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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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飾り巻きずし(パンダ)料理教室に行ってきました。

[kimitaku] 2012年6月13日 14:00

SUSIUKETUKE.jpg5月下旬、月島社会教育会館で、
お寿司の料理教室が開催されました。
会場に行き、受付を済ませて、キッチンへ。


受付の女の子の笑顔が素敵で、パチリ


SUSIKAIJYOU.jpgあたりを見回すと、何と・・・男性は私一人。心細い限りです。


講師の先生が、にこにこして、よくいらっしゃいましたの、一言。
なんとなく安心して、椅子に腰掛けました。


SUSIKOME.jpgまずは、お米の炊き方からの勉強。

時間を省くため、すでに炊きあがったお米を使います。すしの素を使うと、失敗せずにできるということでした。

すし飯のへらでのかき混ぜ方ですが、

「御櫃の半分を使い、混ぜたら、反対に移し替えもう一度・・・。」、何か料理には、算数の要素も、多分に必要みたいです。


SUSIRYUU.jpgはじめは、薔薇の御寿司、・・・(バラ寿司ではありません。)

写真のように、寿司飯と具材を均等に並べます。 

何か 想像するとおもちゃで遊んでいるような、・・・感じですが・・・・・?

慎重にくるくる巻いて、包丁で切ります。


SUSIBARA.jpg御寿司を切るコツは、丹念に水で包丁の刃先を濡らし、一気に切って行くとのこと、素人の私は、躊躇するのか、気合いが無いのか、うまく切れません、さながら、のこぎりで切る、のごとくです。

しかし、出来上がった御寿司は、どうにか花の模様。嬉しい限りです。

皆さんにほめていただきました。


次はパンダ寿司

200グラムの寿司飯を半分にして、その半分を、幾分か一方を多くして、海苔に巻きます。 海苔も巻くご飯の量で海苔の大きさが違います。


結構頭の回転も必要みたいです。

SUSIMAKIKATA.jpgまた、海苔にも、縦目と横目があることを、始めて知りました。・・・目から鱗。それぞれ巻いて、目と耳をつくります。

「パンダの目は、垂れ目ですよ、」で、海苔を敷いた寿司飯の上の真ん中に目を二つ、上を広げておきます。


SUSIPANDAMAKIKATA.jpg

これを巻くのは、とっても大変、きつくなく、ゆるくなく、やわらかく巻きます。 物音も聞こえぬように、真剣に巻きました。

黒い大きな海苔巻きを、おそるおそる、包丁を濡らし濡らし、切ります。

開けてみるときの心境は、玉手箱を開ける心境。

陶芸家の釜出しの心境かもしれません。

我が児、パンダは、いかに・・・・?

やったー、できました。 でも失敗、半分顔のパンダ、恥ずかしくて、写真には撮れません。

「うまく作るコツは、端」・・・恥?ではありません。

海苔まきにするには、真中が太くて端が細いのは、NG ・・・・

「そうでないと、端を食べる人に具が行き渡りません。」・・・そうです。

SUSIPANDA.jpg  先生のつくったのは、さすが、

パンダが、春の日差しに ニコニコしている感じです。

できた御寿司は、家に持ち帰り、みんなで試食、おいしかったです。

  

中央区では、 いろいろな料理教室を楽しく開催しています。

みなさんだれでも参加できるそうです。

憩いのひと時を、頭を使って、「飾り巻き寿司」教室も、面白いかもしれません。

  男性は、私一人でしたが、料理不慣れな私にも、立派なパンダさん寿司と、バラの御寿司がつくることができました、次回は6月中旬、「アンパンマン」 だそうです。

 

 

築地「獅子祭り」での様々な役回り

[下町トム] 2012年6月12日 13:00

6月7日(木)~10日(日)まで、築地・波除稲荷神社の大祭「築地獅子祭り」が催されました。このお祭りについては他にもたくさん紹介されていますので、今回はその運営の裏側に迫ってみます。

 

築地祭(神輿)_R.JPGお祭りの花形といえば何と言っても神輿の渡御ですが、その華やかな舞台には多くの人たちの貢献があります。

まずは神輿を担ぐ人たち。もともとは氏子が担ぐのが本当ですが、今ではそれだけでは数が足りないので、多くの祭りでは、いわゆる〝同好会〟の皆さんのご協力を得ています。〝同好会〟の皆さんは関東各地の祭礼に招かれて神輿巡行に協力しています。皆さん、お祭りが好きで、にぎやかなことが好きで、元気な方々です。また離れた町内同士で応援することもあるようです。

 

築地祭(囃子)_R.JPGまたお祭りの雰囲気を高めるためには音楽も重要な要素です。〝お囃子方〟と呼ばれる方々は笛、鉦、太鼓をリズよく奏でながら気分を盛り上げてくださいます。日頃から地道な稽古を続けて、江戸情緒あふれる音色を守って下さいます。

 

築地祭(御幣)_R.JPG御幣を掲げる役もあります。神輿の先導を行うことはもちろんなのですが、神様の拠り代(よりしろ)として、あるいは巡行の祓いとしての役割もあります。地方によってはみこしが無くて御幣だけを掲げて地域をめぐる慣わしもあるようで、重要なツールなのです。五平餅はもととも御幣餅であり、この形に似ているから名づけられたんですね。

 

神輿の巡行の節目にインターバルの合図をするのは、睦の頭(かしら)です。拍子木を打つことを「柝(き)を入れる」と言います。歌舞伎や相撲でも同様のしきたりがありますね。古来より日本の神道では木の柱を神が宿る場所として神聖に見立てています。古代の神社は 一本の柱だったといいます。つまり拍子木も〝神の場所を守る〟意味があるようです。祭りではその音によって邪気を祓い神事を進める役割があるんですね。

