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名所 中央区のお富士さん

[あすなろ] 2017年7月14日 09:00


富士登山のシーズン到来。

 富士塚.jpg

 

江戸時代の享保期に富士信仰が盛んになると、江戸を中心
に富士講が拡大し、俗に「江戸八百八講、信者八万人」と
言われました。この隆盛を受けて、誰でも富士参拝が

出来るように江戸市中に富士山を模した富士塚が多数築造

され、庶民から「お富士さん」と呼ばれ親しまれました。

 

現在、中央区に残っている唯一の富士塚は、
鐵砲洲稲荷神社の境内にあります。
※富士塚には、登らないようにしてください。

 鳥居.jpg

 

天保期の江戸市中稲荷番付では、西之方の大関になる
名所です。昔は海沿いにあり、付近の眺望は、浮世絵になる
ほどでした。

 

江戸に暮らす人たちの信仰・関心を集め、現在も脈々と
受け継がれています。

 

◆鐵砲洲稲荷神社
東京都中央区湊1-6-7

 

 

 

角打 自分スタイル

[あすなろ] 2017年7月11日 09:00


杉玉発見。

 杉玉.jpg

7月11日は「角打ちの日」。

「角」の文字が7月11日で構成されていることにちなんで

のことらしい。。。酒屋さんの中で、店に置いてある

お酒を愉しむのが「角打ち」。

 吞み比べ.jpg

江戸時代からつづく庶民の文化。

酒屋さんの様子は変われども、立ち呑みのスタイルは

基本的に変わりません。

気になるラベルのお酒を試したり、

同じ酒蔵のものを飲み比べたり、

流儀はいろいろですね。


 看板.jpg

銀座酒蔵検校
 
 東京都中央区銀座3-8-12 銀座ヤマトビル 1F

 

 

 

鉄砲洲稲荷神社 夏越しの祓 茅の輪くぐり 富士塚

[銀造] 2017年7月 7日 12:00

 6月30日は1年の折り返し点であり、ちょうど本格的な夏に入る節目でもあります。

旧暦の6月末に行われる「夏越の祓」は、半年分のケガレを落とす行事で、この後の半年の健康と厄除けを祈願します。由来は神話の伊弉諾尊(いざなぎのみこと)の禊祓(みそぎはらひ)にまで遡るそうですが、新暦に移った現在でも、6月30日ごろ日本各地の神社で行なわれている伝統行事です。

今年前半の穢れを落とし、盛夏にむけて健康でいられるようお祈りを致しました。

1498819154297.jpg

 ご本殿の奥に鎮座する富士塚は整備されて、清掃も行き届いています。神域ということを感じました。

1498819273087.jpg

富士塚の麓には、胎内も見えました。 本格的な富士塚ですね。

富士塚は、登ったりしないようにとの注意書きがありました。参拝して、境内での散策を楽しみました。

 

 

中央区立阪本小学校

[yaz] 2017年7月 7日 09:00

私は現在72歳。父も母も卒業した中央区立阪本小学校を60年前に卒業しました。中学校は紅葉川中学校、生徒数の減少で廃校となり、日本橋中学校と有馬中学校と合併し私にとっては「なし」の状態です。さみしい。同様に子供の減少があるにも拘わらず、現存している阪本小学校は末永く残ってほしいものです。関東大震災後の復興小学校の校舎(鉄筋コンクリート)を壊して、平成31年初頭(2019年)に新しい校舎に移るという話なので、現校舎を見せてもらいました。私の会社のオフィス(生まれて育ったところ)から徒歩3分程度の所にあるにも拘わらず、卒業後は訪問したことがないので、許可を取って内部を見てきました。

(最近は物騒なので、勝手に入るわけにはいきません)

「併設幼稚園がなくなった・用務員室の場所が変わった」以外、基本レイアウトは変っていないので60年前を思い出しながら"一人で"歩き回りました。(良く許可してくれたと、思います)

