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まち歩きで試したくなる!ドイツの楽しみ方 in 中央区

[Hanes] 2018年12月24日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
街中がますますクリスマスムードになってきましたが、
皆さん、クリスマスの準備は順調に進んでいますか

先日、冬と言ったら北欧を連想するということで、区内で楽しめる北欧スポットをご紹介しましたが、
クリスマスと言って連想する外国は...やはりドイツではないでしょうか。
特に、ドイツのクリスマスマーケットは有名ですよね!
それに、ドイツ出身のアルバート公と結婚した英国のヴィクトリア女王は、
ドイツの風習にならってウィンザー城にクリスマスツリーを飾り、
女王の家族がツリーを囲んでクリスマスを祝う写真が後に新聞に掲載されたことで、
英国の一般人にもクリスマスツリーが広まるようになりました
そんなわけで、今回は区内で楽しめるドイツを厳選してお届けします!
(所々に中央区観光検定対策を含みます

■ドイツ料理
区内には数々のドイツ料理店がありますが、その中から今回ご紹介するのは、
銀座Velvia館にあるドイツビール&ワイン専門店シュタインハウス銀座です。

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こちらのお店を選んだ理由は、ランチの評判の良さ!
1000円程で本場さながらのレベルの高いドイツ料理がいただけるということで、
私はハンバーグランチを注文してみました
まずは体裁よく盛り付けられた前菜から...

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しばらくすると、どこからかよい香りがふんわりと漂ってきて、
メインのハンバーグが運ばれてきました
既に日本に定着しているハンバーグですが、その発祥はドイツ!
英語でHamburgと綴ると分かる通り、ドイツのハンブルクの食べ物に由来します。
一般社団法人日本ハンバーグ・ハンバーガー協会によると、
ハンバーグの起源は、「18世紀頃ドイツの港町ハンブルクで労働者に人気のあったタルタルステーキ」にあるそうです

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牛肉100%のハンバーグは切ると肉汁があふれ、
付け合わせのザワークラウトは酸っぱすぎずちょうどよかったです
その他にも人気のソーセージランチや日替わりのランチもあり、
夜は本場のビールとソーセージを楽しむにはうってつけですね!

食後には、ヨーロッパの古城を思わせる石壁をバックに紅茶を撮影

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ここまでお料理をメインで紹介してきましたが、
実はこのお店、インテリアにもこだわっており、ヨーロッパらしいオシャレな空間になっているんです
そのためか女性に人気で、女子会でご利用の方もいらっしゃいました。
銀座でお手頃にドイツ料理ランチをしたいときにはオススメです!

【シュタインハウス銀座】
住所:東京都中央区銀座2-4-6 銀座Velvia館8F
営業時間:ランチ  月~金   11:30~14:30
          土・日・祝 11:30~14:30
     ディナー 月~金   17:00~23:00
          土・日・祝 17:00~23:00
※シュタインハウス銀座のご担当者様より掲載許可をいただいております。

■ドイツのような風景
中央区には、ドイツの風景を思わせる橋「清洲橋」があることをご存知でしょうか。
この橋は、ケルンにあった吊橋をモデルにしたと言われています。
残念ながらモデルとなった橋は第2次世界大戦時になくなってしまいましたが、
清州橋にはどこか欧風の華やかさが見て取れますよね



先日wienerhornさんがご紹介していた通り、清州橋は現在工事中です。
もう少し先の話になりますが、工事終了後に美しい橋の姿が見られる日が楽しみです。

■中央区ゆかりのドイツ人
観光検定を受検される方は既にピンときたかもしれませんね。
そうです、シーボルトです
オランダ商館医として来日したことから、オランダとの関係性の深い彼ですが、実はドイツ人!

