、比較的新しいものです。

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中央区内の各地域で見られる、石造りの防火用水桶です。防火用水桶は、家の玄関前に置かれていることが多いです。その昔は、非常時に備えて、ここに水を溜めておきました。

「空襲で火の粉が飛んでくると、火事にならないように、桶から水をくんで家にかけたんですよ」と、地域の方が話してくださいました。

※ 今回出会った防火用水桶には、個人のお名前が入っていましたので、イラストでご紹介いたします。ご了承くださいませ。


ret17m.jpg♪ おしゃれなオブジェ

日本橋箱崎地域のテラスに建つ、時計台です。

てっぺんに、かわいいオブジェがのっています。ヘリコプターに、ちいさな子供が乗っているんですね。

こちらは、平成13年、営団地下鉄半蔵門線の工事が行われた際に、住民のみなさんの希望が叶えられ、隅田川テラスが拡張、整備された記念に建てられた時計台だそうです。


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♪ 地域のみなさんの花

中央区の昔からの風景として、軒先に並べられたたくさんの鉢植えを見ることができます。

民家が密集し、緑の少ない地域などでは、少しでも草花を身近に感じたいと、鉢植えを置く習慣ができたそうです。また、このような鉢植えに加え、町会で育てている花壇も見ることができます。

きれいに花が咲いているのを見ると、そこに人の笑顔があるような気がして、歩いている私たちも自然と楽しい気持ちになってきます。中央区の歩道って、おもしろいですね!

中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん

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第34号 平成31年1月29日

 

 

2月下旬-3月中旬開催 セミナーのご紹介  ~ 白鶴 銀座スタイル ~

[rosemary sea] 2019年2月 1日 18:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をダイレクトに取材します、rosemary seaです。

白鶴 銀座スタイル(HAKUTSURU GINZA STYLE)さん、いままでもご説明させていただきましたとおり、ここ銀座から日本酒のあるライフスタイルを発信することを目的として設けられました。

2006年以降、主に日本酒に関する様々なセミナーを開催されています。

教室がイメージできます過去記事、「セミナー教室はこのようになっております」はこちらです。

⇒ /archive/2017/05/post-4353.html

白鶴酒造株式会社 白鶴 銀座スタイル 福本さんに、今回もお世話になりました。

今回は現在募集中の2月下旬-3月中旬セミナーを2つご紹介します。

それでは・・・

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<昼夜選べる2回開催セミナー>

話題の甘酒の魅力に迫る!

2月21日(木)開催

   講師:白鶴酒造 商品開発本部 萩原千耶(はぎはらちや)さん

   参加料:昼の部 2,000円(甘酒・デザート・紅茶・お土産付き)

    昼の部ではお酒のご提供はございません。

       夜の部 4,000円(甘酒・日本酒・お弁当・お土産付き)

   時間:昼の部 14:00~15:30

      夜の部 18:45~20:15

   応募締切:2月6日(水)

原料の酒粕や麹の効能から『飲む点滴』とも呼ばれています、甘酒。

その甘酒の秘密に迫ります。

さまざまな種類の甘酒の違いを学べる飲み比べ体験ができます。

また、甘酒を使ったドリンクやデザートのレシピのご紹介もございます。

昼の部、夜の部、の選べる2回開催です。

昼の部では、甘酒デザートの試食が楽しめ、夜の部では、季節のお弁当とともに日本酒も堪能できます。

なお、昼の部では事前連絡で未就学児童の同伴が可能となります。

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白鶴研究室長が語る、最先端の日本酒造り

3月14日(木)開催

   講師:白鶴酒造 研究室長 明石貴裕(あかし たかひろ)さん

   参加料:5,000円(お弁当・お酒・お土産付き)

   時間:18:45~20:15

   応募締切:2月27日(水)

白鶴さんの研究室長自らによるセミナー開催です。

最先端の醸造研究や技術開発について、わかりやすく丁寧に解説されます。

研究室の様子や苦労話など、なかなか聞くことのできない裏話もたっぷりご披露。

自慢の日本酒を、季節のお弁当とともに堪能できます。

普段知ることのできない日本酒の奥深い世界を極めてみませんか?

