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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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東野圭吾「祈りの幕が下りる時」の橋を歩く①

[橘] 2014年9月24日 09:00

皆さんご承知の通り、東野圭吾さんの小説には、中央区を舞台にしたものが沢山あります。

特に、加賀刑事が日本橋署で活躍する「新参者」は人形町が舞台で、小伝馬町のマンションが殺人現場でした。また、「麒麟の翼」では日本橋の麒麟の像の下で、人が殺されていました。昨年発売された「祈りの幕が下り時」では明治座が拘わってくるのに加え、神田川・日本橋川に架かる12の橋が登場します。

そこで、私はその12の橋を順に歩き、橋や近辺の街に係る話題を数回に分けて書くことにしました。今回はその第一弾で、神田川に架かる橋で中央区に接する橋をご紹介します。

 

先ずは、隅田川から神田川に入る入口にある柳橋です。小説ではカレンダーの一月に柳橋とメモされていました。


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 嘗ての花柳界の華やぎを偲んで   欄干には簪のレリーフがあります

 

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現在では、料亭「亀清楼」が一件だけ

残っています。

(この書は平山郁夫氏のものです)

大相撲横綱審議委員会はここで

開かれます。

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浅草橋との間には船宿が幾つかあり、
沢山の屋形船が係留されています。

この「小松屋」さんも船宿ですが、有名な

佃煮やさんでもあります。

子供の頃によく食べた"すずめ焼き"

今でもあるのかな?

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昨年(2013年)の中央区の宝探しの宝箱の一つが

柳橋の袂に隠されていましたね。

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浅草橋との間(中央区側)には、

ビルの2階に"初音森神社"があります。

又、写真はありませんが、九重部屋(元横綱千代の富士が現在の親方)が昭和42年に出羽海部屋から独立した時(元横綱千代の山親方)に部屋が置かれたのは、柳橋でした(台東区側ですが)。古~い話ですが、元横綱北の富士(千代の富士の親方)が優勝した時に、見に行った覚えがあります。

 

今回は、柳橋だけで一杯になってしまったので、浅草橋以降は次回でご紹介します。

 

 

「伊能忠敬 居住200年中央区まつり」 、「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」 見学報告

[銀造] 2014年9月13日 14:00

 8月28日から31日まで、「伊能忠敬 居住200年中央区まつり実行委員会」主催の催しがありました。

「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」です。 中央区立総合スポーツセンターの2階会場を一杯に使っての大展示でした。

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伊能忠敬さんは、1745年、九十九里浜のほぼ中央の小関村に、小関貞恒、ミネの子として、三人兄弟の末っ子として生まれました。その後、母親との死別で、入り婿だった父親は忠敬(幼名、三治郎)の兄、姉だけを連れて、実家に戻ります。

忠敬が10歳の時に父親、神保貞恒が迎えに来て、17歳まで父親の元で暮らします。この時、佐原の酒造家、伊能三郎右衛門家では当主がなくなり、未亡人が婿を求めていたのを、神保家、伊能両家の親戚である平山家のあっせんで婿入りします。

その後、伊能家で商才を発揮し、49歳まで家業の酒造業を盛り立てました。 49歳で隠居し、家督を息子・景敬に譲り、江戸に出て天文・暦学を志し、19歳年下の幕府天文方・高橋至時に入門します。

 資力があったとはいえ、チャレンジ精神旺盛な伊能忠敬がここから本領発揮です。

深川八幡宮近くの黒江町に住み、浅草の蔵前にあった暦局の高橋至時のもとに通学し、自宅にも観測所を設けて熱心に観測したとのことです。

暦学者の間で、地球の大きさが話題になっていると、浅草と黒江町の緯度の差が1分半ということを知っていたので、「それでは、私が両地点間の距離を測って、緯度一分の距離を決めてやろう」と思い立ちますが、師匠の至時から、「浅草と深川の距離を測って、地球の大きさを決めるのは、ちと乱暴ではないか」といわれ、それではと、日本全国を行脚し、日本地図を作成するのを思い立ったのではないかと言われています。

