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◆中央区 ここに歴史あり(45) 五街道今昔(1) ~日本橋から東海道を歩く~

[巻渕彰/写楽さい] 2012年9月20日 08:30

来年は江戸開府410年にあたる。五街道も開府のころ制定されたという。日本橋を起点に北へ南へ、文字通り"四通八達"の道路網が敷かれた。江戸の繁栄を支えた五街道は、今日の国道へと引き継がれている。中央区内の五街道の今昔を日本橋から歩いてみよう。はじめは東海道。

 

0913_45_120917tokaido.jpg一番賑わった東海道。広重「東海道五拾三次 朝之景」は南詰西側の高札場から出立である。この場所には現在、「日本の道100選 中央通り」碑が立ち、道の起点である日本橋も説明されている(写真上左)。南に向かい日本橋交差点は、南進すると東海道、現国道15号線だが、永代通りを西に折れると甲州道中への追分で、今日では国道1号線を経て、国道20号線へとつながっていく(写真上右)。

 

東海道を進むとやがて中橋広小路。「江戸名所図会」に「中橋」として載る。八重洲通りとの交差点である。八重洲通りは江戸初期の絵図では堀川だった。その東側の大鋸町(おがちょう)は広重が「名所江戸百景」などを制作した住まいがあり、江戸百景「市中繁栄七夕祭」はこの地を描いたといわれ、ここが終焉地となった。明治屋京橋ビル辺りの通町筋は、江戸三伝馬町のひとつ、南伝馬町である。名所図会「南伝馬町祇園会御旅所」の挿絵があるが、現在、面影は全くない。

 

京橋交差点のかつてのランドマークだった辰野金吾設計の初代「第一相互館」は最近3代目として「相互館110タワー」に建て替わった。この付近が日本橋から1km地点である(写真下左)。京橋川に架かっていた京橋跡には明治、大正期の親柱が残る(写真下右)。橋の北詰東側は江戸百景「京橋竹がし」に描かれる。北詰西側に「江戸歌舞伎発祥の地」と「京橋大根河岸跡」碑が立つ。

 

江戸期は辺鄙な地域であったといわれる銀座に入ると、新両替町は明治2年(1869)に銀座の町名になり、現在「銀座発祥の地」碑が立つ。今年は江戸銀座役所設置400年にあたる。現在の銀座5丁目には、名所図会「尾張町 布袋屋・亀屋・恵比須屋」に3軒の呉服店が描かれる。今日の銀座4丁目交差点は、かつては尾張町交差点と呼ばれた。東側、三十間堀の木挽橋を渡った一帯は名所図会「木挽町芝居」に森田座が描かれる。現在地は銀座6丁目、昭和通りあたりである。

 

銀座通りの終点は新橋。汐留川に架かっていたが、古くは芝口橋と呼ばれ、芝口御門が置かれたと北詰東側の中央区説明板にある。この付近はまた、名所図会「しがらき茶店」があり、日本橋から2kmすぎで、ひと休み処だったのだろうか。現在、この道は中央区の「信楽(しがらき)道路」と愛称されている。ここで中央区内の東海道は終わる。●巻渕彰

 

 

 
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