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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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10月6日、築地市場最終日

[CAM] 2018年10月 9日 14:00

 築地市場の最終日となる10月6日、少し様子をのぞきに出かけました。

 都営大江戸線の築地市場駅の前も、かなりの混雑でした。

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 当日は午後からは、一般者は、場内入場禁止でした。下は、正門前の様子です。

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 場外市場も、かなりの人出でした。

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 築地市場の閉場で国内外から多くの観光客を呼び寄せてきた東京都中央区の名所が一つ消えるわけです。そして、豊洲市場への移転後は跡地再開発の問題が残ります。 2020年の東京五輪・パラリンピックでは車両基地として活用することは決まっているものの、その後の再開発の具体的計画はまだ明確ではないようです。
 都は跡地に幹線道路「環状2号」を整備し五輪の輸送拠点を建設し、その後は「段階的に開発を進める」としていますが、都の有識者会議が5月にまとめた跡地利用に関する報告書では「にぎわいの創出」などといった抽象論にとどまっています。

市場移転が当初案より2年遅れたことによる機会損失も大きいでしょうね。
 築地市場の解体工事が先延ばしになり、環状2号の着工は遅れ、オリンピック開催中の交通渋滞も懸念されています。臨海開発エリアの新交通網として期待されるBRT(バス高速輸送システム)の本格稼働も22年度にずれ込むようです。

 

 

環状第2号線施設見学会

[CAM] 2018年9月17日 14:00

 9月15日に開かれた「環状第2号線施設見学会」に参加してきました。

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築地大橋銘板の揮毫は、舛添要一氏です。

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 築地大橋上から、築地市場、勝鬨橋を望む。

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晴海選手村の建設も進んでいるようです。

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 環状2号線は、これまでに外堀通りの区間など約9kmに加え、2014年3月には新橋から虎ノ門までの約1.4kmの区間が開通していますが、このたび豊洲から築地までの約2.8kmの区間が暫定開通することになったものです。引き続き、本線トンネル工事を進め、2022年度の全線開通を目指しているとのことです。

しかしながら、築地市場の豊洲移転が延伸されたことにより、全線開通がオリンピックに間に合わなくなったことから、オリンピック時の首都高の混雑混乱はかなりのものとなることも懸念されているようです。なんとか、円滑に開催されることを祈りたいですね。

 

 

『わくわくツアー』 築地場外市場コース その1

[CAM] 2018年9月14日 12:00

 9月6日、「『わくわくツアー』築地場外市場コースその1」を担当しました。

 

この秋には豊洲移転をひかえた築地市場ですが、場外市場も相変わらず多数の外国人をはじめとする多くのお客さんでにぎわっていました。

 

 まず、「珍味高木」さん

 

昭和26年に先代が珍味高木を設立以来56年。現在二代目社長が後を継ぎ、いわゆる昔からの珍味から現代の珍味物いろいろ取り揃えて営業しています。お店は波除神社前の通りです。都内ホテル、高級割烹料理店等を取引先としていますが、一般の方に喜んで頂ける珍味もあります。

 

主な取扱商品

このわた 、莫久来 、本からすみ 、本くず粉 、生麩各種 、鴨肉 、当たり胡麻 、ポン酢各種 、くらげ 、味噌各種

(以上は、同社HPから)

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次は「玉子焼大定」さん

 

大定(だいさだ)は、東京築地中央卸売市場(魚がし)の本店(場外市場)、支店(場内市場・魚がし横丁)で永く営業いたしており、全国の高級寿司屋、高級料理店、デパート、高級スーパーなどで幅広くご愛顧いただいております。玉子焼の製造業として初代より 90 年の歴史があり、昨今機械で焼く玉子焼が多いなか、手焼の高級玉子焼を提供しており、お客様より絶大なる信頼をいただいております。

(以上は、同社HPから)

 

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続いて、「秋山商店」さん

 

