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区内寺社巡礼~第8番『薬研堀不動院』

[下町トム] 2012年12月25日 13:00

中央区の寺社を巡って魅力を再発見するシリーズも8回目を迎えました。今年最後の参詣先として、東日本橋駅からほど近い『薬研堀不動院』を訪ねます。

 

薬研堀不動の正面_R.JPG『薬研堀不動院』は、〔目黒〕〔目白〕と並んで、〝江戸三大不動〟として知られた有名な寺院です。ご由緒によると、1585(天正13)年に、豊臣軍の戦火を逃れて紀州・根来寺から遷された不動明王の尊像を祀ったのが縁起だとか。memo 

 

池波正太郎の時代小説にもたびたび舞台として登場しますが、当時は大いに賑わった繁華街だったようです。一例として『鬼平犯科帳』から一説を紹介します。

「・・・通りをへだてた向うが薬研堀不動で、ここの縁日の賑わいは江戸でも指折りのものだ。このあたりは両国西広小路の盛り場とも接しており、料理屋や商舗が軒をつらね、夜に入っても灯火が、「昼のようだ」といわれたほどの繁華な土地(ところ)である。」(第14巻「殿さま栄五郎」より引用)

ぼくも以前この辺りを取材していますので、あわせて参考にお読みくだされば幸いです。

両国広小路は江戸の香り 

 

順天堂の碑_R.JPGこのお不動様は、明治時代になって、真言宗智山派大本山・平間寺(川崎大師)の別院となって今日に至っています。境内には「順天堂発祥の地」や「講談発祥の地」を示す記念碑が建てられており、この寺院の歴史と格式を感じさせてくれます。up 

 

 世の中には、毎月○○日がご縁日になっているものが多くあります。たとえば、観音様は17日、お大師様は21日、お地蔵様は24日、天神様は25日というように決まっています。そしてお不動様は28日です。(庚申のように十干十二支で決まっているものなどもあります)

納めの歳の市の碑2_R.JPGそれぞれ、毎月の縁日は参詣客で賑わうのですが、正月の〝初□□〟と並んで、一年最後の縁日は〝終い□□〟とか〝納め□□〟とか呼ばれて、特に参詣客が多いものです。お不動様では「納め不動」というわけです。

 

かつては、年の暮になると各地の寺社の縁日にあわせて〝歳の市〟が開かれました。新年の飾り物をはじめ日用雑貨や料理道具などが並ぶお楽しみイベントだったのですが、だんだんと減っていき、今では浅草の〝羽子板市〟とここの薬研堀だけが残っているといいます。bell 

前述のとおり、お不動様のご縁日は28日ですから、各地で開かれた〝歳の市〟のラストを飾る真打(トリ)ということにもなり、「納めの歳の市」は特に賑わいました。年越しイベントとして人気の恒例行事として残っています。毎年27日~29日まで開催されますので、是非お出かけ下さい。

両国橋の風景_R.JPGついでに書くと、東京名品のひとつ「やげん堀七味唐辛子」はもともとこの界隈の露店で売られていたのが名前の由来です。現在はその名を掲げるお店は浅草に移っています。

 

お不動様の参詣を終えて少し歩くと、両国橋のたもとに出ます。橋の向うに〔東京スカイツリー〕を凛々しく望むことができます。

前にもブログで紹介したように、かつてはこの辺りが〔両国広小路〕として江戸屈指の盛り場として知られたところです。つまり〔両国〕といえば昔はこの辺りを指したのです。その証拠といえばなんですが、〔両国郵便局〕が中央区東日本橋に存在します。loveletter 

やなぎばし長寿庵_R.JPG

 

中央区産業会館のとおりを大通りに出たあたりに〔やなぎばし長寿庵〕さんがあります。会議の帰りなどにたまに寄らせていただいています。あたたかみがあふれたアットホームなお店で、居心地がよくゆったりと食事ができます。この土地にぴったりの雰囲気です。

