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高級料亭「百川」と落語「百川」

[中央小太郎] 2016年3月15日 16:00

 日本橋室町の福徳神社の近くに、江戸屈指と言われながらも明治初期に姿を消した謎の
料亭「百川(ももかわ)」がありました。

 高級料亭は、江戸文化が成熟するにつれて登場した料理屋形態で、凝った料理、盛り付
け、器等を料理屋が競い合う中で、遊び心も加わりながら粋な江戸料理へと進化したそう
です。高級料亭は多くの文化人のサークルが形成され、江戸文化の発展に大きく貢献した
と言えます。
 江戸時代には今でいう「グルメガイド」のようなものも数多く発行され、「狂歌懐石料
理双六(きょうかかいせきりょうりすごろく)」(双六形式で有名店を紹介するもの)に
は、山谷の八百善、深川の平清(ひらせい)等の名だたる高級料亭と並んで、百川の名前
も見られます。

 百川は1760~70年代(明和~安永の頃)に創業し、文化文政(1804~30)の頃に最盛期
を誇ったようですが、明治の初めに忽然と姿を消しています。資料が少なく、どうした経
緯で店を閉めたのかは解りにくい点が謎めいていて興味をそそります。
浮世絵「百川繁栄の図」に描かれていたり、山東京山の随筆「蜘蛛の糸巻」では、通人が
遊ぶ四大料理茶屋のの一つにも挙げられており、文化人の会合という意味では、松平定信
などそうそうたる顔ぶれが集まり、文化サークルが形成されていったそうです。
 また、幕末にペリーが黒船で来航した際には(1854年の2度目の来航時)、横浜で一行
を持てなしたことでも有名です。この時の料理は最高級の懐石料理で300人前+200人前の
控え分が用意されたそうで、値段は千両とも2千両とも言われています。

 
 もう一つ「百川」と言えば、古典落語の「百川」も外せないと思います。
このブログを書くにあたり、三遊亭圓生の落語を聞きました。百川で奉公することになっ
た百兵衛(ひゃくべえ)さんと客(魚河岸の若い衆)が百川を舞台に「勘違い」を繰り広
げる話で、思わず笑ってしまいます。

 

今回は、百川をキーワードに、日本橋、人形町、堀留町あたりを散策しました。

まず、百川があった場所ですが、日本橋COREDO室町1とYUITOビルの間の道が浮世小路で、
この先に福徳神社がありますが、この界隈にあったようです。

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( ↑ クリックすると大きく表示されます)

 

「浮世小路」ですが、このあたりには、加賀出身で町年寄の喜多村家の屋敷があり、加賀
では「小路」を「しょうじ」と読むことから「うきよしょうじ」と呼ぶそうです。また、
名前の由来は、ここに浮世風呂があり湯女のサービスが良かったとか、浮世ござを売る店
があったことからこう呼ばれたらしいです。

 

福徳神社は、9世紀頃からある非常に古い神社で、源義家、太田道灌等、武将の信仰が厚か
ったとのことです。徳川家康も数度も参詣しています。二代秀忠が参詣の際に鳥居に新芽が
出ていたのを見つけて、「芽吹神社(めぶきじんじゃ)」と命名し、それが別名ともなっ
ています。浮世小路の1本北側に福徳神社参道があり、「新浮世小路」と命名されていま
す。

釘型の西堀留川が福徳神社のすぐそばまで来ており、付近には塩河岸がありました。
川は明治の中頃に釘の部分が埋め立てられ、昭和初期に残りの部分も埋め立てられました。

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また、落語「百川」には、浮世小路の他に芳町(よしちょう)、三光新道(さんこうじん
みち)の地名も出てきますので、それらについても散策してみました。

 

芳町は、今の人形町の一部を昔は芳町と言いました、「芳町花街」と言うように界隈は花
街としても有名です。落語では、百兵衛さんは芳町の千束屋(ちづかや)という桂庵(今
でいう職業紹介所)から百川を紹介された設定です。
芳町花街は東京6花街として現在も続いており、濱田屋という料亭が伝統を守っています。
また、大観音寺横にある「芸者新道」が花街の風情を最も残しているように思います。
※よし梅に代表される料理屋が並んでおり、良い雰囲気を出しています。
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三光新道(さんこうじんみち)は、堀留町2丁目にある30メートル程の小道で、三光稲荷
の参道にもなっています。すぐ近くに梨園染で有名な「戸田屋商店」という老舗がありま
す。店の側面の壁に梨園染のサンプルを確認することができます。

