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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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銘菓を日本全国から  ~ 日本橋三越 菓遊庵 ~ ②

[rosemary sea] 2017年3月29日 14:00

『ギフト、そして自分も楽しむ』をリストアップして取材します、rosemary sea です。

 

DSC02103a.jpg日本全国の銘菓を一堂に取り揃えた菓遊庵(かゆうあん)さん。

前回は商品のご案内を中心に述べました。

今回は歴史編です。

日本橋三越本店の地下1階のお店にお伺いしました。

今回も三越日本橋本店 菓遊庵 ショップリーダーの伊勢本(いせもと)様にお世話になりました。

 

昭和25年(1950年)、全国都道府県の歴史あるお菓子メーカーさんが、のれんと技術育成を目的とした「全国銘産菓子工業協同組合」を発足されました。

そしてその年の11月、ここ日本橋三越本店さんにおいて「全国銘菓復興展示即売会」を開催。これが大変好評でしたので、第二回より「全国銘菓展」と題し、現在まで年一回開催されている次第です。

ところが、年一回だけのこの催事を楽しみにされているお客様があまりにも多かったことから、ご要望へのお応えとして、常設の売場で同様の企画ができないか、と三越さんは考えました。

昭和59年(1984年)11月、やはりここ日本橋三越本店さんの菓子売場に「全国銘菓展」のお菓子を主体とした「伝統銘菓」売場を開設されました。

それから「伝統銘菓」売場は取扱商品を増やしながら大きく成長、昭和63年(1988年)、現在の「菓遊庵」という売場名に改められました。

 

「美味しい」「また食べたい」「これをあの方へ」という味の感動を更に更に高められるよう今後も厳選と品揃えに力を注がれる、とのことでした。

ロズマリ、感激です。是非これからもよろしくお願い致します。

 

DSC02102b.jpg菓遊庵

日本橋室町1-4-1 日本橋三越本店 本館地下1階

03-3241-3311(大代表)

営業時間  10:30~19:30

菓遊庵さんのホームページはこちら ⇒ http://mitsukoshi.mistore.jp/store/common/kayuan/

日本橋三越本店さんのホームページはこちら ⇒ http://mitsukoshi.mistore.jp/store/nihombashi/

 

 

 

長崎屋の場所

[O'age] 2017年3月27日 09:00

オランダ商館長一行の定宿長崎屋跡の説明板は日本橋室町4-4-10 に立っている。鎖国政策をとっていた江戸時代、最新の科学技術や外国語を学ぼうと多くの天文学者、医師、蘭学者などが訪ねて交流した重要な史跡である。(「中央区ものしり百科」より)

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長崎屋の建物は正面が南向きで、裏側(北側)は"カ子ツキタウシンミチ"(鐘撞堂新道または鐘突き唐人道(現・時の鐘通り))で、この道を挟んで時の鐘撞堂があったと推定される。上記説明板の立っている位置付近に正面入口があったのではないか。
「石町の鐘は紅毛(オランダ)まで聞こえ」。

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銅鐘石町の鐘・保存先(十思公園内)

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安政六年(1859)六月十四日に"鉄砲洲船松町二丁目(現・中央区湊町 [現・明石町ではないか?筆者O'age] )"に移転。鉄砲洲は江戸の蘭学発祥の地。明和八年(1771)、杉田玄白・中川淳庵らが前野良沢の居所に会して「ターヘル・アナトミア」に打ち向い、「艪舵(ろかじ)なき船の大海に乗り出だせしが如く、茫洋として寄るべきかたなく、ただあきれにあきれて居たるまでなり」と嘆息した地は同じく鉄砲洲。

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オランダ商館長のおこなった江戸参府旅行は、定例化したのが嘉永十年(1633)から年一回で、寛政二年(1790)からは貿易の半減に伴って五年目毎、四年に一回で、嘉永三年(1850)まで百六十六回。この嘉永三年に旅宿の業務はやめて、鉄砲洲移転後は輸入薬種に代表される輸入品取扱商店から輸入書籍や鉄砲その他の雑貨を扱う商店に変わり、長崎屋は"唐人参座"から"江戸長崎会所"へと転換することになった。長崎屋の第十一代目当主の源右衛門が明治八年(1875)本所で亡くなったという。
(片桐一男著「それでも江戸は鎖国だったのか」吉川弘文館、坂内誠一著「長崎屋物語」流通経済大学出版会 より)