 

さて、今年もいよいよあとわずかとなりました。中央区でもさまざまなイベントや行事がありました。多くの想い出が残りました。また来年もきっと充実した一年になることでしょう。shine 

 

不動明王.jpg残りわずかな日を数えつつ、「あれもやりたかった」とか「こうすればよかった」とか思うところもありますが、今さら悔やんだり迷ったりせず、前を向きたいと思います。そうでないと、お不動様に一喝されそうです。そもそも不動明王は大変強力な仏様で、道を誤るものを本道に無理にでも引き戻すパワーを有しているといいます。気迷いどころではなさそうです。coldsweats01 

 

では、また来年もどうぞよろしくお願いします。本年はお世話になりありがとうございました。

・・・ 数え日を迷う男と行く女

 

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区内寺社巡礼~第7番『築地本願寺』

[下町トム] 2012年12月12日 13:00

区内の寺社を吟行気分で巡る一風変わった散策シリーズの第7回です。

 

本願寺正面_R.JPG今回は『築地本願寺』です。江戸開府まもなくの元和3(1617)年に当初は浅草・横山町に京都・西本願寺の江戸の別院として建立され、「江戸・浅草御坊」として親しまれました。しかし、かの有名な明暦3(1657)年の〝振袖火事〟で消失してしまったのです。区画整理のため幕府が代替地として指定したのが現在の築地でした。

本願寺本堂_R.JPG

佃島の住民が浅瀬を埋め立てて土地を造成しました。〝築地〟という地名もここから生まれました。かくして新たな寺院が完成し『築地御坊』と呼ばれて長く江戸市民の崇敬の地となったのです。以来、佃島とは縁が続き、慣例として本堂の賽銭箱は佃の有志が寄贈しています。

 

錦絵にも残る伝統的な寺院建築を誇った『築地御坊』でしたが、大正12(1923)年に関東大震災に見舞われ、またも消失しました。そこで名建築家・伊藤忠太博士の設計により仏陀の故郷である「インド様式」の石造りという、日本の仏教寺院としては珍しい建物が昭和9(1934)年に落成しました。平成23(2011)年には、本堂ならびに石積塀が国の登録有形文化財に指定されました。東京を代表する屈指の名刹のひとつです。

親鸞聖人像_R.JPG

宗派としては、浄土真宗本願寺派・築地別院というのがこれまで正式名称でしたが、今年、正式に同派の直轄寺院として位置づけられ『築地本願寺』が正式名称になりました。もともと昨年は、開祖・親鸞聖人の750回忌にあたったこともあり、今年にかけて本堂修復などの記念行事が続いています。今年11月には〝キズキナサイ2012〟という記念イベントも催され、全国の〝ゆるキャラ〟が集まって銀座をパレードするという賑やかな一幕もありました。

 

本堂は修復され、金箔も鮮やかに張りなおされ、一層神々しくなりました。法要の際には多くの善男善女が集まり、おごそかな雰囲気が広がります。本堂後ろには、仏教寺院としてはこれも珍しくパイプオルガンが設置されており、毎月最終金曜日(12月は21日)のお昼、12:20~12:50に入場無料の「ランチタイムコンサート」が開かれていますので、お近くにお越しの節は是非訪ねてみて下さい。

 

間新六墓碑_R.JPG今月この寺院をとりあげたのは、実はほかにも理由があります。それは『忠臣蔵』です。ご存知のとおり、今から310年前の元禄15年12月14日(新暦では1703年1月30日)に、赤穂浅野家の遺臣が仇敵・吉良上野介を討ち取ったというあまりにも有名な事件がもとになり、芝居や講談、浮世絵などでもてはやされました。

 

