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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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銀座8丁目の伝統芸能"金春祭り"

[お江戸のマーシャ・堀内] 2015年8月13日 14:00

毎年8月7日夕方に、銀座八丁目金春通りで、能楽が舞われていることをご存じでしたでしょうか?
今年で31回目になるということで、少し前半だけですがお寄りしてきました。

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五穀豊穣、世界平和を願って、6時から幕開けです。暑さもままならぬ中、少し前に"金春祭り御旅所"
という受付で座席券をもらい、室町時代以降続いている四座一流のなかでもっとも長い歴史を持つ
金春座の能楽者、お囃子の方々の入場です。

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この時代の華かやさの先頭を走っている銀座で、600年の伝統を持つ芸能をその場所だからこそ保持していこう
という意気込み、頭が下がります、応援します!

金春通りオフィシャルサイト;http://komparu-ginza.com/

 

ところで、この場所は、博品館の裏手、そう、赤い鯉が湯船の壁に描かれてる銭湯の"金春湯"があります、
湯温は42度と江戸っ子用ですが、短時間であれば却ってサッパリします。

 

 

 

人形町には、静かな佇まいがある(街さんぽ"食べ歩き" その2.5

[お江戸のマーシャ・堀内] 2015年8月 7日 14:00

前回、人形町について書きましたが、まだまだ書き足らないので、書き足します。

 

親子丼の"玉ひで"の通り沿い(向こう三間のお隣)に、"小春軒" という洋食屋さんがあります。

明治の元勲 山縣有朋のお抱え料理人が始めたお店です。

ものすごく庶民的な気軽なお店です。

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前回、私は、夕食用にと、お弁当に詰めてもらって、家で美味しく頂きました。
 

 

次は、"江戸火消しからくり櫓"の裏側の通りのお店を紹介します、"俺のフレンチ"があります、そして
おでんだねの持ち帰りのお店"美奈福"です、超庶民的なお店、大阪を思い出します。
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今度は、甘酒横町をずっと歩いていくと、途中には懐かしき駄菓子屋さん(元々は、水天宮さんに有った
のですが、移転でここにこられています)、そして、創立140年の明治座(歌舞伎)です。そこの
角を曲がって少し歩くと老舗の刃物屋"うぶけや"さん、私は、切れ具合とヤスリ部分が気に入っている
小型のツメ切を使っています。
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こういう個人商店が多く残る人形町が大阪の(下町の)面影があるといったのは、昭和初期~中期を
思い起こさせるものがあるkらでしょうか、店前の植木、防火用水のドラム缶に反応してしまいます
(私は、小さいころ大阪市西区富島町に住んでいました-今は全て川口町になっているようです)。

 

さて、最後に、この人形町は、江戸時代の明暦の大火(1657年)などを幾多の苦難を経てきた街ですが、
庶民の娯楽でもあった歌舞伎など粋な繁華街、華街としての長い歴史を持っています。
その雰囲気をお伝えするにはと考えてみました、江戸東京博物館にある再現パターンの写真をご紹介して筆をおきます。

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*市川団十郎扮する"助六"、
*中村座の歌舞伎小屋
*二八そばの屋台

 (二・八=十六文蕎麦は今の価値に直すと400円弱)

 

 

 

浮世絵がやってきた(街さんぽ その6)

[お江戸のマーシャ・堀内] 2015年8月 5日 11:00

三井記念美術館で8/16まで開始されている"フィラデルフィア美術館浮世絵名品展"
へ行ってきました。

 
江戸中期の明和2年(1765)、浮世絵に色の革命が起こります、浮世絵師・鈴木春信を中心とするグループにより、
多色摺木版画の新しい技術が考案され、"錦絵"が生み出されました。民衆に愛された美術品の
より高度なレベルへの技術進歩だと思います、これは普遍的な価値をより追求した江戸人の息使い
を感じさせるものであり、その道で高みを目指すという日本人古来の特徴が現れていると思いました。

アメリカからの里帰り品鑑賞の機会です、私が好きな作品を掲げておきます。暑さと喧騒の中で
暮らしていると、このような作品を観る事は心が欲することのような気がしてきました、
よろしければ、夏の一時をこの版画と共にお過ごしください。
 
1.《吉原の花見》鳥居清長

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天明5年(1785)フィラデルフィア美術館蔵
Philadelphia Museum of Art:
Gift of Mr. and Mrs. Lessing J. Rosenwald, 1959
展示期間:7月22日~ 8月16日
 (Copyright © 2015 Mithui Memorial Museum All Rights Reserved.)
 
2.《富嶽三十六景 凱風快晴》葛飾北斎

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天保元年~3年(1830-32)頃 フィラデルフィア美術館蔵
Philadelphia Museum of Art
Gift of Mrs. Moncure Biddle in memory of Ernest Fenollosa, 1958
展示期間:全期間
 (Copyright © 2015 Mithui Memorial Museum All Rights Reserved.)
 
