中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事


佃天台子育地蔵尊 森稲荷神社 佃住吉講

[銀造] 2017年3月25日 16:00

 佃散歩。 最近は日が伸びたので、夕方に佃から新富町まで散歩しました。

佃に入ります。 佃天台子育地蔵尊に参拝し孫たちの健康をお祈りしました。 埼玉県から来た女性は、いつも友人宅へ来たら必ず、お参りして、この樹齢300年超の銀杏の木に触って元気を貰って帰るのだと、仰っていました。

1490235054076.jpg

 佃小橋を渡り、住吉神社にお参りした後、ふと何かに呼び止められた様な気がして、いつもとは違う道を歩みます。 地元の方の厚い崇敬を受けていそうな神社がありました。

森稲荷神社です。

1490084013697.jpg

ご由緒、縁起を拝見しました。

1490084031016.jpg

歴史の一端を垣間見た、嬉しい発見でした。

帰りの佃大橋から下流の風景も風情があって、なかなか良いものです。 温かくなりましたので、この方面へもお散歩にお出かけ下さい。

 

 

京橋 歴史散歩 龍馬を訪ねて 富岡製糸場関連も

[銀造] 2017年3月24日 09:00

 所用で中央区役所に行き、此処が江戸時代には、土佐藩中屋敷だったことを思いだし、

1490138865902.jpg

龍馬伝が放映された時にブログにて、2010年6月に、ご紹介しましたコースを歩こうと思い立ちました。写真は削除。http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2010/06/post-367.html

  途中、銀座発祥の地碑、江戸歌舞伎発祥の地碑等々を見ながら、東京スクエアガーデンを左折して、冨岡製糸場を経営して発展された片倉工業さんの名残のメダリオン。富岡製糸場が世界遺産に指定されたことを祝う、同社のHPでのご案内を紹介します。https://www.katakura.co.jp/tomioka.htm

このメダリオンは、建替え前の旧社屋に飾られていたものです。

1490084413821.jpg

その裏に、京橋の歴史が写真と共に紹介されています。

1490084431592.jpg

京橋の歴史を学び、次に向かいます。

かつて坂本龍馬が剣術の稽古に励んだ「千葉定吉道場」の説明板があります。

龍馬は、さな子さんと恋仲だったのかなとも思いながら。

1490084477266.jpg

 鍛冶橋の交差点で、東京国際フォーラムが土佐藩上屋敷であった事を絵図で確認し、

京橋のエドグランにある中央区観光情報センターへ向かい、次の新しいネタを仕入れ、エドグラン内のレストランで昼食を楽しみました。京橋のエドグランのご案内ですhttps://www.edogrand.tokyo/

 

 

熈代勝覧に描かれた江戸の暮らし

[お江戸のマーシャ・堀内] 2017年3月18日 18:00

名橋 「日本橋」保存会 日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会による特別共催セミナー「熈代勝覧に描かれた江戸の暮らし」に参加してきました。講師の先生は、江戸東京博物館学芸員の江里口友子先生です。

 

私は、2013年3月に、三越駅前の地下コンコースで初めてこの絵巻複製(約17メートル)を見て以来(実物よりは1.4倍に大きい)、江戸時代にタイムスリップしたいものだと常々思っていただけに、とても楽しいワクワクする日となりました、有難うございました。

 
ざっと、その内容を掻い摘んで書いてみますが、今、江戸博で"「江戸と北京」18世紀の年と暮らし"という題名で、4/9まで展覧会が開催されています。

1)江戸時代後期(文化2年_1805年)の繁栄を描いたもの、1995ドイツで発見され、ベルリン美術館群東洋美術館にある。今回は2回目の里帰り

 

2)実物は巻物状で、題名は「熈代勝覧 天」 と書かれている。つまり他にもあるのか(地、人)?誰もわからない、、 作者も未だ不詳

 