史実では、本所松坂町での討ち入りの後、赤穂浪士たちは両国橋を渡ることを許されず永代橋を渡り、現在の明石町にあった旧浅野家江戸屋敷の前で敬礼をしてから、築地御坊の門前(当時は現在の晴海通り側が正面でした)を通って、汐留から泉岳寺方面に向かったと言われています。

 

浪士のひとり、槍の名手・間新六は築地御坊の前を通りかかったときに、愛用の槍に書状と金子を結びつけて供養を願ったといわれています。そのゆかりの槍はいまでも同寺院で大切に保管されています。

間新六は同寺院とゆかりが深かったらしく、後に遺骸が引き取られて埋葬されました。もちろん泉岳寺にも墓碑がありますが、他の浪士と別に同寺院に埋葬されたというのは生前から信仰が篤かったのでしょう。現在ももちろん、築地本願寺の境内に間新六の墓碑があり、脇に説明版が設置されています。

 

豊国浮世絵.jpg赤穂浪士たちが本懐を遂げたときの道中の心持ちとはどのようなものだったのでしょうか。今の時代となっては〝仇討ち〟が必ずしも賞賛されないとしても、当時の道徳意識としてはまさしく「晴れ晴れとした」気持ちだったのではないかと推察します。

 

その当時も朝の築地の町に本願寺の鉦の音が響いていたのかと思うと、300年以上の月日を隔てて、何か心情が深まります。

今年も『忠臣蔵』の季節が来て、一年が終わろうとしています。平和な時代が続くように祈るばかりです。

 

・・・空冴えて覚悟の朝に弥陀の鉦

 

続きを読む: 区内寺社巡礼~第7番『築地本願寺』

 

区内寺社巡礼~第6番『椙森神社』

[下町トム] 2012年12月 8日 09:00

今回もまた区内の古社や名刹を訪ねるシリーズでお邪魔します。

年末ジャンボ行列201211_R.JPG年末になると、いつも話題になるのが〝年末ジャンボ宝くじ〟です。ある日、西銀座の〔チャンスセンター〕の前を通りかかると、長い行列ができていました。縁起のいい日には特段多くの人が並ぶそうです。確率論からすると砂浜で超小粒のダイヤを探すようなものでしょうが、どこか夢のある話ですので、毎年人気は衰えません。shine 

 

椙森神社_R.JPGそこで、今回は〝宝くじ〟に縁のある『椙森神社』に参詣しました。古く藤原秀郷が平将門の乱の平定を祈願したという由緒を持ち、大田道灌が京から稲荷神を勧請したということです。江戸時代から霊験あらたかな社として知られ、柳森、烏森とともに〝江戸三森〟と呼ばれたということです。

もともと稲荷社ですが、後に恵比寿神も祀られて〝日本橋七福神〟に数えられています。また、第1番で紹介した近くの宝田恵比寿神社とともに〝べったら市〟でも賑わうお宮です。up 

 

 

 

昔の富くじ.jpg江戸時代には、今の〝宝くじ〟の起源である〝富籤〟が江戸市中でも幕府の認める場所に限って開催され人気を博したということです。主に寺社の普請のための勧進を名目に行われたわけですが、当然ながら人々は信仰よりも〝一攫千金〟の思いが強かったのではないでしょうか。当時の富札をみると、とても大仰な気がします。1枚1分(1両の4分の1)もしたといいますから、とても高価なものだったんですね。yen 

富塚_R.JPG 

ここ『椙森神社』も〝富籤〟が開催された場所のひとつで、その歴史を偲んで、境内に〔富塚〕が建てられています。現代では〝宝くじ〟の当選祈願にこの〔富塚〕にお参りする方もいらっしゃるようです。

 