阪本小学校歴訪の機会を与えて頂いた校長先生はじめ関係者の皆様に感謝いたします。

 

【阪本小学校の歴史】

この学校は明治6年5月(1873年)元熊本藩主細川家の下屋敷であった場所に、『第一大学区第一中学区第一番小学 阪本学校』と称して開校した。一部九鬼式部邸にもかかっているかもしれません。この辺りは坂本町という名の町が傍にあるので、坂本小学校と名付けたようですが、現在坂本町は存在せず兜町となっています。(いつから"阪"になったのかの理由は不明です)

阪本小学校用地(細川邸).png 阪本小学校開校の説明.JPG

 

開校時の生徒数は36名であったが、木造校舎を新築した明治7年4月には267名に増えています。明治13年には校名を 公立阪本小学校、同女子小学校と称しました。明治22年には男校舎を取り除き女校舎に合併し、男女授業を隔日としたとのこと。(学校でも、男女"6"歳にして席を同じゅうせずですね)この時木造総二階の新校舎が落成しました。

木造校舎.gif

大正12年9月1日 関東大震災に羅災。校舎は全焼。東京市は罹災後の救助、救援活動などで学校建築の重要性を認識し、東京市臨時建設局学校建設課の共同設計による「復興小学校」の建設を急ぎました。中央区には、阪本小学校の他、明石小学校・城東小学校・泰明小学校・中央小学校・常盤小学校・京華小学校・十思小学校などが当時の建築様式を現在も残しています。復興小学校の建築方法が見直され、保存運動が持ち上がっているようです。

 

復興小学校(阪本)建築現場.png 

昭和3年 3階建て鉄筋コンクリート校舎落成

 

築89年、現在も当時の校舎が使われています。なくなってしまうのは残念です。(新校舎の設計図は未だ出来ていないようなので、現校舎の一部が保存されるかどうかは不明です)

kousha_p.gif

 

平成11年2月 125周年記念式典(講堂で開催されたようです)

125周年記念式典.gif

 

【阪本小学校の現状】

入り口の像は「少女」というタイトルで、山本正道氏作品です。

阪本小学校入口.JPG

 

文部博士中村孝也 作詞
東京音楽学校   作曲
一 富士の高嶺の白雪も
   登らばついに掬ぶべし
   学びの山も麓より
   撓まず倦まず踏み分けむ(ん)
   名も阪本の我等の学び舎
   仰げば遠し 空のあなた
二 赤き心のもみじ川
   月を浮かべて流れゆく
   教えの海に漕ぎ入りて
   底の真珠を探りなむ(ん)
   名も阪本の我等の学び舎
   行手は広し 浪のあなた

 

現在は富士山も見えないし、紅葉川(もみじ川)も埋め立てられて高速道路、寂しい限りです。校歌だけは60年前と変わらずうたわれています。

現在の全校生徒数は、男子86名・女子71名 計157名。学区は兜町・茅場町ですが、学区外からの生徒が半数程度いると考えられます。60年前は学区内の生徒だけで、6年時生徒数は55名、1クラスでした。学区外の生徒受け入れて、廃校にならず頑張っています。

阪本小学校学区域.JPG

 