元祖削り節、元祖糸がきの店として知られる秋山商店、大正五年(1916年)創設の老舗です。
 秋山商店は大正五年、秋山銀次郎により芝で創業しました。大正十二年の関東大震災により、それまで日本橋にあった魚市場が築地に移転すると同時に、銀次郎は築地に店を移しました。いまでこそ多くの鰹節店がありますが、当店はそのさきがけでした。場外の今の地に本店を、場内にも店舗を出し商いをスタートさせました。
 銀次郎が他店に先駆けて行ったのは、お店で削った削り節を日本で初めて商品化したことです。それまでは使う人が、自分のところで削っていたのです。また、銀次郎がもう一つ編み出したのが「糸賀喜」です。それまでは板前さんがガラスの破片で削ってつくっていたのを、メジマグロだけを使い、機械で削ったのが始まりです。美しい色合いの糸賀喜は評判がよく、今でも当店自慢の商品です。

(以上は、同社HPから)

 

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 最後に、「鳩屋海苔店」さん

 

鳩屋海苔店は、1930年に創業した築地の乾海苔問屋です。

皆様の食卓を彩る海苔など乾物を扱い、有明産など日本全国の海苔を豊富に取り揃え、焼き海苔だけでなく様々シーンにあった海苔をご提案いたしております。

また、海苔のみならずナッツやドライフルーツなど乾物食品も豊富に取り揃え。3代目代表鵜飼の威勢のいい声と築地場外の街並みに今なお残る下町の粋を感じることができる土産屋としても親しまれております。

築地場外にある本店・新店の2店舗では試食も行っており、全ての商品をお試しの上ご購入いただけます。               

(以上は、同社HPから)

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 波除稲荷神社も訪ねました。

 

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芭蕉&蕪村 in 中央区

[CAM] 2018年8月14日 12:00

怒り

 松尾芭蕉は、1680年(延宝8年)冬、まだ郊外であった深川に庵を結んで隠棲しましたが、この後世「芭蕉庵」と呼ばれる庵に移るまでの期間、日本橋周辺に居住したと考えられます。1677年(延宝5年)ごろから小田原町にいたというのが定説となっているようです。このことについては既に紹介していますが、再度、この地を確認してきました。

/archive/2018/05/post-5214.html

 最近解読された古文書によると、芭蕉の当時の住所は「小田原町小沢太郎兵衛店」、小田原町は今の日本橋室町1丁目、当時は魚市場の近くで繁華な場所でした。

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日本橋三越から中央通りを挟んだ対面近く、通称むろまち小路にある佃煮の老舗「日本橋鮒佐」の店先には、この頃に詠まれたと考えられる「発句也松尾桃青宿の春」の句碑があります。

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 そして、この現在の室町1丁目から、中央通りをさらにJR総武線新日本橋方向へ歩くと、室町4丁目、「石町時の鐘 鐘撞堂跡」(平成29年10月発行『中央区ものしり百科』36頁)と並んで「夜半亭―与謝蕪村居住地跡―」の説明板があります。

 

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 蕪村は、芭蕉が没して22年後、1716年(享保元年)摂津国東成郡毛馬村(現,大阪市)に生まれたのですが、1735年(享保20年)に江戸に下り、2年後に22歳で夜半亭の号を持つ俳人、早野巴人(はじん)の日本橋石町の家に同居しました。しかし、6年後に師が亡くなり、夜半亭は解散。蕪村は江戸を捨て、東北、京大坂、九州、四国などを回り、蕪村は二度と江戸に戻らなかったようです。 俗化した江戸俳壇を見捨てて放浪生活に入ったものと言われています。蕪村が2代目夜半亭を継いだのは師が没して27年後の1770年(明和7年)。京都で襲名したものです。

 

 

中央区内の交番

[CAM] 2018年7月26日 14:00

怒り

 警視庁(東京都を管轄する警察組織)には、十の方面本部が置かれており、中央区は第一方面本部が管轄します。都内には102の警察署が配置されていますが、中央区内には、中央警察署、久松警察署、築地警察署、月島警察署があり、以下のように交番がおかれています。



(中央警察署)

