中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

「江戸」、「江戸っ子」

[CAM] 2015年11月14日 18:00

 先日の「まるごとミュージアム」で、バスルートのガイドを勤めた際、「古くは、神田も芝も、江戸ではなかった。もちろん、浅草も江戸の外だった」と話したら、「本当ですか?」と問われました。

 

 この点については、以前に投稿したのですが、あらためて投稿しておきます。

 

 池田弥三郎氏は、以下のように述べておられる。

 

>歴史的には、江戸っ子とは、もし、将軍のおひざもとの江戸の町の出生者ということになれば、今の中央区の、旧日本橋、京橋区内の人々が、その中心をなしていて、ごく古くは、神田も芝も、江戸ではなかった。もちろん、浅草も江戸の外だ。しかし、時代とともに、芝で生まれて神田で育った者も、江戸っ子となって来たし、川向うの本所深川も、江戸の中にはいってきた。(『日本橋私記』88

 

>元来の江戸っ子とは、今の中央区の中の、旧日本橋区、京橋区の主として商家に働く人々のことであったはずであり、最狭義では、「擬宝珠と擬宝珠との間」の地に生まれ育った者になるかもしれない。その後、徐々に、神田、芝、本所深川に生まれ住んだ人間まで含まれるようになってきたのである。

 

>江戸の「本町」の商家の旦那衆に加えて、職人階級に属する人々が増加し、江戸っ子を形成していったということになる。だから、金銭についての気質を説くにしても、江戸の本町を中心にした、商人の階級に属する人々を対象にした時には、宵越しの銭は使わないどころか、堂々と貯めた人々の気質をみつけなければならない。講釈や落語の世界に出没する概念の江戸っ子から気質をひき出すことは、危険が多いのである。(『日本橋私記』88

 

池田弥三郎(1914-1982)。東京都京橋区銀座に誕生。京橋区立泰明小学校、慶應義塾大学文学部国文科卒。NHKTV番組に出演、タレント教授のはしりとしても知られた。

 

 

 

区界を歩く2 外堀川

[佐平次] 2015年11月13日 09:00

 龍閑川の埋め立て路地が千代田区と中央区との区界であることから、今回は龍閑川が日本橋に繋がる河口から外堀通り沿いに区界を歩いてみる。
常盤橋まで日本橋川に沿って、といっても川沿いには道が整備されていないので外堀通りを歩くことになる。

 常盤橋.JPG

 

  常盤橋を過ぎると日本橋川は大きく左に曲がり、千代田区との区界は一石橋を渡り、かつてあった外堀川となる。

一石橋.JPG

 

 本来なら外堀通りを挟んで西側を千代田区、東側を中央区となるのが自然であり一般にもそう理解されているようだ。 しかし、かつて外堀川は外堀通りに沿った西側にあり、その中心線が区界になっているのだから埋め立てられた外堀通りの西側部分の一部(外堀通りに面した一部)は中央区なのである。

 実際、東京駅の北隣にある(現在工事中の)第一第二鉄鋼ビルではビルの中を区界が通っており、八重洲一丁目10番・11番街区が設定されているらしい。
鉄鋼ビルの住所は千代田区丸の内となっているが厳密にいえば外堀通り沿いのエントランス辺りは中央区のハズなのである。

 この外堀川の埋め立て地にかかって建てられたビルは一石橋から鍛冶橋辺りまで幾つかあるが外堀通り沿いにはまったくビルの建物の住所の表示がない。 これは中央区の部分に千代田区丸の内と表示することに遠慮、躊躇いがあるのだろうか? 

 鉄鋼ビル.JPG

鉄鋼ビル

 外堀石垣.JPG

復元した石垣

  石垣解説.JPG

石垣の解説

 排気塔.JPG

地下首都高速の排気塔   

 

 このことは鍛冶橋を過ぎ、やがて高速道路が地上に現れることで分かる。

 

高速降口.JPG 
 埋め立てられた外堀川上に「東京高速道路」のビルが建てられ、上が道路、下がショッピングとして使用され、鍛冶橋辺りから道路は地下に潜り見えなくなる。

 

 銀座inz.JPG つまり、この建物「GINZA INZ 123」「NISI GINZA」「GINZA5」といったショッピングモールの入る建物はかつての外堀川の区界の上に建ち、現在は住所のない番外地なのである。
 しかし、この区域には住民登録がなく区に支払われる住民税等の徴収問題もなく、事業所だけなので特に住所を定めなくても問題はないという。