【校舎改築】

2016年2月15日発行の建通新聞によると、

「地下2階地上6階建て延床面積約1万4000平方㍍の新校舎を建設し、別地の再開発で一体的に建て替える城東小学校を一定期間併置する計画だ。建築設計の競争参加有資格者を対象に2月25日~3月2日で参加表明書、3月22日~4月1日で技術提案書を受け付け、4月中旬をめどに委託先を決めて契約を結ぶ。2017年第2回区議会定例会付議案件として本体工事を発注し、19年2月に完成させて同年4月の開校を目指す。  阪本小(日本橋兜町15ノ18、敷地面積3370平方㍍)の現校舎は鉄筋コンクリート造地下1階地上3階建て延べ3667平方㍍。1928年の完成で、隣接の坂本町公園(日本橋兜町15ノ3、面積5009平方㍍)とともに関東大震災の復興事業で整備した。老朽化が進み、毎年のように改修を実施していることから、良好な教育環境を確保するため改築する。「八重洲二丁目1地区」の再開発で一体改築する城東小(八重洲2ノ2ノ2)を21年度まで併置するため、新校舎は完成時に2校分の普通教室として18室を用意する。また、阪本認定こども園(仮称)の保育室6室も設ける。  16年度は新校舎の基本・実施設計と並行して、坂本町公園内に阪本小と城東小の仮校舎を設置。17~18年度で現阪本小の校舎の解体と新校舎の建設を実施して、仮校舎の撤去後の19年度に坂本町公園を復旧する。  基本・実施設計業務の契約上限金額は1億7610万円(税込み)。16年度予算に計上し、4月中旬~17年3月15日の履行期間で成果を納めてもらう予定だ。プロポ手続きを通じて「阪本小学校及び阪本認定こども園(仮称)の施設像」に関する技術提案を求めることにしている。」

現時点のスケジュールは以下のようになっています。平成29年6月30日に阪本小学校を訪問しましたが、現校舎は存在し授業も行われていますので相当の遅れが出ているようです。

 

平成28年度末: 仮校舎完成の予定

平成29年度初頭: 仮校舎へ引っ越し

平成29年度: 現校舎解体開始

平成30年度末(2019年3月): 仮校舎での授業

平成31年度初頭: 新校舎へ引っ越し

阪本小学校建築申請.JPG

 

【校内レイアウト】

主事室(昔の用務員室ですかね?)の位置・幼稚園の有無・給食室の位置変更を除けばレイアウトは60年前と変わっていませんでした。信じられない!

阪本小学校校舎レイアウ�.jpg 阪本小学校校舎レイアウト(2).JPG

 

現存するオールドファッションな校舎内を幾つか紹介しましょう:

入り口に入って左折した突き当りにある木製の階段と、2Fの廊下です。

階段.JPG 3F階段を上って、右廊下.JPG

 

2Fから運動場をのぞいてみました。60年前もそうでしたが、「狭い」という印象は同じです。見ても判るように、徒競走する時も直線コースが取れません。グラウンドはコンクリートですから、転んだら間違いなく怪我をします。徒競走するとコーナーが必ず2つ設定されるので、非常に危なかったという感じが60年前もしましたが今も全く変わっていません。右側の写真は運動会を開催した時のものです。狭くてもどうにかなるものです。

阪本小学校平成通り側階段2Fから運動場を.JPG 阪本小学校運動会(2).JPG

 

私にとって、阪本小学校で最も印象的なものは"古~~~~~い"巨木の銀杏の木と、講堂です。銀杏の木は校舎よりも高いかもしれません。60年前でも直径が50~60cmはあったように思いますので、細川邸時代にあったのかもしれません。樹齢200年以上?

講堂は面影を残しながら体育館になってしまいました。集会として利用する舞台は60年前のものと同じ感じ。写真の右端に写っています。

3Fからの景色(銀杏の木).JPG 体育館内部.JPG

 

 

 

日本橋サンキュー(39)神社巡り!!

[株式会社 彦晴] 2017年7月 6日 16:00

その日は、暑かった。今日は休みブログでも書いてみるかと思った。しかしブログを書くためには何かネタが必要だなと考えた。以前から気になっていた日本橋のたくさんの神社に光を当ててみることとした。ルールは簡単、日本橋地区にある神社をできるだけお参りしまわる。(ただし自転車OK) そうと決まれば中央区図書館へ「中央区沿革図集」をコピーして東京駅からスタートした。

 

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①豊川稲荷神社      ②大原稲荷神社     ③鳥居稲荷神社

豊川稲荷神社は東京駅八重洲口の飲食街の路地の中にあります。通常でしたら何気なく通り過ぎているかも

 

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④純子稲荷神社      ⑤日枝神社摂社     ⑥明徳稲荷神社

