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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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陽春を待つ有楽町、築地、佃

[CAM] 2016年3月26日 09:00

 有楽町へ出かけて、ふと見ると、改修中で囲障で囲まれていた数寄屋橋公園が新装公開されていました。(以下、写真は全て3月24日 15:30~16:30に撮影)

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 数寄屋橋の碑(ものしり百科45頁)もすぐに目につきます。

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外堀通り角では、いよいよオープンまで1週間となった「東急プラザ」が最後の仕上げを急いでいるようでした。

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 晴海通りを歩いて築地まで来ると、「築地魚河岸」が建設工事のための囲障が取り払われ、外観を顕していました。

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 さらに、佃公園の桜の開花具合を見たのですが、まだほとんど開いていない状態でした。昨日、九段会館近くに所用があり、武道館のまわりを少し歩いたら、2分から3分咲という感じだったのですが、佃の桜はすこし遅いのでしょうか。

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 さらに、リバーシティ、中央大橋近くまで歩くと、ここでは1分から2分咲という感じでした。

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三島由紀夫が描く勝鬨橋、晴海など(2)

[CAM] 2016年3月21日 14:00

 勝鬨橋、特に橋の開閉の描写として、『鏡子の家』(1959年単行本刊行)の上記部分が引用されることが多いが、『幸福號出帆』(1955年新聞連載、1956年単行本刊行)は、主人公三津子が月島で育ち、銀座のデパートに勤めているという設定であるだけに、勝鬨橋、晴海等についての記述が多い。

 

>わけがわからぬままに三津子は朝食をたべ、一人ではしやいでいる母を殘して、出勤した。足代の節約のために、毎日、月島から銀座まで、徒歩でゆきかへりするのである。

 職場の休み時間に、屋上ででも、もう一度ゆつくりと讀み返さうと思つて、橋詰で新聞を買ひ、三津子はかちどき橋を渡りだした。

 雲一つない快晴の朝である。しかも風がさはやかだ。いつもより早く家を出たので、どんなにゆつくり歩いても間に合ふ。

 常々、立ち止つてみたことなどない橋の袂に、三津子は立止つて河口を眺めた。

 倉庫の前には、さびたドラム缶の赤さびの色までが、旭にかがやく水の上で美しくみえた。對岸の魚河岸の桟橋には、鰹船の景氣よい赤い旗がはためいてゐた。朝の河口は活氣にあふれ、あちこちから、喜びに鼓動する心臓の音みたいなポンポン蒸氣の音がきこえた。

 三津子まで、何だか幸福の豫感がしてきた。

・・・・・

・・・・・・・三津子は程近い魚河岸の桟橋を眺めてゐた。そこからは、われ鐘のやうな流行歌のレコードがきこえ、鰹船から永い一列縦隊をゑがいてゐる。ゴム長や、ゴム前掛をし、白い鉢巻をしめた若い衆たちの姿が見えた。かれらは、防空演習のバケツ・リレーの要領で、青く光る鰹を一疋づつ、手から手へ、波のやうな調子をつけてリレーしたすゑ、それを倉庫の前に積み上げてゐるのが、光る刃物を積み上げてゐるやうにみえた。(8-363

 

勝鬨橋の月島側から見た現在の築地市場

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>月島からさらに南にゆき、橋をわたると、そこは東京都の南の外れだ。晴海埠頭といふ名の埋立地。そこでこの間まで、國際見本市がひらかれてゐた。

 ゴバンの目の廣濶な舗装道路、さはやかな街路樹、新らしい歩道、・・・・・まつたくこれだけのものが銀座のまんなかにあれば、銀座も世界の一流都市の仲間入りができるだらうに、天、二物を輿へず、の見本みたいなもので目抜き通りの歩道はデコボコで歩けず、草蓬々の埋立地のまんなかには、こんなに立派な道路が森閑としてゐる。

 空がおどろくほどひろい。その空には、うすい雲がひろがつて、空の裾のはうが、船や工場の黑煙によごされてゐる。    (382

 

現在の晴海

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>かちどき橋を渡る手前の右側に、大きな碑が立つてゐる。そのうしろがすこし低くなつて、かちどき橋變電所の白レングヮの建物が川にのぞんでゐる。

 待ち人がなかなか現はれないので、敏夫はつれづれに、讀みにくいその碑銘を讀んだ。

「勝鬨橋之記

明治三十七年の戦役に於て皇軍大捷す。京橋区民は之が戦勝を記念し、此處に渡船場を設け、勝鬨の渡と名付け、東京市に寄附す・・・・・・・・」   (448

 