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江戸蘭学発祥の地であり、築地にシーボルトの娘いねが産院を開業したことから、
あかつき公園にはシーボルトの功績をたたえて像が設置されています

■おさえておきたいドイツの文化施設
三越前駅地下コンコース壁面には、「熈代勝覧」の複製絵巻が常設されています。
文化2年(1805年)頃の日本橋から今川橋までの大通り(現在の中央通り)を東側から俯瞰し、1806年の「丙寅の大火」で多くの建物が消失する前の江戸時代の町人文化を詳細に描いた非常に貴重な絵巻(作者不明)となっています
絵巻には、沿道の問屋・店88軒、行き交う1671人、犬20匹、馬13頭、牛4頭、猿1匹、鷹2羽等が描かれており、思わず見入ってしまうような面白さから、複製ながらも一見の価値があります。

そんな絵巻ですが、原画は東京でも、ニューヨークでも、ロンドンでもなく、ベルリンにある国立アジア美術館に所蔵されています
思わぬところにドイツとのつながりがあるので、検定受験者は要チェックです!

【関連記事】
にゃんボクさん「熈代勝覧(きだいしょうらん)の日本橋」
(江戸の名物だった犬の糞とは?オススメの参考文献はこちらから!)
yazさん「熈代勝覧裏話」
(講義参加レポート。Wikipediaでは知りえない面白い話はこちらから!)
お江戸のマーシャ・堀内さん「熈代勝覧に描かれた江戸の暮らし」
(セミナー参加レポート。江戸時代にタイムスリップしたい方はこちらから!)

 

 

日本茶の魅力再発見!@第72回全国お茶まつり(2)

[Hanes] 2018年12月23日 09:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
今回は第72回全国お茶まつりレポートの続きです。

11時少し前まで手もみ茶体験や試飲をした後は、お待ちかねの基調講演へ
「和文化と日本茶」をテーマに、静岡文化芸術大学前学長である熊倉功夫先生
知れば知るほど面白いお茶の歴史について、分かりやすく話してくださいました。
ここではその一部を簡単にご紹介します

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■日本におけるお茶の歴史
嵯峨天皇の時代に中国から伝わった。
・815年の『日本後紀』には、「嵯峨天皇に大僧都永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」とあり、これが国の歴史書における日本茶の最初の記述である。
・平安時代初期には既に茶の栽培が行われており、「平安京大内裏図」の右上には「茶園」の文字が見て取れる。右上、つまり東北の鬼門に位置することから、お茶には災いを打ち払う等の意味があったのではないかと思われる。お墓にお茶を植えたという記述もある。

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明庵栄西『喫茶養生記』では、「茶は養生の仙薬なり。延齢の妙術なり」と書かれている。
・お茶は日本人の健康のためではなく、禅宗の儀式(茶礼)のためにもたらされた。禅宗は武士に影響があり、茶は武士経由で庶民へと広がった。
・15世紀初め、京都に煎じ茶を売る茶売りが出てきた。
・「高雄観楓図屏風」では、酒(男、辛)と茶(女、甘)が比較して描かれている。

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・山の中にある茶室(入口が狭い)は、山中他界観から別世界への入口、または胎内くぐりと同様の考え方から生まれ変わる入口としても考えられた。
・黒船来航時の狂歌「泰平の眠りを覚ます上喜撰たった四はいで夜も寝られず」には裏の意味がある。それは、宇治の上等のお茶「上喜撰」を4杯飲んだ結果、カフェインにより夜も眠れなかったというもの。
シーボルトが収集した20種以上の茶がオランダのライデン国立民族学博物館にあり、その中にその「上喜撰」がある。

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・幕末からはお茶の輸出が盛んになった。海外に輸出できる農作物があるか否かで、近代化(外貨を獲得し、海外の情報や技術を入手)できるかが決まる。日本には絹と茶(ピーク時は25,000トン(総輸出の25%))があった。
・近年、醤油(江戸時代の2分の1の消費量)の国内需要が低迷する一方、海外で需要が高まっている。

ここまで簡単に箇条書きにしてみましたが、黒船来航→上喜撰→シーボルトというまさかの中央区との繋がりもありましたね
そういった思いがけない発見による感動が冷めやらぬうちに、残りのブースへ!