明徳稲荷神社は日枝神社摂社内に合祀されています。

『日枝神社兼務社。昭和五年六月から産千代稲荷社を合祀』(「中央区史」より)

 

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⑦兜神社         ⑧小網神社       ⑨銀杏八幡宮

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⑩茶ノ木神社       ⑪明星稲荷神社     ⑫高尾稲荷神社

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⑬永久稲荷神社      ⑭水天宮        ⑮松島神社

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⑯末廣神社        ⑰三光稲荷神社     ⑱富澤稲荷神社

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⑲初姫稲荷神社      ⑳池洲稲荷神社     ㉑岩代稲荷神社㉒出世稲荷神社

初姫稲荷神社は富澤稲荷神社の境内社として祀られています。

岩代稲荷神社と出世稲荷神社も合祀されています。なんとアパートの敷地内に建っています。

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㉓椙森神社        ㉔宝田恵比寿神社     ㉕千代田神社

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㉖竹森神社        ㉗玉尾稲荷神社      ㉘笠間出世稲荷神社

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㉙初音森神社      ㉚川上稲荷神社       ㉛矢ノ倉神社

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㉜元徳神社㉝綱敷天満神社 ㉞笠間稲荷神社      ㉟久松稲荷神社

『~略~元徳稲荷神社に同じ町内に祀ってあった学問の神である天神様(綱敷天満神社)を

合社いたしました。神学の神、産業、商売繁盛、火伏せの神としてのご利益も

伝えられています。』(「元徳稲荷神社と綱敷天満神社の由来記」より)

 

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㊱濱町神社        ㊲金刀比羅宮       ㊳大廣神社

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㊴浜町で見つけた名もない祠

 

今回の神社巡りを通して、江戸時代の神仏に対する信仰の念は現代の私たちにが想像する以上に熱心であったことが再確認できた。今回取り上げることはできなかったがビルの屋上でひっそりと私たちを見守っている神社も中央区にはたくさんあるのです。そしてビルの中や路地裏に追いやられた神社でも地元の人々に守られて現代そして未来と繋がっていってもらいたいものです。

 

それから最後に、神社を簡単に見つける方法がわっかたのでそれについて記載してブログを終了しようと思います。

それは、"常に色を意識して街歩きする"ということです。

(1)赤または白 幡を探す

(2)緑 ビルや建物の街並みの中に緑(植物)を探す

こんな簡単なことですが、神社巡りをする方は是非実践してみてください。

(ただし、赤の幡を探すでは"大安売り"の幡には気を付けてください。)

 

 

 

蛎殻町にも銀座があった 楽しい歴史散策とグルメ探訪

[銀造] 2017年7月 6日 14:00

人形町の「玉ひで」の向かいのビルに、こんな掲示がありました。

 

「蛎殻町銀座~銀座ここにあり」です。

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 そうですね。蛎殻銀座は、ここにあったのですね。 交差点にも説明板がありました。

 

そして、昔懐かしい、絵が。「親父橋より、芳町を望む」という絵です。 この絵には、こんな説明が書いてあります。

 

芳町・人形町は、水天宮の門前町として繁栄してきた町であった。この絵の頃には水天宮をはさんで、東は新大橋、西は鎧橋。北は小伝馬町まで、縁日には露店が並んで、芳町芸者の手古舞が入り賑わいを盛り立てたという。 明治東京名所図会 1989年7月10日 第一期発行 画:山本松谷 解説:山本駿次郎 発行者:加藤勝久 発行所:株式会社講談社

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 人力車に乗っていらっしゃるのは、芳町の芸者さんと贔屓の方か? 野暮な邪推はやめにしましょう。 今でも日本家屋があり、懐かしい町並みが見られる人形町界隈ですね。人形町界隈の温かい下町の雰囲気を味わいに、お出かけしませんか。 料亭、レストランでは、美味しい物、お土産には人形焼、ぜいたく煎餅、下町の味のお惣菜が沢山待っていますよ。