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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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最近のブログ記事

新川 盆踊り

[TAKK...] 2018年7月30日 18:00

7月27日、中央区新川越前堀公園で盆踊り大会が開催されました。

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比較的しのぎやすい気候で、参加者や見に来ている方も多く、活気がありました。

 

 

名橋のある風景

[TAKK...] 2018年5月29日 18:00

清州橋は永代橋とともに、関東大震災の復興事業として計画され

昭和3(1928)年に竣工しました。

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東京スカイツリーと

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デザインはドイツのケルンにあるつり橋がモデルになっているそうです。

 

 

中央区の桜

[TAKK...] 2018年3月30日 09:00

中央区には桜がきれいな場所がたくさんあります。

 

【日本橋】

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【さくら通り】

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【京橋】

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【隅田川テラス】

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手前の船から大きな船に向かって手を振っている方がいます。

桜と様々な人々の物語を垣間見ることができますね。

 

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鳥も桜を楽しんでいます。

 

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夜桜もまたいいですね。

 

 

 

名橋のある風景1

[TAKK...] 2018年2月10日 12:00

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佃大橋から勝鬨橋、明石町方面を眺めると東京タワーの先っぽが見えます。

遠くに高層ビル群があり、手前を屋形船が通り過ぎていきます。

 

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勝鬨橋全景。

緑色の2つのアーチが美しい。

 

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ライトアップしていないのでわかりにくいですが、佃大橋を臨みます。

シンプルで飾り気のない橋ですが、不思議な機能美があり、周囲の高層ビルの灯を引き立てます。

前回のオリンピックに備え、1964年に竣工しました。

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銀座の雪

[TAKK...] 2018年1月29日 18:00

1月22日に東京都心でもかなりの積雪がありました。

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交通機関が乱れたりと、様々な弊害がありますが、普段見られない美しい光景を見せてくれることも、また事実。

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銀座の街にも雪が舞いました。

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人影もまばらで、皆さん寒そうでした。

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花も凍えていました。

観光に来られて、たまたま雪の日に当たってしまった方は、どんなことを考えたのでしょうか。

観光に来た時の天気は選べません。

雨の日には雨の日なりの、暑い日には暑い日なりの、さまざまな天気に応じた街の魅力をお伝えしていければと思います。

 

 

嘉村磯多の小説「業苦」に描かれた町とは?

[TAKK...] 2017年12月13日 09:00

 

「圭一郎は、勤め先である浜町の酒新聞社を休まねばならなかった。」

 

昭和初期に発表された私小説「業苦」の冒頭にこんな一文がある。
東京の話であり、浜町というと明治座や公園があり、地下鉄の駅もある中央区浜町が思い浮かぶ。
しかし、読み進めていくと主人公の勤め先が永代橋の近くにあることがわかる。
この頃の郵便地図を見ると京橋区の霊岸島(現在の中央区新川)に浜町という地名が見つかる。
新川の地名の由来にもなった運河の傍に主人公が勤める会社があったようだ。

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〇「霊巌島濱町」という地名が確認できる

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小説には故郷と妻子を捨てて東京に来た主人公の苦悩や生活の困窮ぶりが描かれるのだが、大正期の中央区新川の様子が風情ある筆致で描かれている。
当時の新川は関西方面から届く日本酒を荷揚げして保管する蔵や酒販関係の企業が多かったようだ。
「(略)新川の河岸には今しがた数隻の酒舟が着いた。(略)問屋の若い衆達が麻の前垂にねじり鉢巻でこもかぶりの四斗樽をころがしながら倉庫の中に運んでいる(略)威勢のいい若い衆達の拍子を揃えた端唄に聞くとはなしに暫く耳を傾けていた。」

私小説は自分の体験を基に書かれるものだが、「酒新聞社」も社名は異なるものの実在した会社であり、磯多が勤務していたことも事実だ。 会社の人と折り合いが悪かったのか、半年ほどしか続かず無断退社している。

ちなみに酒新聞社のモデルになった会社はもうないが、当時の社長が設立した別の会社は新川の地で営業を続けている。

また、酒樽の荷揚げが行われていた運河・新川も、昭和23年に埋め立てられてしまい、磯多が描写した風情のある光景は、今では見ることができない。

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〇現在は新川之跡の碑が残るのみだ

 

 
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