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歌川広重@中央区

[月島菜々子] 2016年11月14日 14:00

芸術の秋、墨田区では11月22日にオープン予定の「すみだ北斎美術館」が話題になっています。そこで、北斎とライバルで中央区にも縁のある浮世絵師「歌川広重(1797~1858)」を取り上げてみることにしました。
 
「中央区ものしり百科」にも記載されている通り、歌川広重は1849年53歳から亡くなるまでの約10年間、大鋸町(おがちょう、現在の京橋)に住んでいました。
 
さて、歌川広重と聞くと、「東海道五拾三次」(アラフォー以上の方には最近20年振りに復活したお茶漬け海苔のおまけでお馴染み)を思い浮かべる方が多いと思いますが、生涯で最も多く手掛けたのは江戸の名所絵だそうです。
 
今回は集大成と言われる「名所江戸百景」を見ることにしました。
100枚を超える作品の中には中央区が舞台のものも多数ありますが、その中で、私の近所の佃を題材に1857年に制作された「永代橋佃しま」(左)と「佃しま住吉の祭」(右)をご披露します。
 
永代橋から眺めた佃の風景は約160年経ってすっかり変わってしまいましたが、3年に一度の住吉さんのお祭りの熱気は現代に引き継がれていると感じています。
 
歌川広重
については書籍等も多数ありますので、秋晴れのの1日、作品の舞台を回ってみるのもおすすめです。
 
ここで、トリビアを2つ。
・江戸の名所絵は、各地から江戸に来た人々への国元へのお土産として大人気で、値段は蕎麦(いわゆる二八蕎麦)2杯分の32文だったとか。
歌川広重は、江戸だけで10万人以上の死者が出た安政のコレラの大流行で亡くなったそうです。
(2つとも今年の江戸文化歴史検定の問題でした。)
 
最後に、先日京橋を歩いていると、老舗の薬屋さんに、歌川広重の「名所江戸百景」内の京橋3部作の写真が掲げられ、「歌川広重が魂を込めて愛した街 京橋を描いた一世一代の傑作です」と言うコメントを見つけました。街歩きって本当に楽しいですね。
  

(参考図書)
ちいさな美術館 歌川広重〔名所江戸百景〕(青幻舎)
秋葉薬局
 
IMG_1076.JPG IMG_1063.JPG  IMG_1074.JPG



 

 

2016 秋の文化財めぐり

[サム] 2016年11月12日 12:00

DSC02782'ELS (3).jpg 区内外にある歴史遺産等の文化財をバスと徒歩にて巡る、中央区教育委員会主催の「秋の文化財めぐり」。

今年は、10月29日と11月5日の両日、岩切信一郎氏を講師に迎え、「江戸・明治から昭和までの印刷文化について」と題し、開催されました。

江戸・明治から近代までの印刷文化に縁の地を訪ね、その変遷について学びます。

歌川国芳顕彰碑RS (2)G.jpg当日の行程は、

① 日本橋界隈(乙姫の広場~滝の広場~花の広場

 ~元標の広場~江戸桜通り<駿河町>~貨幣博物館

 ~常磐橋門跡~一石橋~夢二・港屋ゆかりの地~

 日本橋西河岸地蔵寺教会

② 人形町界隈(椙森神社~堺町・葺屋町芝居町跡~

 玄冶店跡~三光稲荷神社

③ 墨田区向島 三囲神社(歌川国芳顕彰碑)

④ 文京区水道 印刷博物館(特別展「武士と印刷」)

 

まずは、往時近隣に地本問屋、版木職人など出版関係者も多く居住し、経済・金融と並び、文化の中心地でもあった日本橋エリアを散策。テーマに即して、日本橋1丁目<西河岸町>角に所在した大倉書店(夏目漱石「吾輩は猫である」の出版元)のエピソードを拝聴したり、貨幣博物館で、江戸時代の藩札の、部分的に繊維を薄くした "透かし" 技法や、判別し難い外国文字の刷り込み、多色刷り複数版木の別人管理・特別色使用等々の偽札防止の工夫を、改めて再認識するなど、ちょっと違った視点の街あるきでした。

引き続き、江戸時代末期の浮世絵師を代表する「歌川国芳」が一時居住していたとされる玄冶店周辺の人形町エリアを散策。

午後からは、まず国芳13回忌に当たる明治6年に弟子達により建立された墨田区向島の「歌川国芳顕彰碑」を訪ね、次いで最後の訪問先である、国芳の武者絵も展示されている、文京区水道の「印刷博物館」へ。