■美濃いび茶振興会

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■JA静岡経済連

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■(株)タマヤ

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■(株)鈴木長十商店

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■福岡県茶業振興推進協議会

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■そのぎ茶振興協議会、全農こうち農産販売課内 土佐茶販売対策協議会

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こちらは出展ブースの一部ではありますが、茶葉からティーバッグにマドラーのついた便利なタイプのお茶まで、
お茶を使ったスイーツのご紹介から淹れ方講座までと、実に充実しているのが伝わりますでしょうか?
しかし、お茶フェスはこれでは終わりません!
五感でお茶の魅力が体験できたブース(一部)は次の記事でご紹介します

■推薦図書
角山栄『茶の世界史 改版 緑茶の文化と紅茶の社会』(中公新書、2017年).
松下智『日本の茶』(風媒社、1969年).

■参考ウェブサイト
熊倉功夫「茶と日本人」、日本医史学雑誌第45巻第2号(1999)、pp. 155-157.
http://jsmh.umin.jp/journal/45-2/155-157.pdf

 

 

日本茶の魅力再発見!@第72回全国お茶まつり(1)

[Hanes] 2018年12月21日 12:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日、日本橋で開催された第72回全国お茶まつり(お茶フェス)に行ってきました!
これまでお茶の産地にて開催されてきたイベントですが、東京2020に向けて、
海外の方にも日本茶の良さを知っていただきたいという思いにより、
大都市東京での開催に至りました

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本イベントでは、日本茶のご紹介、試飲・試食、手もみ体験、淹れ方体験をはじめ、
パネルディスカッション・食育セミナー・基調講演・コラボセッション開催、
出展団体による物販コーナーと盛りだくさん
会場内には色々なお茶があり目移りしてしまいましたが、最初に向かったのは...

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■手もみ茶体験コーナー(茨城県さしま茶手揉保存会)
最初は遠目に見ていたのですが、お声かけいただき、手もみ茶を体験してきました。
茶葉がまだ水分を多く含んだ状態だったので、水分をとばすべく、
乾燥台の上で葉振るいを行いました
実際に体験して感じたことは、振るう時にお茶の良い香りがふんわりと香ること!
飲み物としてのお茶以上に新鮮香りが強く、感激
さらに嬉しいことに、手がすべすべになりました!

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お話を伺ったところ、お茶になるまでには最低でも5時間はかかるそうです
気の遠くなりそうな話ですが、美味しいお茶にはそれなりの時間と手間がかかっているんですね!
葉振るいの後は回転もみを行い、その後も様々なもみ方を経て乾燥させます。

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猿島茶は、利根川の水運を利用して江戸に運ばれ高く評価されただけでなく、
日本で初めて海外に輸出されたお茶として歴史にも名を残しています
茨城県出身で歴史好きの私にとっては見逃せないお茶です

■宇治市農林茶業課、(公社)京都府茶業会議所
続いては、抹茶で有名な宇治市のブースへ行ってみました。
ここでは、抹茶の原料である碾茶と玉露をブレンドした碾玉が紹介されていました。
碾茶と玉露は煎茶や番茶と異なり、日光を遮って栽培することで茶葉の旨みが凝縮されているそうです
初めて聞く名前のお茶でしたが、その風味はあっさりした煎茶とは全く違いました。

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隣では、抹茶の点て方のコツを教えていただき、試飲することができました

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■静岡県お茶振興課
こちらのブースでは、ふじのくに茶の都ミュージアムのSNS連動キャンペーンでお茶缶をいただき、
来年5月と11月に静岡県で世界お茶まつりが開催されることを知りました

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また、世界農業遺産である静岡の茶草場農法が、高品質のお茶を作るための農法のみならず、
生物多様性を育み、地球温暖化緩和にも効果がある環境に配慮した伝統農法だと学びました
以前購入した掛川茶のパッケージにこの農法の認定シールが貼られており、
漠然と「伝統農法にこだわって生産されたお茶」というイメージを抱いていましたが、
それよりはるかに大きなスケールでの取り組みだったと知ることで、
静岡で継承されてきたこの農法の素晴らしさを見直すきっかけになりました

■熊本県経済連 茶生産流通協議会、南九州市茶流通対策協議会
向かって左側の南九州市(日本の本土最南端!)のブースでは、
国内最大の生産量を誇る知覧茶の試飲をさせていただきました。

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知覧茶と言っても数多くの品種があるようですが、あまみがあり飲みやすかったです。
ここまで数種類のお茶を試飲しただけでも、それぞれ渋みやあまみ、香り等が明らかに異なり、
ペットボトルのお茶が定着した現代では忘れがちな日本茶の種類の多さに気づかされました