3)さて、その中身である、両国の回向院と書かれた箱の絵がある。兎に角、江戸は家事が多かっただけに、火事の前の繁栄の風景、火の見櫓 、天水桶、 防火用水も描かれている。神田の今川橋(今は無い)から日本橋までの通り(今の中央通)760メートルの90軒ほどのお店と人や動物が1671ほど軽快なタッチで描かれている。

 

4)覗いてみる、白壁屋、桃の花、 呉服商から両替商までやっていた"三井越後屋"、刃物の"木屋"(普請中なれど蔵で営業中と書かれているらしい)、紅屋(白粉のこと) 今川橋の瀬戸物屋、渦巻き模様看板の水飴屋、油を塗った合羽を売る店、 お汁粉屋、 占師、薬屋(何故か多い)、入れ歯屋(石や木で創っていたらしい)、傘屋、 寿司屋"玉鮨"、鏡屋、煙草、ロウソク屋、キセル屋、 10軒店でのお人形売り、二八そば屋、本屋、 ちろりで一杯できる居酒屋、 徳利を持って酒を買いに行く人 、指物屋、算盤屋、古着屋、箍屋、 猿回し(犬が近くに居る、猫はいない)、赤味噌屋、結納屋 などなど

 
5)当事は店の看板を立てるのに許可が必要だったようで、南町奉行所の人たちと一杯やっている風情も描かれているという

 

6)親父が寺子屋行く子供の手を引いて肩に勉強机を背負っている、なんと健気な風景ではないか、"チャント勉強せなあかん!"といわれているのだろう。

 

7)日本橋近くになると青物屋、魚屋(鰹、鮑)、今もある高札場には"切支丹御法度"が書かれているらしい。橋のたもとの番小屋は自治会組織、 立ちション禁止の鳥居のマークもあり、喧嘩の風景、日本橋川では子供が泳いで居る姿も見える

 

8)この絵画のタッチは、江戸の錦絵などには見られるものではないようだ。ここで、中国の清朝の康熙帝の還暦を祝う「万寿盛典」のパレード絵画(離宮から紫禁城へ歩く行列)との比較が面白かった、いくつかの場面の人間の仕草がとても似ているのだ。
江戸博には、孫の乾隆帝の80歳のお祝い風景を描いた「乾隆八旬万寿慶典図巻」も展示されており、このパレードも江戸人の一部の仕草の参考になったのだろうか。

 

さて、みなさん、タイムスリップして頂けましたらば、幸いです。

ck1515_20170317 (1).bmp

ck1515_20170317 (2).bmpck1515_20170317 (4).bmpck1515_20170317 (3).bmp

ck1515_20170317 (8).bmpck1515_20170317 (7).bmpck1515_20170317 (5).bmpck1515_20170317 (6).bmp

 

 

金刀比羅神社(神田明神)

[橘] 2017年3月16日 16:00

金刀比羅神社というと、東京では港区虎ノ門の金刀比羅神社を思い浮かべる 方が多いのではないでしょうか。この神社は2004年に建て替えられ"虎ノ門 琴平タワー"と一体の施設になっていますね。

金刀比羅神社の総本宮は香川県琴平町の神社です。江戸時代に船による流通が盛んになり、海運業者や商人に依って金刀比羅信仰が日本中に広められ、分社が 各地に作られました。

 

その一つが天明3年(1783年)に薬研堀(現在の東日本橋二丁目)に創建された 金刀比羅神社です。隅田川往来の船人達の守護神として崇敬され、その後、 町の発展と共に商家、特に飲食業・遊芸を職とする人々の篤い信仰を集めました。

 

現在は薬研堀には神社は存在しませんが、神田明神の境内に昭和4年に 遷座され神田明神の末社となっています。三宿稲荷神社と共に祀られています。


kotohira.jpg
kotohira2.jpg

 

又、神田明神境内には末廣稲荷神社がありますが、これも日本橋小舟町の 鰹節卸商により祀られた神社ですが、現在は神田明神の末社として遷座しています。
suehiro2.jpgsuehiro.jpgsuehiro3.jpg