 因みに、消防や警察は、商業施設ごとに管轄を決めておりで、「NISHI GINZA」の場合は消防は千代田区丸の内で、警察は中央区築地の管轄になっているそうだ。
 また、郵便物は「中央区銀座4丁目1番先」という便宜上の住所で郵便物は届く。
「GINZA INZ」は「中央区銀座西2-2先」(現在は銀座西の表示は実際にはない)
「GINZA 9」は「中央区銀座8-10先」となっており、便宜上の住所といえども銀座は魅力があるのだろう。

 
 かつて、「GINZA INZ」は「有楽フードセンター」という名でレストランや食品販売街であったが、このときはフランク永井の「有楽町で逢いましょう」が大ヒットしたので、当時、有楽町は銀座よりもブランド力があったのだろうか?

 
 宝籤チャンスセンターで有名な「NISHI GINZA」は「西銀座デパート」という名で最新流行の衣料品を扱い、「GINZA5」は「数寄屋橋ショッピングセンター」という名称でお洒落なアクセサリーなどのアイテムを扱っており、これらのショッピングモールはこの種のものとしては日本での草分けと言っていい存在だった。

 宝籤チャンスセンター.JPG

  

 これらのショッピングモールが外堀川の埋め立て地上にあることから中央区と千代田区の区界はこれらのモールの中心の通路ということになろうか? インズショッピングモール.JPG 
 「GINZA5」を抜けみゆき通りを渡るとショッピングモールは終わりレストランが並ぶ「銀座コリドー街」になる。

コリドー.JPG 
 やがて土橋の交番で高速道路は大きく左に曲がり、「GINZA9」となる。

土橋.JPG

ぎんざ9.JPG 
 かつての外堀川は汐留川となり埋め立てられ「GINZA9」が港区との区界になる。

 昭和30年代神戸一郎という歌手が唄った「銀座九丁目水の上」が大ヒットしたが、「GINZA9」はそこから付けられたわけではなく、最初は「新橋センター」という名前だった。 やはり新橋駅が近いことから付けられた。
 実際、新橋のサラリーマンの溜まり場となる小さな居酒屋が多かったようだ。
 現在は、銀座の高級バーのママやホステスさんのドレスなどを扱う店が多い。 

ドレス.JPG

 
 「GINZA9」も昭和通りで終わり、海岸通りと上を通る高架の首都高が浜離宮庭園に沿って港区との区界となり、汐留川から東京湾に出て晴海埠頭から晴海運河が江東区豊洲との区界となる。。

浜離宮.JPG

浜離宮

   

浜離宮2.JPG

汐留川から東京湾へ

 

 

 

BS11 「古地図で謎解き!にっぽん探究」

[CAM] 2015年11月12日 14:00

 

   あまり見たことがないTVチャンネルなのですが、「BS11」の「古地図で謎解き!」「家康が描いた商業都市東京の原点がそこに・・・・尾上松也が日本橋を探訪」という番組(毎週火曜日夜800854)が目にとまって、見てみました(11月10日)。

 

 1時間弱の番組ですから、それほど深い切込みがあるわけではないものの、古地図を挙げながら、映像で平易に説明される有益な番組でした。

 

各都市の古い地図をもとにしてその土地を探るところが、普通の歴史探索番組とひと味違うみどころです。年代ごとに異なる地図と現在の実際の場所と見比べ、変化を想像しながら歴史をひも解いていきます。」ということです。

 

 今日(1110日)は、日本橋河岸と徳川家康との関係、その関連として佃島の由来が説明され、日本橋の老舗店として「弁松」、「伊場仙」、「小津屋(小津和紙)」等が登場していました。

 

 次回のテーマは「築地・時代と共に歴史を築いた町」ということです。

 

 

◆ 築地場内 「印度カレー中栄」店主の 華麗な おもてなし

[隅田の花火] 2015年11月12日 09:00

 

朝の築地市場。いつもあわただしく人や荷が行き交い、活気のある場所です。

 

特に築地の場内市場に来ると、目に飛び込んでくるのがほとんど働いている方々。「人が働く」という人間の原点みたいなものを目の当たりにできる場所で、見ているだけで朝から元気が湧いてきます。

s_hanabi27-1.jpg(海幸橋門から見た築地場内)

 

実は私は今年春から、週に1・2回早起きして場内市場で朝ごはんを食べてから会社に通っています。

 

