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◆中央区 ここに歴史あり(64) 十返舎一九生誕250年 ~区内ゆかりの地を訪ねる~

[巻渕彰/写楽さい] 2015年11月 9日 09:00

「東海道中膝栗毛」でおなじみの戯作者・十返舎一九(じっぺんしゃいっく)、今年は生誕250年にあたる。通油町(現日本橋大伝馬町)の蔦屋重三郎「耕書堂」に寄食し、のち、近くの長谷川町(現日本橋堀留町二丁目)で暮らした。墓所は現在、勝どきの東陽院にある。中央区内の一九ゆかりの地を訪ねてみよう。

 

0913_64_151105jippennsha.jpg十返舎一九は明和2年(1765)、駿府(現静岡市)で駿府町奉行所の与力同心を務めた重田家の長男として生まれ、重田貞一を名乗る。幼少より武芸や学問に励み、槍術の鍛錬に熱心だったという。

 

寛政6年(1794)30歳の秋ごろから、通油町の蔦屋「耕書堂」に寄食して、ドウサ引き(明礬を溶かした水に膠をまぜた液で、絵具の滲みを防ぐために塗る)をしていたと伝わる。一九はすでに大坂で浄瑠璃作家として知られていた。耕書堂では黄表紙3作でデビューし、著作から作画、筆耕までを一九自身がこなしたという(写真上)

 

寛政8年(1796)には蔦屋を出て、長谷川町に住まう。通油町の東南に位置し、版元の村田屋、榎本屋、岩戸屋などとも近く、堺町・葺屋町の芝居町に近接した場所で、役者なども住んでいた。落語「百川」では「三光新道」が話に出てくる。現在は「三光稲荷神社」が鎮座している一帯である(写真中央)

 

ベストセラーの初編となった「浮世道中膝栗毛」は享和2年(1802)刊行。「東海道中膝栗毛」として、京・大坂を旅した8編を著したのは文化6年(1809)、45歳のときで、その後も続編が刊行された。

 

専業作家として、筆一本で暮らした一九は天保2年(1831)に67歳の生涯を閉じた。葬られた東陽院は当初、浅草永住町にあったが、関東大震災後、現在地の勝どきに移転した(写真下)。中央区民文化財登録の墓には「此世をば どりやお暇に 線香の 煙と共に はい左様なら」の辞世が刻まれている。@巻渕彰

 

 

 
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