 「かちどき橋の資料館」(変電所が改修された)と碑銘

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三島由紀夫が描く勝鬨橋、晴海など(1)

[CAM] 2016年3月21日 12:00

 三島由紀夫の小説『鏡子の家』は、昭和33年(1958)、雑誌『声』創刊号に1章と2章途中まで掲載された後、翌年昭和34年(1959)に新潮社から、「第一部」「第二部」の2冊同時に、単行本刊行された。

 

 この冒頭に、下記のように勝鬨橋とその近辺の描写がある。、

 

>勝鬨橋のあたりは車が混雑してゐるのが遠くからわかる。どうしたんだらう、事故でもあったのかな、と収が言った。が、様子で、開閉橋があがる時刻だとわかつた。峻吉は舌打ちした。ちえつ、埋立地はあきらめようや、じれったい、と言ふ。しかし夏雄と鏡子が、まだ一度も見たことのない、その橋のあがるところを見たがったので、可成手前に車をとめて、みんなでぞろぞろ鐵橋の部分を渡って見に行った。峻吉と収はいささかも興味のない顔をしている。

 中央部が鐵板になつてゐる。その部分だけが開閉するのである。その前後に係員が赤旗を持って立つてゐて、停められた車がひしめいてゐる。歩道のゆくても一條の鎖で阻まれてゐる。かなりの数の見物人もゐるが、通行を阻まれたのをさいはひ油を賣つている御用聞きや出前持などもゐる。

 電車の線路のとほつてゐる鐵板が、その上に何ものも載せないで、黒く、しんとしてゐた。それを両側から車と人が見戌つてゐる。

 そのうちに鐵板の中央部がむくむくとうごき出した。その部分が徐々に頭をもたげ、割れ目をひらいた。鐵板はせり上って来、両側の鐵の欄干も、これにまたがつてゐた鐵のアーチも、鈍く灯った電燈を柱につけたまま、大まかにせり上がつた。夏雄はこの動きを美しいと思つた。

 鐵板がいよいよ垂直にならうとするとき、その両脇の無数の鐵鋲の凹みから、おびただしい土埃が、薄い煙を立てて走り落ちる。両脇の無数の鐵鋲の、ひとつひとつ帯びた小さな影が、だんだんにつづまつて鐵鋲に接し、両側の欄干の影も、次第に角度をゆがめて動いて来る。さうして鐵板が全く垂直になつたとき、影も亦静まつた。夏雄は目をあげて、横倒しになつた鐵のアーチの柱を、かすめてすぎる一羽の鷗を見た。

・・・・・・・・・・

 ずいぶん永く待つたやうな氣がした。・・・・・

 車は勝鬨橋を渡り、月島の町のあひだをすぎて、さらに黎明橋を渡つた。見渡すかぎり平坦な荒野が青く、ひろい碁盤の目の舗装道路がこれを劃してゐた。海風は頬を搏つた。峻吉は、米軍施設のはづれにある滑走路の、立入禁止の札を目じるしに車をとめた。かなた米軍の宿舎のかたはらには、數本のポプラが日にかがやいてゐた。(1110

 

現在の勝鬨橋

IMG_2564.JPG現在の黎明橋

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三島由紀夫の小説「幸福號出帆」

[CAM] 2016年3月17日 18:00

 三島由紀夫の小説「幸福號出帆」は、昭和30年(1955)6月から11月にかけて読売新聞に連載され、昭和31年(1956)に単行本が刊行された。主人公の兄妹(実際は血がつながっていないことが最後に明かされるのだが)は、月島の古い借家で育ち、妹は銀座のデパートに勤めているという設定であることから、月島、勝鬨橋が作中にしばしば登場する。
 
 作中では、東京湾、隅田川一帯における密輸が描かれるが、当時の日本は完全な保護貿易主義の下にあり、輸入品には高率の関税が課されていたことから、当時の密輸品には時計などの品物が多く、主として船により行われていた。
 
 作品の冒頭部分に次のような記述がある。
 
>望遠鏡をのぞく。
 右方に濱離宮公園のムクムクした苔のやうな緑と、そのかなたの海の沖にならんでゐる船が見える。水平線はぼんやり曇ってゐる。
 彼女は角度を左に變へた。
 錯雑したビルが、一枚の押絵のやうに見えた。T温泉ビル、そのずっとむかうのT劇場、さらにむかうの築地本願寺の圓屋根の緑いろの側面、それらが、平たい絵を次々と貼り重ねたやうに見える。高くそびえたT温泉の大煙突の稀薄な煙が、かげろふのやうに、遠い港の風景を歪ませてゐる。耳に入るものは、ビルの谷間のあちこちに反響して昇ってくる自動車の警笛だけである。
 ふとレンズの焦點は、魚河岸をつなぐ橋に固定して、橋の袂の柳や自轉車のゆきかひを鮮明に見せる。しかし彼女の見たいのはそれではない。ほんの一寸レンズを左に向ける。魚河岸の屋根の外れに、勝鬨橋の對岸の、保税倉庫のつらなりが、やつと見えた。(8-352)
 
