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日本橋で着物カーニバル!【きものサローネ】

[柴犬] 2016年9月29日 18:00



きものサローネ」というイベントをご存知でしょうか?


2012年よりCOREDO室町を中心として開催されている、着物・和装ファッションの一大イベントです。昨年の来場客数はなんと10000人以上。その人気の秘密は...何と言っても目に映る圧倒的な華やかさ!そして無料のイベントだということ!


今年は9月と10月、2回に分けて開催されます。9月の回はすでに終了していますが、簡単にご紹介いたします。



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9月のきものサローネは、COREDOのお隣・YUITOで「きものマルシェ」が行なわれました。参加した着物業者は約75店舗、入り口には各参加店舗が趣向を凝らして着付けた着物がズラリ。



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会場内、至る所に展示してあります。



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話題のあのチームの浴衣が!後ろには背番号も入っています。



展示された着物は人気投票も行われています。参加者どなたでも投票できます。お気に入りの着物・着付けを見つける楽しさも!


店舗ブースでは、老舗から新進気鋭の若手さんまで、あらゆるタイプの着物・和装グッズが販売されています。



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あると便利な半襟テープやクロゼットで保管できる着物ハンガー、見ているだけで博物館にいる気分になれる見事な友禅まで一堂に見て回ることができます。京の名工展もあり!



会場内には職人さんの実演コーナーや、



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簡単に日本髪を結えるキットの販売コーナーも。実際に日本髪を結ってもらえます(有料)。



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イベントコーナーでは、人気の着付け師さんによる着付けのコツ講座やお手入れ講座、人気文化人のトークショーに日本舞踊や三味線の舞台、さらにはファッションショーまで行なわれました。これら全て無料で観覧できます。



さらに、美味しい和スイーツや日本酒飲み比べのコーナーも...。もちろん、着物レンタルもありますよ!



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ここまでが9月の「きものサローネ」ご紹介でした。


10月は28日(金)29日(土)30日(日)の三日間、COREDOで開催されます。メインは、着物100体コーディネートとご当地着物ファッションショー。他にも楽しい企画が盛りだくさんです。詳細はまだ発表になっていませんが、毎年大盛り上がりするイベントですのでどうぞ期待下さい。会場となるCOREDO室町は駅直結ですのでお出かけにも便利、雨の日でも安心です。



詳しくはホームページをご覧下さい。→【きものサローネ in 日本橋】



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お出かけの際には、お隣の福徳神社へもぜひぜひご参拝下さい。江戸時代から富くじ(宝くじ)が行われていた神社で、今でもくじには霊験あらたかと言われる人気の神社です。宝くじを保管するための「宝袋」の販売などもあります。



 

 

秋意 月の名所で見立て

[あすなろ] 2016年9月27日 14:00

秋の長雨ですね。雲の切れ間にいさんで月島へ出かけました。
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 大江戸線月島駅>

佃島と月島は都心に有って、奇跡的に戦災を受けません
でしたから、昭和初期の家並みを残してます。
隣接地に高層ビルが林立し、それに囲まれた古い街です。
 

月の岬.jpg

 月島の名前は東京湾内にあった「月の岬」という

 月見の名所から名付けられたとのこと。

 <歌川広重 名所江戸百景 月の岬>

 
 今回は条件が合わず、月が見れませんでしたが

 今も昔も変わらない月見の景色があることでしょう。


 
「何ごとも変はりのみゆく世の中に

            おなじかげにてすめる月かな」 西行

その代わりに月島らしく、月の見立て?を探しました。

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 佃住吉神社の燈籠>

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 西仲通付近の提灯>

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 タンプルタンのモンブラン>

 

もんじゃ焼きはもちろん、夜景や下町情緒、歴史も楽しむこと
のできる佃・月島エリア。ぜひ足を伸ばしてみてくださいね。

 

錦絵でたのしむ江戸の名所

月島 PATISSERIE Tant Pour Tant

国立天文台天文情報センター

 

 

 

