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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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なくなっていくもの

[りょうきち] 2013年5月29日 14:00

銀座で25年間営業してきた映画館、シネパトスが3月31日に閉館して2ヶ月近く。

その後の三原橋地下街を訪ねてみた。

銀座の繁華街に近い、銀座と東銀座の間の晴海通り下に三原橋地下街とシネパトスは位置しています。耐震性の問題から取り壊されることとなり、映画館は3月で営業を終了している。地下街も閉鎖される予定なので、飲食店も風前の灯火の状態です。

 

ここにはまさに昭和レトロが味わえる空間です。元は三十間堀川に架けられた三原橋であった場所を昭和27年に川をがれきで埋め立てた際に橋の下が商店街になったという経緯があります。実際行ってみて面白いのは、橋桁が残っていること。ちなみに現役で日本最古の地下街でもあります。閉鎖後は浅草地下街に最古の称号は譲られることになります。

 

この地下街の近辺にも昭和レトロな雰囲気の空間が多く、路地裏や三原小径には古いお店が営業しています。古い店だけでなく、新旧いろいろな店が盛り上がっているのはさすがに銀座であります。地下街はお店が営業をしているものの、ひっそりしていました。

 

三原橋.JPG

 

いずれなくなっていくもの、寂しいですが、しっかり目に焼き付けてこの訪問を終わりにしました。

買い物でご訪問の際、少し立ち寄ってみるのはどうでしょうか? 懐かしい空間があります。

なお写真の上部が橋桁です。

 

 

銀座松坂屋一時閉店

[阿舒庵亭主] 2013年5月27日 18:53

名古屋出身の私にとって、贈答品は松坂屋で買うのが親の代からの決まりごとだった。30年ほど前に東京に引っ越した時、東京にも松坂屋があって安心したものである。しかし、その銀座松坂屋が4月から閉店セールをしているのが気になり、チョッと調べてみました。

DSC_0146.JPG

 

DSC_0145.JPG銀座松坂屋は大正13年に銀座に出店して爾来88年間この場所で営業を続けてきました。しかし、このたびビルを建て替えることになり6月末まで閉店セールが行われています。その後、現在の建物は取り壊されるようですが、ビルの取り壊しの前にぜひもう一度、隅々まで見て回りたいと思っています。

 

DSC_0144.JPG

 

ネットで調べてみると2016年中には新ビルを完成し、2017年には開業する予定とあります。

さらに今後は新しいビジネスモデルも検討されているようで必ずしも現在のように百貨店を中心として再開するのではなさそうです。

名古屋人はある意味保守的ですが

意外に「やる時はやる」といった気質があり、

今後、銀座松坂屋がどんな形で再現されるのか

目が離せません。

 

 

 

中央区クイズ

[杏葉牡丹] 2013年5月22日 09:00

ちょっと前になりますが、3月に中央区の区民カレッジの卒業式がありました。
式の終了後のアトラクションと交流会の企画は在校生が行うということで、私も在校生の一人としてスタッフに参加させていただきました。

交流会では、中央区に関するクイズ大会 をやることになり、スタッフ皆で問題を考えました。私も色々考えたのですが、その時に採用されなかったものがありますので、この場で皆様にお出ししたいと思います。
さて、いくつお答えになれますでしょうか

ck1203052101.jpg 第1問


日本橋にある山本海苔店は、

明治天皇が京都へ行幸される際に、東京の手土産とされた「あるもの」を考案したとして有名です。

その「あるもの」とは何でしょう?
 第2問
ck1203052102.jpg現在築地にある魚河岸 は、江戸時代から関東大震災までは日本橋にありました。それを記念して「日本橋魚市場発祥の地」の記念碑が日本橋のたもとに建てられています。隣には、海の魚がことごとく集まったとして、お伽噺に登場する「お姫様」をイメージした像があります。
では、このお姫様の名前は何でしょう?
ck1203052103.jpg