日本同様にお茶文化が有名な国として、英国(紅茶)が挙げられますが、
英国のスーパーではペットボトル入りの紅茶はほとんどありません。
(私はリプトンのフレーバーティーしか見たことがありません。)
家庭では茶葉もしくはティーバッグでお茶を淹れて飲み、出先ではティールームや移動販売車等で同様の方法で淹れたお茶を購入します。
和食が世界的ブームになった今、改めて(茶葉の)日本茶の良さを確認し、
海外の方にその魅力を発信していけたらいいですよね

つづく

■参考ウェブサイト
茨城県「情報008:日本で初めて海を渡った茨城の猿島茶」
http://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/kenmin/hakase/info/08/index.html
世界農業遺産「静岡の茶草場農法」推進協議会「世界農業遺産 静岡の茶草場農法」
https://www.chagusaba.jp/

 

 

【期間限定】暖かでふわふわなかまくらを見に行こう!

[Hanes] 2018年12月19日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先日、冬でも暖かさを感じられるような日本橋でのライトアップをご紹介しましたが、
東急プラザ銀座のルーフトップ「キリコテラスグリーンサイド」には、
暖かい見た目のかまくらが期間限定で設けられています!

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こちらのかまくらはなんと、ウールでできているんです
写真からそのふわふわ感が伝わりますでしょうか?

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ザ・ウールマーク・カンパニー(土に還り、再生可能でナチュラルなウールであるメリノウールの研究・開発、営業を行う非営利団体)と
日本の伝統文化のコラボにより実現したこのかまくらは、12月25日(火)までお楽しみいただけます

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意外かもしれませんが、銀座にはコーヒーを100円でいただける場所がいくつかあり、
今回は、東急プラザ銀座に入っているURBAN RESEARCHにて
アメリカーノSサイズ(100円)を購入し、夜景を眺めながらしばらく観光検定対策をしてきました

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寒くない日は、商業施設の屋上で検定のテキストを広げるのも悪くないですね

 

 

食生活を見直そう!「日本橋ロカボ祭2018」

[Hanes] 2018年12月15日 18:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
以前、こちらの記事で群馬県のアンテナショップ「ぐんまちゃん家」にて
群馬県産野菜とパティスリーポタジエがコラボしたロカボケーキが購入できるとご紹介しました。
緩やかな糖質制限「ロカボ」が普及し始めて数年、中央区でもそれに特化したイベントが開催されました。
それが、11月23日~25日に開催された「日本橋ロカボ祭2018」です。

まずは、AGEs測定ブースにて、老化物質のチェックから
指を機械に入れるだけなので、計測はいたって簡単!
(※AGEs測定装置はまだ導入段階で、今後徐々にドラッグストア等でも測定できるようになるそうです!)
今回初めて聞いたAGEsは、最終糖化産物(Advanced Glycation Endproducts)の略。
加齢によって生成されるので、誰の体内にも存在する老化物質なのですが、
過剰に摂取した糖がタンパク質に結びつくことでも生成されるのです

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このAGEsは蓄積が進むと、弾力性のあるコラーゲンの質が低下し、
肌(しわ、たるみ、くすみ)、骨や血管(質の低下)を招くなど、
老化現象を早めたり、健康を損ねたりする原因になります
特に美容を気にする女性にとっては敵ともいえる存在です!

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自称健康オタクの私のAGEsの測定結果は...同年齢100人中中位とまずまずの結果に...
「カロリーは気にしていても、糖質はあまり気にしていなかった...」と反省し、
早速ロカボ食品の紹介ブースに行ってみました

日本橋に東京営業所を構える竹本油脂の「マルホン胡麻油」のブースでは、
「油はもう敵じゃない!!」というフレーズとともに、レシピのご紹介や
グリコのアイスSUNAO(バニラ)に胡麻油をかけたサンプリングの配布をしていました。

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今年で創業200年を迎える榮太樓總本鋪からは、榮太樓商事の「からだにえいたろう」の商品が紹介されていました!
後日気にして見てみたら、NATURAL LAWSONでも購入できるようですね

