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小川橋-勇敢なお巡りさん

[橘] 2014年1月15日 14:00

寒さで家に籠りがちな毎日ですが、お天気の良い日にぶらりと散歩するなら「浜町緑道」辺りは如何でしょうか。

 
首都高の浜町清洲橋出口の向かいから「浜町緑道」が始まります。
アーチ型のトンネルを潜ると両側を道路に挟まれたほぼ真直ぐな緑道があります。
ここは、以前は浜町川(架かっていた橋の名前から"みどり川"とも言われる)が流れていた場所を埋め立てて造った緑道です。
北に向かって歩いていくと甘酒横丁とぶつかりますが、ここには、勧進帳で有名な武蔵坊弁慶の像が立っています(昨年の中央区宝探しの宝箱の一つがあった場所です)。

 

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更に行くと北側の出入口付近には「漢方医学復興の地」の碑が立っています。kanpou.jpg

 

この口を出て日本橋消防署人形町出張所の脇を抜けると久松町交差点と人形町交差点を結ぶ「金座通り」に出ます。

kinzatori.jpghisamatu.jpg

 

「金座通り」が浜町川を渡るために架けられていたのが「小川橋」です。
そして、丁度「金座通り」の反対側、久松警察署の並びに「小川橋の由来」の碑が立てられています。

ogawabashi-hi.jpg 

小川橋の由来は、明治19年12月に馬喰町でピストル強盗事件が発生し、駆けつける途中の久松警察署小川巡査が橘町(現東日本橋3丁目)付近で発見した犯人と格闘し重傷を負いながらも浜町河岸迄追跡しその男を捕えたものです。犯人は余罪が80件あり、5人も人を殺している凶悪犯でした。
しかし、小川警部補(逮捕の功績により2階級特進しました)は2年後にこの時の傷がもとで亡くなったそうです。そこで、警部補の尊い死を惜しみ、久松警察署横の橋を小川橋と命名し不滅の功績を後世に残すことにしたものです。

 

私は、明治生まれの祖父母から良くこの話を聞かされていましたが、明治時代にピストル強盗(更に刀迄持っていたそうですが)という凶悪な犯罪があったことにちょっと吃驚しますが、この凶悪犯に一人で立ち向かっていった小川巡査の勇敢さには、子供心にもなんて立派なお巡りさんだったのだろうという思いを持っていましたので、ここにご紹介した次第です。

 

 

 
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