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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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水天宮でほっこり気分

[ukiuki] 2011年8月31日 17:00

ck11078311.jpg夏から秋の気配が感じられるようになってきましたね。


さて、ご紹介するのは水天宮です。

私がここを訪れるのは、

「戌の日」に安産祈願にきて以来久々です。


そのときには気がつかなかった可愛らしいものを見つけました。


ck11078312.jpg「子宝いぬ」。

子犬は、くるんと巻いた尻尾と口にくわえたひもが

いたずらっ子らしくて何とも愛らしいです。

お母さんが犬の、見守っている慈愛に満ちたお顔がいいですね。


周りの金色の玉は十二支が彫ってあり、

自分の干支をさわりながら願い事をするといいそうです。



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こちらは「安産子育て河童」とあります。

抱っこしている赤ちゃん河童以外に、

お母さんの左肩にもかわいらしい子ども河童がいます。



境内は数々のお花が咲いていて

とても駅や道路すぐとは思えない静けさに満ちていました。


中央区のお散歩シーズンはこれからが本番でしょうか。

ほっこり気分を味わえる水天宮、おすすめです。

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龍宮城のイメージは?「日本橋魚河岸跡」

[小江戸板橋] 2011年8月31日 09:00

日本橋の四隅に設けられた四つの広場。

その日本橋北詰東側の乙姫の広場に、名前の由来となった「乙姫の像」があります。

 

乙姫様といえば、羽衣をまとい、ふ~んわりと軽やかなイメージがあるのですが・・。

こちらの像は、材質が石造りであることもあり、龍神の娘らしく、堂々と玉座に座っています。

美人さん?

いえいえ、滅相もない。

神様に近い存在なのに、その御器量を測るなんて。

 

その玉座、海草や魚たちが形作る背もたれと貝類の装飾がついて、豊饒の海を表しています。

 

でも、やっぱり、硬い印象はぬぐえません。

龍宮城ならば、極彩色の宮殿の方が似つかわしいのでは。

小田急電鉄「片瀬江ノ島駅」のような門構えにして、夜は、LEDライトで華やかに周囲を彩って、鯛や平目のお姉さんが、ヒラヒラ羽衣をなびかせて、舞い踊ってこそ龍宮城。

 

あっ、どうも、龍宮の固定観念が、妄想をエスカレートさせてしまいました。

 

「日本橋 龍宮城の港なり」

そもそも、この地は、江戸・東京を通じて庶民の台所を担った、日本橋魚河岸が在ったところです。

江戸前の魚はもちろん、日本各地から集まる魚介類は、さながら龍宮の舞い踊りに似たり。

「日に千両の商い」があったという賑わい振りです。

江戸幕府の創立期から、明治維新を経て、大正12年の関東大震災を期に築地に移転するまでの間、三百有余年に渡って日本橋魚河岸は商いを続けました。

 

乙姫の像の前にある「日本橋魚市場発祥の地」の碑は、昭和29年に魚市場関係者によって建立されました。

 

新鮮な魚を扱うことを身上とした「魚河岸」の気質は、天下のご意見番大久保彦左衛門のもとで活躍した、一心太助に代表される、粋でイナセな侠気に溢れた、江戸っ子のひとつの形を作り上げました。

 

お城に納める魚を扱うということは、魚河岸の目と鼻の先が千代田のお城。

城の大外堀ともいえる江戸湾と、縦横に張り巡らされた掘割を素早く行き来できる魚河岸の人々。

その組織化された集団は、江戸前の魚を取りながらも、いざという時には、実戦的な海上警護の役目に早変わりするのではないでしょうか。

これって、考えすぎ・・でしょうか。

 

龍宮を守る鯔(イナ)たち、波に跳ね。

 

 

 

三菱倉庫江戸橋倉庫ビルー都選定歴史的建造物ー建替え間近ー

[滅紫] 2011年8月26日 08:30

 日本橋地区は三井本館(建設年昭和4年、重文)、三越本店(昭和10年、都選定歴史的建造物)、野村證券ビル(昭和5年)、日本橋高島屋(昭和8年)など一部建替えられてはいるものの、昭和初期の名建築が目白押し。