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森永乳牛からはおいしい低糖質プリン

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紀文は糖質0g麺

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その他、カルビーの「フルグラ 糖質オフ」、モンテールの「糖質を考えたプチシュークリーム」、
サラヤの「へるしごはん」、ローソンの「ブランパン」等のご紹介とサンプリングの配布をしていました。

一通り見て回った後は、オリジナルロカボメニューを求めて福徳の森へ
こちらでは、今回ご紹介があった企業のロカボ商品を使用したお料理、スイーツ、飲み物が購入できました

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私が選んだのは、「鶏雑炊」「あずきハイ」
「鶏雑炊」には、ロカボスタイルへるしごはん(サラヤ)、太香胡麻油(竹本油脂)、糖質70%オフつゆの素ゴールド(にんべん)が、
「あずきハイ」には、ポリフェノールあずき茶(榮太樓總本鋪)が使用されています。

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薄味でからだにやさしく、少量でも時間をかけてよく噛んで食べると満腹感が得られることを再確認
糖質の高い食品が何か学ぶことができ、糖質オフを意識した料理のヒントを得ることができました
特に、カロリーの高い食品と糖質の高い食品が必ずしもイコールではないことは、大きな発見となりました!

そして、最後は大人気だったロカボクイズラリーに挑戦し、

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その日から気軽に糖質オフを始めることのできる、低糖質の食べ物や調味料をいただきました
こうしてみると、低糖質の食べ物って意外と身の回りにあるのですね!

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(職場での休憩時間に手軽なチョコもいただきました

本イベントは終了しましたが、日本橋では「江戸前ロカボ」という日本橋糖質オフプロジェクトが行われており、
日本橋ロカボ祭のウェブサイトでは、日本橋でいただける糖質オフメニューがご覧いただけます

可愛い盛りのあずきちゃんと毎日を楽しんでいらっしゃる
パワフルな先輩特派員えだまめさんがよく話題にしている日本橋浜町のHama Houseのように、
最近ではエリア単位で食育健康づくりを意識したまちづくりが目立つようになってきました

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働いているとどうしても疎かになりがちな健康な食生活...
私自身、これを機に見直してみようと思いました。
健康を気にしている方、日本橋で楽しく糖質オフを心がけてみませんか?

※本記事は、株式会社ダブルカルチャーパートナーズ コミュニケーションデザイン事業部のディレクターさんより掲載許可をいただいております。

【今月の日本橋でのイベント情報】
「第72回全国お茶まつり ~日本茶文化ふれあいフェスティバル~」
期間:12月14日(金)13:00~19:00
   12月15日(土)10:00~16:00
会場:日本橋プラザ(東京都中央区日本橋2-3-4)
当日のスケジュール:本イベントのFacebookページよりご確認ください。

 

 

Discover Chuo City : カトリック築地教会の敷地に住んだ億万長者

[Hanes] 2018年12月11日 14:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
もし、「カトリック築地教会の敷地に億万長者となった人物が住んでいたことがある」と言ったら、皆さんは信じますか?
私は初めてこの話を聞いた時、手放しで信じることができませんでした

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その人物は信徒ではなく、なおかつ関東大震災前の話なので、
教会にその人物についての資料は残っておらず、「やはりそんな事実はなかったのか...」と思いかけたその時、
茨城県のとある資料館にて、偶然にもそれが事実だったと知ることになりました。
今回はそのような嘘のような本当の話を通じて、
これまでほとんど知られてこなかった築地の歴史のワンシーンをご紹介します

時は戦後。日本には「戦後の三長者」と呼ばれる3人の億万長者がいました。
元力士でホテル・ニューオータニ創業者である大谷米太郎
大阪造船所社長である南俊二
そして、今回の主人公となる炭鉱経営者菊池寛実です。

お隣の港区には、「菊池寛実記念 智美術館」があるので、
彼の名前を聞いたことがある方もいらっしゃるかもしれません

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栃木県の馬頭町出身の彼は、炭鉱で成功していた叔父の山崎藤太郎を頼って上京し、
入船町の運河に面した場所にあった山崎商店にて、隅田川で石炭の荷下ろしをする見習いとなりました。
当時内風呂のある家は少なかったので、一町内にひとつは銭湯があり、
彼も石炭や粉炭の汚れを洗い流しに銭湯に行っていたようです

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(もしかしたら入船湯のことかもしれませんね!)