 
これまでも、魚河岸水神社や小舟町八雲神社が神田明神に祀られていることを書いてきました。 神田明神自体は現在の住所では千代田区となりますが、現在も中央区の日本橋川北側の 大部分の町は神田明神の氏子となっている様に、中央区と神田明神とは切っても切れない 深い結びつきがあることがよく分かります。

 

 

 

名飯 粋なファストフード

[あすなろ] 2017年3月14日 09:00

 とうめし定食.jpg

味が染みた豆腐をご飯にのせた汁かけ飯「とうめし」。

 

いかにも江戸っ子発想な、ちゃちゃっと食べられる

ファストフードといったところでしょうか。

豆腐は、人形町 双葉から仕入れ、

この他、おでんのはんぺんやすじ(魚)などは

日本橋神茂の品。どれも秀逸な種がうれしいですね。

ランチの「とうめし定食」「おでん定食」お値打ちです。

 店内.jpg

◆日本橋 お多幸本店
東京都中央区日本橋2-2-3 お多幸ビル

 

 

 

神茂さんの歴史について語ります ②  ~ 神茂 ~

[rosemary sea] 2017年3月 9日 09:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をトレンドとして取材します、 rosemary sea です。

 

日本橋神茂(かんも)さん、329年の歴史はまだまだご紹介しきれません。

有限会社 神茂 井上卓(たかし)社長にインタビューさせていただきました。

 

DSC01963a.jpg宮内省出入りの門鑑(御門鑑)。

「いわゆる通行手形。昭和初期に御用商人が宮内省出入りの際に、この通行証を提示するという制度がありました。」

※ 門鑑にある「日本橋区本小田原町」とは・・・

日本橋区・・・明治11年(1878年)-昭和22年(1947年)

京橋区と合併して中央区となる

本小田原町・・・江戸期ー昭和7年(1932年)

日本橋本町1丁目と日本橋室町1丁目に分割・名称変更

 

「明治天皇、大正天皇、昭和天皇はそれぞれ即位の際の蒲鉾はうち(神茂さん)でした。

宮内省には新年にも出入りして納めていました。」

DSC01966a.jpg DSC01965a.jpg

「明治の頃の『地代金請取帳(じだいきんうけとりちょう)』、いわゆる大福帳です。

日本橋魚市場だった頃は地所をを4番目に広く持っていまして、場所を貸していたんですね。」

「板舟権(いたぶねけん 後述)で板1枚いくら、というふうに貸していた頃の、今月いただきました、と書き込んだ帳簿です。」

(板舟権・・・日本橋魚河岸で江戸時代以降認められていた権利。

       ここで魚類を販売するのに幅1尺・長さ5、6尺の平板(=板舟)を並べられる。

       いわゆる営業権として売買・譲渡・賃貸できた、価値の高い権利。)

 

「あとは日露戦争の時の毛布とか陸軍傷病兵見舞いとか書いてあります。」

 

DSC02044a.jpg

DSC02041a.jpg DSC02047a.jpg

熈代勝覧(きだいしょうらん 後述)にもそれらしきお店があるようですが、確たる証拠があるわけではありません。」

(凞代勝覧・・・文化2年【1805年】頃の日本橋から今川橋までの、現在の中央通りを俯瞰し、当時の江戸時代の町人文化を描いた絵巻物。

東京メトロ三越前駅コンコース内に約17mのレプリカがあります。)

 

DSC01973a.jpg「これは看板ですが、もともとはまな板だったのです。

蒲鉾屋のまな板っていうのは分厚くて、ここの上で包丁の背中を使って鮫の肉をたたきます。

それで真ん中だけへこんでしまうとかんなをかけて平らにして、使いにくくなると最後は普通のまな板として日本料理店などが買っていかれたそうです。

先程の地代金請取帳にも"どこどこの料理店にまな板を売った"などと書いてあります。」

DSC01976a.jpg

「この看板は、今はこのように応接室に掛けてありますが、もとの看板としては雨ざらしでしたので"綺麗にしてください"と依頼したら、綺麗になり過ぎて新しくなってしまいました。」