現在、特別展「武士と印刷」が開催中。

江戸時代、勇猛な武士を描いた浮世絵が出回る一方、当の武士が地図や翻訳書など知的な出版にも関わった事実から、対照的な印刷物を通して武士の2つの側面を紹介する企画展。

歌川国芳の武者絵を中心とした約150点のコレクションに加え、約70人の武士が編纂させた凡そ160点もの出版物も展示されています。

印刷技術も支え、その一つが活字。特に熱心だった徳川家康が作らせたのが、一部が現存し重要文化財にも指定されている銅活字(駿河版銅活字)とされます。

秋の爽やかな一日、文化財めぐりを通じ、またひとつ新たな中央区の歴史・文化の一端に触れることが出来ました。

 

 

玉殿 縁起の良い名前

[あすなろ] 2016年11月 7日 09:00

写真1_扁額.jpg

 

家内喜稲荷神社。

 

珍しい名前の神社ですね。家内が喜ぶ。
難しい漢字ではないですが、読み方は難しい。

 

「家内喜」は「やなぎ」と読みます。

 

狛犬1.jpg 狛犬2.jpg

 

縁起物の「柳で作られた箸」があります。

 

柳は雪の重さに耐え、春一番に芽を出すので
縁起がよいとされています。

 

家内が喜ぶ、と縁起をかついで
「家内喜(やなぎ)箸」と書くこともあります。

 

関連があるかわかりませんが、このお社も
また縁起の良さを感じます。

 

たまたま歩いていてめぐり合いました。

 

写真3_境内.jpg

 

灯籠があり、参道に沿った石畳があり、
植木があり、小さな手水鉢があり
掃き清められたお社は、地元の方にしっかりと
守られているのでしょう。

 

とても気分の良い発見でした。

 

中央通り室町四丁目交差点付近です。
お近くに来られた際は、立ち寄られてみてはいかがですか。

写真4_鳥居.jpg

 

◆家内喜稲荷神社(やなぎいなりじんじゃ)
 東京都中央区日本橋室町4-2-12

 

 

名所旧跡碑 少し移動

[銀造] 2016年11月 5日 16:00

 ビルの建て替えに伴い、名所旧跡を説明する碑は、今まであった所から、向かい側の空き地に移動したりしています。

江戸秤座跡碑は、向かい側の空き地に移りました。(日本橋3-7-20の向かい付近)

DSC02853.JPG

説明碑を少しご案内すると、「秤座は、秤のおもりと竿の規格を統一する目的でつくられた組織で、江戸と京都の二座があった。 江戸の秤座は、守隋家が代々受け継いだ。守隋家は、甲斐・武田氏の治下で秤の製造・販売の独占権を許された。武田氏滅亡後、二代目信義は江戸に出て、徳川家康に仕え、幕府公認の秤商になった。」

 歌川広重の住居跡の説明碑は、以前あった建物の建て替え途中で、建築主様の温かいご配慮で、囲いのパネルの上に、説明書きのコピーを掲示して頂いています。(京橋1-9-7)

DSC02855 (360x202).jpg

 楽しい街歩きのご参考まで。

 

 

御府内水上ライン

[サム] 2016年11月 2日 12:00

DSC02696LS (2).jpg DSC02707LS (3).jpg

 

DSC02702SQRSG (2).jpg 10月22、23、29、30、31日の5日間、日本橋エリアと深川エリアで、「日本橋と深川『水都復活まつり』」が開催されました。

水運が隆盛だった江戸時代、商業の中心地日本橋と下町を代表する深川の両エリアを結んでいた「水の道」を改めて見直し、両エリアの魅力を再アピールすることを目途に企画された催し。

同イベントの主催は、中央区の日本橋北詰商店会、室町大通会と、江東区の森下商店街振興組合、高橋商店街振興組合、高橋商店街高盛会、深川資料館通り商店街協同組合で、東京都商店街振興組合連合会の広域支援型商店街事業の取り組みの一環と聞きます。

23日と29日には、その日本橋と深川の江戸時代の「水の道」を体験できるクルージングイベント「御府内水上ライン」が実施されました。

かつて衣・食・住に関わる様々な物資の輸送に大いに寄与し、賑わった日本橋~深川間の水上交通。

今回は、日本橋船着場から、日本橋川、隅田川、小名木川を経由し、高橋乗船場に至る、約30分の乗船体験。

時代が進み、物資は陸上輸送となり、埋め立てられたり、高速道路に覆われたり、建物は川に背を向け、かつての賑わいや面影とは程遠い景観乍ら、今なお至る所にその歴史の面影を垣間見ることができます。

小気味よいテンポのリバーガイドの案内で、往時の「水の道」を改めて偲ぶクルージングです。