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待合茶屋: 亀の尾

[yaz] 2017年11月17日 14:00

明治6年作成の沽券図(不動産登記簿)によれば、中央区日本橋の中央通り室町三丁目と本町三丁目の角に最首五郎兵衛という人の家作がありました。土地の大きさは187坪。江戸時代には町年寄「喜多村彦右衛門」の屋敷であったところが、私の中学校の同級生の家になっていました。ここで待合茶屋「亀の尾」を経営していたようです。歌舞伎の演目で「亀の尾」というのがあるそうですから、日本橋芸者(檜原芸者)が来る楽しい場であったと想像されます。

 

1830年当時には喜多村町年寄宅はありますが、明治6年(1873年)には最首宅に変わっていますので町中にも幕末は大きな変化をもたらしたものと想像されます。

喜多村彦右衛門宅.jpg (1830年当時)

 

亀の尾_場所.jpg 

(明治6年の沽券図より抜粋)

 

 

明治時代に行った待合茶屋に関する落語家へのインタビュー記事に「亀の尾」に関わるものが残っていますので紹介します。

 

「其の頃は、駿河町の亀の尾、日本橋の寿、芝では千歳と此三軒けァなかッたものです。外にも在ッったか知りませんが、此三軒が一番名うてでした。女を呼んで酒は飲みましたが、今のように寝泊まりはしません。情人(いろ)でもこさえて出会をするには、向島水神の八百松か植半、それから今は在りませんが、三囲の柏屋と云う意気なお茶屋がありましたが其所へ行ッったもんです。居廻りや近所で会ふのは情夫(いろ)じゃァないと云ッてた位でした」

 

貸席業としての待合は,江戸時代の待合茶屋を起源としています。待合茶屋は,商人の寄合いや旅人の送迎など,本来の待合せに利用する茶屋でありましたが,明治初年以後は花柳街における芸者との遊興場所として急成長しました。

 

現在までの調査では歌舞伎の演目「亀の尾」については情報が一切ありません。最首さんへの聴取・歌舞伎座へのアプローチを行いますので、情報を入手次第皆様にお知らせします。ご期待ください。

 

 

 
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