 

 

佃天台子育地蔵尊 森稲荷神社 佃住吉講

[銀造] 2017年3月25日 16:00

 佃散歩。 最近は日が伸びたので、夕方に佃から新富町まで散歩しました。

佃に入ります。 佃天台子育地蔵尊に参拝し孫たちの健康をお祈りしました。 埼玉県から来た女性は、いつも友人宅へ来たら必ず、お参りして、この樹齢300年超の銀杏の木に触って元気を貰って帰るのだと、仰っていました。

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 佃小橋を渡り、住吉神社にお参りした後、ふと何かに呼び止められた様な気がして、いつもとは違う道を歩みます。 地元の方の厚い崇敬を受けていそうな神社がありました。

森稲荷神社です。

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ご由緒、縁起を拝見しました。

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歴史の一端を垣間見た、嬉しい発見でした。

帰りの佃大橋から下流の風景も風情があって、なかなか良いものです。 温かくなりましたので、この方面へもお散歩にお出かけ下さい。

 

 

京橋 歴史散歩 龍馬を訪ねて 富岡製糸場関連も

[銀造] 2017年3月24日 09:00

 所用で中央区役所に行き、此処が江戸時代には、土佐藩中屋敷だったことを思いだし、

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龍馬伝が放映された時にブログにて、2010年6月に、ご紹介しましたコースを歩こうと思い立ちました。写真は削除。http://tokuhain.chuo-kanko.or.jp/2010/06/post-367.html

  途中、銀座発祥の地碑、江戸歌舞伎発祥の地碑等々を見ながら、東京スクエアガーデンを左折して、冨岡製糸場を経営して発展された片倉工業さんの名残のメダリオン。富岡製糸場が世界遺産に指定されたことを祝う、同社のHPでのご案内を紹介します。https://www.katakura.co.jp/tomioka.htm

このメダリオンは、建替え前の旧社屋に飾られていたものです。

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その裏に、京橋の歴史が写真と共に紹介されています。

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京橋の歴史を学び、次に向かいます。

かつて坂本龍馬が剣術の稽古に励んだ「千葉定吉道場」の説明板があります。

龍馬は、さな子さんと恋仲だったのかなとも思いながら。

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 鍛冶橋の交差点で、東京国際フォーラムが土佐藩上屋敷であった事を絵図で確認し、

京橋のエドグランにある中央区観光情報センターへ向かい、次の新しいネタを仕入れ、エドグラン内のレストランで昼食を楽しみました。京橋のエドグランのご案内ですhttps://www.edogrand.tokyo/

 

 

熈代勝覧に描かれた江戸の暮らし

[お江戸のマーシャ・堀内] 2017年3月18日 18:00

名橋 「日本橋」保存会 日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会による特別共催セミナー「熈代勝覧に描かれた江戸の暮らし」に参加してきました。講師の先生は、江戸東京博物館学芸員の江里口友子先生です。

 

私は、2013年3月に、三越駅前の地下コンコースで初めてこの絵巻複製(約17メートル)を見て以来(実物よりは1.4倍に大きい)、江戸時代にタイムスリップしたいものだと常々思っていただけに、とても楽しいワクワクする日となりました、有難うございました。

 
ざっと、その内容を掻い摘んで書いてみますが、今、江戸博で"「江戸と北京」18世紀の年と暮らし"という題名で、4/9まで展覧会が開催されています。

1)江戸時代後期(文化2年_1805年)の繁栄を描いたもの、1995ドイツで発見され、ベルリン美術館群東洋美術館にある。今回は2回目の里帰り

 

2)実物は巻物状で、題名は「熈代勝覧 天」 と書かれている。つまり他にもあるのか(地、人)?誰もわからない、、 作者も未だ不詳

 

