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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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カルガモさん便り 2016年 夏

[佃のうさこ] 2016年8月30日 18:00

石川島公園隅田川テラスで見られるカルガモさん達は、みんなが揃うと2ペアとシングルの合計5羽です。みんなが相生橋のたもとにある浮島を寝床にしているかは定かではありません。それは、カルガモさんが神出鬼没だからです。きょうは、カルガモさん達の日常を石川島公園の夏とともにお届けします。

 

石川島公園の花壇、サルビアの赤色が川面の青色と映えて美しいですね。

カルとサルビア.jpg 

パリ広場のクローバーが一面に白くなる頃、カルガモさん達もお気に入りなのかよくお散歩をしています。

カルとクローバー①.jpgカルとクローバー②階段.jpg 

お散歩して疲れたら桜の木陰で一休み。

やっぱりカルガモさんも晴れやかな風景がお好みなんでしょう。

カルと.jpg 

おっ‼日光浴‼

カルとおじさん.jpg 

朝6時半、対岸では毎日体操をしている皆さんが。

アオサギさんは朝食の好機を狙っていますが、カルガモさんは器用にまだ寝てる、、、。

カルとアオサギと体操.jpg 

朝のランナーが通り過ぎるなか良いポジション取りでカルガモさんは羽繕いに余念がありません。

カルと朝ウオーク.jpgカル4枚.jpg 

犬さんとはお互い仲良くとはいきませんが、距離を保てば共存も大丈夫。

さあ、今日も一日がスタートです。

カルと柴犬.jpg 

カルガモさん達をこれからも皆さんで見守っていきたいですね。

 

 

佃上空にノスリあらわれる

[佃のうさこ] 2016年8月23日 16:00

中央区佃、朝6時、小鳥たちのさえずりが賑やかな時間。

ビルの窓々に映る隅田川の水面は、いつものように朝日にまばゆく輝いているのに、

今日は車の行き交う音だけが低く響いています。

何か違うな、、、と思わせる空気が流れたその時、目の前にあらわれた鳥が、

ノスリです。

ノスリ亀島川水門.jpg

タカ目タカ科のノスリは、れっきとした猛禽類の一種。

猛禽類は、優れた飛翔力と鋭いくちばしと爪の攻撃力で餌となる獲物を捕らえます。

その能力を利用して飼い慣らした狩りの方法が鷹狩りで、

古来から世界中で行われていました。

タカ・ハヤブサがその代表です。

ノスリ白いビルの壁を舞う.jpg

江戸時代の将軍と鷹狩りのつながりを見てみると、

初代徳川家康は単なる鷹好きの域を越えて、身体を鍛える養生法として捉えていました。

三代家光は、江戸城内に鷹を飼う「鷹坊」を設置するほどで、

在職中に数百回も鷹狩りを行ったとか。

現在の浜離宮恩賜公園は、十一代家斉・十二代家慶の頃には将軍の鷹狩りの場でした。

ノスリビルの間を.jpg

ところが、タカ科であるノスリは、狩りに使えない役に立たない鷹として、

「まぐそたか」「くそとび」と何とも気の毒な名前で呼ばれていました。

それは、ノスリの餌が小型の野鳥ではなく、主にネズミや蛇だからです。

ノスリビルの屋上に止まる.jpg

精悍な顔、たくましい足、10階建てビルの屋上を止まり木にする姿には、

いつの時代も人に飼い慣らされることなく自由であった誇りさえも漂うようです。

ノスリ青空飛行シャープ.jpg

そんなノスリの滑空が見れる朝6時の佃上空です。

 

 

月島の今昔 その①胡萩堂

[佃のうさこ] 2016年8月14日 09:00

地下鉄月島駅7番出口を出てすぐに通称もんじゃストリート・月島西仲商店街の弐番街にある

胡萩堂さん。私のお気に入りの「ねこせんべい」があるお煎餅屋さんです。

胡萩堂ねこせんべい.jpg今日は女将さんに日ごろ気になっていたお店のことや、月島西仲商店街のちょっと昔の様子を

伺ってみました。

胡萩堂お店.jpg胡萩堂という美しい響きの店名は、名付けた先代のお父様がもうお亡くなりになっているので、

今では残念なことにわからないそうです。

お店に入ると一番に目につくのが大きな広口瓶。

その存在感は、ザ日本のお煎餅屋さんを象徴しますが、どんな瓶なのでしょうか?

胡萩堂広口瓶.jpg広口の丸みをおびた切り口のカーブは、吹きガラスの手作り品ならではのあたたかみで、

光の反射によって中のものが一層美しく見えるすぐれ物。

胡萩堂広口.jpg

浅草橋で買い求めていたそうですが、今では手作りする職人さんがいなくなり壊れても補充できないとか。

残りはお店にある14個のみ、、、失なわれないで欲しい一品ですね。

昭和30,40年頃の商店街には、お昼には築地帰りのジャンパー族(築地市場で働いている

人達)が、夕方4時にはエプロンをしたお母さん達が買い物をしに来ていました。

おもちゃ屋が3軒、糸屋が2軒、豆腐屋が2軒もありました。

当時の糸屋へは、その頃まだまだ高価だったストッキングが伝線すると、一本一本直してもらう

のに駆け込んでいたそうです。

胡萩堂女将さん.jpgその後、昭和63年に有楽町線月島駅が出来た時、テレビ局が取材するものが無く

もんじゃ焼きでも、、と取り上げたのが宣伝となって、今の月島=もんじゃ焼きの

イメージが出来ました。

平成に入り地上げがあり一時人口も減ったそうですが、今は勝どきにタワーマンションが

たくさん建って子供たちが増えていると教えてくださいました。

月島西仲商店街弐番街.jpg

明治25年に埋め立てられ誕生した月島。それ以来、明治、大正、昭和と国の推進力となった

重工業地帯を支える人々のくらしが息づいている商店街。

平成に周辺地域にタワーマンションが林立して、今も昔も人々のくらしの最先端を映し出す

商店街。こんなユニークな月島の商店街に「月島の今昔」をもとめて、

今後もお店を訪ねお話しを伺いたいと思っています。

 

 
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