 

 55歳になって、緯度一度の長さを測ることを目的とする蝦夷地測量に踏み出します。寛政十二年四月十九日、深川八幡宮に参詣し、千住宿を経由して蝦夷地へ向けて旅立ちました。

第二次測量は、伊豆から本州東岸を測りました。 この第一次、第二次測量の実績が認められ、次の第三次測量からは、幕府から旅行のための人馬を無賃で利用できるお触れが出され、数量も大幅に増やされて、村村からは格段に手厚い援助が得られる様になりました。 第三次測量は羽越地方、第四次測量は東海、北陸の沿岸を測量し、東日本全図の制作を目指しました。

 下記する参考文献から、このとき使用した測量機器は、「中象限儀」というものであったことが紹介されています。会場では、その他の測量器具も展示されていました。 

 

第一次から第四次までの四回の測量結果は、「日本東半部沿海地図」としてまとめられ、幕閣で好評を博し、第11代将軍徳川家斉の上覧を受けています。

第四次測量ルート図によると、この時は東海道を沼津まで再測し、沼津で伊豆半島の測量線に接続させて東海道沿いの沿岸測量を始め、江尻、三保松原、御前崎、渥美半島、知多半島と進み、熱田から名古屋城下に入って、岐阜、大垣、関ヶ原、木之元を抜け、敦賀から日本海を北上して福井、石川、今浜、能登半島を一周し、七尾、親不知、糸魚川、出雲埼、佐渡島に渡った後、寺泊、長岡、三国峠、高崎、熊谷、江戸へと帰還しています。この時、1803年10月7日ですから、58歳でした。

 その後、西日本測量の命令を受けて、第5次、第6次測量が続きました。第5次では、街並みの整った京都も測量しています。

 現代の時刻表に使われている地図と大差ないように感じます。

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第6次では、厳島の測量も手掛けています。

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 このイベントでご紹介頂いた全てをこの小さなブログでは表現できないのが残念です。

「伊能忠敬」大先生の旺盛な好奇心、チャレンジ精神を見習って、これからの人生を楽しく生きなければと思いました。

主催者、ご協力の皆様方に深い敬意を表します。 有難うございました。

 

参考文献:「伊能忠敬の全国測量」編集者:渡辺一郎様、発行者:伊能忠敬研究会、制作、問い合わせ先:日本写真印刷株式会社、電話:075-823-5151

追伸:伊能忠敬さんが、お住まいになったのは、現在の中央区で言えば、亀島橋あたりです。そこには、案内の掲示板があります。中央区の街歩きもお楽しみください。

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竹久夢二生誕130年-「港屋ゆかりの地」と「竹久夢二展」

[滅紫] 2014年9月10日 14:00

大正ロマンを代表する詩人画家、竹久夢二は明治17年(1884)9月16日に岡山県で生まれた。今年で130年。八重洲1丁目のみずほ信託銀行の正面入り口に「夢二・港屋ゆかりの地」の碑が建てられている。

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夢二式と謳われる独特の美人画と抒情詩文で絶大な人気を誇っていた夢二は大正3年(1914)趣味の店港屋をこの碑のあるところから西へ130mのところに開き、夢二のデザインによる版画、封筒、カード、絵葉書、手ぬぐい、半襟などを売ったという。「美術家自身がその作品を商品化し、販売する店を作ったという展で日本の商業美術史上重要な意義を持つ」と碑の説明にある。確かに当時としては画期的な斬新なアイデアだったと思われる。今年は港屋絵草紙店がこの地に開かれてからも100年という記念すべき年、「生誕130年竹久夢二展~ベルエポックを生きた夢二とロートレック」と題して記念展が高島屋各店を巡回中。「雑誌の表紙や広告から日用品まで幅広くデザインを手がけ、商業美術や出版の世界でも卓越した存在。画壇に属さず時代の先端を読み取る感性を持ち版画・ポスターを独立したジャンルにまで高めた2人はベルエポックを象徴する芸術家」(展覧会の案内パンフ)として2人を対比した企画のようだ。日本橋高島屋さんと碑は距離も近いので「見てから寄るか」「寄ってから見るか」お楽しみに。

