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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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永代橋から見た佃島?

[朱房の十手] 2017年4月26日 18:00

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永代橋は江戸時代現在の場所から150メートル程、上流にかけられていました。創架は1698年ごろとされています。当時は大規模な木造橋で見晴らしの良い名所として浮世絵に描かれています。

 

道路橋としては日本初の鋼鉄製です。明治37年には路面電車が敷設されました。

 

5代将軍綱吉の50歳の祝賀を込めて架橋されました。文化4(1807)年8月19日には深川八幡の祭礼に向かう混雑で橋が崩落し1000人以上が溺死しました。この事故は落語になるほど様々な物語があります。また赤穂義士が吉良邸から泉岳寺に引き上げるときに渡った橋として知られています。

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上部写真、下部の絵共に佃島方向を望んでいます。

上部写真は永代橋から撮影しました。

 

 

銀座5丁目 madras の社名の由来

[銀造] 2017年4月26日 14:00

 銀座5丁目の高級靴店、"madras" 

先日、店の前を通りかかったら、「madras 名前の由来」というリーフレットを入手しました。

銀座で初めて靴を買ったのは、このお店か、もしくはワシントン靴店かはっきりしませんが、

ずっとこのお店の店名が、"何故、インドの地方の名前と同じなのか"という疑問を30年以上、持ち続けていました。

 頂いたリーフレットの説明によると、

「madras 名前の由来:

  マドラスの名前の歴史は、イタリア人 バレンチノピコロット氏が一人で会社を設立した1946年にさかのぼります。

彼の会社は、長年の努力が報いられ、本場イタリアにおいて著名な靴会社の一つとして認知されるまでに成長しました。 

初期の頃に生産していた靴は、高品質のキッドを使用した手縫いのモカシンでした。 この高級素材はイタリアで鞣す(なめす)のですが、原材料となる原皮はインドのマドラス地方で入手できるものだったのです。 この高品質の革を生産する地"マドラス"に敬意と感謝をもって社名にしたとされています。」

 私の長年の疑問が解消して、すっきりしました。 madrasさんの、益々のご繁栄を祈念しています。

 

 

三十間堀ってなんだ~

[朱房の十手] 2017年4月25日 12:00

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三十間堀跡(ピンク色の矢印の場所です)

 

銀座から晴海通りを築地に向かい昭和通りの手前です。

 

下の古地図は、嘉永2(1849)年に発行されました(黒色の矢印の場所です)。

左右に藍色で、示されているのが堀川です。二つの矢印の場所は、ほぼ同じ場所です。この辺りを歩くと道路が盛り上がっています。

 

京橋川から汐留川を結んでいました、慶長17(1612)年徳川幕府の命により、舟運の便を図るため主に西国大名が開削しました。堀の幅が三十間(約55メートル)あったことからこの名前が付きました。文政11(1828)年には十九間に狭められました。昭和27(1952)年には太平洋戦争後の瓦礫の山を、処理する為に埋め立てられました。イラッイラッ

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G SIX(GINZA SIX)屋上の靍護稲荷神社

[O'age] 2017年4月25日 09:00

GSIXの一角は中央通りの歩道から人が多く前の人に合わせて歩く状態で、もちろん建物の中も混雑でエスカレーターも2列で乗るような状態でした。6階からエレベーターで13階まで、そこからは階段で上がると、神社は屋上庭園の北東側にあり、御参りができました。

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靍護稲荷神社は銀座八丁神社めぐりの一社で、現地・神社の説明板には以下の記載があります。

 

 

靏護稲荷大明神由来記

 

抑も当靏護神社は今を去ること150年の昔、文化12年は如月の午の日、山城伏見の本宮より勧請して江戸の根岸の里に奉安す。爾来店主、店族は素より江戸市民の深き信仰を莧めて今日に至れり。 明治14年の或る夜神守の親爺は神殿付近に於いて白狐を認めたるがその跡に一巻の掛軸遺留しあるを発見し、怪しみて繙けば畏くも三州豊川稲荷神社の尊像にてありしかば直ちにその由を店主に告げて神霊と共に奉祀して今日に及べりと伝う。神社は霊験淘に顯にして特に火防の神として世々付近住民の難を救わせ玉減ること一再に止まらず近き例に徴するも去る大正12年9月関東大震災亦大正14年3月日暮里の大火に当り既に危うく見えたるにも係らず神域社殿は勿論松坂屋舎宅の凡て無事なるを得たるは今尚世人の耳目に新たなる所なり。 昭和4年己巳の春2月18日 2の午の吉辰をトし日枝神社宮司に請うて神霊を分霊し地上80尺の本館屋上に挙安して茲に遷座の式を行えり。 昭和40年4月15日誌 松坂屋 銀座店

 

横には松坂屋銀座店がここにあったんですよという説明板。そうかここにはもうないんだと思うと、一瞬寂しい感じも。

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浜町公園 桜2017 清正公寺

[銀造] 2017年4月24日 18:00

4月中旬、浜町公園へ八重桜などを見に行きました。

今年は温かくなったかと思ったら寒い日が続いたり、4月初めには隔日で雨が降ったりで、桜も咲いて良いのか否か、迷ったことでしょう。

そんな天候だったので、例年なら3月末に開花する枝垂れ桜がまだ咲いていたり、八重桜との競演でした。後ろの建物は明治座です。

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 中央区の花、「つつじ、さつき」も咲き始めていました。 公園内は素敵な花々で彩られています。

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この浜町公園には、「総合スポーツセンター」があり、その中のレストラン・浜町亭はメニューも充実しています。

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 そして、加藤清正公をお祀りする「清正公寺」があります。

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「歩いてわかる中央区ものしり百科」によると、

「この場所には、かつて熊本藩主細川氏の中屋敷があり、加藤家が取り潰しになった後、熊本藩を引き継いだ細川氏が、加藤清正公を祀るため、文久元年(1861)に熊本本妙寺から勧請して創建した。屋敷内にあった寺だが、江戸時代には一般庶民の参拝も許されたと伝えられる。」とあります。 これからの好季節のお散歩にお勧めです。

 

 

 

シーボルトの胸像があかつき公園にあります。

[朱房の十手] 2017年4月22日 14:00

シーボルトDSCN0647.jpgシーボルトの胸像

 

シーボルトは、オランダの陸軍軍医でした。

医者の仕事ばかりでなく日本との貿易の為、日本のことを調べるようにも命じられていました。文政6(1823)年長崎に到着しました。その後オランダ商館長と共に江戸参府に同行し、旅の途中で植物や動物を採取、山の高さの測量もしました。江戸では、多くの医者や学者と交流しました。その際、散瞳薬の実験を行いました。その話を土生玄碩が聞き、薬品製法をシーボルトから教示されました。その謝礼に将軍家より拝領の葵の紋服を贈呈してしまいました。その3年後帰国の途中に船が難破してしまい、禁制品の日本地図や紋服などが発見され厳しい取り調べの上、国外追放されました。

 

シーボルトの娘(いね)も医者になり、築地で産婦人科を開院したことなどのゆかりから胸像が建てられました。

 

 
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