 応募者多数の場合は抽選となります。

(どのセミナーも人気です。抽選になる確率が高くなっております。)

詳しくは文末に示しましたホームページをご覧ください。

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白鶴 銀座スタイル

(HAKUTSURU GINZA STYLE)

銀座5-12-5 白鶴ビルディング7階

歌舞伎座の信号角、向かい側のビルです。

【お問い合わせ】

電話 03-3543-0776

9:00~12:00 ・ 13:00~17:00

(土日祝除く)

詳細・セミナー応募先はこちら

⇒ http://www.hakutsuru.co.jp/g-style/

 

 

◆ 京橋物語1~銀座から見える曲がり角

[隅田の花火] 2019年1月31日 12:00

今日は銀座シックスの屋上に来てみました。

 

銀座通りの人混みを歩いたあと、ここに来てみると少し心が落ち着きます。屋上をゆったりと周遊して、東京タワーやスカイツリーを探してみるのも良いものです。でも眺めてみたいものは他にもあります。それは銀座の街並みです。その中でも一番なのは、4丁目交差点方面ではないでしょうか。

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和光の時計台は、実に良いです。ですが銀座の街は、思ったよりゴチャゴチャしているんだなぁ、という印象です。 

 

銀座シックスが建つ前、この場所にあったのは松坂屋銀座店。その松坂屋からの戦前の風景は、このような感じでした(昭和8(1933)年頃)。

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今と比べればスッキリとした、関東大震災から約10年後の銀座です。4丁目交差点に建つ和光はこの当時、服部時計店と言いました。右の向かいにあるのが銀座三越、服部時計店の向こうに見えるのが教文館です。

 

歴史を調べてみたところ、この3つが建てられたのは、以下の年でした。

    昭和5(1930)年・銀座三越 

    昭和7(1932)年・服部時計店

    昭和8(1933)年・教文館

もし過去に向かって少しずつ遡ることができれば、新しい順に建物が無くなっていくはずです。今回は少し趣向を変え、過去にタイムスリップして、銀座通りの時間旅行にご案内してみたいと思います。

 

まず、少しだけ遡ってみたのですが、無くなったビルがあります。分かりますでしょうか。

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歴史のとおり、教文館が無くなりました。服部時計店は建っているので、教文館が建つ前年の、昭和7(1932)年頃の風景です。

 

教文館の設計者はアントニン・レーモンド。銀座の街には、彼が設計した建物がいくつか建ちましたが、今いる松坂屋も彼の設計の時代があったそうです。

一方の服部時計店。この時計塔は2代目で、初代の時計塔が建ったのは明治27(1894)年でした。改築のために初代が取り壊された後に関東大震災に遭い、震災から9年後にこの2代目が建ったというわけです。

 

さらに遡ってみます。昭和4(1929)年頃の4丁目交差点です。

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服部時計店の建物が無くなりました。向かいにはクレーンが立っているので、三越は建築中といったところです。その向こうには山口銀行、さらに向こうに見える大きなビルは、百貨店の松屋銀座です。松屋はこの当時、既に営業していたことがわかります。

 

さらに遡りましょう。

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すると服部時計店の場所に低層のバラック風の建物が現れました。昭和初年の風景です。この低層の建物は震災後に建てられ、三越が入居して一時的に営業をしていたといいます。その後三越は、向かいの場所にビルの建設を始め、昭和5(1930)年の帝都復興祭の直後、大規模百貨店として今の銀座三越を開業しています。

 

さらに遡り、震災の年に近づいてみます。すると松屋のビルが鉄骨に変わります。

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写真の一番下には、松坂屋のビルの鉄骨の影が写っているように見えるので、松屋、松坂屋のビルが共に鉄骨だった時代のようです。歴史的にはそれぞれの開業が、