場内市場の豊洲新市場への移転という、歴史的なタイミングで特派員をやらせていただいているということもあるのですが、何か思い出のひとつでもこの築地場内市場という場所に残せたら、という思いもあり、早起きすることにしています。

 

私が通い詰めているのは、場内市場にある「中栄(なかえい)」というカレー屋さん。

お店に入ると、U字型のカウンターに店主が先頭に立ち、いつも店をきりもりしています。

s_hanabi27-2.jpg中栄のカレーのメニューの基本は三種類です(550円)。

 ・印度カレー(辛口)

 ・ビーフカレー(甘口)

 ・ハヤシライス(トマト風味)

 

さらに「合いがけ」というメニューもあります(650円)。基本の三種類からふたつを選び、ひとつの皿に盛ってもらえるメニューで、観光や初めての方にはオススメです。

その他、シーフードカレーや炙りチャーシューがのったカレーなどのメニューもあります。

s_hanabi27-3.jpg(印度カレーとハヤシライスの合いがけ。650円)

 

このお店で驚きなのは、カレーを注文してから出てくるまでが実に早い!

座ってから数十秒経つとカレーが目の前にあります。十秒かからないこともあるのではないでしょうか。

 

早さの秘密のひとつとして、店主さんがかなりの数の常連さんの顔とその注文を覚えていることがあります。オーダーをしなくてもカレーが出てくる常連さんもいたりします。

 

数回このお店に通って、私はそれに気付いたのですが、どのくらい通えばこの常連さんのようになれるのか、試したくなってしまいました。

 

そこで9月に入ったところで、注文を「印度カレーと目玉焼き」に固定してみることに。

そのあと、週に1・2回のペースで通い続けてみました。

s_hanabi27-4.jpgここからが長かった・・・。

「印度カレーと目玉焼き」と自分でオーダーすることが何度も続きます。

「印度カレーと目玉焼き」と言わない日はやって来るのか?新市場への移転の日まで間に合うのか?  ・・・不安がよぎります。

 

10月の下旬に差し掛かった頃、店に入ると店主さんから「いつもの?」というお声が。いゃ~嬉しかったぁ。私も常連さんに認定されたということなのでしょうか。 「印度カレーと目玉焼き」にしてから8回目の朝でした。

 

 

この中栄のカレー屋さんの創業は大正元年(1912年)だそう。魚市場は築地に移ってくる前は中央区の日本橋という橋の所にあったのですが、その頃からあった老舗のカレー屋さんです。

 

お店に入ってくるお客は市場で働いている方々が多いのですが、仕事で急いでいることが多いので、このカレーが提供されるスピードは市場という場所が生み出した「おもてなし」のひとつなのかもしれません。

s_hanabi27-5.jpg(築地魚河岸シーフードカレー。1000円)

 

このお店、私が好きなところは、この店主さんの「おもてなし」が実に見事というか、無駄がなく華麗で、朝から心地よい気持ちにさせてくれるところです。

お客ひとりひとりに対する気配りはごくあたりまえのことのように行われるのですが、お客と店主との聞こえてくる会話が本当に心地よいのです。私には朝に聴こえてくる心地よい音楽のようにも感じられます。

 

この店主さんは、創業から四代目だそう。この店主さんと会話をするのを楽しみに来店する常連さんもたくさんいらっしゃるようです。

 

 

さて、中栄のカレーのメインの「印度カレー」。

辛さは、超辛いという訳ではなく、程よい辛さ。ファーストフード系の店に分類されてしまうのかもしれませんが、味に関してはそれなりの実力派、それでいて少し懐かしさの感じられる味だと思います。

s_hanabi27-6.jpg(印度カレーと目玉焼き。550円+100円)


ご覧の通り、ご飯の上にキャベツかどっさり盛られているのが特徴で、ご飯もかなりのボリューム。

食べ方は人それぞれですが、キャベツとご飯とカレーを絡める食べ方が店で案内されていて、その通りに食べるのが一番美味しいと思います。キャベツのシャキシャキ感がたまりません。

 

 

築地場内市場の豊洲新市場への移転の日まで、1年をきりました。来年11月2日の営業を最後に閉場。翌日は休場日で4~6日の3日間で移転するスケジュールです。

s_hanabi27-7.jpg(水神社から見た築地場内)

 

このカレー屋さんももちろん移転されるのですが、店主にお聞きしてもそれほど切迫したご様子ではなく、サバサバした感じ。

 

