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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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三光稲荷神社

[クラさん] 2016年2月29日 18:00

先週末に散歩の途中、日本橋堀留町にある三光稲荷神社で"桃の節句 雛まつり"'のポスター(写真)を見かけたので、このお稲荷さんをご紹介します。

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三光稲荷神社は、当地付近(旧長谷川町)に居住した絹布問屋田原屋村越庄左衛門、木綿問屋建石三蔵の両家が江戸初期に勧請したとも、中村座に出演していた大阪の歌舞伎役者関三十郎が、1689(元禄2)年以前に伏見より勧請したとも云われています。1923(大正12)年の関東大震災で社殿を焼失し、翌1924(大正13)年に再建されています。また、同年区画整理によって長谷川町と田所町が合併して堀留二丁目となり、その際に田所稲荷大明神が合祀されました。その後、1933(昭和8)年の区画整理時に現在地へ遷座し、その通りを三光新道と称するようになったそうです。

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基本的に無人社であり、御朱印などは人形町通りを右に4軒目の化粧品店「オキナ」(小畑様)にて授与して頂けます。なお、小畑様によると桃の節句(雛まつり)を始めとして季節ごとに種々の催が古くから続けられてきていますが、ひな飾りの展示は十年ほど前から始めたそうです。拝殿に飾られた5段のひな飾り(写真)は、華やかで凛とした空気を醸し出す存在感のある立派なものです。また、三光稲荷神社は古くから、娘、子供、芸妓等の参拝するものが多く、ことに猫族守護神として猫を見失ったとき立願すれば霊験ありと云われています。境内の招き猫(写真)は、猫が帰ってきた飼い主たちによって奉納されたものだそうです。

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場所は地下鉄人形駅の北側で、人形町通りの東側(小伝馬町方向)の狭い横丁の奥にあり、その入り口に「三光稲荷神社参道」の石標(写真)があります。ちょっと分かりにくい小さな稲荷神社ですが、3月3日(木)開催の「雛まつり」や猫に興味のある方たちは、一度参拝されてみては如何でしょうか。

 

 

永井荷風「日和下駄」

[CAM] 2016年2月25日 12:00

 先日、「中央FM」"大好き中央区"に出演し、荷風の「日和下駄」、「断腸亭日乗」について少し語らせていただいた。 そこで、以前、このブログに投稿したのは何時だったかと思い、確かめてみると2015年11月30日付であった。

 

 それから、約3か月、荷風の「日和下駄」や「断腸亭日乗」を座右において中央区内を散策していると、今はもう消えた昔の地名などにもかなりの馴染みとなってくる。

 

 以前の文を、再度、収録させていただきたい。

 

 荷風は言う、「私は別に此と云ってなすべき義務も責任も何にもない云はば隠居同様の身の上である。その日その日を送るに成りたけ世間へ顔を出さず金を使はず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法をと色々考案した結果の一ツが市中のぶらぶら歩きとなつたのである」。(13-301) 

 

 そして「日和下駄」は、荷風が日々の「ぶらぶら歩き」のなかで感じたことを綴った散策記である。
 

 「序」で「大正三年夏のはじめころよりおよそ一歳あまり、月々雑誌三田文学に連載したりし」と書くのは、「此書板成りて世に出づる頃には、篇中記する所の市内の勝景にして、既に破壊せられて跡方もなきところ尠からざらん事を思へばなり。」からであり、「昨日の淵今日の瀬となる夢の世の形見を伝へて、拙きこの小著、幸に後の日のかたり草の種ともならばなれかし」という。

 

 まさしく、その後、大正11(1923)年の関東大震災、昭和20年の米軍大空襲によって、さらには昭和39年の東京オリンピックによって、「此書板成りて世に出づる頃」から遥かに歳月を経た現在では、「篇中記する所の市内の勝景にして、既に破壊せられて跡方もなきところ尠からざらん」状態になっているので、この大正3年の散策記を読んでも隔世の感がある。

 

 中央区内の情景はそれほど登場しないのだが、その中の何か所かを拾っておきたい。

 

 「一体江戸名所には昔からそれほど誇るに足るべき風景も建築もある訳ではない。・・・・住吉を移奉る佃島も岸の姫松の少きに反橋のたゆみをかしからず・・・・其角は江戸名所の中唯ひとつ無疵の名作は快晴の富士ばかりだとなした。」(300)