 第3問


現在の日本橋小学校の辺りには、明治維新で活躍した

有名な人物の屋敷がありました。


上野の銅像でも有名な、この人物は誰でしょう?
 第4問
ck1203052104.jpg


4月2日に開場した歌舞伎座は、

明治22年に建てられて以来、関東大震災などを経て、

何度か建て替えられていますが、

今回で、第何期目になるのでしょうか?
ck1203052105.jpg 第5問

銀座6丁目には

「京橋の滝山町の新聞社  灯ともる頃のいそがしさかな」と

刻まれた歌碑があります。


明治時代に滝山町と呼ばれていたこの地にあった朝日新聞社に、校正係として働きながら創作活動を続け「一握の砂」等の作者として有名な、この人は誰でしょう?
 第6問
ck1203052106.jpg



銀座には幾つもの百貨店がありますが、

この地区で一番古いのはどの百貨店でしょう?
ck1203052107.jpg 第7問
大正14年に建てられた新橋演舞場は、京都の歌舞練場などを手本に、新橋芸者の技芸向上とこれを披露する場所としてつくられたものです。
今でも毎年5月におこなわれる、新橋の芸者衆による公演の名称を、何というでしょう?
 第8問
ck1203052108.jpg明石町は、明治の初めには外国人居留地となっており、住居だけでなく、学校や病院などもありました。
そのため、現在では多くの学校の発祥の地として、たくさんの記念碑が建てられています。


その中で、二つの葉っぱを形どったデザインのこの記念碑は、どこの学校のものでしょうか。
 第9問
ck1203052109.jpgこのレリーフは、江戸時代に漂着したオランダ人のヤン・ヨーステンが、この辺りに住んでいたことを記念して作られたものです。
ヤン・ヨーステンの日本名の「耶楊子(やようす)」が由来となっている、この辺りの地名は何でしょう?
 第10問
ck1203052110.jpg


勝鬨橋と佃大橋の間には、新旧二つの東京の名所を、

同時に見られるスポットがあります。


その二つの名所は何でしょう。

答えは、続きのページに掲載しておりますのでご確認下さい。

 

続きを読む: 中央区クイズ

 

築地市場周辺~海軍関連施設探訪Ⅱ

[wombat] 2013年5月 8日 14:00

  

  肌寒い春の日、築地市場周辺からその周りの海軍関連施設を探訪しました。

    行程は以下のごとくです。今回は太字の斜め文字の所を案内します。

           

        築地市場駅・・・東京都中央卸売市場築地市場・・・浴恩園跡・・・

      海軍発祥の地・・・海幸橋の親柱・・・波除稲荷神社・・・軍艦操練所跡

      ・・・築地ホテル館跡・・・海軍経理学校の碑・・・かちどき 橋の資料館

      ・・・勝鬨橋・・築地場外市場・・・海軍兵学寮跡・・・海軍軍医学校跡


  築地3 Ⅱ.png

  海幸橋は昭和2年に旧築地川東支川の隅田川河口付近に架けられた。しかし平成7年に川が埋立てられ橋の本体が平成14年に撤去。

  濃緑色の鋼鉄製親柱2基と当時そのままの石造親柱2基がひっそりと立っている。これは見落としがちだが、ぜひともゆっくりと見てほしい。本来ならば資料館入りのもの?

築地15 Ⅱ.png

  背後にお目見えするのは波除稲荷神社のお歯黒獅子。この獅子には擬宝珠が頭部にある。右の塚は築地の各商売の塚。撮っているカメラ側には天井大獅子がある。

  また、右手側の祭壇のわきには天水鉢二対がある。

  天水鉢はここにあった尾張徳川家の藩船が無事に航行できるように人夫たちが天保9年に奉納したもの。年代物なのでじっくり鑑賞されるとよい。

  また、この神社では干支めぐりのためのきれいなガラス玉が500円で販売している。上記の写真の右手側に十二支の小さな石柱がある。そこに自分の願いごと(ガラス玉は4種類)にもっとも近いガラス玉を購入し自分の干支の像に奉納し願をかける。神社側は願をかけたら持ち帰るようにお願いはしていたが、、、かなりのガラス玉がそのまま、、、。

  築地5 Ⅱ.png



これがそのガラス玉の干支めぐりのお知らせ。

右の図のウサギの写真部分が十二支の石柱。

その石柱の下部のところにゆっくりと願い事をしながら入れるわけ。そうするとご利益があるのかな?