いろいろ移転に伴う問題はこれから発生するのでしょうが、もう前に進むしかない。そんな感じで話されていました。

 

これから、築地の「場内」市場は最後の年の瀬を迎えていくことになりますが、移転していくまでまだ日はあります。

そろそろ「印度カレーと目玉焼き」以外の注文にしてみようかと思うこの頃ですが、来年の今頃には良い思い出が残っているよう、できる限り通い続けられればと思っています。

 

★「中栄」⇒ http://www.nakaei.com/

★「魚河岸横丁」⇒ http://www.uogashiyokocho.or.jp/

 

 

 

大和屋シャツ店 EST 1876 中央区 はじめて物語

[銀造] 2015年11月11日 14:00

 中央区銀座6丁目の「大和屋シャツ店」さんは、日本で初めてのワイシャツ店です。

手元にある「中央区はじめて物語マップ」の説明によると、

 

~商い・ものづくり編~に、⑤日本で最初のワイシャツ店

現在:yamatoya本店

発祥:明治9(1876)年、現住所:銀座6-7-8

横浜関内の弁天通りに日本で最初のワイシャツ店を開業しました。

 最初のうちは、港にあふれる外国人相手に商売をしていました。

横浜大空襲で焼け、昭和28(1953)年に銀座で再興しました。

  

 大変お得なワゴンセールに初めて遭遇しました。

 

大和屋さんのシャツの内側の首に当たるところには、布製のタグが縫い付けられています。

   EST     1876

   yamatoya  ®

             GINZA

これが、品質保証の証しでしょう。

銀座店などの詳細情報は、こちらです。

http://www.yamatoya-shirts.co.jp/

 

 

 

銀座八丁神社めぐり in AUTUMN GINZA 2015

[銀造] 2015年11月10日 18:00

 「銀座八丁神社めぐり2015 」が、今年も11月1日から3日の3日間開催されました。

AUTUMN GINZA 2015のご案内を片手に、参加している最寄りの神社の何処からでも参加できるのが嬉しいですね。

最初に訪問した神社でご集印帳を頂き、その神社のスタンプも押印して頂きます。 2番目以降は、そのご集印帳に押印して貰います。

今年は、幸稲荷神社、銀座稲荷神社、龍光不動尊、朝日稲荷神社、宝童稲荷神社、銀座出世地蔵尊、歌舞伎稲荷神社、あづま稲荷神社、成功稲荷神社、豊岩稲荷神社の十社がご開帳して下さいました。

 朝日稲荷神社でお賽銭を入れ、二礼、二拍手、一礼すると、「朝日稲荷神社縁起」が記された封書を頂きました。

中には、屋上に祀られた鳥居とお社、絵馬の絵葉書を頂戴しました。また、ひとつ銀座の歴史に詳しくなります。

 成功稲荷神社では、今年も資生堂さんの"savon d'or" を頂きました。贈り物には、石鹸 有難うございました。

 

宝童稲荷神社では、孫の健康を祈願してお祈りしました。

和光ビルと銀座の街並、宝童稲荷神社のお社をデザインした素敵なクリアファイルにおみくじが入っていました。

それには、宝童稲荷縁起とご託宣が記されていました。「運気良し

また、明治35年当時の弥左衛門町とその周辺の地図が記されており、勉強になります。(後述、追伸)

  

追伸:宝童稲荷神社のご縁起について申し上げますと

宝童稲荷という小さなお社が祀られた四丁目三番の通り抜け路地は、稲荷小路と呼ばれておりました。

この宝童稲荷は、稲荷信仰がたいへん盛んであった江戸時代に、もとは将軍家の跡継ぎの成長を守るために、江戸城内に祀られていた神社でした。

 この稲荷が防災に大変霊験あらたかであったので、堂守りの弥左衛門という人が、神霊の分神を受けて、現並木通りの角に建立したのが、四丁目の"宝童稲荷のはじまり"といわれています。

宝童稲荷は、士商の分け隔てなく、守り本尊となり、弥左衛門も、居をここに定め、生涯、稲荷のお守りをしたので、このあたりを弥左衛門町と呼ぶようになりました

 宝童の名前にあるように、このお稲荷様は子供の健やかな成長を守る神様です。また、弥左衛門町を発祥の地とする名だたる企業が多いことから、商売繁盛の神様としてお参りする方が引きも切りません。

子宝、商売繁盛を祈願とし、よきご縁を授ける社として、今日でも厚い信仰を集めております

DSC08559 (350x197).jpg