今回ご紹介する「三菱倉庫江戸橋倉庫ビル、以下江戸橋倉庫ビル」もその一つで「都市型倉庫の初期のものであり我が国における表現派風建築の代表的作品」として2007年に都選定歴史的建造物に選定されていますが、その高層オフィスビルへの建替え開始までいよいよ一ヶ月余りとなりました。


100_0183.JPG江戸橋倉庫ビルは昭和5年(1930年)竣成。我が国初の本格的都市型倉庫として、創業期からの歴史的場所である当地に建設されたものとのこと。昭和通り側から見るとやはり目に付くのは船のブリッジに見える塔屋です。これは社旗を掲げるための旗台として作られたものだそうです。日本橋郵便局側から正面入り口を見ると柔らかいカーブが船体の舳先のように見えます。壁面のデザインもバリエーション豊かでバルコニーや船窓を思わせる半円窓もあり、さらに重厚な印象を与える1階部分の石のデザインなど見所が多くて飽きません。因みに設計は同社社員とのことです。


100_0186.JPGまたこの倉庫は一部に当時アメリカで盛んだった「家具倉庫」に倣い、行李やトランク単位の家具・家財を預かる本邦初の「トランクルーム」を併設していました。これはヒントはアメリカから得たものの関東大震災から間もない日本の実情に合わせ「家財の安全性」のニーズに応えようとしたものでこの「トランクルームサービス」は当時のアメリカでも先端的な業務として理解されアメリカの雑誌にも紹介されているほどだそうです。現在のように数社が参入し誰もが気軽にトランクルームを利用する時代がくることを80年以上前に「サキヨミ」し「トランクルーム」のネーミングとともに新事業開始を決断した先見性に脱帽!です.



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 新しいビルの概要はニュースリリースされたものによれば「低層部を歴史的建造物として活かし、基壇部の自然石、曲面壁を含む既存外壁の概ね7割及び船橋状塔屋を保存し上部に高層棟を築造。地上18階、地下1階。1階エントランスホールは公開スペースとし、日本橋川の河畔には親水空間を設置し、同様に公開スペースとする」とのことで完成予定の2014年が楽しみですが、今の形での建物が見られるのはあと1ヶ月余り。日本橋地区は他にも見逃せない名建築の宝庫。いずれも指呼の間にありますので、一日「日本橋建築散歩」と洒落てみては如何でしょう。

三菱倉庫江戸橋倉庫ビル

中央区日本橋1-19-1 最寄り駅:銀座線日本橋・三越前


新建築についてのHP:http://www.mitsubishi-logistics.co.jp/news/2010/100129.html/


 

 

◆中央区 ここに歴史あり(32) 石町時の鐘~300年の時を刻み、いま、平和と復興を願う~

[巻渕彰/写楽さい] 2011年8月17日 13:30

66回目の終戦記念日にあたる8月15日、朝から真夏の日差しが照りつけ、木立からは蝉時雨が響く中、正午の時報を合図に、十思公園内(日本橋小伝馬町)の鐘撞堂で、戦没者および3月の東日本大震災犠牲者を追悼するとともに、世界平和への誓いと東北復興を願っての鐘撞き式が地元町内会主催で行われた(写真上左右)。この鐘は、ちょうど300年前、宝永8年(1711)に鋳直されたもので、東京都有形文化財に指定されている。

 

0913_32_110815 tokinokane.jpg十思公園に設置されたこの鐘には、「寶永辛卯四月中浣〔ちゅうかん=中旬〕 鋳物御大工 椎名伊豫藤原重休」の銘文が刻まれており、宝永8年(1711)に鋳造された。「石町(こくちょう)は江戸を寝かせたり起こしたり」と川柳にも詠まれた石町時の鐘は、明治をむかえて廃止され、昭和5年(1930)に本石町から十思公園に完成した鉄筋コンクリート造りの鐘楼へ移設された。

 