これから 軍艦操練所跡と築地ホテル館跡へ行く。

築地駐車場(勝鬨橋寄り)がその跡地。

晴海通りにでて交差点のところに説明版がある。

軍艦操練所が焼失したころの古地図が掲載されている。

元治元年の頃、隣接した松平安芸守屋敷に移転。慶應2年にまたもや焼失。

最後は徳川将軍家の別邸「濱御殿」(現:浜離宮恩賜庭園)へ移転。その跡地に明治元年外国人用のホテルとして築地ホテル館が開業。

客室102室。しかし、明治5年銀座大火にて全焼。残念。

 

   築地 Ⅱ.png 

   明治7年に芝に海軍会計学舎が出来たのが海軍経理学校の始まり。

   明治21年に浴恩園跡地に、昭和7年に築地の一角に、昭和20年9月海軍解体により約70年の歴史を閉じた。


   築地9 Ⅱ.png

 ご存じのように「かちどきのわたし」の碑は明治38年、築地と月島を結ぶために建てられたもので、日露戦争の旅順陥落を記念しているのもなるほど~~~

   ここに"かちどき 橋の資料館"がある。勝鬨橋を開くための変電所を改修した資料館。

 勝鬨橋に関する資料・橋の模型・関東大震災後に建設された復興橋梁の設計図面・工事写真・関係文献がある。希望すれば担当者からの説明を受けることも出来るよう。

 

 勝鬨橋は昭和15年にできた双窯跳開橋。運航量などの減少により昭和45年11月29日に中止。予約制で橋脚見学ツアーがあるのは周知のとおり。

 

 築地場外市場を散策。お買いものツアーに変身。両手に花の状態。迷子もでる

 

   築地8 Ⅱ.png

 

  明治2年、築地に海軍操練所(軍艦操練所とは違いますぞ!)

  を創設。明治3年に海軍兵学寮と改称。明治21年には

  江田島へ。あああ~~~

  明治4年に竣工した校舎は注目の的だったよう。海鼠壁に

  屋根瓦。目の前にその光景が浮かんでくる~~~

  のちに海軍大学校として使用。関東大震災で焼失。

  この記念碑は昭和9年に建立。築地がんセンターの裏、高速

  道路に乗り上げる横にある。わかりにくい。

築地7 Ⅱ.png 

  明治6年 築地に海軍病院付属学舎設立

        

     海軍医療学舎

        

     海軍軍医学舎

        

  明治13年 廃校

  明治15年 芝の地に海軍医務局学舎再興  

          

  明治22年 海軍軍医学校と改称

        

  明治41年 築地に校舎設置

         

  関東大震災で移転するが、

  昭和4年 築地5丁目に新校舎設置

        

     1945年 廃校 

  築地16 Ⅱ.png




 最後は、ここで休憩 

14築地 Ⅱ.png

 

 

 

 

 

今日は茶遊会にて(ラッキー

500円にてお茶とお菓子を

たらふくいただくことになる~~~。

 

お得には弱い中高年者の

集まりだ   

15築地 Ⅱ.png



  みんなで仲良くお茶しましょう 

 

 

紫の花色の競演<佃公園>

[サム] 2013年5月 7日 09:00

R0020904SL.JPGR0020891RSCG.JPG 中央大橋の南西袂、佃公園の隅田川沿いテラス。5月の陽光を浴び、青々と茂る木々の若葉を背景に、フジ(藤)とシラン(紫蘭)の紫の花色が彩りを添えている。

シランは、本来日当たりがよく適度に湿り気のあるところを好むと聞くが、ラン科の植物のなかでは環境要件に対する耐性もあり比較的栽培が容易とされる。

葉は幅の広い長楕円形で縦方向にたくさんの筋が入る。

名前由来の花色は紫紅色で50~70㎝の花茎の先に数個つく。

最近では、色変わりや変化花も多く見出されているとも。

群生する様は見事。

 

 R0020913CCRS.JPG


 

 

 
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