 

「並木は繁華の下町において最も効能がある。銀座駒形人形町通の柳の木かげに夏の夜の露店賑ふ有様は、煽風器なくとも天然の凉風自在に吹通ふ星の下なる一大勧工場にひとしいではないか。」(315)

 

「鉄砲洲なる白河楽翁公が御下屋敷の浴恩園は小石川の後楽園と並んで江戸名苑の一に数へられたものであるが、今は海軍省の軍人ががやがや寄集つて酒を呑む倶楽部のやうなものになつてしまつた。」(320)

 

「日本橋の大通を歩いて三井三越を始めこの辺に競うて立つアメリカ風の高い商店を望むごとに、私はもし東京市の実業家が真に日本橋といい駿河町と呼ぶ名称の何たるかを知りこれに対する伝説の興味を感じていたなら、繁華な市中からも日本晴の青空遠く富士山を望み得たという昔の眺望の幾分を保存させたであろうと愚にもつかぬ事を考え出す。」(327)

 

「東京の水を論ずるに当ってまず此を区別して見るに、第一は品川の海湾、第二は隅田川中川六郷川の如き天然の河流、第三は小石川の江戸川、神田の神田川、王子の音無川の如き細流、第四は本所深川日本橋京橋下谷浅草等市中繁華の町に通ずる純然たる運河、第五は芝の桜川、根津の藍染川、麻布の古川、下谷の忍川の如き其の名のみ美しき溝渠、もしくは下水、第六は江戸城を取巻く幾重の濠、第七は不忍池、角筈十二社の如き池である。」(332)

 

 散策、散歩とは、今風に言えば、ウォーキングということになろうか。荷風は金があってなお「金を使はず」と言っているのだが、私の場合は、まさに正真正銘金もない身として、「その日その日を送るに成りたけ世間へ顔を出さず相手を要せず自分一人で勝手に呑気にくらす方法」として、今後も中央区内をぶらぶら歩いていきたい。

 

 

重要文化財 築地本願寺

[CAM] 2016年2月23日 12:00

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     重要文化財 

        築地本願寺 本堂一棟

          附 正門・北門・南門(各一所)、石塀(五基)

 

所在地 中央区7築地3丁目151

 

 浄土真宗本願寺派(京都西本願寺)の直轄寺院・築地本願寺は、江戸時代初期の元和3(1617) 、浅草近くの横山町に創建されました。

 江戸浅草御坊と称された当寺院は、明暦3年(1657)の大火で消失した後、現在地に移転・再建されました。 特に本堂の大屋根は、江戸湊に入る船の目印であり、江戸庶民によく知られた名所の一つでした。

 江戸時代から明治期にかけて何度か再建された木造の本堂は、大正12年(1923)の関東大震災で焼失した後、昭和9年(1934)に現在の本堂(鉄筋コンクリート造、地上二階、地下一階)となりました。

 西本願寺22世宗主・大谷光端の依頼を受けた設計者の建築家・伊藤忠太(18671954)は、日本の伝統的な寺院様式ではなく、仏教の発祥地であるインドの建築様式を独自の解釈で外観に取り入れ、特異な雰囲気をもつ伽藍を創出しました。

 花崗岩が用いられた建物中央の本堂は、上部に銅板で葺いた巨大な円形屋根がのせられ、左右対称にのびた翼部には鐘楼と鼓楼の塔屋を置き、正面中央と左右の入口には独特の曲線による破風を設けています。内部は伝統的な浄土真宗寺院の本堂形式でありながら、外観各部にはインド風の建築手法が見られ、入口の破風(はふ)・柱頭飾り・屋根上の尖塔、さらに細部の装飾が一体となり、全体として調和のある外観を創り出しています。

 当寺院本堂は、建築家・伊藤忠太が最新の技術を用いて東洋的な建築を追求した典型例であるとともに、秀逸な建築デザインを保持する震災復興期の貴重な建造物といえます。また、本堂とほぼ同時期に建築された外周の石積塀や石造柱門(正門・北門・南門)も共通のデザインを踏襲しており、本堂と一体をなす貴重な建造物となっています。