そんな彼もやがて結婚し、アメリカ大使館やホテルオークラの近くである赤坂霊南坂に住み始めます
そしてその後、築地明石町に引っ越すことになるのです。

「大正十年、一家は霊南坂の家から築地明石町に移った。この家は、昔の居留地のまんなかにあったカトリック教会に隣接する教会付属の建物で、ローマ法王所有の家であった。明治十年以前の建築で、古くはあったがレンガ建ての立派な洋館で、二階を住居とし階下を辰ノ口炭砿の事務所に使った。新興成金の住居にふさわしい、というより身分不相応なくらいの堂々たるものであった。」
立石任夫『菊池寛実伝』(大心塾、1979年)、p. 180.※非売品

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(菊池寛実記念高萩炭礦資料館(茨城県高萩市)にて撮影。)

「不景気のあとの不況の波が押し寄せてきた大正十(一九二一)年、寛実は転居している。新婚生活五年目であった。赤坂霊南坂から、築地明石町へ移転した。新居は新築ではなく、カトリック教会に付属した洋館で、ローマ法王庁所有の家だった。築四十五年というから古いが、赤レンガ建ての洋館で、当時まだめずらしい。どうしてこの家が手に入ったのか。娘の智によれば、ローマ法王庁の大司教座が霊南坂に移ったのにあわせて、寛実が譲り受けたらしい。二つの西洋館のうち、一軒は会社が使用し、もう一軒は住まいになっていた。この明石町は隅田川の河口に近く、川沿いで眺望も悪くない。数十年前まで、川に望んだ料亭など、なかなか風趣があったものだ。もともと、明治初年の、いわゆる築地居留地のあとだけに、大正時代にはまだ、居留地の名残が新東京風景としても知られているところだった。」
早乙女貢『怒涛のごとく:菊池寛実の不屈の生涯』(2008年、原書房)、p. 119.

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(菊池寛実記念高萩炭礦資料館(茨城県高萩市)にて撮影。)

寛実は、関東大震災で家が消失したのを機に引っ越すことになりましたが、
その当時の教会の様子は、以下のように記録されています

「ローマ法皇庁の力も、贅を尽くした西洋建築もこの地震の前には、抗する術もなかった。地震は火災を引き起こし、火は風を呼び、烈風が火災を煽って、東京を焼き尽くしたのだ。(...)余震のつづく三日目には、早くも入船町の焼け跡の敷地に杭を打ち縄張りして、バラックを立てた。(...)寛実はそのバラックで早くも仕事を再開始し、ついで、ふたたび明石町の旧居跡にも、バラックを建てた。ここは敷地が広いので、空地を貯炭場に利用できる。教会が荘厳な雰囲気で蟠踞しているときはとても言い出せなかったことが、震災がもたらした幸いといえようか。教会のあった敷地が石炭置場になるなどと、だれが想像し得ようか。この明石町は隅田川と掘割に囲まれているために、水運に便利なことが石炭の運搬に最適だったのだ。」(早乙女、pp. 124-126)

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(菊池寛実記念高萩炭礦資料館(茨城県高萩市)にて撮影。)

信じられないかもしれませんが、先日同期特派員の湊っ子ちゃんさんもご紹介していた教会敷地内の建物は、
かつて炭鉱事務所として使用され、石炭置場になったこともあるのです
そしてまた、後に億万長者となる菊池寛実の若き日を見届けた場所でもあるのです

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(高萩炭礦の事務所の遺構)

黒いダイヤモンドで日本の発展を支えた男の築地での一時は、
既存の文献にはほとんど残っておらず、忘れられつつあります。
しかし、外国人居留地としての印象の強い築地明石町に、それも教会の敷地に、
そのような人物が住んでいたことは非常に意外で、興味深い話ではないでしょうか?

このように、中央区内には興味深い人物伝がまだまだ眠っています。
今後も石炭を掘るがごとく、人物伝を「採掘」していきたいと思います