九番目の義士 間新六が見せた壮烈な切腹(2)

[CAM] 2016年9月25日 09:00

> 間新六も父や兄と隔たれ、同志9名とともに、麻布日が窪にあった長府藩上屋敷へ収容された。・・・・・・厳戒の中、穏やかな年末年始を過ごした新六らは、2月4日に切腹を申しつけられた。

 長府藩側は、切腹を儀式的なものとみて、幕府役人らにある提案を行っている。

〔切腹の脇差の事、扇を紙にて包み、十本支度仕り置き・・・・・・・・〕(『毛利家記録』

 
 新六の切腹は九番目だった。藩士江良清吉が介錯刀を構える中、新六は周囲の意表を衝く行動に出た。

 
{間新六郎は肌を脱がず、前に三奉(宝)を置き、脇差をとり、腹に突き立てたると・・・・}(『毛利家記録』

 
 赤穂浪士たちが、直接腹部を切ることのない、扇腹に準ずる形で介錯を受けていくものと思っていたギャラリーにとって、新六の最期の姿は驚愕すべきものだったようだ。壮烈で激しい切腹を経て、間新六は24歳で散った。

 
 >・・・その夜のうちに、新六以外の九名の浪士の遺体は泉岳寺へ搬送されていった。・・・・・・

 ほどなく中堂夫婦(新六の姉夫婦)は、新六の遺体を、彼らの菩提寺でもあった築地本願寺の墓地に埋葬したとみられる。

 
>泉岳寺では、遺体を搬送された大石内蔵助ら45名と同様に、間新六にも戒名を授け、ともに墓碑を建てた・・・

 
>時は経て、昭和3年4月8日のこと、朝日新聞の片隅にこんな記事が小さく載った。

 
{義士の遺骨移葬

 東京市公園課では、築地本願寺の墓地にある赤穂義士間新六郎の墓を高輪泉岳寺に移すべく、東京府に向け、その許可申請をする事となった。すなわち現在間新六郎の墓は単に碑だけで、遺骨は築地本願寺に埋葬してあるのである}

 
>その後の顛末は、昭和4年12月15日の朝日新聞に詳しく紹介がなされていた。

 
{義士の遺骨が行方不明

 妙な因縁の間新六郎のため、討入りの日に慰霊

・・・・・

 昭和4年2月13日、区画整理のため本願寺の墓地が掘り返される事になり、・・・掘り返されたが、墓石の下から出たのは、若き勇士の骨とは似ても似つかぬ骨壺二つ、・・・

 ほかの同士の者は、遺志通り泉岳寺に葬られ、死後も永く亡君に奉仕できたのに、新六郎だけは遺骨のありかも知れないとあっては浮かばれまいというので、14日の慰霊祭となったのである。}

 
>現在ではわずかに残される旧状写真によってしか確認はできないものの、昭和初年当時の新六の墓は元禄期の埋葬位置から、離れてしまっていたのである。

 結局、間新六の遺骨は見つかることもないまま、その後、墓石は現在の位置へ移動されていった。

 だが、その墓と、土に帰った遺骨は、主君浅野長矩が生まれ、事件当時に上屋敷が存在していた地からは間近にある。たった一人の赤穂浪士は、同志たちとは異端の地で、久遠に藩邸と主君の侍衛の任に就き続けているのだろう。

 
 『ものしり百科』では、触れられていないが、本願寺境内の供養塔には、このようなドラマが秘められていたのである。

 

 

江戸の名物-2

[皐月の鯉の吹き流し] 2016年9月24日 14:00

「茶店」、「紫」、「錦絵」 スキップします。

「火消」、「火事」に喧嘩に中っ腹

江戸は世界有数の大都市で、家は木造、密集していたこともあって、火事が多かったようです。 ただ、『熈代勝覧』では瓦屋根の家が描かれていて、木造ではあるものの防火の意識はあったと思います。

 

s.jpg・『熈代勝覧』  ここでは普請しています。瓦屋根になるのでしょう。まわりは全部瓦屋根です。

 