〝富籤〟と聞いて思い出すのは、落語『宿屋の富』です。馬喰町の宿屋に泊まった男が調子に乗って金持ち自慢のほら話をしていると、それに付け入られて、籤を買わされる羽目になるという話です。結局この籤が大当たりとなって話が大きく展開するのですが、この時に〝富籤〟の舞台になるのが『椙森神社』です。噺家によっては、舞台を『湯島天神』にしている場合もありますが、馬喰町の宿屋が斡旋しているという筋立てならば、やはり『椙森神社』のほうが本当らしく思えます。小さん師匠は『椙森神社』でやっておられました。なお、この話はもともと上方落語の『高津の富』が原話です。大阪では高津神社が舞台になっています。memo 

 

まあ、富籤の当たり運はあまり期待しないで、堀留町から人形町へ、あるいは室町あたりへ、ブラブラ散策する際には是非お立ち寄り下さい。こじんまりしてはいますが、品のいい神社です。きっと何か幸運がやってくると思いますよ。notes 

 

「空籤は無き人の世の小春かな」  

 

続きを読む: 区内寺社巡礼~第6番『椙森神社』

 

銀座でコンサート体験

[下町トム] 2012年12月 7日 09:00

12月に入り、気分はすっかり〝年末モード〟ですね。お休みの日にはクリスマスや新年に備えてショッピングを楽しむ機会も多いかと思います。

ソニープラザ20121127 (0)_R.JPG

 

中央区は〝商業の町〟でもありますから、様々な場所にユニークなお店がありますが、やはり最大の〝ショッピングゾーン〟といえば〔銀座〕でしょう。今も昔も〝銀ブラ〟を楽しむ方で賑わっています。

 

そんな銀座で、今立ち寄ってみたいのが、銀座ソニービル8階にある〔コミュニケーションゾーンOPUSホール〕です。先月26日から12月22日まで『ベルリン・フィルin銀座』という催しをやっています。ソニーの誇る音響装置を駆使したシアターで〝至高のコンサート体験〟ができるのです。

ソニープラザ20121127 (1)_R.JPG

 

先週、早速訪ねてみました。何でもソニーとベルリン・フィルとは縁が深いということで、今回もこの催しのために演奏された音源と映像を楽しむことができます。ソニービル8階に上がると、壁面に説明が掲げられており、改めてこの楽団のレベルの高さに気づかされます。

 

 

ソニープラザ20121127 (3)_R.JPG

さて、音楽を聴いてみると圧倒的な迫力に驚かされます。2曲目がまたぼくの好きなワーグナー作曲『ワルキューレの騎行』ですから気持ちも昂ぶります。短い時間ですが、心を解き放つひとときでした。

年末といえば、クラシックでもじっくりと聴いて一年の垢を落としたくなるものです。コンサートホールですましてみるのも気持ちの切り替えになります。でもそんな時間的余裕がない方は、銀座にお出かけのついでに覗かれてみてはいかがでしょうか。入場無料、入退場自由ですので、時間の許す範囲で音楽を楽しむことができます。

ソニープラザ20121127 (4)_R.JPG

 

当日のキャッチコピーがまた心をひかれます。「音は空気を響かせる。音楽は心を響かせる」・・・なんていかした言葉でしょう。

もしよろしければ心のメロディーを奏でてみませんか。さぁ、貴方の指定席にどうぞ♪

 

 

 

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区内寺社巡礼~第5番『兜神社/日枝神社日本橋摂社』

[下町トム] 2012年12月 1日 09:00

区内の神社仏閣を訪ねて一句献上するシリーズの第5回です。今回は兜町・茅場町界隈に出かけます。

鎧橋2_R.JPG          鎧橋_R.JPG 

 

今年も木枯らしが吹く季節になりました。時々肌寒い日もありますが、逆に温かく柔らかい日差しに包まれる日もあります。天気の良い日には秋から冬への移ろいを楽しみながら区内を散歩してみましょう。shoe 

兜神社_R.JPG 

前回訪ねた『水天宮』から新大橋通りを築地方面に進み、『銀杏八幡宮』の前を過ぎると、やがて三叉路に出逢います。ここを右に進むと、これが〔平成通り〕です。ここから築地まで続いています。