    大正13(1924)年12月1日・松坂屋

    大正14(1925)年 5月1日・松屋

ですので、大正13年頃の風景ということになります。大正13年といえば、関東大震災のあった翌年で、この風景の中にも建物を再建している様子をあちらこちらに見ることができます。

 

 

ご覧のように、現在の銀座シックスの屋上は、関東大震災の後、銀座の街の復興をずっと眺め続けてきた場所でした。

 

松坂屋は、銀座に初めて開業した大規模百貨店です。この当時、ここ銀座6丁目は尾張町と言い、ビルを建てたのは国光(こっこう)生命保険。上階で国光生命が営業し、下階に松坂屋が入って店を構えました。

s_hanabi_68-7.jpg今では信じられませんが、全館土足入場ができる初めての百貨店として話題を呼びます。賑わう屋上動物園や、近隣の駅から出る黄色い送迎バスもあり、松坂屋の開店によって銀座は、高級志向の街から一般大衆も楽しめる街へと変化していきます。

 

一方の松屋銀座はどうだったのでしょう。少し遠くて見えないので、空中移動して近づいてみます。

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はためいている旗は、松と鶴からデザインされた松屋のマーク、そして下に見えているのは銀座通りです。ここは完成後の松屋の屋上。銀座3丁目から1丁目の方向を眺めています。

 

松屋の開業は、松坂屋の開業から約半年後の大正14(1925)年でした。松屋自体は明治2(1869)年に横浜で鶴屋として創業していますので、今年は創業150周年にあたります。8階建てのこの建物は、生命保険会社により建設が始まります。しかし途中で松屋が下階に入居することに決まり、設計変更で大きな吹き抜けが作られることになりました。鉄骨の状態で震災に襲われるも、その20ヶ月後に開店します。

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特に内装はとても豪華だったようで、来店する多くの人びとを魅了し、話題をさらいました。このあと松坂屋と共に、銀座の復興を牽引していく立役者となっていきます。

 

銀座通りに目を移してみると、斜め向かい方向に大きなビルが見えます。これは大正4(1915)年に5階建てとして竣工した大倉組本館。建設当時は東京でも最高層のビルでした。

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建てられてた年からも分かるように、このビルは関東大震災を乗り越えました。大倉組本館といえば、アーク灯が灯された初代の建物の頃も知られていますが、それはこの風景の40数年前の話。写真は2代目の建物、昭和初年の風景です。カルティエが入る現在のOkuraHouseは4代目になります。

 

気になってしまうのは、銀座通りの向こうの「曲がり角の先」に見えるビル群。何だか大正ロマンを感じさせる、雰囲気の良さそうな街並みが広がっています。きっと素晴らしい街に違いありません。

 

大倉組本館の屋上に空中移動して、少し近寄ってみることにしましょう。

s_hanabi_68-11.jpg左側の「トンガリ屋根」と、右側の「円形ドーム」の背の高いビルが印象的。昭和初年です。

 

この場所で大正時代に突入してみます。大正14(1925)年頃の、曲がり角の先の街並みです。

s_hanabi_68-12.jpgん?何かが変わりました。

トンガリ屋根が円形ドームに変わっています。大正時代はトンガリ屋根ではなかったみたいですね。 この曲がり角の先にある街は、現在の京橋、この当時は『南伝馬町』という町名でした。曲がり角には京橋川が流れていて、その上に『京橋』が架かっているはずです。震災から数年しか経っていないこの時に、大きなビルが立ち並ぶ街は、どのような発展を遂げたのでしょうか。

 

今回はここまでに致します。銀座通りのタイムスリップと空中散歩。いかがだったでしょう。次回からは、この「曲がり角の先」の街並みについて、時代順にご紹介していきたいと思います。『京橋物語』のプロローグでした。

(参考文献等はエピローグに纏めて記載予定)