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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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日本橋駅・京橋駅 開業85周年 スタンプラリー

[東京ダンボ] 2017年12月11日 09:00

銀座線が開業して90年ということで、東京メトロでは様々な地下鉄開通90周年記念イベントをスタートしています。

 

1927年(昭和2年)12月30日に開通したのは浅草~上野 2.2Kmで、それから遅れること5年、1932年(昭和7年)12月24日に三越前~京橋 1.3Kmが開通しています。

(なお、中央区内では同年4月29日の神田~三越前 0.7Kmが最初の開通です)

 

銀座線の歴史については 以下をご覧ください。https://metroarchive.jp/content/ginza.html/

 

東京メトロでは、クリスマスイブに開業した両駅をお祝いして、記念スタンプラリーを始めています。

日本橋駅京橋駅そして両駅の副駅名になっている日本橋髙島屋明治屋の4か所をめぐるスタンプラリーです。

 

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12月9日(土)~25日(月)の期間に、銀座線のイメージキャラクターの「1000系くん」がデザインされた楽しいスタンプを押し、12月23日(土)~25日(月)の抽選期間に日本橋駅構内特設ブース(東京メトロ 定期券うりば付近)でガラガラ(ガラポン 正式名称:新井式廻轉抽籤器(新井式回転抽選器))により当たりがでると・・・ 何かがもらえるのでしょう!

 

東京ダンボは早速スタンプを押してきました。

 

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12月23日~25日の間に日本橋駅にGOです 楽しみ! 楽しみ!

 

 

 

福徳稲荷神社 宝くじ当選祈願 神楽鈴

[銀造] 2017年12月 9日 09:00

 境内で入手できる御由緒によれば、

「当神社が創祀された時は明らかではないが、当社に伝わる略記によると、清和天皇の御代の貞観年間(西暦859~876)には、既に鎮座していたようである。」とのことです。「福徳稲荷神社」は、武蔵野の村落である福徳村の稲荷神社として祀られ、その地名を取って社号とした。

 ーーー中略ーーー 江戸時代以前には、太田道灌公を合祀し、その兜・矢などが奉納されたと伝わっている。 

徳川家康公は、江戸に入府した天正18年(西暦1590)8月に初めて当社に参詣し、その後も数度に渡って参詣している。

更に、二代将軍秀忠公は、傾聴19年(西暦1614)正月8日に参詣した折、「福徳とはまことに愛でたい神号である」と称賛。 この時、当社の古例である椚(クヌギ)の皮つき鳥居に春の若芽の萌え出たのをご覧になり、神社の別名を『芽吹(めぶき)神社』と名付けられた。・・・等が書かれています。 ここからが  福徳の森一周年記念の記事の時に書き残したのが、『富籤(宝くじ)祈願』に関するお話です

 神殿の手前右にご案内があります。

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 そして、備えられた鈴の説明には、「『富籤宝くじ)祈願』 福徳神社は江戸時代富籤の発行を許された数少ない社寺の一社です。日本銀行の貨幣博物館に当時の富くじが現存しています。 福徳神社の御利益を頂き宝くじの当選を祈願し福徳を(幸福と利益)賜りましょう。三宝の上に宝くじを載せ、神楽鈴で祓いを行い、当選を祈念いたしましょう。」とあります。

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私は買ったばかりの宝くじの当選祈願を致しました。なんと、女性グループが後ろに並んでいました。 お待たせして、ごめんなさい。

富籤守も入手しておけば、当選の確率は高くなるかも知れませんね。Maybe です。。

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都内、中央区の他にも宝くじの当選祈願をするところはありますが、こちらでも、当選祈願をしてみましょう。 験を担ぐ方には、海運橋を通ってくれば、開運で良いかもしれませんね。(購入して、当選祈願の前か後か?悩みますね) Good Luck ポルトガル語でも、Boa sorte!