 Nデパート屋上とあるが、松屋か三越か松坂屋か不明。 松坂屋は工事中であるので、現在の松屋、三越両百貨店の屋上部からの見晴らしを検証してみた。
 
 松屋の屋上から隅田川方面を見ても、下記のようにほとんど眺望はきかない。かろうじて、聖路加タワーの上部が見えるのみである。

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 三越12階からは、東劇ビルは見えるが、浜離宮や築地本願寺は見えない。

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また一軒、銭湯が消える

[CAM] 2016年3月13日 09:00

 昨年秋の「中央区まるごとミュージアム」では、「まるごとミュージアムの日は手ぶらで銭湯へ」として、区内11軒の銭湯がリストされています。

 

 このうち、佃・月島地区は3軒。 残り8軒は、銀座湯(銀座1-12-2)、金春湯(銀座8-7-5)、入船湯(入船3-6-14)、湊湯(湊1-6-2)、寿湯(築地6-12-4)、世界湯(日本橋人形町2-17-2)、十思湯(日本橋小伝馬町5-19 十思スクェア別館)、勝どき湯(勝どき3-9-7)です。

 

 しかるに、佃地区にある旭湯(佃2-12-12)に、この29日で廃業するという掲示が出ています。

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 佃地区で残るのは、佃小橋近くの日の出湯(佃1-6-7)だけになりました。

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 日の出湯さんは、階上を賃貸マンションにしているようですね。

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 月島地区には月島温泉(月島3-4-5)があります。もんじゃ通りに面しており、月島観音の上に位置しています。

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 八百屋、魚屋をはじめ、酒屋、電器店等々、個人営業の店が消えていくのは寂しいですが、利用者が減少すれば、ビジネスとしては成り立たないでしょうね。

 

 

 

「橋づくしツアー」

[CAM] 2016年3月11日 16:00

三島由紀夫研究会のメルマガを転記しました(同メルマガは転送自由となっています)。

 

三島作品には、中央区が登場するものは意外にもそう多くはないのですが、「幸福号出帆」には月島等が登場しますね。

 

>三島由紀夫研究会・会員親睦行事「橋づくしツアー」のご案内
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 銀座や築地を舞台として、陰暦8月15日の満月の夜に7つの橋を渡り願掛けをする女たちの悲喜交々を描いた名短編「橋づくし」(昭和33年刊)。(新潮文庫『花ざかりの森・憂国』に所収)。
この度、弊会では、この作品の舞台となった6つの橋を歩いて巡り、改めてこの作品の舞台を味わってみようという行事を企画いたしました。
ツアーのスタートでは、三島先生と楯の会のメンバーが最後の晩餐を行った新橋の割烹「末げん」で昼食をいただきます。
その後、作品に登場する七つの橋(実際には六つ)を順に歩いて廻る予定です。
最後に、「鏡子の家」の冒頭における描写も見事な「勝鬨橋」を見学し、三島先生の本葬が行われた「築地本願寺」にお参りするというコースを予定しています。
なお、お時間のある方は、その後近隣での懇親会も予定しています(費用実費)
         記
日時    平成28年6月4日(土)11時15分集合
集合場所  JR新橋駅西側SL広場
予定コース 新橋・「末げん」(昼食)~銀座板甚道~金春通~昭和通~三吉橋~築地橋~入船橋~暁橋~堺橋~備前橋~勝鬨橋~築地本願寺(勝鬨橋は本作には含まれていません)
解散予定時刻 16時ごろを予定
当日の交通費、末げんにおける昼食代金(約1,000円~1,600円)は、各自でご負担ください。
二時間ほど歩きますの、歩きやすい服装、お足元でお越しください。

 

参加ご希望の方は、下記メールまで、もしくはFAXにて弊会事務局までお申込み下さい。
Eメール: yukokuki@mishima.xii.jp
FAX     03-5419-7670

 
 「橋づくしツアー参加希望」とお書きの上、お名前、電話番号(携帯)をお知らせください。