江戸時代、市中に時を知らせるために時の鐘が設置された。初期には江戸城内で太鼓を打って時を知らせていたようであるが、やがて城外に移されたという。最初の鐘は、寛永3年(1626)創建の石町時の鐘といわれ、本石町三丁目(現・室町四丁目辺り)に置かれた。現在、鐘撞堂があった跡地あたりには、中央区の説明板が設置され、隣接した道路は「時の鐘通り」(写真下右:室町三丁目・十思公園間)となっている。

 

江戸期の暦は太陰太陽暦で、不定時法と呼ばれた時刻で暮らしがまわっていた。太陽の動きのあわせて、日の出からはじまり、日没までを日中としていた。したがって、冬至と夏至では昼間の長さが異なることである。1日を12区分(刻)し、日の出を明け六つ、日の入りを暮れ六つとした。

 

時の鐘もこれにあわせ、2時間を一刻(とき)単位として鐘を打っていた。石町は代々辻源七なる鐘撞き役が携わり、おもに周囲のおよそ400町を超える町人から1ヵ月4文の「鐘楼銭」を受け取って維持・管理されたという。江戸市内には石町のほか、上野、浅草、芝、市谷、本所など9ヵ所、あるいはそれ以上ともいわれる時の鐘撞堂があったそうだ。

 

 

平成23年築地本願寺納涼盆踊り大会

[O傘] 2011年8月16日 08:30

 今年は、大震災にみまわれた東日本の復興応援と自家発電による節電をテーマに、8月3日(水)から6日(土)までの四日間、64回目を迎えた築地本願寺納涼盆踊り大会が開催されました。
初日、東日本大震災の追悼法要が行われ、つづいていつもと変わらない賑やかな築地盆踊り大会が始まりました。いいですね! 夏の風物詩。

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今年は、節電をするために自家発電機を使用して期間中の電力を賄うという別名「自家発電盆踊り大会」だそうです。



IMG_1330tcolcompcol.JPG東京の三大盆踊りは、「靖国神社みたま祭り」、「築地本願寺納涼盆踊り大会」そして中央区主催の「大江戸まつり盆おどり大会」と言われています。規模が大きくて大勢あつまるからでしょうか。


 大江戸助六太鼓や、太鼓の音頭にのってたくさんの盆踊りの曲が流れます。

IMG_1389colcomp.JPGご当地音頭の「築地音頭」、中央区の「これがお江戸の盆ダンス」、「東京音頭」、「炭坑節」、「ホームラン音頭」、「ゆかた音頭」、「日本晴れだよ」、「法倫(ほうりん)音頭」と「大江戸助六音頭」などです。



IMG_1358coltcomp.JPG IMG_1376colcomp.JPG櫓の上の司会から、被災地を支援するエコバッグや8月20日開催予定のチャリティ女子プロレスについての紹介もありました。


8月20日(土)11:00~19:00、築地本願寺境内で「LLPWチャリティープロレス!」


IMG_1353colcomp.JPG築地場外市場の銘店会からは、きつねや(もつ煮込み)、鳥藤(焼き鳥)、松露(卵焼き)など約10店が出店。ここでしか食べることができない美味が盛りだくさん! 日本一美味しい盆踊り自称しているそうです。特派員仲間の「鞠つき」さんのブログもご参照ください。http://www.chuo-anko.or.jp/blog/author/author62/

それから、「築地スマイル広場」イベントも併設されて、被災地の食材を使った飲食コーナーもあり、大勢のお客さんで賑わっていました。


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小さいお子さんが、WIIの輪投げ遊びなどをしてお土産をゲットするコーナーもありました。写真を見ると周りの大人のほうが真剣ですね!