 

 

築地本願寺に行ってきました!(動物探しのツアー)

[株式会社 彦晴] 2017年12月 8日 14:00

築地本願寺に行ってきました!皆さんもご存じの通り、現在の築地本願寺の本堂は、1923年(大正12)の関東大震災で焼失した後に1934年(昭和9)に再建されたものです。設計は東京帝都大学名誉教授伊藤忠太博士によるものです。この秋には境内整備が終了し、本堂正面左側にあった石碑類が新大橋通り側に移設されて、その跡地にカフェ&ブックストアを併設したインフォメーションセンターが新設されました。

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本堂へ真っすぐ進むと、そこには羽根の生えてライオンが私たちを迎えてくれます。本堂の外見は「古代インド様式」

の石造りとなってます。

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エントランスには幾何学模様のタイルと大理石の柱、扉の上にはステンドグラスが目に入ってきます。これだけを見ているとここが「お寺」だったことを忘れてしまいます。

本堂内は、桃山様式と言われていますが、シャンデリアがあったり、パイプオルガンがあったりでお寺の荘厳な雰囲気だけではなかった。また本堂の片隅にはX JAPANのhideさんの祭壇が設けられていて今でも世界各国からファンの方がお見えになるそうです。(hideさんの葬儀は築地本願寺であったそうです)

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また、本堂の4本の柱には四神の彫刻がありました。

左から青龍・朱雀・白虎・玄武です。

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本堂2階から1階に下がる階段付近には、たくさんの動物たちが私たちを楽しませてくれます。

左から、鳥、猿、像です。これは「物事は全体を見渡すことが重要」という仏教説話「三畜評樹」をあらわしていると言われています。

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左から牛、獅子、馬です。このようにたくさんの動物の彫刻が私たちを楽しませてくれます。

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それから鐘をつるしている鳳凰、(この鐘はいつ鳴らすのだろう?使用しているのか?と考えていたら、法要が始まる前に実際に鳴らしていました。音は本堂のどこにいても聞こえるくらいに響いていました)そしてグロテスクと呼ばれる珍獣がいます。グロテスクからは舌が伸びて、階段の手すりとなっています。なんと伊藤忠太博士は「妖怪研究」という本も出版しているそうです。博士は遊び心があった人だなあと感じました。

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そして最後の1枚は像2匹が梁をささえている写真です。皆さんも築地本願寺で"動物探し"チャレンジしてみてください。

 

 

千代田神社 小伝馬町の鎮守様

[銀造] 2017年12月 8日 12:00

 東京メトロ小伝馬町駅から直ぐ近くに千代田神社があるのは、全然知りませんでした。

「日本橋北 内神田 両国濱町 明細絵図」を入手して、小伝馬町から江戸通り、郡代屋敷跡への道筋を見ていると、「千代田イナリ」の字が見えました。「中央区 観光ガイドマップ」を片手に歩いてみました。 千代田とあるのだから、千代田区の神社かと思っていましたが、東京メトロ小伝馬町の駅から江戸通りを歩いて3分、住所は日本橋小伝馬町9-1。小伝馬町郵便局の近くです。

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 記されたご由緒を読んでみますと、次の通りです。

千代田神社は 長禄年間神靈に依り 太田持資道灌が御靈を千代田の御城に祭り鎭守とす   

德川綱吉の時 太田の旧臣長野亦四郎氏詞を奉じて小傳馬町に遷座す

是後奉仕せる社人窮困して他に社地を讓る 時に屢々異變あり  

神慮なりと畏れ 天明年間旧地に建立し現在に至る 

大正十二年九月震災にて燒失す 昭和二年區劃整理に依り 當所に替地を得て安鎭す然るに

昭和二十年二月戦禍にて再度燒失す 漸次再建せしも 今度諸人の力を致し浄財を受け 更に新殿を造立せり

茲に沿革を記す

 昭和三十三年十一月吉日

 小傳馬町 二丁目町会

まだまだ奥が深い日本橋です。楽しい探検はまだまだ続きます。

 

 

◆中央区 ここに歴史あり(68) 吉良上野介義央を治療した栗崎道有

[巻渕彰/写楽さい] 2017年12月 8日 09:00

年末になると元禄忠臣蔵に話題が集まる。江戸城内での刃傷事件(赤穂事件)で、浅野内匠頭長矩に斬りつけられた高家の吉良上野介義央を治療したのは外科医の栗崎道有といわれている。翌年、吉良義央は赤穂浪士らに討ち取られた。いま、この二人は同じ寺に葬られている。道有の屋敷は八丁堀にあったのだろうか。

   

0913_68_1712051yasiki.jpg栗崎道有(くりさき・どうう=万治3年(1660)~享保11年(1726))は、江戸中期の外科医。長崎系栗崎流の医家。伯父・正勝(2代道喜)の高弟鳥飼道節について栗崎流外科を全うし、幕府に召されて官医となる。道有を襲名、以後子孫は代々この名を襲名し、栗崎流は楢林、吉雄の両家と共に長崎外科の三家と称された。元禄14年(1701)、吉良上野介義央の殿中刃傷事件の際、応急の手当てをしたことで知られる。(『朝日日本歴史人物事典』から)