3)さて、その中身である、両国の回向院と書かれた箱の絵がある。兎に角、江戸は家事が多かっただけに、火事の前の繁栄の風景、火の見櫓 、天水桶、 防火用水も描かれている。神田の今川橋(今は無い)から日本橋までの通り(今の中央通)760メートルの90軒ほどのお店と人や動物が1671ほど軽快なタッチで描かれている。

 

4)覗いてみる、白壁屋、桃の花、 呉服商から両替商までやっていた"三井越後屋"、刃物の"木屋"(普請中なれど蔵で営業中と書かれているらしい)、紅屋(白粉のこと) 今川橋の瀬戸物屋、渦巻き模様看板の水飴屋、油を塗った合羽を売る店、 お汁粉屋、 占師、薬屋(何故か多い)、入れ歯屋(石や木で創っていたらしい)、傘屋、 寿司屋"玉鮨"、鏡屋、煙草、ロウソク屋、キセル屋、 10軒店でのお人形売り、二八そば屋、本屋、 ちろりで一杯できる居酒屋、 徳利を持って酒を買いに行く人 、指物屋、算盤屋、古着屋、箍屋、 猿回し(犬が近くに居る、猫はいない)、赤味噌屋、結納屋 などなど

 
5)当事は店の看板を立てるのに許可が必要だったようで、南町奉行所の人たちと一杯やっている風情も描かれているという

 

6)親父が寺子屋行く子供の手を引いて肩に勉強机を背負っている、なんと健気な風景ではないか、"チャント勉強せなあかん!"といわれているのだろう。

 

7)日本橋近くになると青物屋、魚屋(鰹、鮑)、今もある高札場には"切支丹御法度"が書かれているらしい。橋のたもとの番小屋は自治会組織、 立ちション禁止の鳥居のマークもあり、喧嘩の風景、日本橋川では子供が泳いで居る姿も見える

 

8)この絵画のタッチは、江戸の錦絵などには見られるものではないようだ。ここで、中国の清朝の康熙帝の還暦を祝う「万寿盛典」のパレード絵画(離宮から紫禁城へ歩く行列)との比較が面白かった、いくつかの場面の人間の仕草がとても似ているのだ。
江戸博には、孫の乾隆帝の80歳のお祝い風景を描いた「乾隆八旬万寿慶典図巻」も展示されており、このパレードも江戸人の一部の仕草の参考になったのだろうか。

 

さて、みなさん、タイムスリップして頂けましたらば、幸いです。

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金刀比羅神社(神田明神)

[橘] 2017年3月16日 16:00

金刀比羅神社というと、東京では港区虎ノ門の金刀比羅神社を思い浮かべる 方が多いのではないでしょうか。この神社は2004年に建て替えられ"虎ノ門 琴平タワー"と一体の施設になっていますね。

金刀比羅神社の総本宮は香川県琴平町の神社です。江戸時代に船による流通が盛んになり、海運業者や商人に依って金刀比羅信仰が日本中に広められ、分社が 各地に作られました。

 

その一つが天明3年(1783年)に薬研堀(現在の東日本橋二丁目)に創建された 金刀比羅神社です。隅田川往来の船人達の守護神として崇敬され、その後、 町の発展と共に商家、特に飲食業・遊芸を職とする人々の篤い信仰を集めました。

 

現在は薬研堀には神社は存在しませんが、神田明神の境内に昭和4年に 遷座され神田明神の末社となっています。三宿稲荷神社と共に祀られています。


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又、神田明神境内には末廣稲荷神社がありますが、これも日本橋小舟町の 鰹節卸商により祀られた神社ですが、現在は神田明神の末社として遷座しています。
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これまでも、魚河岸水神社や小舟町八雲神社が神田明神に祀られていることを書いてきました。 神田明神自体は現在の住所では千代田区となりますが、現在も中央区の日本橋川北側の 大部分の町は神田明神の氏子となっている様に、中央区と神田明神とは切っても切れない 深い結びつきがあることがよく分かります。