 

「生誕130年竹久夢二展」は9月26日~10月6日まで日本橋高島屋

「夢二・港屋ゆかりの地」の碑 八重洲1-2-1 みずほ信託銀行本店正面入り口のそば

 

 

 

『故きを温ね新しきを知る』

[勝鬨太郎] 2014年9月 9日 17:00

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この写真は、古い絵葉書の写真で日本橋の風景です。

何時撮影されたものかわかりませんが、時代を感じます。

 

手前の日本橋方面から室町方向を捉えたもののようで、

重厚な日本橋と風格ある三越がとっても印象的です。

この写真では、まだ低い建物しか建てられていませんが、

今流行りの'日本橋COREDO室町'や'YUITO'といったホットな

NEW日本橋地区も写っています。

 

故きを温ね新しきを知る』

昼も夜もエンターテイメントに満ちた新しい日本橋地区を

訪れて、大いに楽しんでみてはどうでしょうか。

 

 

 

◆「伊勢町堀(西堀留川)跡」説明板が設置される

[巻渕彰/写楽さい] 2014年9月 4日 14:00

このほど「伊勢町堀(西堀留川)跡」説明板が小舟町記念会館前の日本橋小舟町1番先に設置された(写真左)。これまで日本橋本町に設置されていた「塩河岸跡」説明板に代わるもので設置場所が移転し、記載内容が一新されて建て替えられた。

 

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江戸初期に開削されたというこの堀割は、明治中期ごろまでは伊勢町堀といわれ、その後は西堀留川と呼ばれた。日本橋川を北西に入った西岸には「米河岸」、東岸には「小舟河岸」、かぎ状に折れ曲がった北側には「塩河岸」があり、江戸の中心地の日本橋に近いところから物流の一大拠点として賑わったという。「江戸名所図会」には江戸後期の様子が描かれている。

 

明治中期には北側奥の堀が埋め立てられ、関東大震災後は日本橋川に通じる堀も埋め立てられた。説明板の設置場所(写真右:江戸切絵図の矢印部)は荒布橋(あらめばし)跡付近で、安田銀行(のち富士銀行から現みずほ銀行)創業地の近くである。@巻渕彰

 

 

 

人形町のレトロなお豆腐屋さん

[ひでくん] 2014年9月 1日 14:00

今回は人形町にあるレトロなお豆腐屋さん「高柳豆腐店」を御紹介します。

場所は甘酒横丁の交差点から東京メトロ水天宮前駅の方向に行く途中の路地を入ったところ。

昭和2年創業で、現在まで4代続く老舗です。

外観は何とも味のあるレトロな銅板葺きの看板建築(*)で、今のところ建て替えの予定はないそうです。

(*)関東大震災からの復興期に多くみられた建築様式。建物の前面が平坦なのが特徴で、火災予防の観点から銅板を貼って仕上げている。

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お豆腐屋さんの朝は早く、朝食用のお豆腐を買いに来るお客さんのために、早朝5時頃には店を開け豆腐を作り始めます。お店の人の話では、「昔は、すぐ近くにあった銭湯が営業を終える夜中の2時頃に店を開けていた。」とのことです。

販売する豆腐は、きぬ豆腐、もめん豆腐、油揚げのほか、枝豆を入れた枝豆豆腐、ごまを入れたごま豆腐など、取り扱う商品は約30種類。スーパーやコンビニでは手に入らない味を求めるお客さんが多いようです。

中央区には老舗の専門店がまだまだ健在です。専門店のこだわりの味を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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