 

防火対策において 南町奉行大岡越前守忠相は、徳川吉宗の命を受け、い組、ろ組、は組・・・47組後48組の町火消しを発足 させました。 いろは・・の中で へ組、ら組、ひ組、ん組 はありません。 「へ」は屁、「ひ」は火、「ら」は隠語、「ん」は終を表すという理由だそうです (ら組は知りませんでした)。

 

い組の纏は、芥子(けし)と枡(ます)を形どったものですが、火事を「けし・ます」 ということだそうです。

 

材木問屋は当初日本橋にあり、材木置き場の「木場」は火事が起きるたびに江戸城から離されて、引っ越したそうです。 最も大規模と言われている明暦の大火(振袖火事)で江戸天守閣もこの時焼失してしまいました。 今でも石垣には黒くこげたあとがあります。

 

 

「喧嘩」

気がみじかく喧嘩が多かったのでしょう。ただし『熈代勝覧』に見られるように 木戸が設置され、夜は閉めていたので治安は良かったようです。 この木戸を管理するのが木戸番屋で、木戸の開閉のほか、通行人のチェックや火の番なども していたようです。

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 ・『熈代勝覧』 ここにも番屋があります。

 

 

「中っ腹(ちゅうっ‐ぱら)」 気みじかで威勢がよいこと だそうです。

 

 

「伊勢屋」

「伊勢屋」さんと言う屋号のお店が多かったのでしょう。江戸の町は伊勢屋の看板ばかり目立ったとのことです。

日本橋で最も深い歴史を持つ老舗の一つ 鰹節専門店の「にんべん」さん 創業 1699年 元禄12年 そのルーツは伊勢商人だそうで 商標の"イ"の文字は創業時の屋号である「伊勢屋伊兵衛」の「イ」とのことです。

鰹節は日本の食文化に欠かせない物のひとつですが、最近フランスで鰹節工場を設立し、 生産を始めました。ヨーロッパの国々へ販売するようです。 EUの規制と輸送コストが問題で輸出が難しいことから、現地生産に踏み切ったとのことです。

 

 

稲荷に犬のくそ つづく

 

 

九番目の義士 間新六が見せた壮烈な切腹 (1)

[CAM] 2016年9月21日 18:00

 築地本願寺境内には、吉良邸に討ち入った赤穂浪士の一人である間新六の供養塔が存在する(『ものしり百科』;69頁)。しかし、なぜ赤穂浪士の内、間新六の供養塔だけが築地本願寺に存するのかについては疑問であった。この点について、雑誌『歴史通』の2016年1月号で、作家・伊藤成郎氏が「九番目の義士間新六が見せた壮烈な切腹」と題する論文を寄せておられる。入手がやや困難な文献であると思われる(中央区立図書館では収蔵していない)ので、以下に要点だけを紹介しておきたいと思う。

 
>赤穂浪士の墓所といえば、誰しも思い浮かべるのが東京都港区の泉岳寺である。仇討ち後、同志と離れた寺坂吉右衛門を除く46人の浪士たちは、四大名の江戸藩邸に分散して収容され、翌年2月4日に、幕命によって切腹した。それぞれの遺体は、主君である浅野家の江戸での菩提寺となる泉岳寺へ運ばれ、埋葬された。

 

 だが、ただ一人だけ、切腹後に泉岳寺へ送られなかった赤穂浪士がいる。それが間新六であった。

 
>現在、本願寺の境内の東北側に沿って、6基の墓石が並んでいる。歴史散策に赴く人以外には、ほとんど顧みられることもない。かつて本願寺は、本堂境内から南西部の、西北にあたる場所に広い墓域を持っていた。昭和11年(1936)に、この墓地は杉並区の和田堀へ移転したが、その際、わずかな名士の墓石が、築地に残されたのである。