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落語では、百兵衛さんが、ここに住む常磐津の「かめもじ」という人を呼んでくるように
百川の客に頼まれるのですが。。。。という内容で出てきます。

以上

【参考文献等】
・「江戸散歩・東京散歩」(成美堂出版)
・「消えた料亭「百川」を追う」日本経済新聞  2014/7/3
・「落語「百川」の舞台を歩く」(http://ginjo.fc2web.com/001momokawa/momokawa.htm)

 

 

 

日本橋花街を偲ぶ

[中央小太郎] 2016年3月 2日 16:00

東京中央ネットの「第2回中央区の花街 その歴史と現在」
(http://www.tokyochuo.net/issue/city/4_geisya/geisya.html)によると、
中央区には新橋、柳橋、葭町、新富町、日本橋、霊岸島と6つの花街があったそうです。
(大正15年度の花柳名鑑)。

 

現在花街として残っているのは新橋と葭町の2つです。
※柳橋の花街は台東区に分類されるかもわかりませんが、名鑑によると組合事務所は当時
 の日本橋区にあったようです。

 

今回は、その中から泉鏡花の小説「日本橋」の舞台でもある日本橋花街を散策しました。

 

小説「日本橋」は1914年に千章館から出版された泉鏡花の代表作の1つです。
本を図書館で借りはしたのですが、文章が昔の文体で全く理解できそうになかったため、
諦めて映画(1956年/市川崑監督)を見ることにしました。
ただ、借りた本の表紙と挿絵は小村雪岱(こむらせったい)が描いたもので、非常に味のある絵です。
この絵を見られただけでも本を借りた甲斐があったと思っています。
小説の内容には触れませんが、物語は主人公のお孝を中心に、清葉、お千世、葛城晋三、
赤熊といった個性的な登場人物が織りなすストーリーが展開します。
映画の各場面は小説の挿絵によく似ており、ストーリーはもちろん雰囲気も最高で、
ていてとても面白い映画でした。機会があれば是非ご覧になられればと思います。

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日本橋花街の場所ですが、元大工町、檜物町、数寄屋町あたり一帯(現在の八重洲1丁目
・日本橋2丁目・3丁目の一部)にあったようです。大まかには地図の赤枠のあたりと思われます。

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このあたりを歩いてみると、映画や小説の挿絵にでてくるような景色はありませんが、

界隈には路地も残っており、飲み処も多いところが当時の花街を思わせる部分でしょうか。
老舗の割烹「嶋村」や酒席「いずみや」、そば処「やぶ久」、久寿もちの「長門」、
おでんの「お多幸」などの老舗は日本橋花街の最盛期のころからあった店なのかなと
当時をんで散策しました。(路地や町並みは写真をご参照)

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また、日本橋芸妓組合が日本橋桜通りの東京駅側から八重洲仲通に進み、真ん中あたりに
ありました。地図物語「あの日の日本橋」(武揚堂)に付属する火災保険特殊地図
(通称「火保図」昭和25年~30年頃)に名前を確認することができます。
※本ブログの地図上では、青の星印が組合のあった場所と思われます。

 

映画「日本橋」では、一石橋と延命地蔵尊(日本橋西河岸地蔵寺協会)のシーンがよく出
てきます。延命地蔵尊には「お千世の図額」が保存されており、これは、新派の俳優花柳
章太郎がお千世役を演じた際に奉納したものです。この絵も小説の表紙と口絵を描いた
小村雪岱によるものです。絵は本堂の中に飾られてあり、外からもちらっと見ることがで
きました(説明版によると、希望者は申し出れば絵を見学できるらしいです。)。
また、延命地蔵尊は縁結びとしてもご利益があるそうです。
一石橋と延命地蔵尊は地図上に赤の星印で示しました。

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