 これらの建造物は平成26年に重要文化財として、指定されました。

     平成273

                                                                               中央区教育委員会

 

国指定重要文化財についての標示版

 

IMG_2754.JPG 敷地内にある、石灯籠(これは重要文化財ではない)

IMG_2755.JPG 敷地内にある親鸞聖人像 (これは重要文化財ではない)

IMG_2756.JPG 重要文化財の一部である正門と石積塀

IMG_2757.JPG 重要文化財の一部である南門

IMG_2759.JPG 敷地内にある第一伝道会館、喫茶室や宿泊施設もある。 

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魚河岸水神社(神田明神)

[橘] 2016年2月17日 18:00

皆様良くご存知の築地市場内にある「魚河岸水神社 遥拝所」です。
 

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そして、神社の前には海軍発祥の地を記念した「旗山」の石碑が立っています。

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水神社にある説明版には、明治34年に「神田明神」の境内に「水神社」本殿が建立され・・・・・

と記載されているので、神田明神で本殿を見てきました。

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こちらが神田明神にある魚河岸水神社の本殿です。

 

こちらの説明版には、「日本橋魚河岸水神社」は徳川家の武運長久と併せて大漁安全を祈願するため、魚河岸先人により鎮座され、「水神社」と改称後、明治24年に「魚河岸水神社」と社名を変更し、日本橋魚市場の守護神として崇敬されている。魚市場が築地に移ってからは築地市場内に遥拝所が建てられ、市場に係る人々の篤い信仰により支えられている。という主旨が書かれています。

尚、神田明神から見ると、「魚河岸水神社」は氏子町ゆかりの「末社」という位置づけになっています。

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第8回中央区観光検定試験から建物問題

[みど] 2016年2月16日 18:00

8回中央区観光検定試験を受験してきました。

私は過去に2度(2回、第5回)受験したことがあるのですが

今回は難易度が高かったように思います。

とりわけ歴史的建築物に関する出題が目立ちましたのでご紹介

させていただきます。

 

写真問題 築地1丁目にあるこの建物は?

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正解は宮川食鳥鶏卵

  

 

銀座二丁目にあるヨネイビルディングの特徴は?

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正解はロマネスク風のねじり柱

  

  

日本橋富沢町にあるハリオグラスビルの柱の特徴は?

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正解はコリント式

 

 

東日本橋2丁目にある玉置文治郎ビルの設計者は?

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正解は森山松之助

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いかがでしたでしょうか。

この他にも建物に関する出題があと3問ありましたが

難しい問題でした。

でも、こういう視点からカメラを持って街歩きするのも

楽しいと思います。

 

 

五代さま@築地

[月島菜々子] 2016年2月15日 14:00

人気の朝ドラ「あさが来た」の舞台は大阪ですが、主役を凌ぐ人気の五代友厚は

ここ中央区にご縁がありました。
今回は五代さまの区内の足跡をたどってみます。
 
明治維新後、新政府は諸外国との交易に備え、江戸時代後期に劣悪になっていた貨幣を

国際的に通用する良質なものにする必要がありました。
この欧米式の貨幣作りを託された1人が五代さまです。
彼はこの仕事を進める中で、金銀入手のため、鉱山業を手掛け、

その管理事務所として明治6年に自宅があった大阪中之島に弘成館を創設。
明治7年、福島県の半田銀山の経営にも着手し、その拠点として東京築地入船8丁目に

東弘成館」を置きました。

現在の明石町で、聖路加病院、芥川龍之介の生誕地辺りでしょうか。

 
ドラマでは、大阪から船と汽車を乗り継ぎ新橋から築地まで煉瓦街を歩く様子、

ガス灯が点る場面では、五代さまの「ここから一里の間に85本のガス灯が街頭を照らします」

と言うセリフもありました。

近代化を遂げる東京、モダンな街中央区の様子がよくわかりました。
 
築地の別邸にて療養生活の甲斐なく49歳の生涯を終えた五代さま。
「大阪をつくった男」として有名な五代さまが最後まで築地とご縁がありましたこと、

誇らしい気がします。
 
ドラマではもう出番はありませんが、今月22日に夢の中で再登場とか。

今からとても楽しみです。

ディーンさま、いや五代さまに会えるのが