    

代々栗崎道有を襲名した拝領屋敷は八丁堀長沢町にあったとされる。江戸後期の切絵図復元図(添付図)には「外科医栗崎道有」とある。現在地は八丁堀3丁目で、新大橋通りと鍛冶橋通りの交差点付近である。


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吉良上野介義央墓(写真左)と栗崎道有墓(写真右)は、おなじ曹洞宗萬昌院功運寺(中野区上高田4-14-1)にある。同寺はもともと永田町にあり、市谷を経て、大正2年(1913)現在地に移った。吉良家の菩提寺で4代にわたる墓石がある。墓前には「吉良邸討死忠臣墓誌」があり、吉良義央とともに亡くなった家臣たちの死は「元禄15年12月15日討死」と刻まれている。@巻渕彰

 

 

医学・薬学と中央区

[五月雨ジョージ] 2017年12月 7日 14:00

 日本医療の転換期となった江戸時代から現代にいたるまで、現在の中央区地域には様々な医療・医学・薬学の起点となった人や施設の痕跡を見ることができます。

 そして現代においても、中央区には医学・薬学に関連する多くの企業や施設が存在しています。

 主なところを写真に収めてきましたのでご紹介します。


(1)史跡


●玄冶店跡:三代将軍家光の痘瘡を全開させた幕府お抱えの名医・岡本玄冶の屋敷跡。(日本橋人形町)

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●桂川甫周の屋敷跡:杉田玄白らとともに『解体新書』の翻訳作業に参加した蘭方医の屋敷跡。(築地)

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●蘭学事始地碑:この地にあった中津藩奥平家の中屋敷で『解体新書』出版に取り組んだことに関する記念碑。(明石町)

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●土生玄碩の墓と石碑:シーボルトに眼科の治療法を学んだ蘭方医の墓と記念碑。(築地本願寺境内)

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(2)医学関連


●順天堂発祥の地(東日本橋・薬研堀不動院境内)

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●東京慈恵会医科大学発祥の地(銀座)

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●漢方医学復興の地の石碑:明治後期、当時消滅しそうだった漢方医学の復興に努めた和田啓十郎医師の偉業をたたえる石碑。(日本橋浜町)

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●海軍軍医学校跡:明治期、海軍軍医を養成した医学校跡。(築地)

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(3)その他


●シーボルト胸像:日本の蘭学発展に貢献したドイツ人医師の胸像。(築地)

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●薬祖神社:大己貴命(おおなむじのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)を御祭神とし、無病健康・病気平癒をご利益とする神社。2016年9月に福徳の森に第三代目の薬祖神社が遷座。

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(4)現在、中央区に本社(本社機能)をおく主な製薬メーカー・団体など

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・公益社団法人 東京薬事協会(日本橋本町)
・日本製薬株式会社(明石町)
・EAファーマ株式会社(エーザイ+味の素)(入船)
・大日本住友製薬株式会社(東京本社)(京橋)
・昭和薬品化工株式会社(京橋)
・明治製菓株式会社/Meiji Seika ファルマ株式会社(京橋)
・武田薬品工業株式会社(東京本社)(日本橋)
・山田製薬株式会社(日本橋)
・田辺三菱製薬株式会社(東京本社)(日本橋小網町)
・新日本薬業株式会社(日本橋小伝馬町)
・ゼリア新薬工業株式会社(日本橋小舟町)
・有機合成薬品工業株式会社(日本橋人形町)
・エスエス製薬株式会社(日本橋浜町)
・アステラス製薬株式会社(日本橋本町)
・岩城製薬株式会社(日本橋本町)
・興和株式会社(東京支店)・興和創薬株式会社(日本橋本町)
・第一三共株式会社(日本橋本町)
・鳥居薬品株式会社(日本橋本町)
・わかもと製薬株式会社(日本橋本町)
・日本ジェネリック製薬協会(日本橋本町)
・キッセイ薬品工業株式会社(東京本社)(日本橋室町)
・デンカ生研株式会社(日本橋室町)
・中外製薬株式会社(日本橋室町)
・トーアエイヨー株式会社(八丁堀)
・シオノケミカル株式会社(八重洲)

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