3.《三代目大谷鬼次の江戸兵衛》東洲斎写楽

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寛政6 年(1794)フィラデルフィア美術館蔵
Philadelphia Museum of Art
The Samuel S. White 3rd and Vera White Collection, 1956
展示期間:全期間
 (Copyright © 2015 Mithui Memorial Museum All Rights Reserved.)


三井記念美術館 http://www.mitsui-museum.jp/

 

※各画像は三井記念美術館様の所有となります。二次利用は固くお断り申し上げます。

 

 

夏だ!水だ!橋洗いだ!

[お江戸のマーシャ・堀内] 2015年7月29日 18:00

毎年7月の最終日曜日11時頃からの名橋日本橋の橋洗い(現在の橋は今年で104年を迎える)
、7/26 参加してまいりました。

 

先ずは、橋中央埋め込まれている"日本国道路元標"にお参り感謝です。
それから二台の日本橋消防署の赤い車体から長いホースが取り出され、橋の上に散水(再生水)、
自然に優しい石鹸水をバケツで橋全体へ。(消防署からは40名ほどの隊員さんが来られています)
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参加人員は老若男女、たぶん1500名ほどでしょうか、炎天下36度の下、全て団体組みで
"町内会風の法被"を身に纏い、デッキブラシなどを手に、子供にとってはホースから出る水を
追っかけて橋のメジめがけてゴシゴシ、水浴びダー!
12時過ぎからは、消防車から梯子が頭上の高速道路両側面に取り付けられている大きな"日本橋"看板の
お掃除でフィナーレです。暑い中お疲れ様でした。
(この文字は、徳川慶喜の揮毫の橋柱の銘板の文字をコピーして横並びにしたものですが、橋柱の銘板は建築家で幕臣であった妻木頼黄がその揮毫を頼んだもののようです)
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中央通り、和紙の"榛原(はいばら)"さん(街さんぽ その4)

[お江戸のマーシャ・堀内] 2015年7月24日 14:00

気温35度、南からは台風が来ています。
そんな真夏になる頃、中央通りを南へ、COREDO日本橋を通り過ぎ、少し歩いた所に
5月20日に本社を移転された"榛原(HAIBARA)"さんに立ち寄りました。

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200年以上続いている伝統の紙の技を、今に伝える老舗、建物の概観のデザイン自体が
お洒落で目を引きます。入り口の右側ショーウィンドーには、涼しげな団扇が見えます、
中に入ると、全体の色調が明るいデザインがとても美しい空間です。

 

偶々、日本橋ワーカーズの会;アサゲで、マエヒャクとして登壇された

広報の中村さんと初めて出会い、詳しいお話をお聞きしました。

ありがとうございました。

 
*江戸後期の1806年、小間紙問屋として出発、千代紙、木版刷りを手掛ける。
*西郷隆盛、勝海舟なども、榛原さんの和紙を使ったりして、和紙で物書きをするのは、
  当時一種のステータスシンボルだったようです。
*デザインは河鍋暁斎 柴田是真といった一流どころにお願いしていた。
*そして明治の文明開化、和紙の輸出、洋紙の輸入など、そして日本で初めて方眼紙を作った。
*大正時代に開発に成功した榛原製記録紙が、アポロ11号に搭載され、月面記録に用いられる。

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因みに、今年、私は、榛原さんのこの蛇腹便箋セットで、暑中見舞いを書く予定です。
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ところで、老舗のみなさんは、英語名を大体、NIHOMBASHIとして使われているようです、
今風に(現代文法では)、NIHONBASHIのようで混在している状況、
やはり風情を感じるのはMだと思うのです、、。

 

少し歩けば高島屋さんです。水を飲みながら歩きます。

 

 

中央通り、丸善・日本橋店にシーボルト(街さんぽ その5)

[お江戸のマーシャ・堀内] 2015年7月23日 09:00

さて、中央通りをの街さんぽを続けています、今度は南に向かったまま
右手には高島屋さん、左側を歩きますと、本屋さんの丸善・日本橋店があります。
丸善といえば洋書コーナーの3階ですが、ここのワールド・アンティーク・プラザで、
8月4日まで、"シーボルトに編まれた日本"という題名で古書展示会が開かれています。

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シーボルトといえば、1823年から鎖国日本へ長崎出島のオランダ商館医として6年間、多くの分野で
日本を分析し、それを国内外に伝播してくれた一級の外国人という印象があります。
シーボルトが残してくれた文献から、江戸後期の日本人の文化風土、生活がビジュアルで見られます。
また、昔の日本橋辺りの風景の図などもあります。確か、将軍へのお目見え(ご報告)ということで、
徳川家斉あたりだったろうと思います。その時は、室町3丁目当たりの"長崎屋"に
泊まったのだろうと思われます。シーボルトには、多くの日本人の友人がいたのでしょう、
海外と接するには、先ずは言葉が出来ること、友人を作ること、
これが秘訣だということは今でも変わりないことと思います。

 

お帰りには、ハヤシライスを如何でしょうか?この由来は、よく言われている、
丸善創業者の早矢仕有的(はやし ゆうてき)さんが作った牛肉と野菜のごった煮に由来するとか。

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