通りを進んで日本橋川を渡ります。ここに架かっているのが〔鎧橋〕です。なんとも勇ましい名前ではありませんか。〔鎧橋〕の名は、もともとこの地にあった〝鎧の渡し〟に因んでいますが、往古に源義家が東国遠征に出かける際に嵐に出逢い、それを鎮めるために自らの鎧を水中の龍神に献じたのが由来とか・・・。

かつてここには市電(都電)が走っていました。そのことを示す説明板が橋のたもとに設置されています。memo 

兜岩_R.JPG〔鎧橋〕を渡ったところが〔兜町〕です。言わずと知れた日本の株取引の中心街であり、証券会社の集積地であります。〔鎧橋〕は高速道路に押さえつけられるようになって窮屈そうですが、その向こうに〔東京証券取引所〕の建物が見えます。橋を渡って左に曲がったところに、ここの町名の由来となった〔兜神社〕があります。ここも源義家に縁があり、前述の〝鎧〟とあわせて武勇の香りがする名前です。境内には〝兜岩〟があってその伝説を今に残しています。

 

山王社_R.JPG

平成通りに戻ってさらに南下すると、まもなく左手のビルの谷間に由緒ある神社がうかがえます。赤坂にある〔日枝神社〕の日本橋摂社であり、江戸三大祭りのひとつ〝山王祭り〟のゆかりの深い社です。もともとは〝御旅所〟(祭礼の際に巡幸先で一時的に鎮座する社のこと。神幸=神様が鎮座する本社を離れて巡幸すること。)として創建されたものです。かつては赤坂からこの地まで神輿が巡行したそうです。現在は祭礼の際に〝下町連合渡御〟で賑わうお宮です。up 

明治初期に〝神仏分離令〟が出るまでは、日本では長く神仏習合の慣わしが続きました。日枝神社(日吉神社)はそもそも〝山王権現〟と呼ばれ、古く最澄開創の天台宗の信仰とともに全国に広がったものです。日枝神社の〝日枝〟はもちろん〝比叡〟に基づくものであり、天台宗総本山の延暦寺に源を発します。延暦寺においても神仏分離後は日吉神社が独立し、全国の総本宮となっています。赤坂にある日枝神社は古く大田道灌が勧請したと伝わり、徳川将軍家により江戸の総鎮守として篤く信仰を受けました。

そんなわけで、茅場町の〝山王様〟にはもともとは仏様もあわせて祀られており、〔智泉院〕が山王様の〝別当寺〟(神仏分離以前は必ず神社を管理する寺院が別当寺として定められていました)として今に続いています。同寺に祀られていた薬師如来に対する信仰は篤く、江戸の一大霊場として栄えたそうです。明治になって神仏が分離された後は、薬師如来はへ他所に遷され、〔智泉院〕はやや小じんまりとなったものの、今日も日枝神社の裏手に存在しています。そこには慈悲深い眼差しの観音像が祀られています。confident 

観音様の脇には、江戸期から残っている〝天水鉢〟が迫力ある姿で目に映ってきます。地元〔坂本町〕から奉納されたもので、地元の方々の心意気と誇りが伝わってくるようです。ちなみに〔坂本町〕という名は、総本宮・日吉神社の所在地である近江の国・坂本庄(現・滋賀県大津市坂本)に因んでいます。

天水鉢_R.JPGそれにしても、源義家の伝説といい、徳川家康の江戸開府の頃の活気といい、後の町民の心意気といい、なんとも溌剌としたエピソードに包まれた地域です。少々の苦難があっても乗り越えていく勇気を授かったような気がします。ぼくなりの〝パワースポット〟として大事にしてみようと思いました。upwardright 

 

冬の嵐が来ようとも、冷たい雨に打たれようとも、胸を張って前へ進む気持ちを持ちたいものです。

・・・・・ 木枯らしは吹けど矜持の鎧橋

 

 
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