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日本橋たもとの赤煉瓦ビル〔大栄不動産旧本社ビル〕

[ジミニー☆クリケット] 2015年6月 3日 14:00

日本橋室町を散策中、日本橋北詰交差点そばの、日本橋川に面して建つビルの前を歩いていると、ガラスのドア越しに、1階ロビーに置かれた赤煉瓦のビルの模型が目に止まりました

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好奇心のおもむくままビルに入り、1階ロビーの受付の方にことわってその模型を見せていただいていると、ロビーの壁面には、その模型円窓の現物が埋め込まれて保存されていました

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こちらの会社は、大栄不動産株式会社。昭和25年(1950年)設立、ビルの賃貸からマンションの開発・分譲まで幅広く不動産事業を展開されています。

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ロビーに展示された模型は、同社の旧本社ビルです。東京駅や日本銀行本店、大阪市中央公会堂など、すばらしい建物を多数手がけた辰野金吾氏が設計しました。

同社の旧本社ビルも、赤煉瓦白い石を帯状にめぐらせる、いわゆる辰野式建築の特徴がよく表れた外観で、実際、日本橋川に面して建つその美しい姿は「日本橋の赤煉瓦ビル」として有名だったそうです

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平成元年完成の現在のビル(新本社ビル)は、この旧本社ビルの跡地に建てられたものです(下の写真)。

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ちなみに、この模型は、昭和の東京の街並みをミニチュアとCGで精密に再現し話題を呼んだ映画「ALWAYS 続・三丁目の夕日」で使用されたものだそうです

現物もすばらしかったのでしょうが、模型のビルも、当時の美しさを伝えていてすばらしいです

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同社の場所は、上の地図の赤枠で囲った部分です。

今回、同社には、ロビーでの写真撮影にご了解をいただき、ビルに関する情報のご提供もいただきました。

ご協力に感謝いたしますm(_ _)m

大栄不動産株式会社のHPはこちら ⇒ http://www.daiei-re.jp/

 

 

 

今年の築地「獅子祭」は見逃せない!

[下町トム] 2015年6月 3日 09:00

中央区内は初夏から真夏にかけて夏祭りのシーズンです。各地域ごとに歴史と特徴ある祭礼が催されます。江戸文化を今に伝える貴重な民俗行事です。

 

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その中で、今年3年に一度の"本祭り"を迎える、築地・波除神社の「獅子祭」はひときわ盛大に開催される見込みです。そもそも、築地町内の地元愛の濃い面々が手づくりで運営するこのお祭りは和やかで品格のあるものですが、今年はさらに魅力アップしそうです。

ご存じのとおり、町内にある〔築地市場〕がいよいよ来年秋に豊洲に移転することになり、市場関係者の方も一緒になって祭を盛り上げるのも今年が最後になります。いつも本祭りの際には宮神輿が市場構内に繰り込んで、市場の繁栄を祝うとともに魚河岸に働く方々の安寧を祈って巡幸されます。

H24_築地祭1.jpg築地市場の構内には〔水神社〕という神田明神ゆかりの社があります。魚河岸が日本橋から築地に移転した時に元の場所で信仰されていた水神様の遥拝所として設立されたものです。この社でも独自の神事が毎年行われています。

 

そして、今年の築地「獅子祭」では、何と〔波除神社〕と〔水神社〕のコラボレーションが実現するのです。築地市場での思い出を込めて両神社の神輿が並んで巡幸するという極めてまれな神事が執行されます。もちろん最初で最後です。

 

この記念すべき祭事を皆さん是非ご覧になってください。もともと、「獅子祭」は「夏越の大祭」として、一年の折り返しの厄払いの意味を持っています。ご参詣いただいて邪気を祓い、この夏を健康に乗り切っていただきたいと願っています。そして魚河岸が移転した後もこの土地が繁栄することを祈りたいと思います。

 

 

成瀬己喜男監督映画 「秋立ちぬ」

[CAM] 2015年6月 1日 18:00

 

「秋立ちぬ」は昭和35年の作品ですが、築地川周辺がロケ地になっています(作品は、You tubeで見ることができます)。

 

 父親が亡くなった後、母親(乙羽信子)に連れられて東京へ出てきた男の子のひと夏の物語です。冒頭で、母子は銀座4丁目交差点から、銀座通り、昭和通りを渡り、築地方面へ向かいます。もう交通量は相当のものです。二人は当時の「京橋小学校」を通りすぎ、築地川にかかる新富橋を渡ります。この京橋小学校は平成4年に築地小学校に統合され、校舎跡は、現在では「京橋プラザ」になっています。

 

 夏のある日、男の子(小学6年生)は、知り合いになった女の子といっしょに銀座へでかけ、松坂屋屋上に上ります。当時は、屋上から東京湾方面を見ることができたのですね。それからしばらくの後、二人はタクシーで、勝鬨橋を経て晴海の埋立地まで海を見に行きます。

 

 映画では、埋立て以前の築地川を見ることができますが、かなり水質汚染が進んでいたことは子供の会話でもわかります。 銀座も戦後しばらくまでは、東に築地川と三十間堀川、西に外濠川、南に汐留川(新橋川)、北に京橋川と四方を川に囲まれた「島」だったのですね。 戦後、昭和24年に戦災瓦礫によって三十間堀川が埋め立てられたのを最初として、次々に埋め立てられていき、三十間堀以外はすべて高速道路に変わってしまっています。 最後まで残ったのが築地川ですが、東京オリンピックの前に埋め立てられています

 

 当時の皇太子殿下(現在の今上陛下)のご成婚が昭和34年で、その頃からテレビが急速に普及しました。ミゼット(三輪車)が走っているのもなつかしい。日本経済もこの頃から本格的な高度成長期に入り、昭和39年のオリンピックに向けて、東京のインフラは大改造(少なくとも部分的には大改悪)されていくのですね。

 

 私は、当時は大阪市中央区(当時の南区、平成元年に東区と統合)にいましたが、船場、島之内を囲んでいた川をはじめとする市内の相当部分の河川が埋め立てられました。それはやはり昭和35年頃から始まっています。