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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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弾正橋から八幡橋へ ウオーキング ;昔の弾正橋をたずねて

[O'age] 2016年7月30日 09:00

「弾正橋と元弾正橋の概略」以下の通りです。

 

弾正橋(だんじょうばし)::所在地は京橋2、3丁目の鍛冶橋通り。大正2年(1913)に元弾正橋の上流(楓川)に架設。

元弾正橋(もとだんじょうばし) :橋名は寛永図、承応図、明暦図には無名橋として記載、元禄13年(1700)の図に「とごえはし」、後に弾正橋となった。この橋の東の八丁堀(旧松屋町)に邸宅のあった島田弾正小弼に由来。大正2年(1913)元弾正橋の上流に弾正橋が架設されたので元弾正橋と改称され存続されたが区画整理で、廃橋。東京市では、この橋が我が国最初の国産橋梁であることから、昭和4年(1929)5月、現在の位置(江東区)に八幡橋として移築、保存。明治11年(1878)に日本で最初に国産の鋳鉄と錬鉄を併用して作られた橋。昭和52年(1977)に国の重要文化財に指定。平成元年(1989)米国土木学会の栄誉賞を日本で初めて受賞。菊の紋章入りの橋。橋長15.1m、幅員9.0m。(注)中央区の橋・橋詰広場・中央区教育委員会編から抜粋

 

ウオーキング概要:
鍛冶橋通り、永代通りを東に向かう目的地までのウオーキング(最寄駅:出発は都営浅草線宝町駅下車で歩きはじめ、終点は東京メトロ東西線・都営大江戸線門前仲町駅となります)

 
都営地下鉄宝町駅から鍛冶橋通りを東へ進むと、現在の弾正橋。左手(北側)の公園に旧弾正橋の象徴化された模型、右手の公園に中央区が設置した弾正橋の碑があります。

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まもなく左手、京華スクエアの角に「ものしり百科」p59⑭八丁堀の与力・同心組屋敷跡の説明板があります。直進し、新川2丁目で八重洲通りと交差します。ここはかつての越前堀の西南側のあたりと思わます。鍛冶橋通りの右側(中央大橋方向)へ渡り、永代橋に向かって進みます。

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「永代橋西信号」の少し手前、右手最初のガソリンスタンドとその手前のビルとの間の細い道、これが新川の跡のようです。突き当りに新川の石碑p57⑦が遠くに見えます。さらに、鍛冶橋通りを永代橋へ進みます。橋詰にp56⑤船員教育発祥之地碑があります。

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永代橋(重要文化財:現在長寿命化工事中で歩道が狭くなっています)を江東区側に渡ります。橋のうえから隅田川下流方向に、石川島の高層住宅、中央大橋が美しくそびえています。東岸の橋詰に永代橋(重要文化財)の説明板があります。

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永代通りを東に向けて歩き、途中の信号で、永代通りの北側へ歩道を変えて、東へ進みます。門前仲町駅を横目で確認しながら清澄通りを横断し、さらに直進し、富岡八幡宮・正面の東側の側道を東門まで北へ進み、右折し少し行くと左に八幡堀遊歩道の入口があります。遊歩道に入ると前方に八幡橋が見えます。橋の近くに説明の碑があります。

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八幡橋を見て、気が付いたことは幅が狭いことです。出発点の弾正橋にある中央区の碑には幅9.0mとなっています。しかし、現地の説明板では2.0m(実物も)となっています。(長さも少し違いがあります)これらについては「郷土室だより」の119号、120号で鈴木理生氏が書かれております。現在地に元弾正橋を八幡橋として設置する際に、改修が行われたようです。
初めて八幡橋を見たその日、元気な小学生たちがが渡っていく下校姿を見て、130年以上も前の東京最古の鉄製の橋(重要文化財)が現役でひっそりと使われている素晴らしさを感じました。

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ゆかた博物館見学

[O'age] 2016年7月 1日 14:00

ゆかた[浴衣]は広辞苑によると"「ゆかたびら」の略。おもに白地に藍色で 柄を染めた、夏季に着る木綿の単衣(ひとえ)。夏の季語。"とあります。

 

「ゆかた博物館」は人形町駅の近くにあります。見学を通じて、 あらためて昔の人々(着る人、創る人、売る人)のゆかたに対する思いが 伝わってくるように感じました。

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「ゆかたや三勝」向かい側「ZOME・2階」の博物館内の展示を説明をして 下さったのはゆかた博物館館長の清水敬三郎さんで、人間国宝・清水幸太郎 さんの三男の方です。清水さんが入社されたころは「三勝染」といえば 高級ゆかたの代名詞で、手の込んだ精緻な柄を出せば、お客さんは価値を 認めて対価を支払ってくれたものだと伺いました。清水幸太郎さんは 長板本染の職人でその熟練の技は重要無形文化財に指定されたそうです。

 

社名の三勝は創業の志を社名にしたとのことですが、創業者初代・天野半七の 名前と関連して、歌舞伎「艶容女舞衣」(はですがた おんな まいぎぬ)の 主人公の「半七と三勝」の話も伺いました。

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社屋のあるあたりは、江戸時代の堺町・葺屋町で、中村座、市村座が天保の改革で浅草猿若町へ移転させられるまで200年ほど存在した地域でもあります。人形町通りの西側には堺町・葺屋町の芝居町跡の説明板、東側には歌舞伎「与話情浮名横櫛」(よわなさけうきなのよこぐし)のモデルになった玄冶店(げんやだな)の碑、説明版がある。春日八郎の「お富さん」でも有名。

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毎年7月7日は「ゆかたの日」です。
「中央区まちかど展示館一覧」の"概要欄"に人間国宝清水幸太郎の作品、ゆかたの染工程、染色道具類、相撲のゆかたなどと記載があります。見学には、電話で予約が必要です。

 

 
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