 築地祭(き)_R.JPG

その他、たくさんの方々がそれぞれの役割で祭りを守り立てて下さいます。準備や後片付けも含めて、目立たないところでご苦労されているかたも大勢いらっしゃいます。お祭りとは「地域の力をあわせる」という総合パフォーマンスなのだと思います。

 

中央区内では、この後も「佃・住吉神社」や「深川八幡」などのお祭りが控えています。それぞれの地域で、この伝統ある行事を大切に盛り上げていただきたいと願っています。人のつながりと賑わいの嬉しさを感じた数日間でした。

 

 

築地獅子祭

[鞠つき] 2012年6月12日 08:30

とうとう、梅雨に突入しましたねrain

うっとおしい季節も、ビール飲んだり、お祭りに参加して楽しく過ごしたいと思いますnote

 

6月7日から10日まで、築地の風物詩・築地獅子祭が開催されましたshine 

 

matsuri 001.jpg   matsuri 002.jpg

            厄除け天井大獅子

 

matsuri 004.jpg   matsuri 005.jpg

     千貫宮神輿          弁財天お歯黒獅子

matsuri 006.jpg   matsuri 009.jpg 

築地七丁目のお神酒所入り    築地7丁目のお神酒所

 

3年に一度の本祭りはとても盛り上がりました

お祭りの会の友人宅で、遅くまで飲んで食べて、楽しい瞬時を過ごしましたよ~notes 

次回は月島のお祭りに参加予定ですheart04 

 

 

 

 

山王祭~日枝神社神幸祭

[織衣舞] 2012年6月12日 08:30

平成24年6月8日(金)日枝神社神幸祭が行われました。今年は皇居坂下門でゆっくり見せ

ていただこうと待機、しかし、「ひげ殿下」三笠宮寬仁さま逝去のため坂下門は素通りし、見物

者は大慌て!お囃子・鳴り物類は一切なく行列は進みました。この日は夏の陽気で日差しも

強かったです。

  山王祭日枝神社神幸祭 011.JPG                    山王祭日枝神社神幸祭 013.JPG                    山王祭日枝神社神幸祭 019.JPG

 

続きを読む: 山王祭~日枝神社神幸祭

 

山王祭

[さとけん] 2012年6月12日 08:30

120610_1327~01.jpgこの週末、山王祭を見物しました。9日の土曜日はあいにくの雨模様でしたが、土曜日は一転、

天気に恵まれて、見物人がたくさんいました。

 

各町会の神輿が集合して、中央通りを練り歩く様は圧巻でした.。 120610_1327~01.jpg

上の写真は、明治屋を前に練り歩く神輿です。

 

 

 

 

 

 

『森繁久彌と向田邦子展』  日本橋三越で開催

[与太朗] 2012年6月 9日 08:30

IMG_0571.JPG 文化勲章・国民栄誉賞に輝く名優、森繁久彌(1913-2009)と、今も根強い人気を誇る脚本家で直木賞作家の向田邦子(1929-1981)。森繁久彌の生誕100年と「向田邦子賞」創設30周年を記念して、二人の交流と活躍をたどる展覧会が日本橋で開催されています。

 【森繁久彌と向田邦子展】

  6月6日(水) → 18日(月) 

  日本橋三越本店 新館7階ギャラリー

  入場料 : 一般・大学生 800円

 

IMG_0566.JPG 2009年に96歳の天寿を全うした森繁久彌と、対照的に51歳の若さで台湾の航空機事故に散った向田邦子。1959年秋頃、森繁のラジオ番組『奥様お手はそのまま』の台本を書いた向田邦子は森繁に認められ、以後彼の出演するラジオ・テレビ番組の脚本を任されてその才能が開花し、『七人の孫』、『だいこんの花』、『時間ですよ』、『寺内貫太郎一家』などで不動の地位を築いていきます。「ズブの素人の私がどうやら今日あるのは、フンドシかつぎがいきなり横綱の胸を借りてぶつかりげいこをつけてもらったおかげ」(『余白の魅力 森繁久彌』)と彼女は感謝しています。彼女の突然の死を嘆き悲しんだ森繁は三周忌に際しその墓前に句を捧げました。 

 「花ひらき はな香る 花こぼれ なほ薫る」

 

 お二人とも生れも育ちも中央区とはご縁がありませんが、向田邦子はシナリオライターを志す前は映画雑誌の編集者で、9年間在職したその出版社・雄鶏社は江戸橋にありました。1978年の第一エッセー集『父の詫び状』所収の24編(乳がん手術の後遺症のために右手が使えず、左手で書いたそうです)は『銀座百点』に掲載されたものです。また、彼女をかしらに四人姉弟は水天宮のお札のおかげでつつがなく生れたと聞かされて育ち、人形町の魅力を熱く綴ったエッセー『人形町に江戸の名残を訪ねて』を遺してくれました。

 

IMG_0565.JPG 中央区とは関係ありませんが、ここで蛇足を一つ。森繁久彌は戦後まもなく世田谷に居を構えましたが、最寄りの小田急線千歳船橋駅近くから森繁邸に至る道はいつからか「森繁通り」と呼ばれていましたが、一昨年、世田谷区はこの通称を正式名称とする「命名式」を行いました。森繁邸は現在高級マンションに変わっていますが、入口に掲げられたその名前は「SETAGAYA  TEVYE」。900回公演を誇るあの名舞台『屋根の上のヴァイオリン弾き』の主人公の名前がつけられています。

 

【写真上】 日本橋三越本店の展覧会場

【写真中】 向田邦子の墓(多磨霊園)

       墓碑右手のブック形の碑に「花ひらき・・・」が

【写真下】 森繁久彌の墓(谷中霊園)