 
>赤穂藩邸は明暦3年に、それまでの上桜田の地から築地へ移転し、長矩の刃傷事件によって幕府に接収されるまでの44年間、この地にあった。現在の聖路加看護大学全域や、中央区立明石小学校の敷地の半分などを包括する場所にあった上屋敷は、総坪数が8970余、建物の総面積は、3335坪となっている。寛文7年(1667)に長矩が生まれたのもこの地であった。

 

 こうした事蹟も踏まえ、赤穂浪士たちは、幕府への接収後、越前小浜藩の江戸上屋敷になっていたこの地へ立ち寄り、主君の産土の地の神へ、快挙を報告したのである。

 

 

 

日本橋室町豊年萬福 知って驚きました

[四方の風] 2016年9月21日 14:00

 台風が矢継ぎ早に日本列島を襲い、天候不順な日が続く中 私がガイドを務める日本橋を巡るイベントが9月17日に行れました。この日は予報に反し雲は在るものの晴天に恵まれ3時間があっという間に過ぎて行きました。イベントのハイライトは今年重要文化財に指定された"日本橋三越本店"。

 

知る人ぞ知る女性マネージャーの名ガイドは三越の歴史に始まり、パイプオルガンの演奏、吹抜の大ホールの景観、巨大アンモナイトの化石等々、他知らないことの連続に参加された方から印象深い一日になったと言って戴きました。皆さんも改めて重要文化財に指定された"日本橋三越本店"にお出かけなさったらいかがでしょうか。

注) 店内ツアーは毎月第二土曜日 11:30~ 14:30~ 2回 参加費 無料 ライオン口案内所

 

今回、私がご紹介するには、このイベントの昼食場所として利用させて戴いた"日本橋室町豊年萬福"さんです。

 

 日本橋川に面した蔵つくりの店舗は、かってこの地にあった魚河岸の蔵群をモチーフにしたのでしょうか。入口から雰囲気がよく気分が高揚します。

私達は2階に上がり川沿いのテラス席でランチを頂きました。階段には擬宝珠が施してありました。さすがです。

川を行き交うクルージングの舟とあいまって日本橋ブランドをおおいに満喫しながらの食事となりました。

 

お店を知るには口コミ情報がよく活用されます。中央区は特派員のブログによる情報がさらに加わります。

昼食場所に決めた際、土曜日に20名の大人数をすんなりと受け入れてくれる食事処は何処にしたらよいかと悩んでいたところ、紹介を頂いたのが豊年萬福さんでした。 この日のイベントは食事後流れ解散。

私は日頃ブログ提供の劣等生を挽回すべくインタビューを試みました。インタビューは行燈風照明が印象深い一階席です。

 

 そして、驚いたのです。 店長は、席につくなり「今日これから勉強会があるんです」と話をはじめました。

 

話を伺うと、月に1回 "豊年萬福塾"と銘打ち、テーマごとに講師を招いて30人で勉強会が開催されて今回で32回目とのこと。 さらに3ヶ月に1回不定期ではあるが朝7:30~ 1時間 なんと100人が集まり全国の旬の食材を使った食べ物を造りながらの勉強会も開催。こちらは12回実施、次回は年内を考えているとのことでした。

 

日本橋を拠点とする団体とともに活動されているそうです。

事前の下調べもなく、「人気のメニューはなんですか?」と伺う前に、お店の志を伺うこととなりました。

 

日本橋の幾つかの老舗の食材はもとより、全国の生産者の想いのこもった食材を使いながら和食を通して文化情報発信型飲食店を目指している豊年萬福さん

早朝7:30~通勤前の方々含め100人もの人が集うとは熱のこもった想いを感じられずにはいられません。店舗内では、自然発酵商品(醤油・味噌等)や日本橋の老舗商品を販売するコーナーもあります。 

 

お店は11:30から開店しています。

 

五街道の起点・アジアハイウェーの起点である日本橋からこれからも多くのニュースが発信される一つになることを期待させてくれるお店でした。

http://www.hounenmanpuku.jp/

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店頭 ライトアップ

  

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店扱い 「神茂」の はんぺん

  

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2階テラス席 奥に日本橋・船着き場臨む