 

「左の写真は戦前の店頭を写したものですね。

上の方に『神茂』って看板も写っていますが、真っ暗で見えなくなっていますね。」

DSC01975a.jpg DSC01992a.jpg

DSC01986a.jpg DSC02012a.jpg

「これは『くらしの手帖』昭和29年2月の号です。

僕のひいひいおばあちゃんにあたる井上はまさんの口述が書かれています。

半ぺんの材料、製造工程や神茂の歴史、半ぺんの食べ方などを語っています。

先程のまな板のお話も載っています。」

 

DSC01993a.jpg DSC02008a.jpg

DSC02031a.jpg

幕末のペリー来航のときのメニューです。これを造ったのは百川(ももかわ)さんという浮世小路(うきよしょうじ)の福徳神社前の、今のYUITOのビルあたりにあった料亭さん。この料亭さんがペリー来航の際、料理を任されたのです。

そしておみやげに蒲鉾が出てくるんですね。ここにも大蒲鉾と書いてあります。」

 

「江戸時代は蒲鉾と半ぺんと白竹輪の3種類しか造っていなかったんですね。

その頃は上物師(じょうものし)と駄物師(だものし)、駄物屋さんですね。この2つに分かれていました。

駄物師は茹でたり油で揚げる、油で揚げるのは江戸の末期ですね。菜種油がたくさんとれるようになって、それで油を食品に使うようになって、ここの日本橋の魚市場の中で、余った魚をつぶしてさつま揚げみたいなものを造る駄物屋さん。

で、上物師っていうのは白いものしか造らなくて、半ぺんや蒲鉾、白竹輪。

落語の『時そば』に出てきて、竹輪が入ってるんですけど、"最近はまがいものが多くて"っていって、"あれは『麩(ふ)』なんだよな"っていうくだりがあるんですけど、それはちくわぶなんですね。ちくわぶが今でも残っているんですけど、本物の白竹輪っていうのはなくなっちゃったんです。造るところがなくて。僕の子供の頃までは造っていました。」

 

「昔のうちのお品書きが残っているんですけど、蒲鉾と白竹輪と半ぺんしか載っていないですね。すじはあとになって造られたんですけど、これは捨てちゃもったいないっていうんで、結構無駄にしなかったみたいですね。」

 

「(日本橋で生まれた)谷崎潤一郎さんの「幼少時代」という随筆の中にこの神茂のことがちょっとだけ出てきます。

"神茂のすじが八百屋のよりましだ"って。あまりほめられてないけど。」

 

平成24年8月放送のTBSの番組「ぴったんこカン・カン」で日本橋を俳優の勝村政信さんが回ったとき、うちの母もお店とともに出ました。

勝村さんのお父さん、佃煮の鮒佐さんの職人でした。お父さんには僕も会ったことがあります。それでうちのお店の収録が終わったあとも、"勝村さんが鮒佐さんのお店を出たところで驚いたことは?"という問題で母が再登場したことが答えとなっていました。」

 

宮内省御用達(ごようたし)だった関係で、皇族からもご注文がありました。

あるデパートを通して連絡が来るんですよ。

で、何々を納めてくれと。間違いがあったら困る、とも。何月何日の開店前に商品を持ってきてくれ、みたいな。

昭和天皇のお名前で蒲鉾の注文もありました。・・・

御用達っていうのは先方からの注文がないとだめ。献上とは違います。」

 

・・・井上社長、貴重なお話の数々、ありがとうございました。

 

DSC02029a.jpg神茂 本店

日本橋室町1-11-8

東京メトロ銀座線 三越前駅が至近

日本橋三越前 中央通りの大和屋さんとブリッジにいがたの間のむろまち小路を150m、右手前角

03-3241-3988

営業時間  平日 10:00~18:00

      土曜 10:00~17:00

定休日   日曜・祝日

神茂さんのホームページはこちら ⇒ https://www.hanpen.co.jp/

 

 

 
1234567891011