  • 日本橋交番(中央区日本橋一丁目)
  • 本町交番(中央区日本橋本町四丁目)
  • 茅場町交番(中央区日本橋兜町)
  • 八重洲通交番(中央区日本橋三丁目)
  • 八丁堀交番(中央区八丁堀三丁目)
  • 高橋交番(中央区新川二丁目)

(久松警察署)

  • 東日本橋交番(中央区日本橋馬喰町二丁目)
  • 浜町交番(中央区日本橋浜町二丁目)
  • 水天宮前交番(中央区日本橋蛎殻町二丁目)
  • 箱崎交番(中央区日本橋箱崎町)
  • 問屋橋交番(中央区日本橋久松町)

(築地警察署)

  • 銀座四丁目交番(銀座五丁目)
  • 銀座一丁目交番(銀座一丁目)
  • 数寄屋橋交番(銀座四丁目)
  • 小田原町交番(築地六丁目)
  • 湊交番(湊一丁目)
  • 中央市場交番(築地五丁目)
  • 新富町交番(新富二丁目)
  • 銀座八丁目交番(銀座八丁目)

(月島警察署)

  • 勝どき橋交番(勝どき一丁目)
  • 佃交番(佃二丁目)
  • 晴海三丁目交番(晴海一丁目)
  • 晴海埠頭警備派出所(晴海五丁目)2007年(平成19年)4月に交番から転換。

その他に

・リバーシティ駐在所(佃一丁目)

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・西仲通地域安全センター(月島三丁目)

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  この「西仲通地域安全センター」については、『ものしり百科(平成29年10月発行)』の106頁で説明されています。

 なお、以上の交番の名称を見ると、当然のことながら、所在地の地名が付されているケースが多い(ただし、晴海三丁目交番のように、名称は三丁目だが所在地は晴海一丁目というような例もある)のですが、小田原町交番は、現町名ではなく旧町名を称しています。小田原町(現在の築地六・七丁目)は、1932年から1966年までの町名です(『ものしり百科(平成29年10月発行)』 175頁)

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NHKスペシャル、シリーズ「大江戸」

[CAM] 2018年6月11日 14:00

 

昨日(6月10日)のNHKスペシャルは、シリーズ「大江戸」の第2回でした。

NHKのサイトでは、下記のように紹介しています。

「第2集 驚異の成長!!あきんどが花開かせた"商都"」

「過去2000年間の世界経済を分析した国際共同研究によって、江戸中期の経済成長率(1人あたり)が、同時期の世界トップクラスだったことが判明しました。貿易を制限していた日本で、経済発展を支えたものは何だったのでしょうか?

日本橋の商家の記録などから、江戸に広がっていた庶民経済と、激しい競争社会の中で生まれた、独自のセーフティネットを探ります。」



 第1回は、4月29日の放送で、以下のような内容でした。第1回は、CGによる復元画像、最近発見された画像なども交えたもので、興味深いものでした。第2回は、日本橋の商家の歴史などを紹介するものでしたが、個人的には分析がやや浅かったように感じました。

「第1集 世界最大!!サムライが築いた"水の都"」

「江戸は、徳川家康が幕府を開いてから100年ほどで、世界最多の100万の人口を抱える巨大都市となりました。その原動力はどこにあったのでしょうか? 最近、江戸初期の都市計画を描いた図面や、幕末の写真ネガが見つかり、その変遷が分かってきました。

江戸は水を駆使して造り上げた、世界に類をみないユニークな都市だったのです。"水の都"江戸誕生の秘密に迫ります。」(NHKサイトから)



第3回は、次のような内容で、放送は7月1日の予定です。

「第3集 不屈の復興!!町人が闘った"大火の都"」

「江戸は3年に一度の割合で大火に襲われる、世界に例のない"火災の町"でした。最新の研究では、竜巻のような炎=火災旋風が猛威をふるっていたことも判明。人々はこの災厄の町とどう向き合い、復興を成し遂げたのでしょうか?

幕府による江戸大改造や、町民たちが生み出した防災対策の数々。それらの成果を、最新シミュレーションから解き明かします。」 (NHKサイトから)

 

 
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