「築地スマイル広場」は、築地本願寺境内と波除通りB棟広場とその周辺を活用して毎月1回、土日に開催されます。


IMG_1399tcomp.JPG   東北大震災に被災された方々に早く「笑顔」がもどるように、「元気を出そう!築地から」を合言葉に、「築地スマイル広場」で復興援助のチャリティーイベント、飲食、物販が行われていました。 


「築地スマイル広場」のイベントスケジュールは:http://www.tsukiji.or.jp/tsukiji_smile_hiroba/


IMG_1376colcomp.JPG盆踊り大会の司会から次の案内がありました。

8月20日(土)11:00~19:00、築地本願寺境内で「LLPWチャリティープロレス!」


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 築地本願寺と言えば、浄土真宗のお寺、2012(平成24) 年には宗祖の親鸞(しんらん)聖人の750回忌にあたります。法要修行やカウントダウンイベントなどがああります。
http://tsukijihongwanji.jp/tsukijihongwanji/125

そして本願寺の中に忘れてならない史跡がありますよね。
①京都生まれの歌人で、西本願寺法主大谷光尊の次女の「九条武子」婦人歌碑、
②尾形光琳の画風をつぐ江戸琳派の祖である「酒井抱一」墓、
③赤穂浪士四十七士の一人で、本懐を遂げて吉良邸から高輪泉岳寺へ引き揚げる途中、自身の供養料として槍に金子50両を結び本願寺に投げ入れた「間新六」供養塔、
IMG_1338tcomp.JPG④江戸末期の蘭医で眼病治療法で有名な「土生玄碩(はぶ げんせき)」墓、
⑤江戸時代初期、佃島を築いて日本橋魚河岸のもととなる店を開いた人物「森孫右衛門」


さて最後に、今年もあの中央区の盆踊り「大江戸まつり盆おどり大会」が、27日(金)~28日(土)、17:00?21:00、浜町公園で開催されます。 

 

「これがお江戸の盆ダンス」の唄にのって今年の夏を締めくくる最後の盆踊りはいかがですか!
昨年は、こんな風でしたよ。http://www.chuo-kanko.or.jp/blog/2010/08/21.html

 

 

竹久夢二(1884~1934)港屋ゆかりの地 八重洲1-2-1

[ゆりかもめ] 2011年8月12日 08:30

画家であり詩人である竹久夢二は大きな目の可憐な少女の絵を描く事も得意でした。

呉服橋東詰には「港屋絵草紙店」の跡もみられます。

永代通りの「新呉服橋ビルディング」の前にそれが記されています。

この地は、夢二が暮らしデザインの発信をし、恋人彦乃との思い出の地でもありました。

お江戸日本橋の賑わいや風情も大好きだったようです。

でも大正12年の関東大震災が発生した直後の日記には「江戸はなくなったね・・・」と日記に記されています。


港屋絵草紙店跡地  旧呉服橋東詰2番地

大正3年~5年、夢二のデザインした小間物を売り東京の名物として知られたという。

2階にはギャラリーを併設、若き恩地幸四郎達が集まった。

震災や戦災を経験した街であるが夢二も詠んだ鈴掛(プラタナス)は再び旧店前の永代通りに茂っている。        2011_0810 待てど暮らせどこぬ人を  0054.JPG    待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな・・・・・・


2011_0810 夢二の手紙 2 0010.JPG 上記は「榛原に宛てた夢二の手紙]

下記の封筒の裏には「野州那須温泉 小まつや 竹久夢二」とある。

消印の「3・6・13」は昭和 3年6月13日と思われる。

「はいばらの、どうさのある方を百枚このものにお渡し下され候」とある。

榛原は夢二に封筒や便箋、千代紙、団扇などのデザインを依頼していた。

夢二は自分用に榛原の和紙を好んで使用する「お客様」でもあった。

          2011_0810 夢二よりの封筒 写真0015.JPG 「株式会社 榛原」の取締役会長の中村晴子様にお許し頂き特別に写真を撮らせて頂きました。

                      http://www.haibara.co.jp/


夢二は彦乃と共に日本橋や一石橋、日本銀行本店、三越本店等を歩いた事と思います。

        2011_0810  榛原の絵 0007.JPG榛原は文化3年(1806)創業以来200年・・・・余り・・・

和紙の老舗として東京日本橋本店を中心に和紙及び紙製品を中心に販売をなさって居ります。

「帝国日本東京日本橋之図」(明治20年頃)に描かれています。

雁皮紙榛原」の暖簾が示すように江戸の庶民に最初に雁皮紙を売り出したのが始まりです。